第12話 強襲


 ハルトの口が小さく、こきょう、と動いた。

 その心の波を、ジドは、大脳皮質に沿って設置された生体センサーにより捉えている。血圧と心拍の変化が描く波の形状は、ハルトがその言葉に特別な意味を感じていないこと、何も知らないという言葉が偽りではないことを示していた。

 ふ、と小さな息を吐き、ジドは眉を持ち上げてみせた。


 「酷なものだ。何も教えぬまま、宿命の海に放り出すとはな」


 そう言い、立ち上がってシーファに振り向く。


 「連れてゆくぞ。知らぬというなら、身体に訊くほかない」

 「……議長」

 「殺しはせん」


 ジドは、シーファが賭けたことを知っていた。ハルトが、選ぶかどうか。

 選んだのなら、彼女は命を賭してハルトを護っただろう。彼が自由意思で天界スフィアを導く可能性を信じて。

 が、選ばなかった。

 楽園アースに戻したところで、気休めだ。時間稼ぎにしかならない。いちど識別した個体を、天界が見失うことはない。だからそれは、いわばシーファの、ハルトに対する温情だったのだ。

 残酷な運命に、背後から襲われることになるハルトへの。


 哀しげな視線をハルトに落とすシーファの返答を、ジドはほんの少しだけ待ち、踵を返した。男がハルトの脇を持ち上げ、立たせる。女が横から支え、先ほど入ってきたほうへ歩き出す。


 と。

 男の方が視線をわずかに上げた。女も立ち止まり、耳を澄ますような表情。しばらく遅れて、彼らの表情が示す事態を、ジド自身も感知した。

 微かな、重く鈍い振動音。

 音は途切れながら始まり、やがて続けて聞こえるようになった。

 シーファが操作盤に走り寄る。指先で叩くようにいくつかの操作をし、なにかを言おうとして振り返った、その時。


 轟音。

 全員の足元に振動が伝わる。

 頭上の星空が消失する。投射していた映像が途切れたのだ。

 重い音は断続して聞こえ、数度目で部屋全体が揺れた。

 

 「状況は」


 天井に向けた静かな表情を崩さぬまま、ジドは女の竜人形に尋ねた。


 「外殻が破られました。現位置の直上です。アモス・リゼオ級、一体」

 「ふん。外殻に取り付かれるまで感知できなかったというわけか。さすがの最終障壁目前というところだな。シーファ」

 「黒竜型三体がすでに会敵しておる。他に動かせるのは……白竜が四、青竜が二。覚醒まで七十二秒かかるぞ。それと、な……」


 シーファは操作盤の上で指を滑らせ、頭上にいくつかの図面を浮かび上がらせた。腕を組み、大きくため息をつき、首を振った。


 「……やっこさん、この部屋を、目指しとる。間違いない」

 「だろうな。備えろ」


 ジドの声に、男女の竜人形は、それぞれ頭上を見上げながら小さく頷いた。ハルトを背に置き、二人で挟むように立っている。

 と、ミディアがその足元で小さく身動きした。うう、と声を出している。その肩のあたりを、女がつま先で小突いた。


 「起きろ。手伝え。客が来た」

 「……なん、だ、こりゃ……」


 ミディアは半身を起こしながら頭に手をやり、ぶるぶると振った。全機能を再起動すると同時に、天界の中枢処理機構からの緊急情報を受信している。見回してハルトを探し、呆然として立っているのを見つけて、眉尻を下げる。

 

 「あ……ハルト……よかった」

 「寝ぼけるな。貴様は少年を護れ。我々が迎撃する」


 ミディアが立ち上がりかけた、その時。


 ほんのわずかな静寂、ついで凄まじい轟音。  

 破片を撒き散らしながら、ぬらぬらと光る触手が数本、高速で室内に侵入した。破壊された天井構造が落下し、一方で破片が巻き上げられ、室内に砂塵が起こる。金切り声のような音。侵入者が開けた穴の向こうと室内とに、大気圧の極端な差があるためだ。


 侵入した瞬間、だが、触手は青い竜によって掴まれていた。男性型の竜人形の竜還ドランジは極めて迅速だった。ハルトはもちろんミディアすら、彼の姿が竜になる過程を正確には捉えていない。

 青い竜はやや屈み、触手を握ったままで後方へ踏み切った。がん、と、裂けた天井構造の向こうで音がして、赤黒く光る球体の一部が姿をみせた。

 即時に無数の透明な刃が球体に突き刺さる。白い竜が放ったものだ。右腕を差し上げ、左腕を添えて、ゆっくりと球体に近づきながら、凄まじい勢いで射出し続ける。球体は身を捩るかのように歪み、暴れている。

 

 『外殻を強制閉鎖しろ。閉じ込めたまま仕留める』


 女の声。白い竜、女型の竜人形の声だ。シーファに向けられた思念通信は、ハルトを含めたその場の全員が受信している。ハルトはミディアを介してそれを聴いているが、理解などできているはずもない。

 シーファが操作盤を叩き、いくつかのコードを入力する。金属を引きずるような音が遠くで聞こえる。


 と、悶えていた球体の動きが止まった。新たな触手がその上部から現れ、振りかぶる。青と白の竜は好機とみて、踏み切る。同時に球体に殺到する。

 が、球体は、裂けた。裂けて、内部から小さな球体を吐き出す。それはわずかに跳ねて、真っ直ぐにハルトを目指した。

 ミディアがハルトの前に立ち、竜還しながら手刀を放つ。黒い竜が放った手刀は、音速だ。衝撃波が床を叩く。球体を直撃した。が、分裂した球体はミディアの背に周り、再び集合して薄い膜のようになり、ハルトを包んだ。


 「ハルト!」


 楕円になった球は、ハルトを内包したまま、振り返って腕を伸ばしたミディアを掻い潜った。どん、と跳んで、天井を目指す。突き出た構造材を押し破り、すぐに見えなくなった。ミディアは同時に跳躍している。二人の竜が追おうとしたが、いまだ蠢いている本体の触手に阻まれた。


 破壊され、トンネルのようになった侵入経路を高速で突き進む楕円体。壁を蹴り、パイプを掴んで、黒い竜は追い縋る。鋭い爪が表面に届くが、逃す。途中でいくつかの竜の残骸をミディアは目撃したが、感傷を生じる余裕はない。

 やがて前方に光が見えた。外殻に開けられた穴だ。が、左右から再生構造が自己増殖しつつあり、徐々に小さくなってゆく。

 その穴に、楕円体は飛び込んだ。ミディアも続く。

 

 真空。

 遠い恒星の光が、死の空間に浮かぶ二体の怪物を照らし出す。


 楕円体がわずかに歪んだ。ミディアは計算によらず、それが高速移動のための変形であることを察知した。理屈を超えた演算機構の誤動作だが、それを人間は勘と呼ぶことをミディアは知らない。


 『ハルト、聞こえるか』


 思念感応に、応答はない。

 

 『ハルト、頼む。返事をしてくれ』


 ミディアの声は、絶叫に近い。


 『逃げられたら、追えない。追いつけない。破壊するしかない。だから……』


 楕円体の移動速度が落ちる。一方で、先端が鋭角になる。


 『あれを……あの言葉、あの、歌。歌ってくれ』


 ミディアは急停止し、両脚を開き、左肘を引いた。右の手を手刀にし、正面に伸ばし、肘を折る。


 『五、数える。あたしが撃った瞬間、あれ、を……』


 楕円の周囲に淡い光。そして輝きを帯びたのは、黒い竜の右腕と、その背に大きく開いた二枚の薄い羽根も同様だった。


 『……ハルト……頼む。頼む、頼む。聞こえててくれ、頼む、ハルト……!』


 竜の目が楕円体を正面に捉える。真空のはずの空間が歪み、星の光が竜の背後で瞬く。黒く鋭い鱗の隙間から蒼い燐光が漏れ出す。


 『……五……四……三』


 楕円体が、加速した。瞬時にミディアとの距離が開く。視認が困難な距離に到達する。


 『二……』


 ハルト。


 『一』


 竜の周囲から、光が失せた。

 





 

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