第7話

七、  春の宴 一日目〈イリカ〉


 四月初めの金曜日、春の宴が始まった。


 宴は毎年おやしろで行われる。

 おやしろは村の中心部、聖域のあるヒノメ山のふもと、ヤシロ湖ほとりにある。

 私のヤシキは、おやしろからヤシロ川を越えて三十分程南に歩いたところにある。


 会場のおやしろの中庭には、ここ一番に着飾った人達でにぎわっている。

 染色された綿の上着とズボンやスカートに、刺繍の入った羊毛や毛皮のベストと言った出で立ちの人が多い。

 私も母様に作ってもらった一番のお気に入りを着てきた。細くて白い羊毛のセーターの上に、母様自慢の刺繍が入った薄い水色のワンピースだ。長めの髪は、モリ様からもらった桜色の髪紐を使って高い位置で一括りに結んだ。


 おやしろ内に植えられたたくさんの桃の木から、かすかにそよぐ風に吹かれ桃色や白の花びらがはらりはらりと舞っていく。

 中庭の北の方、拝殿を背に敷き詰められた小豆色の敷物の上に、そんなきれいな花弁がたくさん折重なっている。


 敷物の上には祭壇と大きな円卓と椅子が置かれている。祭壇の上には、お酒とお米と塩と果物がきれいな器に盛られ載っていて、その下には村の人々からのお供え物が所狭しと並べられている。


 円卓の席には拝殿を背にしたモリ様と、今年夫とりを希望する女性達が座っている。

 モリ様はいつもの深緑色のケープに大豆色のズボン姿で、女性達は、思い思いの晴着を着ている。

 アミちゃんは薄桃色のワンピースに、柔らかい白の羊毛のカーディガン、真珠が三粒ついた首飾りと言った出で立ちだ。アミちゃんの優しい顔立ちによく似合っている。


 モリ様の少し後ろに、宴の進行役を任されているミツカイのウタロウさんがいる。ウタロウさんはいつもと同じミツカイの黒いケープを身にまとっている。モリ様とウタロウさんは何か打ち合わせみたいのをすると、ウタロウさんは社務所の方に行ってしまった。


 円卓の上にはお酒やジュース、お茶などの飲み物、干したホタテと鹿肉、みずみずしい果物に焼き菓子など、美味しそうなものがたっぷり載っている。

 昼膳は少し前に済んで私もアミちゃん達と同じものをもらったけど、これも豪華で美味しかった!


 女性は全部で八人、母様は入ってないし、未成年の私ももちろん同じ円卓には着いていない。アミちゃんに一人だと不安だから側にいてと頼まれて私はアミちゃんの側をうろついてアミちゃんと一緒にお菓子を食べたり、円卓の誰かのちょっとしたお手伝いをしたりしている。


 私の母様、アミちゃんの母様のアケミさん、アサさんは、今年は夫とりをしないようで、円卓から少し離れた長机の席でおしゃべりしている。私の席も本当はそこの母様の隣にある。ナオヤの母様も同じ机だ。


 アミちゃんは今年が初めての夫とりで、表情が硬くて緊張しているみたい。

 モリ様の左隣にアミちゃんが座っていて、多分歳の順でぐるりと円卓を囲んでいる。


 春の宴とは、春の訪れをヒノメ様に感謝する三日間のお祭りで、それに合わせその年の夫を女性が選ぶ。

 めったにそろわない村の人達が集まり騒ぐ、とても楽しい三日間だ。

 でもナオヤに言わせると、準備や手配、運営を任されるミツカイにとって春の宴は、ぐったりする大変なものらしい。

 ナオヤとミツカイさん達、ありがとね!


 今日、一日目から二日目の正午まで、村中の人がヒノメ様へのお供え物をおやしろに持ってくる。

 妻を希望する男性はその人への贈り物とかんむりを、お供え物とは別に持ってくる。

 それに歌、笛、太鼓の披露や、奉納舞も行われる。


 二日目の午後から、夫とりする女性は意中の男性からもらった冠をかぶりだす。

 気に入った人がいないと、冠をかぶらない場合もあるみたいだ。

 二日目の夕方まで女性が冠をかぶっていたら、そこでその贈り主と夫婦になるという意思表示になる。


 三日目の早朝、モリ様がひっそりと夫とりの結果をヒノメ様に神託でうかがっているらしい。

 らしいというのは、私は見たことはないけど、母様の話やナオヤから聞いた話だから。

 神託で問題なければ、三日目は新しい夫婦の誕生を祝う成婚式が行われる。

 私の記憶では問題が起きたことないので、神託はただのヒノメ様への連絡って感じなのかなと思っていたけど、モリ様とアサさんの話を聞いちゃったので、今年も何も起こりませんようにと祈っている。


 円卓には、ひっきりなしに誰かが誰かに挨拶に来る。

 私はモリ様と話したい事がたくさんあるけど人目もあって聞きたいことを聞けず、少しもどかしい気持ちでいた。

 モリ様とアサさんの話を聞いてから、何をしてもあの日の話が頭から離れないでいた。


 母様に「本当は私、母様の子じゃないの?」と聞きたいけれど、怖くて聞けなかった。

 もし母様の子じゃなかったら私は誰なんだろう? どこに行けばいいんだろう?

 本当の母親と父親を知りたくない訳ではないけど、それを知って今を失うのが怖い。

 それにアミちゃんのことも。

 お互い好きなのに、夫婦になれないなんておかしい。

 赤ちゃんは可愛いとは思うけど、子が産まれなくったって、女の子が産まれなくったって二人が一緒にいられて幸せならそれでいいと思う。

 

 村が滅びるとか、アサさんは大げさなことを言う。

 もしももしも万が一、初めてのお産で自分が死ぬ運命で産まれた子が好きでもない人の子だったら、絶対絶対後悔する。

 私の一生何だったのかって。

 好きな人の子だったら……多分そうはならない。

 好きな人と自分の命が繋がっていくのを感じられるから。


 アミちゃんのところにもたくさんの男性が来て、贈り物と冠を渡している。

 その度にアミちゃんは丁寧に挨拶やらお礼の言葉やらを言っているけれど、どこか申し訳なさそうな淡い笑顔を浮かべている。

 贈られた冠はもう二十個以上ありそう、途中まで数えていたけど十五個ぐらいで面倒になって数えるのをやめた。


 アミちゃんはその中の一つだけ、カイさんから宴が始まって早々に贈られた物だけ大切そうに、円卓の陰で隠すように膝の上に置いている。

 お守りみたいだ。

 細い蔓できれいに編まれた、たくさんの小さな青い羽根で飾られた繊細で美しい冠だ。

 

 贈り物と冠は、アミちゃんが一度受け取った後、私が受け取り、アミちゃん用の祭壇の前の場所に置いた。

 贈り物は様々で、お米や蜂蜜、干し肉など保存のきく食べ物がほとんどで、たまにぎょくのようなきれいな石やトンボ玉、金の様に光る羽根など、きれいな物がたくさんあった。

 冠もこった物が多くて、紫色の大きな玉をつるで編み込んだ物や、虹色に光るアワビの貝殻をつなげたものなど、めったに見られないきれいな物ばかりだ。


「何か足りないものありませんか?」

 ナオヤが円卓にやって来て言った。


 ナオヤを含めミツカイの人達は、村のほとんどの人が晴着で来ている中、いつもの大豆色の上下に黒いケープ姿だ。

 でもケープにも色々あって、今日のナオヤはフード付きの物を着ていた。


 ナオヤが冠を作るとしたらどんなのを作るのかな。

 セミの抜けがらとかついてないといいけど……。

 私はセミの抜け殻がずらっと輪になった冠を渡されるところを想像して、思わず頭を振った。

 いくらきれいでも、虫はやだなぁ……でも蝶々とかタマムシの羽根ならありかも知れない。

 前ナオヤからセミやヘビの抜け殻や虫が詰まった収集箱を「きれいだろ」と自慢気に見せられた時の事を思い出しながら、そんな事を思った。


「大丈夫そうですね」

 円卓に座る女性達が何も言わないので、モリ様が皆の様子を見て言った。

「では、失礼します」

 真面目な顔でそう言うと、ナオヤは一瞬私の方を見てにこっと笑ってから、社務所の方に行ってしまった。


 私は少しぼうっとして、ナオヤの背中に手を振った。

 ナオヤの背中を見ながら、なんでナオヤから冠を渡されるところを自然に想像しているんだろう、と思った。

 あれ、私ってやっぱりナオヤの事が好きなのかな?

 セミの抜け殻の冠は嫌だけど、他のきれいな冠をもらえるなら嬉しい様な気がする。

 何ならセミの抜け殻でも、ナオヤが笑って嬉しそうな顔をするなら頭にかぶってしまうかも知れない。

 うーん、好きなのかな?

 ナオヤが他の子に冠を渡したら嫌だし、やっぱりそう言う事なのかな……。


「よう、イリカ」

 急に話しかけられてびっくりした。声の方を振り向くと、リンタお兄ちゃんがいた。

 お兄ちゃんも、この前ヤシキで着せられていた刺繍の凝った晴着を着ていた。


「お兄ちゃん!」


「何でこっちいんだ?」

 お兄ちゃんが円卓をぐるりと見て、ふざけた様に笑って続けた。

「もう夫とりするのか?」


「何言ってんの!」私は思わず大きな声を出してしまった。


「私がお願いして、一緒にいてもらっているの」

 アミちゃんが小さな声で言った。


「そうなんだ」

 アミちゃんから少し視線をそらしながらそう言うと、お兄ちゃんは手に持った冠らしきものぶらぶらさせた。

 それは冠と言うには質素と言うか素朴と言うか、あまりやる気を感じさせないもので、乾いた細いつるを編んで、そこにどんぐりとバラの花の様な形をした松ぼっくりがいくつかついている。

 可愛くはあるけど、他の人の貴重な材料からできたものと比べると、見劣りしてしまう。

 確か、母様がお兄ちゃん達全員にきれいな貝や石、羽根とかを渡していたはずだけど。先に来た他のお兄ちゃんに全部いい材料は取られてしまったのかな。


 私はお兄ちゃんが誰かに冠を渡すのかと思ってしばらく見ていたけれど、冠をぶらぶらさせるだけで誰にも渡さない。

 お兄ちゃんも冠を渡すの今年が初めてだから、緊張しているのかな。

 誰に冠渡すんだろう?

 この前の食事会でアミちゃんの事情知っているから、アミちゃんには渡さないとは思うけど、それなら早くお目当ての人のところに行けばいいのに。


 お兄ちゃんはしばらく無言で冠をぐるぐる回したり、どんぐりを触ったりしていたけれど、ふっと少し移動してモリ様に挨拶を始めていた。

 モリ様は少し前まで他の人と話していたけれど、お兄ちゃんの挨拶を受けこちらの方を向いた。


「モリ様、こんにちは」


「あぁ、こんにちは。今年が初めの冠渡しですよね。おめでとう。大きくなりましたねぇ」


「ありがとうございます。父と一緒に獲ったウサギとシカを持ってきたんで、祭壇に置いときました」


「毎年ありがとうございます」モリ様が言った。


 祭壇を見ると、確かにウサギが三羽と首のないシカがごろりといつの間にか置いてあった。

 シカは前脚と後脚同士が縛られていて、持ち運ぶためにだか横に長い木の棒が置いてあった。

 シカは切ったところが黒っぽい布と紐で隠されており、血があまり滴っていないところを見ると、簡単な血抜きは終わっているみたいだ。


「もう捌いてしまっていいですか?」


「あ、ちょっと待って下さい」

 モリ様は辺りを見渡した後、私を見て言った。

「イリカ、カイとナオヤを呼んで来てもらっていいですか? あと、ヒロトに伝言をお願します」


 アミちゃんをちらりと見ると「私は大丈夫」と言った。


「はい、分かりました!」私は少し出歩きたいと思っていたので、丁度良かった。


「リンタ、捌くのはさっき言ったミツカイの者に任せてもらって良いですか? 後学のために」


「俺はいいですけど、父にも一応聞いてきます」

 そう言うと、お兄ちゃんは円卓から少し南に離れた、母様の机の方を見た。

 そこには、大きな鹿の角が付いた冠を母様にかぶせているケンジさん、お父さんがいた。

 母様、今年は夫とりしないはずだけど、重そうな冠を押さえながらかぶり、お父さんと嬉しそうに何か話していた。

 お父さん、私にはしかめっ面しかしなくて怖いけど、母様の前ではあんな優しそうな表情もするんだ。変なの。


「モリ様、カイ君とナオヤ君に治療方法を教えるんですか?」

 アミちゃんがおずおずと聞いた。

 ヒロトさんはモリ様と共に主に治療を行っている三十代位のミツカイで、次期モリ候補とも噂されている人だ。

 治療を主に行うミツカイは治療師と呼ばれている。

 その人が話に出たので、アミちゃんはそう思い当たったのかも知れない。


「そうですね、そのつもりです。丁度いい機会なので、腑分けをしてもらおうかと」               モリ様が言った。


 え、ナオヤに治療任せて大丈夫かな、おっちょこちょいだし。

 でも結構頭は良い気がするし優しいから、気を付ければ良い治療ができるのかも知れない。


「そうなんですか……」

 アミちゃんは少し複雑そうな顔をして言った。


「ではちょっと失礼して、父のとこ行ってきます」

 そう言ってお兄ちゃんはお父さんの方に歩きかけた。


「冠、渡してからでいいですよ」モリ様が言った。


 お兄ちゃんはあわてた様に「あ、まあ、今は」とか「そのうちに」とかもごもご言うと、こちらも見ずにそそくさと行ってしまった。

 はっきりしゃべらないのはお兄ちゃんらしくないと思ったけど、冠渡すのがよっぽど照れくさいのかな?


「じゃあ私も探してきます」

 私はそう言うと、社務所の方へ歩きかけた。


「ヒロトは社務所南側の診療所にいると思います。そこにシカを運ばせるんで、用意して待っていてもらって下さい。ナオヤとカイは、動いていると思うので、ミツカイの誰かに聞いてみて下さい」モリ様が言った。


「分かりました」

 私はそう言うと、まずは診療所に向かおうと思った。


 おやしろの境内には主に五つの建物がある。

 大きな長方形の境内の一番北の中央に、ヒノメ様をまつる本殿がある。

 本殿のすぐ南側に拝殿があり、そこにはヒノメ様を拝む大広間の他に、モリ様の部屋と年若いミツカイの部屋がある。ナオヤの部屋もそこにある。

 その南側に中庭とも呼ばれる広い参道が続き、参道の東側にミツカイの暮らす社務所があり、西側に供物や配給品を納める倉がある。

 最後の建物は、社務所の南側にあるご不浄と呼ばれる大きなトイレだ。

 それ以外にも、倉の南に鐘撞堂と相撲場が、社務所とご不浄の間に湧き水溢れる水場がある。

 

 私はまずヒロトさんに伝えようと、社務所の方へ向かったけれど、途中で水場にナオヤがいるのを発見してそちらへと向かった。


「ナオヤ、モリ様が呼んでるよー」私は手を振り、大きな声で言った。


「ちょっと待って」ナオヤが言った。

 ナオヤは水溜場の桶で大量のじゃがいもを洗っていた。

「これで芋餅を作るんだ。夕飯分だから、早く洗っちゃわないと」


「ナオヤ、治療師になるの? モリ様がヒロトさんと一緒にシカの腑分けをさせたいって」


「治療師というか、前モリ様に、モリ候補にならないかって聞かれたんだよ。まあ正式な候補者になるには試練を受けなきゃいけないみたいだけど」

 じゃがいもをたわしで洗いながら、少し不貞腐れた様にナオヤが言った。

「でも僕だけじゃないよ。カイさんも候補だから」


「すごいじゃない!」私は驚いて言った。

 前々から次のモリが誰になるか噂されていたけれど、ずっと候補者すらいなかったのに。

「でもヒロトさんは候補じゃないの?」


「違うみたいだよ、何でかは知らないけど」

 芋をごろごろさせながら桶の泥だらけの水を流し、新しい水を手桶でくみ貯めながら言った。

「って言うか、始めは僕だけだったんだよ、候補!」

 何か思い出しながら腹が立ってきたのか、ナオヤは早口でまくし立てた。

 芋を洗う手は完全に止まっていた。

「なのに、つい最近になって、カイさんも候補にしますってモリ様が言って。

 僕、頑張ってるのをモリ様に認めてもらえたんだってすっごく嬉しかったのに! 何で急に……」


 私はナオヤの勢いに圧されて何と言っていいか分からず「そうなんだ」とだけ小さく言った。


「そりゃぁ、僕がカイさんよりどこか優れてるところあるかって言われたら、そんなところ無いかも知れないけどさぁ、その分真剣にモリ様に付いて一生懸命仕事を覚えてたのに」


「でも、カイさんも候補でいてくれた方が気が楽じゃない? 自分に向いてないって後で思うかも知れないし」

 私は慰めるつもりで言ってみた。


「それって、イリカもカイさんの方がモリに向いてるって思ってるってこと?」

 疑り深い目で見上げながらナオヤが言った。ナオヤのぐちは長くなりそうだ。


「そういう訳じゃないけど、モリ様って大変そうじゃない?

 責任重大だし。

 村のまとめ役をして、治療師もして、相談したい人がいれば話を聞いて、喧嘩が収まらなければ仲裁して。

 ナオヤにはもっとのんびりした生活の方が合っていると思うけど」

 ここまで言って、私は気になっていたことを訊いてみることにした。


「それにモリ様って夫婦になったりしてもいいの? 今のモリ様は、一度も夫婦になったことがないみたいだけど」


「僕もそこは気になってたから確認したけど、別に夫婦になっちゃいけない決まりはないってモリ様言ってたよ」


「ふーん、そうなんだ」

 私はそれを聞いて少し安心した。

「でも、夫婦になれたとしても、大変そうじゃない? 自分の家族を一番に考えてばかりもいられないだろうし」


「何か否定的な事ばっかり言うね。僕にとってモリ候補に指名されるのはとても名誉なことなのに」

 ナオヤはそう言うと、大量の芋を入れた大きな桶を抱えて立ち上がった。

「これ厨房に持ってったら、円卓のとこに行くよ。それでいいだろ」

 ナオヤはそうぶっきら棒に言うと、そのままこっちを見ずに社務所の方に行ってしまった。


 怒らせちゃったな。

 でも、ナオヤにはモリになって欲しくないのが正直な気持ちだ。

 ナオヤとは今のまま、一緒にのんびり遊んだりどこか行ったりしたいんだもん。

 モリになったら少し遠い人になってしまうし。

 

 気を取り直して私はヒロトさんとカイさんを探すことにした。

 モリ様の言う通り、社務所の南側の一角、診療所にヒロトさんはいた。

 幸い患者はいなくて、ヒロトさんは椅子に座ってお茶を飲んでいるところだった。


 ヒロトさんは小柄で痩せていてミツカイにしては色が白い。

 まだ三十代らしいけれど目の下にはっきり幸薄そうなくまができている。

 服は他のミツカイと同じ大豆色の上下を着ていたけど、ケープではなく膝まである白い綿の羽織を着ている。

 モリ様からの言葉を伝えると、一瞬目を細め嫌そうな顔した。

「未来の楽のため!」

 ヒロトさんは急に大きな声を出し、立ち上がった。

 変わった人だなぁ、疲れているのかなぁ。


 私はすぐにカイさんを探しに行こうと思った。

「ヒロトさん、カイさんがいる場所分かりますか?」


「確か今日は厨房担当だったはず」

 何か準備を始めながら、ヒロトさんが言った。

「厨房は、この部屋出て真っすぐ北」


「ありがとうございました」

 私がそう言って部屋をでようとすると、ヒロトさんは準備の手を止めずに私を横目で見て、何も言わずに左手を挙げた。


 厨房に行くと、十人くらいのミツカイの人達が忙しそうに食事の準備をしていた。

 その中に、厨房の奥の方にカイさんもいた。

 カイさんは他のミツカイと同じくケープを脱いだ格好で、かごに山盛りのサヤエンドウの筋を取っていた。


 カイさんは確か十七才、中肉中背で適度に日焼けしていて、顔がかなりカッコいい。

 一昨年と去年、女性の誰かから逆に冠をもらったけれどアミちゃんが成人するまで待ち誰とも夫婦にならなかった、もてるのにアミちゃん一筋の素敵な人だ。


「失礼します、入ってもいいでしょうか?」

 私は厨房の出入口で中をのぞき込みながら言った。


 ミツカイの人達が一斉にこっちを見て、少し戸惑った。

 なんかじろじろ見られているようで恥ずかしい。


「いいけど、何の用事かな?」

 一番年上っぽいミツカイの人が言った。


「カイさんにモリ様から言付かって来ました」


「カイー、モリ様の姪っ子ちゃんが来てるぞ」


「はい」

 そう言うとカイさんはさやいんげんを置いて、奥の方から出入口に来てくれた。


 私がモリ様からの言葉を伝えると、カイさんが何か言う前に一緒に聞いていたさっきの人が言った。


「じゃあ、ここはいいから行ってこい」


「では、よろしくお願いします」

 カイさんが言って、カイさんと私は一緒にモリ様のところまで歩き出した。


「カイさんはモリになりたいんですか?」

 私は道すがら、思い切って聞いてみた。


 カイさんは急な質問に戸惑ったようで一瞬驚いたような顔をして「うーん」と言うと無言になった。


 しばらくの沈黙の後、カイさんが小さな声で言った。

「それって、モリ様から聞くように言われた?」


「違います!」

 私は驚き、カイさんを見上げて言った。

「ただ、ナオヤが不貞腐れてて……」


「あぁ、ナオヤには悪いことをした」

 納得したようにカイさんが言った。

「急にモリ様が僕にもモリ候補のことを言い出すから、驚いたよ」


 私はカイさんは優しいなぁ、と思った。


「僕は別になりたいともなれるとも思っていなかったんだけど、最近になって急にモリ様が言いだしたんだよ。

 正直僕は、ナオヤほど覚えが早い訳でも色々と知りたい訳でもないし、ただのミツカイとして、あと、アミと夫婦として暮らしていければそれ以上は望まないよ」

 少し頬を染めて、カイさんが言った。

「まあモリ様が僕に適性があると認めて下さるのは嬉しいけれど、僕にはちょっと荷が重いかな。ナオヤがなりたいなら、ナオヤがなった方がいいと思うよ」


「そうなんですね」

 私はカイさんを見上げながら、複雑な気持ちだった。

「それを聞いたら、ナオヤは喜ぶと思います」


「ナオヤには言ってもいいけど、他の人には言わないでね」

 人差し指に手を当て、カイさんが言った。

「分かりました」

 うなずきながら私は答えた。


 カイさんと連れ立って円卓近くまで来ると人だかりができていて、大きながらの悪い声が聞こえてきた。


 人をかき分けるようにしてアミちゃんの側に行くと、大柄の三十代位の男の人が冠を持ってアミちゃんにつめ寄っていた。

 笑っているようだけど歯をむき出しにして威嚇するようでもあり、怖い顔つきだ。

 しかもなんか臭い、悪くなった油みたいだ。

 アミちゃんの年の離れた従兄の、サエジさんだ。

 アミちゃんが言うには、従兄ではあるけれど、アケミさんとサエジさんの父親は違うし歳も離れていて交流も薄いので、他人みたいな感じらしい。


「婆様から言われて渡すんだから、恥かかすなよ」

 無言で冠を受けとるアミちゃんの腕が、震えていた。


「アミ!」

「アミちゃん!」

 そう言うと、カイさんと私はアミちゃんのすぐそばに駆け寄った。


「カイ君、イリカちゃん!」

 アミちゃんは見上げると、ほっとした様に表情を柔らかくした。

「サエジさん、冠ありがとうございました」


 アミちゃんは震えながらも落ち着いた声で、サエジさんを見上げながら言った。

「お婆様が何とおっしゃったか分かりませんが、よく考えて決めたいと思います」


「なんだぁ、生意気な!」

 サエジさん、いやサエジが凄んだ。

「俺ぁ、もう娘も息子もいるんだぜ。別にこれ以上面倒なガキなんていらねぇんだ。そこを婆様がアミに娘をこさえてくれっつうから、わざわざ冠を渡してやったって言うのに。俺のメンツを潰すつもりかぁ」


 カイさんがすっと間に入った。

「冠は渡し終わったのでしょう、後はアミさんが決めることです。お引き取り下さい」


「なんだぁ、おめぇにゃ関係ねーだろ!」


「関係あります。お引き取りを」

 カイさんがサエジをにらみながら言った。


「はぁ!?」

 激高したサエジが、カイさんの胸倉をつかんだ。カイさんの足が少し浮いた。


「お引き取りを!」

 カイさんはサエジの手をつかみながら、繰り返した。


 その瞬間、サエジはカイさんの顔にこぶしを叩きつけた。

 ごきっと言う嫌な音と共に、カイさんがアミちゃんのすぐ横に倒れこんだ。


「カイ君!」

 アミちゃんが叫びながら駆け寄り、カイさんの頭を抱き抱えた。

「大丈夫!? ごめんね」


「止めてください!」

 とっさに私はアミちゃんとサエジの間に両手を広げて入り込んだ。

「こんなことして、好きになると思うんですか」


「なんだ、おめぇもぶっ飛ばされてぇのか!?」

 右手を挙げ、唾を飛ばしながらサエジが言った。


 殴られる! 怖くなって目をつぶり、体を縮こませた。


「止めなさい、サエジ」

 落ち着いたモリ様の声がした。


 うっすら目を開けると、目の前にはナオヤの背中があった。


 サエジの手はモリ様に下ろされていた。


 いつの間にかモリ様とナオヤが来てくれていたみたいだ。

 そしてモリ様が横に立ちサエジの腕を握り、無理やり下ろさせたみたいだ。


「こんな方法で人は言いなりになりませんよ」


 サエジは鼻にしわを寄せ、凄い形相でモリ様を睨んだ。


 モリ様はいつもと変わらない優しく誠実そうな目でサエジを見つめている。

 

 しばらく見つめあった後、サエジは「ふんっ」と大きく鼻を鳴らすと、円卓から離れて行った。


「大丈夫ですか?」

 モリ様はしゃがみながらそう言うと、カイさんの顔をのぞき込んだ。


「大丈夫です。ちょっと口の中を切ったくらいです」

 カイさんは殴られた頬を押さえ、アミちゃんの腕から起き上がった。口の端から血が流れていた。

「いてっ!」


「カイ、念のためヒロトに診てもらいなさい」モリ様が言った。

「ナオヤ、カイに付いて行ってあげなさい。大丈夫のようなら、そのまま二人でヒロトの腑分けを手伝いなさい。具合が悪いようなら、ヒロトとナオヤだけで腑分けを行うように」


「はい」

 カイさんとナオヤは同時にそう答えると、そのまま診療所の方に向かおうとした。

 私はあわてて二人の後を追おうとした。アミちゃんも同じだ。


「ダメですよ、席を離れては」モリ様が言った。

「今日の日のために、多くの人が会いにくるのですから」


「トイレです!」私はとっさに叫んだ。

「私も」アミちゃんも言った。


 モリ様はやれやれと言った顔で肩をすくめた。

「では、済んだらすぐ戻るように」

 そう言うと、それ以上は何も言わなかった。


 円卓から少し離れた所で、私はナオヤに追い付き「ありがとう」と伝えた。

 アミちゃんもカイさんにお礼を言っていた。

 二人共顔を赤く染めて真っすぐにお互いを見る姿を見て、本当にぴったりお似合いの二人だなぁと思った。


 その後、念のため本当にトイレに行ってから円卓へ戻った。


 円卓と母様達の机の間にある舞台で、相撲大会や笛や太鼓の奉納が行われていた。  

 奉納する人も、たくさんの見ている人もみんな楽しそうで、私もうきうきした楽しい気分になった。


 早めの夕膳もでて、舞台を楽しんでいるうちに五時の鐘が鳴り、一日目の宴の終了となった。


 カイさんは特に問題なかったようで、ヒロトさんとナオヤとで腑分けを無事に終わらせたみたいだ。

 夕膳にはその美味しい鹿肉が入っていた。


 私の本来の席に戻って母様と今日あったことを話していると、モリ様がやって来た。

「今少しいいですか?」


「なあに、大丈夫よ」母様が言った。


「リカさんではなく、イリカになんですが」

 私は母様の顔見ると、母様も不思議そうな顔をしていた。

「少し来てもらえませんか? 直ぐ終わるので、リカさんはそこで待っていてください」

 そう言うと、モリ様は拝殿の方に歩き出した。


「分かったわ」母様が言った。


 私も「分かりました」と言うと、モリ様の後に続いた。


 モリ様と私はしばらく無言で歩き、靴を脱ぎ拝殿へと上がると小さな一室に入った。部屋には何もなくガランとしていた。

 扉を閉めると、モリ様は私を真っすぐ見つめていた。

 無言でただ見られて私はなんだか落ち着かない気分になった。


「イリカは今、好きな人はいますか?」


「えっ」

 私は思ってもいない急な質問に、思わず声が出てしまった。

 何でモリ様そんなこと聞くんだろう?

「えぇと……何故そんな事聞くんですか?」


「理由を今は言えませんが、大切なことです」

 モリ様は静かに言った。


 私はナオヤの事が思い浮かんだけれど、口に出すのをためらった。

 モリ様の顔が真剣すぎるから。

 気軽に口にしてはいけないような気がして。


 しばらくどうするべきか迷って、「えぇと」とか口ごもっていた。


「特にいないんですか?」


「違います!」

 私は反射的に叫んだ。でもその後を続けられず、黙ってしまった。


 そんな様子の私を見て、モリ様はふーっと息をついた。

「明日でいいので、教えて下さい。とても大切なことなので、よく自分の気持ちと相談して」


「はい」


 モリ様と一緒に拝殿を出ると、拝殿の階段下で待っている母様が見えた。


 母様とモリ様が挨拶を済ませると、母様と私はヤシキへ帰ることになった。

おやしろを後にし、茜色に染まる景色を見ながら母様と私は家路を歩いた。


「何の話だったの?」母様が訊いて来た。


「んー」恥ずかしくて、私はなんて答えようか迷った。

「内緒」


「ふーん」母様はニヤッと笑って、「ナオヤ君のこと?」と続けた。


「内緒は内緒!」

 私はドキッとして大きな声で言った。


「ふーん」

 そう言うと母様は何故か急に優しい顔になった。

「ついこの間までばぶちゃんだったのに、大きくなったわね」


「もう、何それ!」


 母様は笑って、それ以上訊いてこなかった。


 空気が少しひんやりしてきた気持ちいい夕暮れ時を、母様と静かに歩く。


 モリ様の質問、何だったんだろう?

 あの時私も、聞きたい事聞いとけばよかったな。

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