第8話

八、  春の宴 二日目〈イリカ〉


 次の日、春の宴の二日目の昼膳後、私はナオヤと二人きりで拝殿にあるナオヤの部屋に来ていた。


 一晩考えて、モリ様にナオヤの名前を告げるとしても、先にナオヤに色々聞いてみてからにしようと思って。

 ナオヤにどんな影響があるか分からないから。


 ナオヤの部屋は他の未成年のミツカイとの相部屋で、一つの部屋が天井からぶら下がった布の仕切りで三つに分けられていた。

 そんなナオヤの細長い場所は部屋の一番西側で、狭い空間に色々な物がみっしり整頓されて収まっていた。

 壁一面が収納棚になっていて、そこに畳んだ布団、服、虫網虫かご、釣り道具、たくさんの収集箱等が、ぎゅうぎゅうより少し控えめに、みっちり収まっている。


 昨日モリ様から聞かれたことで話がしたくて、人に聞かれない場所と言う事でここに来ることになった。


「話って何?」

 ナオヤが不思議そうな顔で言った。


「昨日ね、モリ様から訊かれたんだけど……」

 ここまで言って、私はなんて言ったらいいか分からなくなってしまった。『ナオヤの事が好きだとモリ様に言っていい?』なんて訊くの、恥ずかしすぎる! でもその前に、ナオヤの気持ちを確かめないと。


「ナオヤって私の事、好き?」


「えっ」

 ナオヤがあんぐり口を開けた。

「何それ、モリ様がそう言ってたの!?」


「え、昨日モリ様に言われて――」


「何でモリ様にバレてんの! 何で? 神通力?」

 真っ赤になってナオヤが言った。

「しかも何でイリカに言っちゃうかな!?」


 ナオヤは真っ赤になった顔を両手で覆ったりこっちをじっと見たり、「違うんだ」とか「違くないけど」とか繰り返したり、忙しそうだ。


 ナオヤのあわってぷりを見て、逆に私は落ち着いてきた。

 そしてじわじわと、暖かいお湯が胸に満ちるような嬉しさが沸いて来た。


「嬉しい。私もナオヤの事好きだよ」

 頬が熱くなるのを感じながら、私は言った。

「モリ様から好きな人がいるか訊かれたの、どうしてかは教えてくれなかったけど。ナオヤの名前を出していいかな?」


 ナオヤはそれを聞いて、真っ赤な顔をかくかく上下に振った。

「もちろん! 大好きだよ、イリカ! 大人になったら冠渡すから、僕を選んで!」

 ナオヤと私は自然と両手を合わせ、見つめあっていた。

「もちろん!」

 私が言うと、ナオヤは両手を握りしめながら躍りしだした。

「嬉しいな、嬉しいな、嬉しいなったら嬉しいな~」

 笑いながら何だか変な歌まで歌いだした。

「嬉しいね、嬉しいね、嬉しいねったら嬉しいね~」

 私も歌って笑った。


 ナオヤとは途中で別れ円卓に戻ると、アミちゃんはもう冠をかぶっていた。

 カイさんの青い鳥の羽根が付いたものだ。

 とても嬉しそうににっこりし、姿勢をしゃんとさせ座っていた。


 円卓に着いている他の七人の女性のうち、四人も冠をかぶっていた。

 あとの三人は、まだ心が決まってないのか、それかまだ意中の人から冠をもらえてないのかも知れない。


 モリ様は席を外しているようでいなかった。


 アミちゃんは、数えてないけれど多分全部で五十個近くの冠を渡されていた。

 すごい数! 置き場に困るくらいだ。


「アミちゃん、戻ったよ」


「イリカちゃん」

 アミちゃんがこちらを振り向いて言った。


「冠、素敵だね!」


「そうでしょう! カイ君ね、私がこの鳥の羽根きれいって言ったの覚えててくれて、ずっと集めてくれていたの」


「いいね~」


「イリカちゃん、なにかいい事あった?」


「え、なんで?」アミちゃん鋭い!


「顔がゆるんでるよ」

 私は思わずほおに手を当てた。赤くなっているのが分かるくらい、熱かった。


 少し後にモリ様が戻って来た。

「イリカ、今いいですか?」


「はい」私はうなずいた。


 モリ様は椅子に座らずにそのまま歩き出した。

 慌ててその後に続き、昨日も来た拝殿の小部屋に入った。


 モリ様は戸を閉めると、こちらを真っすぐ見た。

「さて、昨日聞いた事、教えてもらえますか?」


「はい」

 私も真っすぐ見て言った。

「でも、言ったらその人に迷惑がかかりませんか?」


 モリ様はしばらく黙っていた。

 何か考えているのか、視線が少しずれた。


「どうしてモリ様が私なんかの好きな人なんて気にするんですか?

 母様から聞いてと頼まれたんですか?」


「姉さんから頼まれた訳ではないですよ」

 言葉を選ぶようにモリ様はゆっくりと言った。

「迷惑かは分かりませんが、その人の生活は良くも悪くも大きく変わる事になると思います」


「じゃあ言いたくありません」


「大切なことです。教えてもらえないと、あなたが悲しい思いをしますよ」


「じゃあ何故言わなければならないか、教えて下さい!」


「今は言えません」

 しばらくの間、私は無言でモリ様をじっと見た、にらんでいたかも知れない。


 モリ様はいつもと変わらず、見守るような優しい目をしていた。


 モリ様は何を隠しているんだろう?

 モリ様の立場で、まだ夫婦になれない歳の私の好きな人の事を聞いて、一体何になるんだろう?


 無言の見つめ合いがしばらく続いた後、モリ様がふーとため息をついた。


「いいですかイリカ。私はモリという職に就いていますが、個人的にあなたの事が大切なんです、身内として。

 しかしモリという立場上、簡単に人に言ってはいけない事もあるんです。

 今回訊いているのは、その立場と個人的気持ちとのぎりぎりの線での話なんです」


 そうだ、モリ様はいつも私の事を考えて下さる。そんな優しいモリ様が、ナオヤに酷い事するはずない!


 私はそんなモリ様を疑って、少し自分が恥ずかしくなった。

「ナオヤです」

 私ははっきりと言った。

「ミツカイの、ハイザワナオヤです」


「やはり、そうなんですね」

 モリ様が穏やかな声で言った。

「分かりました。もう戻っていいですよ」


「モリ様、私からもいいですか?」


「何ですか?」


「この前のモリ様とアサさんの話を聞いてしまいました。

 ニシノヤシキでの話です。

 ……アミちゃんとカイさんは、ずうっと前から好き同士なんです。

 どうか、夫婦にならせてあげて下さい!」


 モリ様の優しい目が、驚いたように見開かれた。

「聞いていたんですか……」


「お願いします! サエジなんてあんな乱暴な人と夫婦にならなきゃなんて、アミちゃんが可哀そうです」


「それは……神託次第です」

 モリ様は目を反らせて言った。


「どうかお願いします!」


「……ヒノメ様はお優しい方です、そう悪い様にはなさらないでしょう」


 モリ様の言葉には力がある。

 絶対そうなんだと無条件で信じられるような、相手を思いやっての言葉だと分かる何かの力を感じる。

 でも、さっきの言葉からはそれが感じられない。


「分かりました……」

 でも私はお願いすることしかできない。

「どうかヒノメ様にもよろしくお伝え下さい」


「分かりました」

 モリ様はわずかに視線を反らせたまま言った。


 私はモリ様をじっと見つめた。


「私を産んでくれた母様と、本当のお父さんって誰なんですか?」

 ずっと気になっていた事を思い切って訊いてみた。


 モリ様は私を見つめたまま、ぴくりとも動かなくなった。

「そうですね……それは、図書館の双子に聞いてみて下さい」

 そう平らな声で言うと戸を開け、モリ様はそのまま小部屋を出て行ってしまった。


 しばらくモリ様の言ったことを考えたけれど、結局よく分からなかった。


 ただ、産んでくれた母様は、やっぱり図書館のお墓に眠る人なんだろうなと思った。

 この前ユウさんにお墓を見せてもらった時、何故かすっと『ここに眠る人が母様なんだ』と感じたけれど確信はなかった。

 それが今は、図書館の双子が知っていると聞いて、やっぱりそうなんだと思った。


 私は育ての母様の子ではない、産みの母様の素性をアサさんは知らない、産みの母様は村の人ではない、アサさんが言っていたように村の人でないなら穢れ地から来た人、穢れ地から来た人が長い時間村人に気付かれずにいられる場所は図書館。

 ここまでそうではないかと思っていたことに、モリ様の双子が知っているという言葉で、この考えが証明されたように感じた。



 アミちゃんのいる円卓に戻ろうとしたら人だかりが出来ていて、アミちゃんの姿が見えなくなっていた。


 怒鳴り声がしよく見ると、サエジがまた来ていた。

 円卓に着くアミちゃんに向かって、大口を開けて怒鳴っている。

 しかも、今日はサエジの後ろに、サエジと似た様な年恰好の男が二人、アミちゃんを囲うように立っていた。

 アミちゃんは、両手を胸の前で合わせ震えながらも、サエジに挑むような眼をしていた。


「だから、その冠はなんだってんだ!」

 飛んでいる唾が見える位怒鳴った。サエジの目が血走っている。

「俺が渡したやつはどうした!」


「……すみません。でも私、カイ君と夫婦になります!」

 震える声でアミちゃんが言った。


 まずいと思い周りを見ても、頼れそうな人がいなかった。

 モリ様は席を外し、カイさんもいなかった。

 あ、でもリンタお兄ちゃんがいた!


 お兄ちゃんはアミちゃんとサエジの間に入り込むところだった。


「なんだ、てめぇ!」

 サエジがお兄ちゃんの胸倉をつかもうとしたけれど、とっさにその手を叩き落とした。


「嫌がってるだろ、止めろよ」


「はぁ?」


「もうアミは冠をかぶってるだろう?」

 お兄ちゃんとサエジがにらみ合った。

 サエジの握られた手が怒りのせいか震えている。


「待って下さい、今サエジさんの冠持ってきますから!」

 私はとっさに言っていた。

 とりあえず、時間を稼ごうと思って。

 そう叫ぶと私は人をかき分け、アサさんのいる席へと走った。

 モリ様がいない今、無事に済ますにはモリ様の次に力があり、サエジのお婆様でもあるアサさんに言ってもらうしかないと思って。


「アサさん、サエジさんを止めて下さい!」

 アサさんを見るなり、私は叫んだ。

「アミちゃんのところで乱暴しそうなんです」


 アサさんは怪訝そうな顔をした。

 周りにいた母様やアケミさん達も一斉にこちらを見た。


「アミちゃんがサエジさんの冠かぶらなかったから怒って、庇ったお兄ちゃんが殴られそうなんです! しかも、他の怖い人も引き連れて」


「何じゃ、向こうが騒がしいと思ったらそんな事か」

 しぶしぶといった感じで立ち上がりながら、アサさんが言った。

「お願いです、来て下さい!」


 アケミさんも立ち上がりアサさんの手を取った。


「こっちです」私は二人を先導した。


 アサさんはどこか悪いのか、アケミさんの手を取りながら足を引きずる様に来てくれた。


 円卓に近付くと人だかりが大きくなっていた。


 人をかき分けて見ると、中ではお兄ちゃんとサエジ、それにサエジの取り巻き二人、さらにいつ来たのかカイさんとナオヤも合わさって、殴る蹴るの乱闘が起きていた。


「止めろ、馬鹿者!」

 アサさんが怒鳴った。

「神聖なおやしろで、暴れまわるでない!」


 サエジが拳を止め、アサさんを見た。

 それにつられる様に、乱闘が止まった。


「でもよう、婆様!」

 サエジがぜえぜえ荒い息をしながら言った。

「アミが他の奴の冠かぶってんだ。話が違うぜ」


 サエジはお兄ちゃんにやられたのか、片方の頬をはらし口から一筋血が垂れていた。


 アサさんはよたよたと棒立ちのサエジに近付こうとした。私はとっさに手を取り、歩みを手伝った。


「全てはヒノメ様のお導き。神託を待つのじゃ」

 アサさんはそうサエジの耳元で囁いた。


「はんっ、そういう事か」

 サエジは白けた様に言った。

「おい、行くぞ」

 サエジはぶっきらぼうに取り巻き二人に言った。


「アミ、おりゃあ本当はお前の事なんかどうでもいいんだぜ」

 顔を歪めて笑いながらサエジが言った。

「でもよぉ、ヒノメ様には逆らえないよな」


 そう言い捨てると、サエジは円卓を後にした。


「後で覚えてろよ!」

 取り巻き二人はそう捨て台詞を残して、サエジの後を追って行った。

 二人はカイさんとナオヤにやられたのか、土まみれになり所々血を流していた。


 急いでお兄ちゃん、ナオヤ、カイさんに駆け寄ると、みんな体格のいい大人に殴る蹴るされて顔がはれ上がっていた。

 お兄ちゃんとナオヤはなんとか立っていたけれど、カイさんは仰向けに倒れたままだった。


「無茶しないでよ」

 私はお兄ちゃんとナオヤに駆けより言った。

「でも、格好良かった」


「カイ君!」

 アミちゃんもカイさんに駆け寄った。

 カイさんの顔をのぞき込むと、一筋涙がこぼれた。

「私のために……ごめんね」


「大丈夫、少しくらくらするだけだから」

 カイさんが弱々しく言った。


「リンタ君も、ナオヤ君もごめんね。どうもありがとう」

 アミちゃんはお兄ちゃんとナオヤの方を向き言った。

「ナオヤ君、カイ君が心配だから診療所まで連れて行くの手伝ってくれない?」


「分かりました」ナオヤが言った。


 そうしてアミちゃんとナオヤはカイさんを両脇から支えるようにして、診療所の方に向かって行った。


 お兄ちゃんは怪我してないかとかとよく見ると、腰に下げた冠が割れて壊れていた。


「お兄ちゃん、それ……」


「あー」

 お兄ちゃんが冠を見て言った。

「でもまあいっか。あげる相手決まらなかったし」


「せっかくきれいにできていたのにね」


「じゃあ、いるか?」


「えっ、だってこれ、もらえないよ」


「ふーん」

 つまらなそうにお兄ちゃんが言った。

「じゃあゴミだな」

 そう言うと冠を腰からとり、バキバキと折って小さくした。


 びっくりして見ている私を傍目に、お兄ちゃんはそのまま近くの燃し場へ行くと、その中に冠だったものを投げ込んでしまった。


 素朴だけど可愛い冠だったのに……作るのに時間もそれなりにかかっただろうに。    

 少し直せば元に戻りそうなのにもったいない。

 つるつるの形良いどんぐりや、バラの花の形をした松ぼっくりに火が付き、バチバチはぜる音と共に瞬く間に燃えて行った。


「じゃあ俺はもう帰るよ」

 揺らめく炎を見つめながら、お兄ちゃんが言った。

 瞳の中で炎が揺れた。


「まだ早いんじゃない?」


「いや、もう充分」

 私の方を向いてお兄ちゃんが言った。

「冠もないしな」

 そう言うとお兄ちゃんは私に背を向け、そのまま行ってしまった。


「お兄ちゃん! 気を付けて帰ってね」


 お兄ちゃんは振り返らずに、右手を挙げた。


 円卓に戻ると、まだアミちゃんは戻っていなかった。


 結局、アミちゃんはカイさんを診療所に連れて行くと言い円卓を離れたっきり、その日戻ってはこなかった。

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