第6話

六、  オスだけが生き残る蚊〈ナオヤ〉


 今日もイリカと図書館に向かっている。

 このところ暇ができると、字を教えてもらうため本を読むため、よく図書館に通っている。


 空は曇っているけれど、風がない分暖かい。草木の緑が前より濃くなってきたように感じる。


 イリカも僕も口数少なく、黙々と草木をかき分け進む。


 歩いていると最近気になっていることが頭に浮かんでくる。

 前にモリ様は僕に試練を受けるか聞いてきたのに、急に取りやめにしてカイさんに試練の話を振っていた事とか。

 試練を受けたミツカイしか次期モリ候補になれない。

 モリは大変な、責任のある仕事だけど、村のまとめ役として村中から必要とされる、名誉ある仕事だ。

 何故か今のところ試練を受けた人はいないから、モリ様が僕に声をかけてくれた時僕のことを認めてくださっているんだとすごく嬉しかったのに、急にカイさんに代えるなんて。

 僕、何かへまでもしたのかな。 


 そんなことが頭の中をぐるぐる回りながら歩き続けていると、図書館が見えてきた。


 図書館に着き挨拶が済むとすぐに、ユウとヨウがいつもの真四角なテーブルに暖かいお茶と金柑を出してくれた。


 席に着いて早々、僕たちの顔を覗き込むようにしてヨウが言った。


「二人とも、何か今日は暗い顔じゃない?」


「そうかな」僕は顔に出ていたのが恥ずかしくなって、頬を強くこすった。


「大丈夫です」イリカが言った。


「今日は何」ユウが言った。


「この前の図鑑読んでいい?」


「いいけど、その後ブリッジ」ユウが言った。


「私は図書館の中を見て回っていいですか?」とイリカ。


「いいよ。悪いけど、ついでにほこり払ってくれない?」

 にやりと笑って、ヨウが言った。


「分かりました」


「はたきはあそこにあるから」

 そう言って、ヨウは図書館入り口近くの本棚のわきにかけられた鳥の羽根でできたはたきを指さした。


 僕とはたきを持ったイリカは本棚に向かった。

 僕の目当ての昆虫図鑑のところまでイリカも一緒に来たけれど、その辺りの本をちらりと見るとイリカははたきをぱたぱたさせながら違う方に行ってしまった。


 昆虫図鑑と辞典を本棚から持ってくると、ヨウとユウがいる真四角のテーブル席に着いた。


「ナオヤは昆虫図鑑が好きだね」図鑑をのぞき込みながらヨウが言った。


「うん。今まで誰に聞いても名前が分からなかった虫の名前が分かって、しかもその虫の事が詳しく載ってて、図鑑ってすごいよ!」


「図鑑は面白い」ユウも同意してくれた。


 辞典を何度も引きながら図鑑を読み進めた。


 しばらくして蚊のところで、辞典を引いてもいまいち意味が分からない言葉があった。

 すぐに訊いてしまうのは気が引けたけど、ユウもヨウもトランプをしていて暇そうだったから聞いてみた。


「ねえ、これってなんて書いてあるの?」


「なになに?」

 ヨウが僕の指す箇所をのぞき込んだ。

「『イデンシソウサされた、オスだけが生き残る蚊』って読むよ、その文」


「ありがとう。『遺伝』は辞典に載ってたんだけど、『遺伝子操作』は載ってなかったんだよね」


「あー、その辞典は簡単な言葉しか載っていないからね。読み方付きでいいけど」

 ヨウがうなずきながら言った。


「オスだけが生き残る蚊なんているの?」


「ちょっと貸して」

 そう言うとヨウは自分の見やすいところに図鑑を引っ張っていった。

 ユウも手にしたカードを置いてのぞき込む。


 ユウが何かをつぶやきヨウも小さくうなずいたけど、僕には聞き取れなかった。


「いたみたいだね。人の手を加えてだけど」


「人の手? それじゃあそのうち蚊がいなくなっちゃうんじゃない?」


「そのための遺伝子操作だよ。悪い病気を広める蚊を少なくするために、蚊を遺伝子操作してオスだけ生き残るように産まれるようにして、ゆくゆくは蚊を減らすためにそうしたらしいよ」


「何それ!」

 僕は思わず叫んだ。

「遺伝子操作って言うので、そんなことできるの?」


「そうみたいだね」ヨウが言った。

「この図鑑が作られた時の最新技術ってことで紹介されているみたいだけど」


「遺伝子って何?」


「うーん」ヨウがうなった。

「辞典には遺伝ってなんて書いてあった?」


「生物の体や形、性質が親から子へ伝わっていくこと、ってあるよ」

 僕は辞典を読んだ。


「ふーん」ヨウが言った。

「じゃあ遺伝子とは、親から子へ伝える時に使われる設計図って感じかな? まあ、生物の体、形を作るための設計図だね」


「設計図?」

 僕はよく分からずただ繰り返した。

 設計図って家とか建てる時に使うものだよね。

 蚊が組み立てられるの?

 僕は木やのこぎりで蚊の形を作るところを想像しかけたけど、さすがに違うと思って想像するのをやめた。


「説明には時間がかかる。難しい話」

 ユウが何を考えているかよく分からない声で言った。


「まあ難しいよね」ヨウが言った。

「興味があるならこっちもちゃんと準備して今度じっくり説明するけど」


 あんな小さな蚊や僕の体にも設計図があって、それがあればもう一人僕が作れるってこと?

 すごいことだよ、これは!

「お願いします!」 

 僕が大きな声でそう言うのとほぼ同時に、イリカが戻ってきた。


「じゃあその内まとめとくよ」

 ヨウはそう言うと、イリカに向かって言った。

「やあ、興味ある本見つかったかい?」


 イリカは首を振ると、沈んだ顔で僕の右隣りの席に着いた。


「穢れ地って知ってます?」

 急にイリカが言った。

 何だか今日はずっと切羽詰まったような顔をしている。


「まあ、知識としては知っているけど……」「知ってる」ヨウとユウが言った。


「どんなところなんですか!」

 勢いよくイリカが聞いた。


「何かあったの?」

 ヨウが心配そうにイリカの顔を覗き込み言った。


「いぇ……ただ気になって」


「急に?」

 ヨウが一瞬疑わしそうにつぶやき、ふーっと息を吐いた。

「ここからずっと南に行った、誰も住んでいないところをさらにさらに南に行った荒れ地の向こうにあると言われている。そこはヒノメ様の恩恵の届かない見捨てられた地で、ヤバンな者達が住まう場所らしい」


「ヤバンって、どんな人達なんですか?」

 不安そうにイリカが言った。

「人を食べてしまう人がいるって本当ですか?」


「ぶっ」


 音のした方を見ると、ユウが口を押えて笑いをこらえていた。

 僕も人食いの話は聞いた事が無くてまさかと思ったけど、本当に怖そうに聞いているイリカを見て、ユウの事を何だか感じ悪いなと思った。


「人を食べるって事はないと思うよ、あんまり」

 ヨウが言った。

 あんまりって……。


「ヤバンねぇ? みんながみんなヤバンで悪い人達だとは思えないけど、馬鹿なことしてる人達も結構いると思うよ。ここと同じで」


「穢れ地に行きたい」ユウが言った。


 平坦で分からなかったけど、ユウがイリカに行きたいかたずねたんだと思った。


「え、ユウさんも行きたいんですか?」イリカが言った。


「イリカが」ユウさんがまた抑揚無く言った。


「まあ、ちょっと興味あります」イリカがとまどいながら言った。


 それを聞いて僕はぎょっとした。

 日頃モリ様から「絶対に穢れ地に行ってはいけない」と言われているから。


「ここの本って、穢れ地で作られたんですよね? 本を見ると穢れ地って色々な物があって人もたくさんいそうだし、楽しそうですよね」


 そこは僕もうすうすそうなんじゃないかと思っていた。

 でも、考えないようにしていたのに。

 いくら面白そうな物事が書いてあっても、深く想像しないようにしていたのに。


「ねぇ、ナオヤも行ってみたいよね」

 イリカがこっちを見て言った。


 ……正直言って、行けるものなら穢れ地に行ってみたい。

 『学校』って言う所で、色々学びたい。

 『昆虫の森』って言う色んな虫をたくさん集めた場所で珍しい虫をたくさん見たい。そこで働いている人と色々虫の話をしたい。

 『ソフトクリーム』って言う冷たくて甘いらしい不思議な食べ物を食べてみたい。

 でも――


「ダメだよ。そりゃぁちょとは面白そうだと思うけどさ。でもダメだよ。モリ様に怒られる」


「ふーん、本当はすっごく行ってみたいくせに。この前『昆虫の森』の本、ジーっと見てたじゃない」


「それはまあ、そうだけど……」


「楽しそうだよね。でも」ヨウが言った。

「そこで生きていくのはすごく大変らしいよ。毎年何人も何人も自分で自分を殺す人がでるらしい」


「何でそんなことするの?」驚いて僕は言った。


「さあねぇ、たくさん死ぬからね。色々な理由があるんじゃないかな」

 ヨウが肩をすくめ軽く言った。


「おかしなところ」

 僕は口に出していた。

 本ではあんなに色々な物があって楽しそうなのに、自分で死ぬ人がいるなんて。


「まあ他のところは他の決まりごとが色々あるからね。他から見たらここがおかしいと思われるかも知れないし」ヨウが言った。

「まあそんな訳で、穢れ地に行こうとは考えない方がいいよ」


 ヨウとユウはじっとイリカを見つめていた。

 僕もイリカをじっと見た。


 イリカは手元のマグカップを両手で包み、眉を寄せマグカップを見つめていた。


「そこまでの行き方を知ってる」

 唐突にユウが言った。

「必要なら言って。準備なしじゃ危険」


「ありがとうございます!」

 イリカが顔をあげユウを見て言った。


「ユウ」

 低い声でヨウが言った。


「あ、でも、行かないですよ!」

 ユウをにらむヨウを見て、あわててイリカが言った。

「ユウさんの気持ちが嬉しくてお礼を言っただけです」


 僕はほっとした。

 イリカがもし穢れ地に行ってしまったら、どうしたらいいか分からない。

 成人して誰かと夫婦になるのなら、妻はイリカしかいないと思っているのに!


 急にユウが立ち上がり「こっち」と言い、イリカの手を握り歩き出した。


「ちょっと、ちょっと!」と言いながら、ヨウも足首で引きずられるように歩き出した。

 僕もあわてて後に続いた。


 ユウはずんずん進み図書館の外に出ると、まだ少ない春の花を摘んだ。

 タンポポ、レンゲ、シロツメ草に水仙。

 ユウが手招きするから、僕達もまねて花を摘んだ。


「スズランの花がまだなのは残念」ユウがぽつりと言った。


「ユウ、スズラン好きなの?」僕は訊いた。


「そう。あげる人も好きだった」


『あげる人って誰?』と思ったけど、その内分かるかと思って、特に訊き返さなかった。

 小さな花束ができると「よし」と言って、ユウはまたイリカの手をつかんで歩き出した。


 着いたのは図書館の北側、大きな木が切り取られ少し開けた裏庭と言った感じの場所だった。

 そこに大きな四角い石が置いてある、お墓みたいな場所があった。


「よいヤバン人の墓」

 ユウがお墓の前に立ち、ぽつりと言った。


 ユウはイリカの手を離すと摘んだ花をお墓の前に置き、両手を合わせ祈るようなしぐさをした。ヨウも続いた。


 自然とイリカと僕も花を供え、ただ手を合わせた。


 穏やかな春の日が淡く辺りを包み、空飛ぶ綿毛が時折キラキラと光った。

 風がさわりと吹き、香りがさっと苦みを帯びた爽やかなものに変わる。


 ユウが墓石をしばらく見つめた後、イリカの目を見て言った。

「ブリッジを教えてくれた。優しく賢い人だった」


「その人は女の人だったんですか?」

 イリカもユウの目を見つめながら言った。


「そう」


 短い時間だったけれど見つめあうイリカとユウを見て、言葉以外にも視線か何かで僕には分からない何かやり取りをしていたように感じた。


 何でイリカは誰か聞くのではなく、性別を聞いたんだろう?

 そして何でユウはその質問に特に疑問を感じてないように肯定したんだろう?

 それに何であんな険しい目でヨウがイリカを見ているんだろう?


 僕は色々聞きたかったけれど、聞いてはいけないような気がして、そのまま黙っていた。


 その後僕らはテーブルに戻り、いつものようにトランプをした。

 

 七並べを三回やって全部ユウが勝った後、ブリッジをした。


 ブリッジは色々決まりがあって覚えるのに苦労したけれど、今日はなんとか遊ぶことができた。

 四人で二対二に分かれてやる遊びで、僕とイリカが組みになって、ヨウとユウが組んだ。


 対戦の合間にお茶を飲みお菓子をつまみ、村の様子を話したり、面白い本の話をしたりした。


 結局僕とイリカはぼろ負けだったけど、楽しい時間を過ごすことができた。

 ユウがいつにないにこにこ顔で、貴重なものを見られたような気がした。

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