第7話 やめろ、ハルト


 『だぁかぁらぁ、ちがう、っつってんだろ!』

 『……じゃあ、なんだよ。インチキじゃないっていうなら』

 『あああ、もう、さっきっから言ってるだろ! コードが微妙にずれてたんだってば! 竜枢セントラルコアとの振幅同期比率は個人ごとに違うんだよ。あんたが唱えてたのはめちゃくちゃ簡略化した共通コードだ。だから、あんたの波長に合わせてちょっとカスタマイズしただけだって』

 『……そうやって、意味のわからないこと言って、誤魔化すんだね』

 『ぬああああああっ! 誤魔化して、ねぇ、っつうの!』


 ミディアは斜め後ろのハルトを振り返り、叫び出しそうな表情で睨みつけた。

 ハルトは口をおおいに曲げ、ふん、と横を向いてみせる。


 教練は的を相手にした試技を終えて、模擬戦に移ろうとしている。その前に試技の結果が発表され、そこでハルトは本日の首位を得た。獲得した評定点は、彼がことし蓄積したそれの、実に二倍にのぼった。

 全員のどよめきのなか、ハルトは評定の証を、震える手で受け取った。

 

 が、ハルトはもちろん、納得していない。

 表彰を終え、模擬戦の会場に移動するあいだ、そしてあらかじめ定められた区画で配置についても、二人はずっと思念のなかで言い合いをしているのだ。

 それでも教官が手を叩き、注目を指示したから、二人はようやく言葉を収めた。十ほどある模擬戦区画に散っていた生徒たちもみな動きを止め、教官を見る。


 「よし、今日の合同教練も通常どおり、攻撃手と防御手の二名同士での対戦だ。相手の攻撃手へ魔式が届いた時点で勝利とする。防御手は攻撃をしてはならない。いいな。対戦相手は、前回の上位チームが相手を指名する。まだ組み合わせが決まっていない組はあるか」


 挙手する者はない。ハルトの組も、対戦相手が区画の向こう側に立っている。

 光の房のナダヤ。昨日、ハルトの弁当箱を取り上げた生徒だ。

 合同教練では常にナダヤは、ハルトの組を指名した。彼のチームはいつも上位に進出したから、指名が途切れることはなかった。彼自身にはそう大きな魔式の力はなかったが、家の経済的実力を背景として、竜祈師校ゆびおりの実力者を常に従えていたのだ。

 そして今日も、ハルトの正面で、ナダヤはにやにやと嫌らしく口角を持ち上げている。横にいるのは光の房の首席。先ほどハルトは魔式により的を破壊したが、本日それができたのは彼と、その首席のふたりのみだった。

 

 「よおハルト。なんだよ生意気に、卒業もできねえくせに女、つくってんのか。聞いたぜ、子どもまでできたんだってな」

 「こっ……!」


 ハルトは小声で叫び、彼に背を向けているミディアの後頭部を炎上せよとばかりに睨みつけた。見えてはいないが、ミディアは眉をあげ、怪訝な表情である。なぜそういう話になっているのか理解していないのだ。


 「へっ、それに、なんだよさっきの。やらせたろ、そこの女に。試技の代撃ちは、その年の評定点、取り上げの大罪だぜ」

 「ち、ちが、代撃ちじゃ……」

 「違う!」


 ハルトが反論しかけた声に被せるように、ミディアが強い声をあげた。周囲の生徒が振り返る。


 「あれが本来の、ハルトの力だ! あたしはなんにもしてねえ」

 「はっ、そんなわけねえだろ……情けねえなぁ、ハルト。代撃ちしてもらって、庇ってもらってよ。なあ、その女、どこでどうやってモノにしたんだよ。赤ん坊みてえに、おちちちょうだい、ちょうだい、ってやったのかぁ」


 あははは、と嘲笑するナダヤに、周囲の光の房の生徒が合わせる。

 ぱり、と、ハルトの首の後ろに小さな落雷のような感触。ナダヤの声をやり過ごすように俯いていたハルトは、顔を上げてミディアを見た。表情は見えないが、見るまでもなかった。肩が震えている。まっすぐ、ナダヤたちを見据えている。

 ハルトは一歩前に出て、ぽん、とミディアの背を叩いた。

 ぴくりとなって振り向いたミディアに、ハルトは首を振ってみせる。


 「……ね。だから、僕がやる。自分の力で。君は防御を頼むよ」

 「……わ、かった……ごめん」


 ミディアは萎むように肩を落とし、小さく頷いた。

 と、ちょうどそのとき。

 

 「第一陣、はじめ!」


 教官の号令。ハルトたちのやりとりを眺めていた生徒たちも慌てて表情を引き締め、それぞれの得意な型で構えた。

 ハルトとミディア、そしてナダヤたちも構え、互いに対峙する。

 ナダヤの組は、彼が防御、主席の赤い髪の生徒が攻撃らしい。その赤い髪の生徒が短い詠唱とともに、突き出した右手をぐん、と捻る。瞬間、周囲がぱっと照らされる。白く光る小さな球体がハルトを目掛け、飛んだ。

 ミディアはふっと横へ飛び、左手を差し上げた。その手のひらで、ぱん、と音を立てて光の魔式、光球弾こうきゅうだんが消失する。


 「いてて……なんだよ、けっこう強いじゃん、楽園の民アーサイド


 声に出して呟きながら、ミディアは軽く手を振った。

 二撃目。赤髪は両腕を大きく回し、どちらの手にも光を帯びたまま、正面で手を組み合わせた。同時に二個の光球が射出される。ミディアはハルトの側へ移動しようとしたが、止まった。光球はいずれも、彼女を目指していた。

 どん、ばすん、という音。ミディアは手をあげて一方を防いだが、一方は胸のあたりで受けた。わずかによろめき、ふ、と息を吐く。


 「ミディア」

 「大丈夫、あたしのことは心配すんな。ハルトも撃て」


 ハルトは頷き、右腕を上げ、左手を沿わせた。が、瞬時ためらって、肘を曲げた。風刃ふうじん、先ほど的を射抜いた魔式の型ではない。


 「……てんつらぬき、そらわたり、ふきとおるおおかぜ……」


 呟き始めた詠唱に、ミディアは振り向いた。が、顔を戻す。ハルトの考えていることが理解できたためだ。抗議はしない。

 詠唱が終わり、ハルトのふっという気合いとともに、風が動いた。が、圧縮されて相手に飛ぶはずの空気は、ナダヤまでのちょうど中間地点で消失した。


 ナダヤは避けようとすらしていなかった。

 ふん、と鼻で笑い、右手の人差し指を上にあげ、くるくると回してみせた。

 それを合図に、周囲で対戦している組のいくつかから、光の弾丸がこちらに飛んできた。あっ、しまった、と、とってつけたような声が聞こえる。

 弾丸はすべて、ミディアに集中した。咄嗟に手のひらを上げたが、わずかに早く射出された赤毛の強力な一撃がその手を弾き飛ばし、彼女は顔のあたりでまともに攻撃を受けることとなった。

 よろめいて、倒れる。

 

 「ミディア!」


 ハルトはミディアに走り寄ろうとしたが、再び射出された複数の光の矢が二人の間に並ぶように着弾した。それでも駆け寄り、顔の横に膝をつく。

 彼女は頬を煤のようなもので汚していたが、にぃ、と苦笑してみせた。


 「ああ、痛え。なんだよあいつら、グルじゃねえか」

 「……ごめんね、僕のせいで」

 「なに言ってんだよ。それより……」


 ばっ、と飛び起き、ミディアはハルトに覆い被さった。その背にどどどっという音をたて、複数の攻撃が突き立つ。くっ、というミディアの声。ハルトは、ミディアの背と袖が破れかかっていることに気がついた。


 その、刹那。

 ハルトは目眩を覚えた。頭を振る。

 が、情景が霞む。霞んで、歪む。

 覆い被さるミディア、破れた服、そして……敵。

 怪物。

 黒い、魔物。

 

 「おい」


 ミディアが声をかけるが、ハルトは怯えたような目をして震えている。


 「おい……どうした」


 ゆらりとミディアの腕の中から立ち上がるハルト。その目はナダヤたちを捉えている。攻撃の手を止め、手足をぶらぶらさせながら二人の様子を見ているナダヤ。


 「へっ、撃ってみろよ。さっきの風刃、使ってもいいんだぜ。あいにく俺は鉄の矢も防げる防御魔式、持ってるけどな」


 その声が聞こえていないように、ハルトは放心したような表情で足を出す。ナダヤたちに無造作に近づき、右手を上げ、左手を添える。二本の指を相手に向ける。

 そうして、小さく口を動かした。


 「……れいぜりおん……」

 

 その瞬間、ミディアの背がどんと仰け反る。はっ、と空気を吐く。目を見開いている。ナダヤは訝しげな表情で、わずかに顔を傾けてそれを眺めている。


 「……れいぜりおん、ふぁいつぇりお、そうぃじあ……」

 「あ……ああっ……う」


 ミディアは嗚咽するように声を出し、激しく首を振った。仰け反った背はそのまま地面に倒れ、ひきつけを起こしたように震える。

 それでもハルトのほうへ顔を向け、手を伸ばした。


 「は……る、と、やめろ……やめろ、だめ、だ」


 ミディアの声は、ハルトに届いていない。代わりにミディア自身の意思と関わりなく静かに読み上げられる言葉が、ミディアの声色で、ハルトの脳裏に響いていた。


 『第一制御、解放。目標補足、追尾開始。補正、対殻三六八コンマ七五。竜脈接続、充填開始……第二制御、解放』


 ミディアは背を曲げ、うつ伏せとなった。その背が、歪む。一部が盛り上がる。制服が裂ける。ばん、と音を立て、黒く薄い翼のようなものが三枚、その背から立ち上がった。小さく蒼い光がその外周を縁取り、輝いている。

 と、雷鳴が轟いた。生徒たちが見上げると、いつの間にか頭上が暗い霧に覆われていた。その霧のなかで鋭い光が踊っている。冷たい風が吹き付ける。


 「……おい……」


 ナダヤが不安げに見渡し、再びハルトの顔に視線を戻して、硬直した。

 ハルトは、笑っていた。

 薄く発光する指をナダヤに向け、引き攣るように、薄い笑いを浮かべていた。




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