第10話
十、 春の宴 三日目 片付け〈ナオヤ〉
長かった宴がようやく終わり参道の後片付けをしていると、サエジとその従兄二人が大きな声を出しながらやって来た。
社務所の北の出入口を陣取ると、大声で叫んだ。
「カイはどこだ! アミを出せ!」
宴を任されているウタさんが、何事かとやって来た。
「サエジさん、どうしたんですか?」
「どうもこうもねぇ、アミが逃げたんだよ!」
「それで何故カイを探すんですか?」
「アミの奴、カイの冠を被ってやがった。カイが匿ってるにちげーねぇ」
「そうですか……ではカイを呼んできますよ」
「カイの部屋を見せてもらおうか」
取り巻きの一人が言った。
「そうだな、部屋に隠してるかも知れねぇしな」
サエジがうなずきながら言った。
「カイの部屋はどこだ」
「ちょっと待って下さい。カイをまず呼んで来ますから」
社務所に入ろうとする三人を両手を広げ止めながら、ウタさんが言った。
「僕呼んで来ます!」
とっさに僕は叫んでいた。
「じゃぁ、お願いするよ」
ウタさんがうなずきながら言うのを横目に、僕は社務所にあるカイさんの部屋を目指した。
「失礼します」
カイさんの部屋の戸を叩き、僕は言った。
返事はなかったけれど、失礼承知で開けさせてもらった。
布をくぐりカイさんの場所に入っても誰もいなかった。
でも、何か違和感がある。
部屋の片隅に寝具が畳んであるけど、よく見るとその下の方に若干空いている場所があるような気がした。
「アミさん」
試しに小声で呼んでみた。
「僕、ナオヤです」
ゆっくりと上にある掛布団が持ち上がり、その隙間からアミさんの顔が見えた。
「サエジが来てます」
小さな声で僕は続けた。
「ここにいたら見つかっちゃいます、取り敢えず僕の所に来て下さい」
アミさんは何も言わず、不安気な顔でうなずいた。
僕は部屋にあったカイさんのミツカイの服を手に取ると、アミさんに渡した。
「あっち向いてるんで、着替えて下さい」
僕は反対を向いて言った。
「そのままだと気付かれちゃいます」
アミさんの着替えが終わりケープのフードを被ると、僕はそこら辺にあった袋にアミさんの服を入れ手に持った。
「サエジは北の出入口にいるんで、東の裏口から出ましょう」
アミさんがうなずくのを見て、僕は先導を始めた。
ここで急に『何で僕、とっさにアミさんを庇ってるんだろう?』と思った。
だって、アミさんが村の決まりに背いている訳だし、ミツカイ的にはサエジの前にアミさんを連れて行くのが正しいはずだ。
でも、神託とは言え、今回の事は納得できない。
好き同士が夫婦になれないなんて、ヒノメ様の言葉でも絶対間違ってる!
それに……カイさんが可哀想過ぎる。
運よく他の人に会わずに裏口を抜け、怪しまれることなく拝殿にある僕の場所に行くことができた。
僕の場所がある部屋には他に誰もいなかった。
「ちょっとここで待っていて下さい。一度サエジにいなかったって報告してきます」
アミさんは不安気な表情で小さくうなずいた。
「ナオヤ君、ありがとう」アミさんがぽつりと呟いた。
僕は慌ててサエジがいる社務所の北の出入口に戻ると、顔を見るなり言った。
「カイさん、部屋にはいませんでした。アミさんもいませんでしたよ」
「はぁ!?」サエジが言った。
「ミツカイは今仕事中ですからね、通常は部屋にいませんよ」
ウタさんが言った。
「カイさんを探してきます」
僕がそう言うと、ウタさんがうなずいた。
「とりあえずカイの部屋を見せろ!」
サエジが大声を出した。
「しょうがないですね」
うんざりした様にウタさんが言った。
「案内しますけれど、お静かに。ではナオヤ、カイが見つかったらこちらに連れてきて下さい」
そう言うと、ウタさんとサエジ達はカイさんの部屋の方に向かって行った。
危なかった!
僕は社務所から拝殿へ向かいながら、これからどうしたらいいか考えた。
だってカイさんは、今朝、死んでしまったんだから。
* * *
ジャッ、ジャッ、ジャッ、ジャッ――どこからか、地面を掘るような音がする。
夜明け前、僕は遠くから微かに聞こえる音で目を覚ました。
外はまだ真っ暗だったけれど、その音が気になって音源を探すことにした。
提灯を持ち草履をはいて拝殿を出ると、音は北の方、本殿のさらに北側から聞こえてくるようだった。
本殿はヒノメ様を祀るところ。
僕はまだ一度も本殿には入ったことがない。
ミツカイでも数人の許された人しか入れない。
でも音はその北の方から聞こえてくる。
僕は本殿を遠巻きにしながら、その裏庭の様な場所へ行ってみた。
提灯のうっすらした光を頼りに見ると、そこにはモリ様がいた。
一人でシャベルの様なもので穴を掘っている。
モリ様は反対側を向いていたので表情は分からなかったけれど、ジャッ、ジャッと言う単調な音がもっと遠くから聞こえてくるような、どこか現実でない様な、不思議な感じがした。
「モリ様、どうしたんですか?」
「ナオヤでしたか」
振り向きながらモリ様が言った。
提灯の淡い光に照らされるモリ様の顔は、やけに青白く見えた。
「手伝ってもらえませんか? 形はこのままでいいので、もう少し深く掘って下さい」
モリ様口調はいつも通りなのに、僕は気圧されるように「はい」と口にしていた。
何のための穴ですかとか、何故こんな時間に掘っているのですかとか、色々聞きたいことがあったけれど、声に出してはいけない様な気がして黙っていた。
「カイがね、自死してしまったんですよ」
本殿の方を見ながらモリ様が言った。
「残念です」
「え」
僕はその後の言葉がでなかった。
「で、カイを埋めてあげようと思いましてね。これはそのための穴です」
「本当ですか!? 何で死んじゃったんですか!?」
「カイはね、昨夜から試練を受けていたんですよ。正式にモリ候補となるための」
モリ様が僕の顔をじっと見た。
「私が言ったから……試練に耐えられたらヒノメ様から認められ、アミと夫婦になる事を許されると」
モリ様が僕の顔をじっと見続ける。
「でも、耐えられなかった。……優しく、繊細な子でしたから」
「試練ってどんな――」
「知るには試練を受けるしかありません」
僕が言い終わらないうちに、遮るように言った。
「受けますか?」
口角を微かに上げ、モリ様が言った。
何も言えないでいると、モリ様は「穴、お願いします」と言うと本殿の方に行ってしまった。
僕は混乱したまま、言われたように穴を掘った。
つい寝る前まで、いつも通りだったのに。
カイさんと一緒に治療所の洗い物しながら、いつもみたいに話してたのに。
なんで急に、こんな事が……酷い、こんなの可哀想だ。
それにモリ様も何だか怖い。
こんな時まで穏やかで淡々として。
カイさんが死んだばかりなのに、僕にも試練受けるか訊いて来て。
そんな事がぐるぐる頭の中を巡りながら言われた通りに穴を掘っていると、モリ様が何かを引きずるように戻ってきた。
担架に車輪が付き、人が乗るところが袋状になったもので、これなら一人でも遺体を運びやすそうだ。
こんな特殊な、古そうな道具が準備されていることにぞくっと寒気を感じた。
モリ様が穴の脇で袋を開けると、辺りは血の匂いであふれ、カイさんの遺体が現 れた。
胸の辺りから大量の出血があったのか、血まみれになった何枚もの布が押し当てられ細紐でしばりつけられていた。
カイさんの表情は、目が閉じられ眠っているかの様に穏やかだった。
提灯の微かな光に照らされ、青白いほほに涙の跡が見えた。
モリ様は何も言わずにハンカチを取り出し、カイさんのほほを優しく拭った。
でも、乾いたハンカチで拭いても涙の跡は消えなかった。
モリ様は裏庭の隅に置いてあった竹筒の水でハンカチを濡らし軽く絞ると、またカイさんの両ほほを拭った。
きれいに涙の跡は消えていた。
モリ様はカイさんの両脇を持つと「足の方お願いします」と言った。
僕は無言で両足首を持った。……重い。
モリ様と僕は無言でタイミングを合わせ、カイさんを穴へと移動させた。
モリ様は一度頭を振ると、シャベルを手にした。
「ナオヤ、助かりました。ここはもういいです」
モリ様はゆっくり僕の方を向くと言った。
「このことは、まだ誰にも言わないでくださいね」
「はい」
僕は短くそう答えるだけで、精いっぱいだった。
* * *
そんな今朝のことを思い出しながら歩いていると、拝殿には来たもののやっぱりモリ様にアミさんの事を相談してはダメなような気がしてきた。
でもカイさんが死んだなんて、アミさんに言えないし……。
僕は自分の場所に行くと「失礼します」と一応声をかけた。
アミさんはフードをかぶったまま、部屋の隅でうずくまっていた。
「カイさんは見つかりませんでした。今サエジはカイさんの部屋にいます」
僕は小さな声で言った。
「でもここもすぐ見つかってしまいます。場所を変えましょう」
アミさんは小さくうなずいた。
僕はアミさんが安全に身を潜められる場所を考えてみた。
おやしろ内は人が多いからいずれ見つかってしまうし……
イリカのヤシキはどうかな……
いやダメだ、きっとサエジに家探しさせろと言われる。
カイさんの産まれ育ったもう誰もいないヤシキは……
ダメだ、きっとそこにもサエジは行くだろう。
そうなると、僕が考えられる所は一か所しかなかった。
図書館だ。
僕は二、三日分の保存の効く食べ物を持って、アミさんを図書館に連れていった。
アミさんは森の中を歩き慣れてなく、図書館に着くころには傷だらけで、とても疲れているようだった。
ヨウとユウが味方かどうか分からなかったから、図書館の脇にある納屋みたいな小屋に二人には内緒で身を潜めることにした。
「カイ君、どこ行っちゃったんだろう」
そう心配気にアミさんがつぶやくたびに、僕は本当の事を言えない罪悪感で胸が苦しくなった。
でもまだ伝えられない。
モリ様から口止めされていたのもあるけど、それを聞いて悲しむアミさんを見る勇気がまだでない。
カイさん、アミさんを残して何で死んじゃったんだろう。
夫婦に、幸せになれるはずだったのに……。
せめて、それが分かってから伝えた方がいいような気がする。
僕は納屋の窓越しに見える暮れていく夕日に手を合わせ、目を閉じた。
ミツカイの習慣だ。
その日始めて見る太陽と沈んでいく太陽にはそう祈りを捧げる。
祈りの後も、アミさんと僕は黙ったままだった。
西の窓から差す橙色の光がじわじわと長くなり、黒みを帯びてくる。
一日の最後の光に照らされて、膝を抱える様に床に座るアミさんの目に涙が光る。
あぁ、僕も試練を受けるしかないのかな。
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