第5話 ついてこないで
教室のざわめきは叫び声に変わった。
悲鳴と表現してもよいかもしれない。
女子は両手で顔を覆い、男子はのけ反り、教官は呆けたように口を開いている。
周囲を気にする様子もなく、ミディアはハルトの頬から手を離し、屈んでいた背をまっすぐに戻した。腰に手をあて、満足げに口角を上げる。が、ハルトが視線を前に向けたまま硬直していることに気がついて、不思議そうな表情を浮かべた。
「……どうした。あたしだよ、ミディアだよ」
まだ動かずにいるハルトの頬を指先でつつく。揺れるが、まだ動かない。ミディアは眉根を寄せ、ハルトの耳に口を近づけた。
「おぉい。なあ、忘れたのかよ。ほら、昨日の夜……」
ミディアはいちど言葉を区切って、わずかに照れたような表情をつくってみせた。
「……ひとつに、なったじゃん。あんたと、あたし、さ」
小声ではあったが、周囲の生徒の耳には届いている。二度目の悲鳴があがるのと、ハルトがどかんと机に膝をぶつけながら立ち上がるのはまったくの同時だった。見開いた目をそのままに、頬を真っ赤にしながら、自分の頭を両手で掴んでいる。
「ななななな」
「ん、なんだ、なななって。いま検索したけど、そんな挨拶、存在しないぞ」
ミディアは小首を掲げてハルトの顔を眺めていたが、ふいに振り返って片手を高く上げた。
「なあ、あたしの席、ハルトの横でいいのかあ?」
声は、教官に向けられたものだった。風の房の担当教官は初老の元
それでも、友人に話しかけるような気楽さで向けられた自分への声に、ようやく我を取り戻した。
「……い、いま空いてるのは、廊下側の一番後ろだ」
「えええ、ハルトの隣がいいなあ」
「……空いていない。一番、後ろだ」
教杖をぴっと教室の最後部に向ける。ミディアは、ちぇ、という顔をつくって、ハルトの背にぽんと手を当てた。彼は脳裏に、ぱちっと小さな火花が散ったように感じた。その感覚で目が醒める。
そんな彼に流し目を送りながら、ミディアは教室の最後尾に移動した。
ざわついていた生徒たちも、ようやく各自の席につく。ハルトも呆けたような表情のまま腰を下ろした。
教官はごほんと咳払いをひとつして、手元の書類をめくった。
「……彼女は、ミディアくんだ。ミディア・ランドライゼリア。年齢は十七。辺縁地域の竜祈師校に通っていたが、ご両親の都合でこの地域に引っ越してきたとのことだ。先天属性は風と光。今日から皆とともに学ぶことになる。不慣れな地域に戸惑うこともあるだろう。いろいろ、教えてやってくれ」
「はい」
皆、背を伸ばし声を揃える。朝からの椿事にそわそわしているのだが、そこは竜祈師を目指すもの。指揮者の指示にぴっと空気が締まる。
教官はそこで書類から顔を上げ、ミディアを見て、ハルトに視線を移動する。
「特に……ハルトくん。彼女とは……非常に、親しいようだな」
「あ……い、や……」
ハルトはいかに返答すべきか迷ったが、無難な回答が浮かばなかった。仕方なしに首を縦に振る。
「……はい」
「しばらくは側についてやってくれ。昼からの教練も君が相方だ」
「了解……しました」
と。
『あはは、非常に親しい、だって。面白いな、あのひと』
ミディアの声。首の後ろのあたりから聞こえる。が、耳に入ってきた音ではない。反射的にミディアの方を振り返る。教室のほとんど反対側で、彼女はこちらを見てなにやらいたずらめいた笑みを浮かべ、組み合わせた手のひらの上に顎を載せている。
『あ、
『……』
『なんだよ、なんか言えよ』
『……』
『え、やり方、忘れちゃったのか。昨日はあんなに上手だったのに。まあいいや、あたしの声に向けて意識、集中するんだ。それで胸の中で言葉、並べる』
ハルトは言われたとおりミディアの声に意識をあわせ、思ったことを言葉にしてみた。自分の言葉が耳の後ろで反響したような気がした。
『……なんなんだよ』
『ん?』
『なんで、こんなこと、するんだよ……ひどい、よ』
口に出していないが、言葉にすることで感情が戻ってきた。恥ずかしさ、戸惑い、焦り、そして苛立ち。涙が滲んでくる。
そうした感情のひとつひとつに、ミディアが触れる。拾って、彼女のなかに取り込む。ハルトはそれを感じたし、そのことがまた、気持ちを刺激した。
『え……なんだよハルト、怒ってる、のか……?』
意外そうなミディアの声。ハルトはそれきり言葉を並べるのを止めた。その後もなんどかミディアの声が届いたが、すべて無視した。
今日の日課は通常どおり。
昼まで室内での机上講習、昼からは外での実技教練。
ただ、実技教練は他の組、つまり光や水といった他の魔式を学ぶ房との合同練習の予定だった。ハルトが苦手とする光の房のナダヤたちも参加する。それだけにあまり目立ちたくなかったのだ。
だが、先ほどの騒ぎ。
他の房からも様子を見にきていたのをハルトは知っている。
悪くすると……あのことも、見られていたかもしれない。
ハルトは昼まで頭を抱えて過ごすこととなった。
時刻を告げる鐘が叩かれ、昼となる。
ハルトは椅子の背にかけた背嚢から弁当の包みを取り出し、早足で教室を出た。すかさずミディアが走り寄る。二人の姿を教室の全員が、興味しんしんという目つきで追いかけた。ハルトは視線を避けるように下を向いている。
「ハルト、どこ行くんだ」
「……お昼」
「補給か。いいな、あたしもいくよ。メシは要らねえけど、あんたがどんなの食うのか知っておかないと……」
と、ハルトは廊下の途中で立ち止まる。振り返り、ミディアと向き合う。息を吸い、大きな声を出しかけたが、はっと息だけを吐いた。
「ついて、来ないで」
「え」
「来ないでって言ってるんだ。なんなんだよ、朝から。君、誰なんだよ。昨日のことなんて……僕は、知らない」
「……なに、言ってるんだよ。昨日、あんた、あたしに……」
ミディアは戸惑うように眉をひそめたが、ハルトは最後まで言葉を待たない。遮るように踵を返し、歩き出した。
その背を、今度はミディアは追わない。先ほどのように声を使わずに話しかけてくることもしない。
それでもハルトが校庭に出て、いつもの木陰に腰を下ろすと、離れた場所にミディアが座って膝を抱えるのが見えた。彼の方に顔を向けている。ハルトはあえて気づかない振りをして弁当を広げ、食べ終えると芝生にごろんと転がり、ミディアの方に背を向けて丸くなった。
知らない。
昨日のことなんて。
夢だ。
きっと、雷が落ちたかなにかで山火事が起きたんだ。
僕は臆病だから、山火事を大きな魔物と思い込んで、気を失って……あの子に、助けられたんだ。たまたま居合わせたあの子に。
でも……なんで、僕の名前、知ってたんだろう。
と。
ハルト。
あなたが、連れていって、くれるの。
白い世界で、蒼い髪を揺らしながらまっすぐに彼を見つめる、ミディア。
鮮明に浮かんだその映像と声を、胸が締め付けられるような気持ちを、ハルトは背を丸めたまま頭をがりがりと掻いて追い払った。
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