第13話 遠い小さな星


 虚空に浮いている。

 

 視野が広い。

 高感度のセンサーにより、すべての形が、色が、あまりに明瞭だった。

 だから、いま彼の周囲すべてを埋める星の海の、その光の粒を数えるとするなら、答えはハルトが所属する世界の数の単位では表現できないものとなっただろう。


 『……よか、った……』


 耳の後ろから聴こえる啜り泣きのような声を、ハルトはぼうと聴いている。聴きながら、背後の星を隠して浮いている、それ、から目を離せないでいる。

 

 楕円の怪物は、破砕された。

 ミディアが放った刃が突き刺さる寸前、彼女は小さな声を捉えた。歌。微かなハルトの声に向けて、飛び込んだ。理屈ではない。計算もしていない。それでも、彼女の竜核コアは応えた。

 気がつけば、ミディアはその内側にハルトを迎え入れていた。

 二度目の、竜鎧変形ドラガルファーゼ。その融合は完全であり、人類が永く求めた理想だったが、それを二人は知らない。


 『……よく、生きててくれた……ごめんな、また、護りきれなくて……』

 『……ねえ、ミディア』


 ハルトのなかば寝ぼけたような声に、ミディアは、ん、と答えた。


 『……ここは、どこなの。僕はどこにいるの。あれは……なに』

 『……ああ』


 脳波から心拍、神経の微細な反応まで、いまミディアはハルトのすべてを把握している。だから、彼の問いかけが単なる質問ではないことがわかっている。選択をなそうとしている。真実に出会ってしまったいま、どちらに向かうべきか、の。

 正気を保つのか、あるいは、それを放棄するのか。

 ミディアは、答えを迷った。

 と、そのとき。


 『ミディア』


 シーファの声。回線が回復したのだ。侵入した獣器体ビーストも処理されたのだろう。穏やかに語りかける声が、ミディアにもハルトにも同時に捉えられている。


 『わしが話そう。こういうことは年寄りが得手じゃ』

 『……あなた、は』


 ハルトの返事に、シーファは、ん、と咳払いをした。


 『挨拶が遅れたの。シーファ・エノステア。天界スフィアの先鋒防衛組織、エノステア機関の長を務めておる。まあ……ミディアの母、とでも思うとってくれ。ところで、おぬしの目の前の、それ。見当はつくか』


 問われて、ハルトは記憶を浚った。

 遊戯で使った鞠。氷の塊。水たまり。そして……夜空の月。

 

 巨大な、凄まじく巨大な球体。

 表面に鈍く星々が映り込んでいる。銀色とも黒とも取れるその球体は、ところどころに小さく光る灯が見えるほか、突起も凹部も持っていない。


 『大きいじゃろう。おぬしが端から歩いてゆけば、ぐるりと回るのにひと月ほどかかる』

 『……』

 『真地球ファクテラ、と呼んでおる。天界スフィア楽園アースを包んで護る、希望の船……我らの揺籠ゆりかごじゃよ』


 真地球、という言葉に、ミディアの記憶野の情報が開放され、一部がハルトに流れ込む。止めようとしたミディアをシーファが遠隔で制した。よい、と、頷くイメージがミディアに届いた。

 ハルトの目の前に展開されたのは、球体の図。

 果実を半分に割ったように、いくつかの層に分かれた断面が見える。


 『表面は、外殻というてな、硬い殻じゃ。ちょうど皮のように見えるじゃろう。そのすぐ下の薄い空間が見えるか。それが、天界。ジド議長やわしのような天人スフィアノイド、真地球の運用にあたる者たちの世界じゃ。おぬしがさっき目覚めたのも、ふだんミディアがおるのもそこじゃ。そして、天界の下に広がっているのが……』


 説明に伴って拡大された図が、果実の肉にあたる、いちばん大きな空間を示す。近寄ると、複数の文字や図表とともに、映像が再生された。

 なだらかな丘。木立。紅い果実。朝焼けと、穏やかな青空と、美しい夕焼け。木組や石造の家に住むひとびとが、魔式を用いて静かに穏やかに暮らす様子。

 ハルトにとって、もっとも見慣れた、あたりまえの世界。


 『楽園アース。おぬしら、楽園の民アーサイド……三千年に渡る宇宙空間の旅に耐えた原生人類、失われた地球のほんとうの末裔を護るための、閉ざされた世界じゃよ』


 ミディアも、声を出さない。ただただハルトを抱擁するイメージを彼の魂に送り続けている。

 ハルトに理解できる単語は極めて少ない。が、ミディアがシーファの言葉に合わせるように送り出す大量の情報がイメージとしてハルトの脳に投影され、直感的な理解を可能にしている。


 『……ち、きゅう……まつえい……』

 『そうじゃ。おぬしも、わしも、祖先はの、地球、という場所で生きておった。遠いとおい場所じゃ。良い世界だったのかはわからぬ。が、それなりに長く続いた種だったようじゃ。しかしある頃から、理由もわからず命を落とすものが増えた。同時に天変地異……空が割れ、地が裂ける、そういうことがたくさん起こった』

 『……』

 『はじめはゆっくりと、やがて急速に人類は数を減らし、ついに半数を失った。恐慌に陥った彼らは、ずっと無視されてきた、ひとつの古い発見に注目したのじゃ』

 

 ハルトの目に、厚い氷の下から掘り出される巨大な黒い塊が映る。


 『ある遺跡から不可思議な文字と未知の結晶体が発見されておった。が、文字を解読して得た内容に、当時の人間のほとんどは首を振ったらしい。そこに書かれていたのは、彼ら……人間を造ったものの名と、その目的じゃった』


 そこでシーファは言葉を切り、しばし迷ったようだった。が、ゆっくりとひとつずつ、静かに声を送ってゆく。


 『ギストラロムド。その高次生命体は、故郷の星系を、そう呼んだ。進化の極点に達して、しかしその次を目指した彼らは、相対性に期待をかけた。つまり、ともに高めあう相手、友人を必要としたのじゃ』


 文明の沸点に達し、ついに肉体をも脱ぎ捨てた彼らの姿は、ハルトには漆黒の宇宙空間に身体を踊らせる、輝く巨大な竜のような印象で届いた。


 『彼らのうちの一部が、はるか遠い小さな恒星に着目した。その近傍の惑星の環境を整備し、生命を生じさせて根付かせ、やがて文明を持つ種族を生み出すことに成功したのじゃ。その種族、人類に、彼らはさまざまなことを教えたらしい』


 青く輝く、いま目の前に浮かぶ銀の球体よりもずっと巨大な球体の映像。


 『が、おそらく、期待はずれだったのじゃろう。彼らはやがて手を引き、故郷に戻っていった。後片付けのつもりか、実験体であった人類と地球には、種としての滅亡の仕掛けを施しての』


 たくさんの建物が崩れ、山が火を吹き、灰が世界を埋める様子。

 

 『ただ、彼らの技術を記した集積体と、地球で命を落とした同胞たちの墓が残された。それを利用し、自らで窮地を脱するならそれでも良い、と思ったのじゃろう。滅亡に瀕した人類は総力でその解析を行なった。得た技術と知識は、崩壊しつつあった地球から人類が脱出するための巨大な船を建造することも可能にした』


 地球を背景に、漆黒の宇宙空間で骨組みを見せる、巨大な球形の物体。


 『そして、もうひとつ。残された彼らの墓から見つかったもの』


 頭が竜、身体が騎士の甲冑のような姿の人型の何かが横たわっている。


 『彼らは本来の肉体を捨てていた。鉱物、宝石のようなものに自らの魂を封じることで永い寿命を得ていたのじゃ。そしてその石を、竜の形をした機械人形に収めることで活動していた。その石は、竜核コア、と名付けられた』


 白い服を着た者たちが手のひらに載せる、鈍く輝く小さな塊。


 『その竜核……ギストラロムドの民、天孫コズミックチャイルドたちの遺骸こそが、地球と人類の未来を塗り替えた。あるいは……』


 シーファの、自嘲するような声。


 『呪われた旅路の、始まり。そう言えるかもしれんの』


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