1-3 誰が世界のためになんか闘うもんか、僕は僕のために闘うのみ(3)

 典史テンシのテレビ出演画像が本人の知らぬところでたくさんの騒動を起こした、その次の日のことだった。

 当然の成り行きとして、典史の会社でも、朝から彼のテレビ番組出演の話題で持ちきり。若い人があまりテレビを見なくなったこの時代でも、かの有名な日曜日のお昼の素人しろうと歌番組には根強いファンがいるらしく、未だになかなかの影響力があるのだ。


「ちょっとぉ……斉藤君。昨日、テレビ出てたでしょぉ」


 就業時間前の、朝八時半。

 普段は滅多に近づいて来ることもない、三十五歳になる丸山まるやまが、典史が出社して席に座るなり近づいて来て、もの憂げな雰囲気を漂わせてそう言った。

 同じ課の先輩で紺のパンツスーツに身を包んだ長身の彼女は、見た目もシャープながら、性格にもエッジが効いており、「課長、斉藤君を何とかしてくださいよ。彼のせいで今月も課の目標は達成できなかったんですから!」とあからさまな苦情を皆に聞こえるように申し立てることもしばしばなのだ。


「丸山主任、おはようございます。ええっと、ああ……『のど自慢』のことですか。ええ、確かに出ましたよ」


 なるべく場を穏便に済ませようとにこやかに笑った典史だったが、却ってそれが丸山の勘にさわったらしい。

 彼女の顔の中の、まるでアルプス山脈の絶壁のような険しさが増す。


「ふん、あなたね……。そんな番組に出る余裕があるなら、もっと自分の売り上げを伸ばすにはどうすればよいか、休みの日も考えたらどうなの!?」

「申し訳ありません……努力します」

「努力しますって……返事が軽いわね。本当にあなた、そう思ってる? ……って、いいわ。あんまり言うと、最近流行りのハラスメントってやつになっちゃうから」


 丸山が肩をすくめて自席へと戻ると、彼女と入れ替わるように、今度は係長の宇崎うざきがやって来た。


「なになに、斉藤君!? 昨日、テレビに出たんだって?」


 びしりと決めた縦縞スリムの紺色スーツに身を包んだ彼の目は、愉快気な口調に反して、ちっとも笑っていない。やや細い切れ長の目で、典史をじっと見据えている。


「いやあ、そうなんですよ、係長。いわゆる、のど自慢、てやつで――」

「で、鐘は鳴ったの?」

「ええ、もちろんです。盛大に、何回も」

「へえ……そりゃあ、良かった。で、チャンピオンになった?」

「いえ、残念ながらチャンピオンには……」

「ほお、それは残念だったねぇ」


 言葉とは裏腹に――。

 典史を見る彼の目がキラリと光り、やけに鋭くなった。


「しかし、どうなんだろうねえ、斉藤君。キミのような立場の者が、休みの日とはいえ、仕事そっちのけでそんな楽しみに興じるとは……。僕には到底、理解できないよ」

「す、すみません、係長。仕事も頑張ります」

「仕事“を”頑張ってくれよな。そこんとこよろしく、斉藤君!」


 係長が、典史の顔面に右の人差し指の先をびしりと向けた。


「はあ」


 心許ない返事ではあったものの、数ミリほど首を縦に動かして頷いた典史を見て、係長は少しだけ納得する。典史に向けた指先をウェーブのかかった自分の前髪へと持っていき、さらりと髪を横に流した。

 係長の嫌味が左耳から右耳を突き抜けて行ったのを感じた典史は、厳しい表情だけは崩さず、じっと机の上を見るようにして嵐が過ぎ去るのを待つ。


「けっ、また怒られてやんの」


 今度は、隣の席の同期入社の男、高山だった。

 ほっとけ、と目で訴え、更に高山を睨みつけた典史だったが、高山はまったくへこたれる様子はない。


「でもさあ、最近お前、なんか調子いいじゃん! 正直、俺、驚いたぜ。いつもは俺たちの引き立て役――じゃなかった、脇役のお前がこの前の合コンで目立ってたし、そのなんだ――カラオケコンテストだったけ? そんなテレビ番組出て注目を浴びるとか、以前では考えられないもんな」

「そ、そうかな……」

「そうだって! それにさあ――」


 口に手を当てた高山の声が、急に小さくなる。


「お前の頭、絶対、前より『豊か』になったよな? 好調なのはそのせいだろ?」

「さて、何のことだか」


 知らんぷりして誤魔化すも、頬は緩み、にやけている。

 ――そんなときだった。

 この課のもう一人のメンバー、典史にとっては唯一の後輩で女子社員の井上いのうえ美由紀みゆきが、息を切らして事務室にやって来たのは――。

 彼女はこの課では典史に優しい言葉をかけてくれる数少ない、というか、唯一のメンバーで26才、仕事中には決まって長めの黒髪を束ねたポニーテール姿でいることが特徴の女性である。


「斉藤先輩! 第二会議室で、課長がお待ちですよ。就業時間になったら、来てほしい、とのことです」

「課長が僕を呼んでいる、だって!?」

「ええ。なんでも、今すぐ話したいことがあるそうで……」

「い、今すぐ……に??」


 この会社で唯一の仲間ともいえる彼女の、不安げな表情。

 毎月のように課長から説教を喰らっている典史なので、こういうシチュエーションは慣れっこなのだが、さすがに朝一あさいちから会議室に呼ばれた経験はなかった。

 後輩女性から醸し出される奇妙な雰囲気におののきつつ、まだ就業開始時間まで少しあったが、典史は会議室へと向かったのである。



  ☆



「失礼します」


 まるで就職活動時の面接試験のような緊張感でドアをノックした典史は、もつれそうになる足を懸命に動かして会議室の中へと進んだ。


「……まあ、座り給え」


 部屋の一番奥、入口から正面の位置にある席に課長は座っていた。

 神妙な面持ちで自分の右側の席に着くよう、右手で典史を促す課長。

 いつも典史に対しては説教ばかりの課長ではあったが、その言葉や態度には少なからず愛情というか後輩を思う気持ちみたいなものが溢れていた。けれど今日ばかりは、今までの課長とはまったく異なる雰囲気であるのが、さすがの典史にもわかった。

 典史が、課長の指定した席に、ゆっくりと腰を下ろす。


「課長、お話があるとのことですが――」

「ああ、その通りだ」


 岡田は左右のてのひらを合わせると肘をつき、親指と人差し指の間のL字型空間に顎を乗せ、目をつむった。


「では、単刀直入に言うよ」

「はあ」

「斉藤君。残念ながら、君を今月末でもってリストラする」

「リストラ……?」

「そう、リストラ。つまりは――クビってことだ」


 かっと見開いた。課長の両目。

 レーザービームの如き彼の視線が、典史の脳天を貫いた。

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若ハゲの至り ―その効果、髪のみぞ知る― 鈴木りん @rin-suzuki

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