第11話 故郷
「待てよ」
声を上げたのはミディアだ。
議長の横にいた二人の人影、ひとりは黒の長髪の男、もうひとりは赤い髪を逆立てた女だが、彼らが踏み出してハルトの横に立ち、その腕を掴んだときに叫んだのだ。
「連れて行くって……どこへ、だよ」
ミディアは眉を逆立て、まっすぐに議長を睨みつけている。
すでに踵を返していた相手は煩わしげな表情で振り返った。
「二百十八。わたしの名を知っているか」
「……馬鹿にしてんのかよ。ジドだろ。
「そうだな。そして君は一介の
「……ハルトは、保護対象じゃね……ないん、ですか。シーファからはそう聞いた。保護ならここでも、
「シーファ」
ミディアの言葉には答えずに、議長、ジドはシーファに目を向けた。
「作戦意図を説明していないのか。この不完全な竜人形に」
「な……」
ミディアが一歩前に踏み出したが、その背にシーファが手を置いた。ぽんぽんと叩いて、首を振る。手を無造作に懐に突っ込んで、ジドを上目に睨んだ。
「ジド議長。これは作戦ではない。事故じゃ。
「ああ、そうだな。我々がどう探しても発見できなかった彼を、獣器体がまっすぐ目指して侵入し、その日に彼はそこの竜人形の
「……呼んだ、というのか」
「わからぬ。神々の意図など窺い知ることはできん。が、手がかりが、啓示が戻ってきたのだ。どうあっても活かしてみせる」
「……ハルトくんは、選ばなかった。選んでおらぬ魂が背負える宿命ではない」
「選ぶ?」
ジドは片眉を釣り上げ、嘲るような表情をつくってみせた。同時に奥歯を食いしばっているのが見て取れる。それは彼の苛立ちの表現に違いないのだった。
「選ぶ余地などない。背負えるかどうかでもない。この少年は、すでに背負っているのだ。人類の……
それだけを言い、ハルトの両脇についた男女、ふたりの竜人形に顎をしゃくってみせた。頷いた二人は怯えた表情のハルトが脚をもつれさせるのも構わず、その腕を強く引いた。
と、その時。
「うああっ!」
ミディアが踏み切った。
跳躍し、ハルトの背に立つ。
着地の瞬間に身体を捻り、右の長髪の男に回し蹴りを送った。
が、相手は左の肘でそれを受け、背を回して右の肘でミディアを打つ。分厚い金属どうしが衝突する鈍い音が響く。
左の女が瞬時に屈み、右足でミディアの足首を狙った。ミディアは飛んで避けたが、体勢を崩した背に、男の手刀が振り下ろされた。ずどん、という音とともに、凄まじい速度で床に叩きつけられるミディア。
跳ね返った顎を、女が蹴り上げる。女の背より上に飛ばされたミディアの首を男が捉え、捻り上げて宙に振り、もう一度床に叩きつける。
「遅い。左腕神経の処理野へのフィードバックがコンマ七三、遅延している」
うつ伏せのミディアの首に膝を乗せながら、赤い髪の女は静かな表情を崩さずに呟いた。ミディアは動かない。意識を失っている。
「……なぜ、おまえなどが選ばれたのだろうな」
と、女はぴくりと眉を動かした。背で気配を感じたのだ。
振り返ると、ハルトが震える右腕を彼女に向けていた。左手を添え、しゃくりあげながら首をいやいやするように左右に振っている。
「……ひどい、よ……僕が……ミディアが、何をしたって、いうんだよ……いきなり襲われて、殺されそうになって……宿命だとか、すりつぶすとか、あんたたち、なんなん、だよ」
女は黙ってハルトの目を見つめている。その紅い瞳に、ハルトの指先が薄く発光するのが映る。ハルトの口元が動き、詠唱を開始する。
「……おおかぜ、さうぇい、らじりおす……そらを、つらぬきて……」
ハルトの声を、女は興味深げに首を傾けて聞いている。横にたつ長髪の男は耳のすぐ上に指をあて、なにやら遠くを見るような目をしている。
ジドも、動こうとしていない。シーファはハルトに向けて手をあげかけたが、ふっと息を吐いて、下ろした。
「
「ああ。完全ではないがな。おそらく原生人類、
ハルトは詠唱を終え、こちらを見たまま動こうとしない相手に向けて、ふっと息を吐いた。腕の周りに凝集した空気が刃となり、射出された。
女は避けようとしなかった。目を閉じようともしない。頬のあたりで受けた。ぱん、と破裂音。が、わずかに頭が揺れただけで、やや浅黒い彼女の肌には傷ひとつ残っていない。
その刹那、男が動いた。動いたと見えた瞬間、ハルトの背に立っている。
首を掴み、だん、と押し倒した。
うつ伏せたミディアの横に頭を並べ、ハルトは仰向けに押さえつけられた。呼吸が乱れ、目を見開く。シーファが駆け寄ろうとしたが、ジドが手をあげて制した。
「……ハルト、だったな」
ジドがゆっくりとハルトに歩み寄る。
「母は、死んだのか」
「……」
「死ぬ前に、なにを聞かされた。すべて言え。聞かされたことを。知っていることを」
「……しら、ない……」
ハルトは目に涙を浮かべ、表情を歪ませて、顔を背けた。
「……なんにも、しらない……僕は……早く、かえ、して」
その横に膝をつき、ジドはハルトの頭を掴んだ。ぎりりと締める。ハルトは苦痛にうめいた。そのまま、顔は上を向かされた。
「帰る。どこへだ。君のほんとうの故郷へか」
「……」
「君は、知っている。覚えているはずだ。その身体が。魂が。受け入れろ。その目で真実を見ろ。君がなにを背負っているのか、君が誰なのか、思い出せ」
「議長、やめよ。危険じゃ。その子の魂の座は、あまりに脆い」
シーファが一息に告げた言葉の意味を、もちろんジドは了解している。が、そのままやや上を向き、なにかに集中するような表情を見せた。脳に近接して埋め込まれた制御端子を操作しているのだ。
シーファはもう一度踏み出そうとしたが、断念した。彼女みずからが管理する竜人形たちの対応速度を、彼女程度の強化身体では上回れないことを知悉しているためだ。
仰向けにされたハルトの正面、天井。白く柔らかな光で満たされていたそれが、明度を下げる。ゆっくりと暗くなる。やがて部屋全体も光を失っていき、闇に沈んだ。部屋の中央の機器に灯るちいさな光だけが明滅している。
と、天井に、淡く静かな光の線。亀裂に見えた。
頭上すべてを横断するように光の線が走り、その幅がゆっくりと広がる。広がるにつれて、光は、その帯の向こうの情景であることがみてとれた。
やがて光は、頭上のすべてを覆った。
はぁっ、と、ハルトは思わず息を漏らしている。大きく口を、開いている。
全天の、星。
眩しいほどに輝く星の海がハルトたちを包んでいる。
それが夜空ではないことを、ハルトの本能が理解している。
「……中央、だ」
ジドの、穏やかとも取れる声。ハルトが見上げている方向に顔を上げ、目を細めている。悲しげにも、なにかを祈っているようにも見えた。
「ちょうど正面。そこが、目指す星系だ。我々はいま、その辺縁、最終障壁と呼ばれる場所にいる。あと三航日で彼らの中核圏内に突入することになる」
そこでしばらく言葉をつぐみ、やがてジドはハルトの顔に目を落として、刻み込むような重い声を出した。
「長い旅の、終わりが近い。ギストラロムドへの……君の故郷への、な」
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