第6話 だいじなひと


 再び鐘が打ち鳴らされ、昼の休憩の終了が告げられる。

 校庭にいた者もいったん教室に戻り、準備を整えて教練場へ移動することになる。


 ハルトはミディアの近くを通って校舎に入ったが、彼女は話しかけては来ず、ただ、眉をわずかに下げてハルトの姿を目で追った。

 戻っての準備、といってもさほどにすることはなく、ハルトは弁当の包みを背嚢に戻したくらいですぐに席を立つ。そこへ遅れてミディアが戻ってきた。すれ違うような形となる。ミディアは寂しげな表情を浮かべながら自席に戻り、腰を下ろす。


 皆も準備を整え、教室を出る。が、誰もミディアに声をかけない。そして彼女は昼からの予定をわかっていないから、座ったままだ。

 廊下をがやがやと移動する生徒たち。やがてその声も遠ざかる。

 静まり返った教室で、ひとり俯いてぽつんと座っているミディア。


 と、机の前に誰かが立つ。


 「……教練場。お昼からは外で実技だから」


 見上げたミディアに、ハルトは少し拗ねたような表情を作ってみせた。


 「行くよ。遅刻したら型の練習、十回追加になっちゃうから」

 「……う……ハルトぉ」


 ミディアは口をわなわな震わせ、ばんと立ち上がった。手を大きく広げてハルトに飛びかかろうとしたが、はっとした表情で動きを止める。そのまま静かに両手を下ろし、後ろに組んだ。へへ、とぎこちなく笑う。


 「……こういうの、嫌、なんだ……よ、な?」


 ハルトは驚いたような顔をして、それから少しだけ目元を和らげてみせた。行くよ、と小さく言って踵を返す。ミディアはぱっと大きな笑顔をつくり、いそいそとその背を追いかけた。


 教練場は校舎の裏側、木立のある小さな丘に面して整備されている。仮に教練中に魔式が暴走するようなことがあっても被害が最小になるように配慮されているのだ。均された土の地面のあちこちに岩と木で作られた的が設置されている。


 教練は通常、それぞれの専門とする魔式の基本的な型の反復練習、それから的を使った実技、そして少人数の班に分かれて模擬戦といった流れで行われる。

 この模擬戦は、十日に一度、他の魔式の組と合同で実施される。実際の魔物討伐ではすべての魔式の竜祈師りゅうきしを組み合わせて隊が構成されるため、互いの魔式の特徴を活かした戦闘技術の習得が欠かせないためだ。

 そして今日がその、合同教練の日にあたる。


 風の房の生徒たちは教官の訓示のあと、めいめい相手を見つけて準備運動と型の練習に入っている。ハルトとミディアは朝方に教官に指示されていたから、初めから二人組だ。風の房に割り当てられた区域の隅の方で向き合っている。


 「……君、ほかの竜祈師校に通ってたんだね」


 ハルトは手足を伸ばしながらミディアに小さく声をかけた。

 ミディアはしばらくの間、ハルトや他の皆がする動作を眺めていたが、やがて同じように身体を動かしはじめていた。が、ハルトの問いにきょとんとしたような顔をつくる。

 

 「あたし? や、違うけど?」

 「え……違うって、だって朝、教官が」

 「ああ、あれ……あはは」


 そこでミディアはぱちっと片目を瞑って、すうと息を吸い込んだ。ハルトの脳裏に、ぴん、となにかを弾いたような音。


 『思念同期サイコンタクト、使わせてもらうよ。さすがに音声にするには憚られる。許してくれよな』


 ミディアの声に、ちょっと睨むような視線を返してから、ハルトは頷いた。


 『別に……これが嫌って言ってるわけじゃないよ。で、それならなんなの』

 『うん、あれは、まあ、なんというか……作り話、ってとこだな』

 『え……でも、竜祈師校に入るときって、かなり厳重に身元、調べられると思うけど……家族とか、どうやって暮らしてきたか、とか』

 『らしいな。でも、問題ない。楽園アースの出来事はぜんぶ、コントロールされてるから。逆に言えば、過去なんていくらでも作り直せる。大事なことのためならな』

 『……あーす、って……大事な、ことって』


 そこでミディアは少しだけ口角を持ち上げてから、ふっと真顔になった。正面からハルトの顔を見つめる。


 『ああ。ハルトの保護が、第一優先。すべてのことがそのために動き出している。昨日、あたしの報告に基づいてそう決まったんだ。天界スフィアの評議でな。だからあたしはこの学校に入る必要があった。あんたの側に、いるために』

 『……僕の、保護、って』

 『んん、そうだな……そのことはまた、後で詳しく説明するよ。とにかく、ハルトはものすごく大事なんだ。あたしにとっても、みんなにとっても』

 『……なに言ってるか、わかんないよ』

 『あはは。だよな、いきなり楽園だの天界だの、言われてもな。でも……』


 ミディアの目がわずかに細められる。


 『あんたは、繋がっちまったんだ。あたしと、そして、この世の秘密と。もう、戻れねえ。逃げることは、できねえんだ』


 まっすぐにハルトの目を見つめながら、ミディアは静かに言葉を並べ続ける。彼は動きを止め、呆然とミディアの顔を眺めていたが、それを教官に見つかった。大きな声を向けられる。


 「おい、ハルト。なにを新入生に見惚れてる。準備ができたら試技に移れ。ミディアくんにもちゃんと説明するように」

 「は、はい」

 

 周囲の視線が一斉に集まり、ハルトは赤面して俯いた。

 少し離れた場所で固まって、同じように準備をしている光の房の生徒のうちから揶揄の声があがる。あの意地の悪い生徒、ナダヤたちだった。

 ハルトは俯いたままミディアの腕をつかみ、的が設置されている区域に歩き出した。


 「ごめんよ、また、あたしのせいだな」


 ミディアが今度は声を出す。ハルトは小さく首を振った。


 試技に使う的は、正方形の小さな板に棒を取り付けたもので、岩を穿って作った土台に固定されている。間隔をあけていくつか並べられており、それを十歩ほどの距離から、各自の魔式により撃ち抜くのである。


 この世界のものは、誰でも魔式を有している。むろん力の強弱はあるし、特性の違いによってできることも異なるが、火を起こす、水を呼ぶ、といった生活のさまざまな場面で日常的に活用されている。

 ただ、離れた場所の的を撃ち抜くほどの強度で魔式を出力するためには相当の訓練と才能が必要とされたし、ましてそれを武器として魔物と対峙することができるものは多くはないのだ。


 ハルトとミディアは的を狙う生徒たちの列についている。

 先頭の生徒たちが試技を始めているが、今のところ、的まで魔式を届けられた生徒は半数もいない。そして届いたとしても軽く揺らす程度だった。

 ミディアは列の横に顔を出すようにしてその様子を眺めている。

 

 「あの的、狙えばいいのか」

 「そう。どの魔式でもいいから的を揺らせば合格。評定点をもらえる」

 「評定点……ってのをもらうと、どうなるんだ?」

 「卒業できる。決められた評定点が貯まったら竜祈師に採用されるんだ。それに、ある程度の点数をもっている生徒には給金が支給される」

 「へえ。ハルトはもう、卒業できそうなのか? 給金、いくらもらってるんだ?」


 ハルトが答えを返さないので、ミディアは振り返った。


 「……なんかあたし、へんなこと、言ったか……?」

 「……いや……僕、実技がぜんぜんだめなんだ。特に攻撃魔式はほとんど成功したことない。たぶん、卒業は……無理、と思う」

 「……ふうん」


 ミディアは首を傾げていたが、列が進んだので一歩ずれる。前の生徒は小さく詠唱を呟き、風刃、つまりもっとも初歩的な攻撃魔式を祈術した。ふおん、という音とともに空気の断層が移動し、十歩先の的に命中した。板が小さく揺れる。

 おお、と周囲から声があがる。生徒は、よし、というように拳を握って列の最後尾に戻った。ミディアはへえという顔でそれを見送る。


 「ハルト、見本、見せてくれよ」

 「……うん。見本にはならないけど、詠唱の仕方とか、見ておいてね」


 ハルトは前に進み出て、ふ、と息を吐いた。

 右手を持ち上げ、二本の指で的を指し、左手を添える。

 その動作が昨日のこと……怪物との対峙を思い出させ、手が震える。が、どうにかそれを抑え、ちいさく詠唱をはじめた。


 「……おおかぜ、そらをつらぬきて、ほしをのみこみ……」


 と、ぴん、と首の後ろで音。ミディアの思念が呼んだのだ。


 『あの、な。余計なお世話だったら悪いけど。そのコード、あんたの波長に対応した起動機序シーケンスになってねえぞ』

 『……こーど? しーけん……? なに言ってるのか、わからない』

 『いいから、あんたがいま唱えてることば、ちょっとだけ変えてみろ。おおかぜ、の後は、さうぇい。さうぇい、らじりおす。言ってみろ』

 『……それじゃ、魔式、作れないよ』

 『いいからってば』


 ハルトはちらと左右を伺ってから、できるだけ小声でミディアのいうとおりの内容を呟いた。


 「……おおかぜ、さうぇい、らじりおす……そらを、つらぬきて……」


 隣の生徒が怪訝な表情を向ける。なにを言ってるんだ、という顔だ。

 ハルトは顔がみるみる赤く染まるのを自覚した。


 と。

 ざざ、と、空気が揺れた。数人の生徒が耳を抑える。周囲の大気圧が変化したのだ。ハルトを中心に空気が動き、風となり、彼の右腕に集約した。その表面でちいさく光が爆ぜる。帯電し、圧搾された空気が腕の周囲で渦をつくり、解放の瞬間を待っている。

 ハルトは引き攣るような表情をつくり、ミディアの方を振り返った。頷くのを確かめて、的を見据える。祈るように目を瞑り、ふっ、と念を送った。


 ずばん、という大きな音。

 同時に的が四散した。

 破砕された木片がぱらぱらと降る。

 

 「うっし」


 ミディアは拳を振り上げた。

 が、泣きそうな表情のハルトがこちらを見ているのに気づき、きまり悪そうにゆっくりと手を下ろした。


 

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