第11話
十一、 逃げる〈イリカ〉
宴が終わった次の日、私は図書館に来ていた。
正確に言うと、その隣の納屋に。
昨夜急にナオヤがやって来て、アミちゃんが図書館にいると教えてくれたから。
ナオヤは私をヤシキの裏に呼び出すと、こっそりそう教えてくれた。
ナオヤは本当ならヒノメ様よりの人だから、ナオヤがアミちゃんを匿ってくれたことに少し驚いた。
私は明日食料を持って行ってみるとナオヤに伝えた。
「それとこれ」
ナオヤは小さな袋を手渡した。
「中は見ないで」
「え、何で?」
「試練を受けようと思うんだ」
「前言ってた、正式にモリ候補になるための?」
「そうそれ。終わるまでちょっと預かっててよ」
「いいけど……お
「そうそう」
軽い声でナオヤが言った。暗いせいで表情がよく分からない。
「試練、無事受かるといいね」
そうは言ったけど、受かって当たり前だと思っていた。
優しいモリ様が、無理な試練をナオヤに課すとは思えないから。
「うん」ナオヤが言った。
しばらく間があった。
「じゃあ、また」
急にそう言うと、ナオヤは行ってしまった。
アミちゃんと私は、積まれた干し草の上でお昼ご飯を食べていた。
私が今朝作ったお結びと玉子焼き、それに金柑。
納屋の中は外から見たより広く感じた。
高く積まれた干し草に、壁一面が埋まるくらいの薪、それに農具や芋類、天井からは干した野菜や果物がぶら下がっていた。
アミちゃんと私は宴中話したくても話せなかった分、たくさん話をした。
ヒノメ様の神託の事、サエジが最悪な事、お婆様がサエジをヤシキに迎え入れそれが嫌なアミちゃんがヤシキにいられないこと。
それに、カイさんがどんなに素晴らしい人かとか、どこに行ってしまったのかとか。
最後の方は、カイさんの居場所を推測して、話が堂々巡りになっていた。
早くユウさんとヨウさんに会って、産んでくれた母様の事を聞きたかったけれど、アミちゃんが心配だからぐっと我慢した。
トントン、急に戸を叩く音がして、アミちゃんと私は身構えた。
「ナオヤだよ」
その声にほっとして、私は干し草から降りると勢いよく戸を開けた。
「やあ。問題ない?」
ナオヤが言った。少し疲れたような顔をしている。
「大丈夫、何もない、よね?」
私はアミちゃんを振り返りながら言った。
「大丈夫。ナオヤ君もイリカちゃんもありがとね」
アミちゃんも戸口に来て言った。
「試練、終わったよ」
ナオヤが納屋に入りながら言った。
「え、もう!? じゃあ正式にモリ候補になれたってこと?」
興奮して、つい大きな声を出してしまった。
「うん」
「おめでとう、良かったー!」
ほっとして、私は笑顔で言った。
「おめでとう」
アミちゃんがぽつりと言った。
「カイ君も試練受けるって言ってたんだけど……受からなかったから恥ずかしくてどこか行っちゃったのかな」
「ナオヤ、カイさん見つかった?」
ナオヤは急に真面目な顔になった。
何だか嫌な予感がする。
しばらく地面の辺りに視線を漂わせていたけれど、長い瞬きの後ナオヤが口を開いた。
「カイさんは、亡くなりました」
「え」
アミちゃんと私の口から音がもれた。
「うそ」
呆然とアミちゃんが言った。
「うそでしょ、ナオヤ君」
ナオヤは無言で頭を横に振った。
「サエジにやられたの」
私はこわごわ聞いてみた。
ナオヤは何も言わずにまた首を横に振った。
「理由は言えないけど、誰も悪くないんだ。ただカイさんがそれを選んだだけで」
「え、じゃあ自殺?」
私は思わず口に出していた。
「なんで、なんで……」
顔を両手で覆うと、かすれた声でアミちゃんがつぶやいた。
頬に涙が伝った。
「理由は言えないって、どうして」
私はまた口に出していた。
「……今は言えない。時期が来たら必ず言うから、今は許して」
私は『時期っていつ、今教えて』と思った。
でも、あふれ出す涙をこぼさないように、何かに耐えてるように奥歯をかみしめているナオヤの姿を見て、これ以上何も言えなかった。
袖口でぐいっと涙をぬぐうと、ナオヤは背負っていたリュックを下ろし中から小さな巾着を取り出した。
私がナオヤから預かった物に似ている。
「これ、アミさんに」
ナオヤがしゃがれ声で言った。
「モリ様から、会ったら渡すよう言われました」
アミちゃんは受け取ると、巾着の中をのぞき込んだ。つられて私ものぞき込む。
中には、紙紐で結ばれた、一房の黒い髪が入っていた。
「これ……カイの」
震える声でアミちゃんが言った。
ナオヤがうなずいた。
「カイさんのお兄さんにも、渡してきました」
「ありがとう」
アミちゃんはそう言うと、巾着を柔らかく両手で包んだ。
しばらく誰も話さなかった。
アミちゃんは両手を額に当て静かに泣いていた。
「もうヤダ」
アミちゃんがぽつり、涙声で呟いた。
「ヤシキに戻りたくない……居場所なんてない」
アミちゃんは今、ヤシキで味方のいない状態だ。
お婆様からはサエジに対する態度を怒られ、母様からも同情されながらもアミの為だからとサエジのヤシキ入りを受け入れるよう言われて。
何度どんなに嫌だと訴えても、それがアミちゃんの為だからで、ただ後継ぎが産まれるまでだからとごり押しされて。
……最悪だ。
私は、うちのヤシキにアミちゃんを迎えられないかと考えた。
でもダメだ。
すぐに見つかっちゃうだろうし、ヒノメ様に逆らってアミちゃんを隠したとばれたら、母様とお兄ちゃん達に迷惑が掛かる。
どこか、サエジと会わないでアミちゃんが安全に暮らせるところは……。
一瞬『ここ図書館は?』と思ったけど、ダメだ。
ユウさんが前穢れ地への行き方を教えてくれようとしたからヒノメ様を完全に信じている訳じゃないと分かったけど、モリ様も出入りしているみたいだから見つかってしまうかも知れない。
森の中でひっそり隠れて暮らすのはどうかな?
……ダメだ。
ヤシキを離れたら配給も贈り物ももらえないし、私やナオヤが食料分けるにしても、すぐにばれちゃいそう。
熊や野犬とか獣も怖いし。
そもそも、もう村の事が、ヒノメ様や大人達の事が信じられない。
どこか、ヒノメ様の力が届かないところ――。
「穢れ地は?」
私は思いつくと同時に、口に出していた。
「穢れ地?」
ナオヤが言った。
しばらく間があって、ナオヤがまた口を開いた。
「いいかも知れない……そこならヒノメ様のお力も届かないし、誰も追ってこない」
「穢れ地」
アミちゃんが暗い声で呟いた。
穢れ地……本当に悪くないかも知れない。
そこには少なくとも嫌なサエジや、意地悪なヒノメ様もいない。
「でも、野蛮な地なんでしょう?」
怖そうにアミちゃんが言った。
「ここよりましです」
ナオヤは言い切った。
「僕はいくら神様でも、人の色恋にまで口出ししてくる神様なんて嫌だ。
こんな仕組み、間違ってる」
ナオヤってこれでよく試練を受かったな……。
モリ様、人選間違えたんじゃないかな。
でも、私もそう思う。
自分の好きな人と夫婦になれないなんておかしい!
アミちゃんに今起こっている事は、これから私に起こるかもしれない事。
ナオヤも私の事好きでいてくれていると分かったばかりなのに、他の嫌な人と無理やり夫婦にされるなんてまっぴらごめんだ!
アミちゃんは巾着を見つめた。静かに考えているようだった。
「ここにいるより、いいよね……」
決心した様な強い目をして、アミちゃんが言った。
「私も一緒に行くから!」
気が付いたら、そう口にしていた。
あ、でも母様が悲しむかな……。
でも、母様も孫を、女の子の孫をとても欲しがっていたから、アサさんと同じ事を言い出していたかも知れない。
それに戻って来たくなったらアミちゃんが落ち着いたらまた戻ってくればいいし。
「本当!?」
アミちゃんが少しだけ明るくなった声で言った。
「え」
ナオヤが戸惑うように言った。
「だってこれはアミちゃんだけの話じゃなくて、私達にも起こるかも知れない事なんだよ。私がサエジみたいな奴と夫婦にならなくちゃいけなくなったら、ナオヤはどう思う?」
私はナオヤの目を見て言った。
「……こんな村、今はいたくない」
ナオヤは私の目を見据え、何か考えているようだった。
「それに、一度穢れ地を見てみたくない?
本にあったような世界が、本当にあるんだよ!
ナオヤもあんなにじっと穢れ地のマチの写真を見てたじゃない!」
ナオヤはゆっくりとまばたきをした。
「それなら僕も」
ため息と共にナオヤが言った。
「良かった!」
私は胸をなでおろした。
ナオヤが来てくれるかは賭けだったから。
行かないと言われたらどうしようかと思った!
「私が言うのもなんだけど、ナオヤ君、本当にいいの?
モリ候補になれたばかりなのに」
アミちゃんが心配そうに訊いた。
「まあちょっと急な話過ぎるけど、今回の宴での神託や一連の事は、僕も納得できないので、二人の気持ちはよく分かります」
ナオヤがアミちゃんを見て言った。
「それに、イリカは僕の大切な人だから」
「ありがとう!」
私はナオヤの両手を握り、嬉しさと気恥ずかしさで両手握ったまま上下させた。
「うん」
ナオヤが真っ赤になって言った。
ナオヤと私は念のためアミちゃんを納屋に残し、ユウさんとヨウさんに会いに図書館に向かった。
前話した時に、ユウさんが穢れ地への行き方を知っていると言っていたから。
穢れ地への行き方を知っているとわざわざ言うくらいだから、私達がそこへ行こうとするのを止めないだろうと思って。
図書館の入口辺りで戸を叩こうとすると、丁度良い拍子で戸が開いた。
「やあ、こんにちは」
ヨウさんが戸を押しながら言った。
遅れて「こんにちは」とユウさん、ナオヤ、私は挨拶した。
「聞きたいことがあって来ました」
私は勢いよく言った。
「どうしたの、そんなに慌てて」
苦笑いしながらヨウさんが言った。
「まあ入りなよ」
ナオヤと私はヨウさんに促され、入口奥にあるいつもの真四角のテーブルに着いた。
「お茶入れてくるから」
そう言うと、ユウさんとヨウさんは住居の方へ歩きかけた。
「お茶はいいよ」
ナオヤが言った。
「訊きたいことあるんだ」
「ユウさん、穢れ地への行き方、教えて下さい!」
私は頭を下げながら言った。
「お願いします」
「何かあった」
ユウさんが表情を変えずに言った。
「ずいぶん急だね」
ヨウさんは眉をひそめて言った。
私とナオヤは、言葉を補い合いながら、春の宴であったこと、アミちゃんが穢れ地に行きたがっている事を話した。
「アミの状況は可哀想だとは思うけど……君達、うかつ過ぎない?」
渋い顔をしてヨウさんが言った。
「僕達がモリや、他の人に君達の計画をばらさないとでも思った?」
「え」
私とナオヤはそう言うと、顔を見合せた。
ユウさんが穢れ地への行き方を教えてくれようとした位だから、二人は自分達の味方だと思いこんでいた。
でもそうだ、モリ様の友達でもあるんだ。
念のため、アミちゃんの居場所を伏せておいてよかった!
ヨウさんはナオヤと私の事を交互に見た。
「意地悪は時間の無駄」
ユウさんがヨウさんを横目でにらんで言った。
「私が教える」
「ごめん」
ヨウさんが言った。
「意地悪のつもりはなかったけれど、もう少し慎重になって欲しかったんだ」
「僕は、敵でもないし味方でもない。基本図書館外の事は口出ししない様にしている」
ヨウさんが言った。
「でも、僕にも好きな物語の展開と言うものがある」
「私は女の子の味方」
ユウさんがきっぱり言った。
「今回の件は、僕は様子見。誰の味方もしない、何もしない」
ヨウさんが言った。
「ユウさんお願いします、教えて下さい!」
私は真っすぐユウさんを見て言った。
「良いよ」
こくりとうなずくとユウさんが言った。
「少し待っていて」
ユウさんはヨウさんを引きずるように住居の方に歩いて行った。
「あ、アミちゃんも一緒に話を聞いていいですか?」
私は二人の背中に慌てて声をかけた。
「いいよ」ヨウさんが振り返って言った。
「問題ない」同時にユウさんも振り返って言った。
私とナオヤで納屋に向かい、アミちゃんを図書館のテーブルの所に連れて来た。
しばらくして、色あせた緑色のリュックを片手に、二人は戻ってきた。
「ここに色々入っているから、持って行って」
ユウさんがテーブルの上に古ぼけたリュックを置きながら言った。
ユウさんはリュックの中から紙や色々な細々とした物を取り出した。
小さな丸い物は方位磁石で、線がうねうね描かれた大きな紙は地図と言うらしい。
それらの使い方や見方を説明しながら、穢れ地までの行き方を教えてくれた。
「穢れ地ではおカネが必要」
ユウさんが言った。
「おカネ、知ってる!」
ナオヤが得意そうに言った。
「本に出て来た。色んな物と交換できる四角い紙とか、丸い金属のやつでしょ」
「私も知ってる! 便利そうだよね」
「そう。ここに少し入っているから使っていい。変な使い方をしなければ多分三か月くらいもつ。なくなるまでに穢れ地の事理解して暮らしていけるように。ダメだと思ったらいつでも帰って来る」
ユウさんから巾着袋を渡され中を見ると、握りこぶし位の高さのきれいにそろえられた四角い紙の束があった。
細い紙である程度まとまっているものが二つあった。
これがおカネなんだ。
本で読んだおカネを実際に見ることができて、何だか感動した。
「後これ」
ユウさんはリュックから小さな紙片を出すと、私の前に置いた。
きれいな長方形をしていて少し古そう。
よく分からない記号と数字が書いてある。
「ここにあなたの母方のお婆さんの連絡先が書いてある。カベ……穢れ地と村を分ける壁に門番がいるはずだから、連絡してもらうといい」
「お婆様!?」
思わず私は大きな声を出していた。
「ユウさん、お婆様を知ってるの!?」
「知らない。お母さんは知ってる」
ユウさんが言った。
「お母さん、イクコからイリカが必要になったらとこのリュックを預かった。お母さんの事、知りたい?」
「はい、お願いします!」
ずっと訊きたかったけど訊く時機を見計らっていたことをユウさんから言い出してもらえてよかった!
「モリ様も知っているらしいけど、訊いたらお二人に訊いてと言われたんです」
「この前ルタが来て、訊かれたら教えていいと言われた」
うなずきながらユウさんが言った。
「ルタ?」
耳慣れない名前に、私は聞き返した。
でもどこかで聞いた事があるような気がする……。
そうだモリ様の名前だ。
「モリ様の名前だよ。ハイザワ ルタ」
ナオヤが言った。
「そうだった、あまり名前で呼ばないから」
私はおじさんの名前にぴんと来なかったことが恥ずかしくて、言い訳するように言った。
「あれは十五年位前。穢れ地からイクコがここ、図書館にやって来た」
ユウさんがいつもと同じ抑揚のない声で話し始めた。
「村の調査、主に村人の遺伝情報の調査が目的だった。
愉快で優しい人だった。
ブリッジや穢れ地での事をたくさん教えてくれた。
滞在するうちに子どもができて、産まれたのがイリカ」
ユウさんはここで急に話すのを止めた。
何と言おうか迷っているようだった。
「母様は、私を産む時に亡くなったんですか」
「そう。残念だけど」
私の手元を見ながらユウさんが言った。
「でも、イリカが産まれて幸せだと言っていた」
私は何も言えなかった。
なんて言ったらいいか分からなかった。
母様への申し訳ない気持ちと、それでも幸せだと言ってくれた母様の優しさに、目頭が熱くなった。
「イクコさんが幸せと言ってくれてよかったね」
ナオヤが私の手をそっと握って言った。
「うん」
「お母様、イリカちゃんのこと、とても大切に思っていたのね」
アミちゃんが、そっと私の肩に手を添えた。
「……うんっ」
私はあふれるでる涙をこらえようと、やっとの思いで声に出した。
涙を拭くと、私はもう一つ気になっていた事を訊いてみた。
「私のお父さんって、誰なんですか?」
「私は知らない」
ユウさんが目を伏せ、頭を振りながら言った。
「心当たりだけでもいいんです」
「まだ不確かな事は言えない」
ユウさんは視線を伏せたまま言った。
「そうですか……」
『まだ』の部分が少し引っ掛かったけど、これ以上聞いても教えてくれなそう。
残念だけど、今聞き出すことは止めておこう。
お婆様に会えたら分かるかも知れないし。
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