第5話

五、  ニシノヤシキで〈イリカ〉


 昼食会の三日後、私はアミちゃんのヤシキ、ニシノヤシキへ来ていた。


三月終わりかけの今日は、良く晴れて澄み渡るような空色で、日差しは暖かいけど風が吹くと少し肌寒い。


 村は海に囲まれた南北に細長い形で、南に行くほど東西の海が迫り細くなっている。その細まった地のさらに南に行くと『穢れ地』がある。と言っても、私が実際に村を隅々まで歩き回ったんじゃなくて、モリ様がそう教えてくれた。


 穢れ地には、ヒノメ様の教えに従わないヤバンな人達が暮らすので行ってはいけないとモリ様や大人達に言われている。ヤバンって言葉、穢れ地を指すときぐらいにしか聞かないけれど、どういうことを指すんだろう? 前に母様に聞いた時は「さあねぇー、人として良くない行いを言うんじゃない? 人を食べてしまうとか」と言っていた。母様は適当なところがあるから、本当には丸々全部は信じてないけれど、穢れ地ってなんか怖い。


 ニシノヤシキは村の中心、おやしろから南西に一時間半ほど行ったヤシロ川の川下で海に近いところにある。

 私のヤシキはおやしろからヤシロ湖やヤシロ川を挟んで三十分程南側に歩いたところにあり、ニシノヤシキまでは大体一時間のところにある。

 おやしろからそれぞれのヤシキには、草木が刈られたきちんとした道ができている。ヤシキとヤシキの間も人の行き来が多いせいか、草を踏み分けてできたような小道ができている。


 今日ニシノヤシキに来たのはアミちゃんに頼まれたからだ。

 「今度モリ様がヤシキにいらした時、お婆様がカイ君とのことを相談して反対するだろうから、心細いから一緒に話を聞いて」と。


 アミちゃんと私は、大人達が話している客間の直ぐ近くのヤシキの外で、大きな石に座りながら聞き耳を立てている。まだ少し風が冷たいので、アミちゃんが可愛いはんてんを貸してくれた。それに、そばにあるきれいな薄紅色の乙女椿の垣根が、少しだけれど風から守ってくれている。


 窓は閉まっているけれど、アミちゃんのお婆様、アサさんの大きな声はよく聞こえる。でも、モリ様の声は聞き取り辛く、たまに聞こえない時がある。部屋にはモリ様とアサさんしかいないみたいだ。

 アミちゃんは、今日は私のヤシキに遊びに行くとヤシキの人に言ってあり、ここで話を聞いていることはよっぽどの事がない限りばれないはずだ。


「今日ヤシキにいるのは、モリ様、お婆様、母様だけだから」

 ヤシキから離れたところで、アミちゃんが今朝会って早々に教えてくれた。


 今客間から聞こえる声にアケミさんの声が入っていない。話に加わってないなら、アケミさんが急にヤシキから出てくるかも知らないから、見つからないよう注意しないといけない。今更何をすれば良いかは分からないけど。


『あけみさんの こえがしないよ』

 私は細長い木の棒でそう地面に書いた。


『おいだされたのかも』

 アミちゃんも棒でそう書いた。

『こっちのうらまでこないから たぶん だいじょうぶ』


 私はアミちゃんの顔を見てうなずいた。


 客間からはモリ様とアサさんの挨拶や近状報告の声がしばらく続いた。


「でな、今日来てもらったのは、アミの事なんじゃ」

 アサさんが言った。


「そうなんですねー」

 モリ様のいつもののんびりとした声が小さく聞こえた。


「ハイザワカイ、ほれ絶えたヤシキの子じゃあ」

 アサさんが言った。

「その子とアミが相愛のようなんじゃがな、神託を考慮して欲しいんじゃよ」


「考慮?」

 モリ様の柔らかい声が、少し硬いものへと変わった。


 春の宴では、一日目から二日目の正午までに夫になりたい男性が女性に手作りの冠(かんむり)を渡し、二日目の夜の宴に女性が受け取った冠の中から夫にしたい人の物をかぶり、それによりその年の夫をみなに表す。

 そして三日目にヒノメ様にお伺いを立てる神託をモリ様が行う。

 神託で許しを得られれば無事夫婦になれるし、得られなければ神託で示された人と夫婦にならなければならないみたいだ。

 でも今まで神託で希望通りでない夫婦が決まったことはないように覚えている。


「アミのためじゃ」

 アサさんが言った。

「カイが父では女子(おなご)は産まれん」


「アサさん、何を言っているんですか?」

 モリ様の平坦な声がした。


「わしゃずっと見てきてるんじゃよ。ハイザワが父親で女子が産まれたためしがない」


「偶然では?」


「偶然? 偶然にしては長く続き過ぎじゃ。産婆のわしを見くびるな」

 吐き出すようにアサさんが言った。

「それに他の名字の者が父親だと三人子が産まれれば大抵一人以上は女子が産まれていた」


 しばらく会話が途切れた。


 アミちゃんと私は顔を見合わせ、眉をしかめた。


「わしが子どもの頃は、ここまでハイザワは多くなかった」

 アサさんの声がした。

「それが今はどうじゃ。ハイザワの男だらけじゃ」


「そうだとしても、男の子が産まれてもよいじゃないですか?」

 柔らかいさとすようなモリ様の声が聞こえた。

「男の子も可愛いですよ」


「モリよ、ふざけておるのか? お前は何のモリなんじゃ? 村を守る『守』なんじゃなかったのか?」


「人の世には男も女も必要です。だからジンルイはここまで繁栄できた」

 静かなモリ様の声が聞こえた。

「ジンルイ? なんじゃそれは! 今の状況どう思う。これだけ女が少なければ、男がどれだけいようと、ますます人は減るばかりじゃろう」


「そう言われましてもね」


「わしはな、アミを辛い目に合わせたくないんじゃ。

 早めに跡取り娘が産まれるようにしてあげたいんじゃ。

 わしの時は中々女子が産まれなかった。

 出産は女の身を削る。

 わしゃ、一人目で髪がごっそり抜け、二人目で白目が血走り、三人目で歯が割れ、腰を悪くした。

 四人目で尻の穴がこじれ、五人目で死にかけた。

 それでも女子が産まれず、死ぬ覚悟をして、それでようやく六人目でアケミが産まれたんじゃ。

 ヤシキを絶やさぬためとはいえ、可愛いアミにまでそんな辛い目にあって欲しくないんじゃ」


 しばらく間、何も聞こえなかった。


 アミちゃんが目を伏せ、棒を動かした。

 乾いた地面に『こわい』と言う字が残った。


 今まできちんと想像をしたことがなかったけれど、私もアサさんの赤ちゃんを産んだ時の話を聞いて、怖くなってしまった。


『わたしも』とアミちゃんの字の横に書いた。


「アサさんのアミちゃんを思う気持ちはようく分かりました」

 ようやくそうモリ様の声が聞こえた。

「しかし、それ程大変な出産を覚悟するなら、なおさら愛する人との子を望むものではないのですか? 産まれてくる子が女の子でも、男の子でも」


「……別にカイと夫婦になる事を禁じとる訳ではないわ。ただ、女子を産んでからでも遅くはないじゃろ。ヤシキを絶やさぬために」


「それはアサさんの希望では?」


「アミと村のためじゃ」


「ヤシキを絶やさぬこと、女の子を成すことだけが幸せではないでしょう」

 モリ様が言った。


「子は未来じゃ。希望じゃ」

 アサさんが言った。

「自分が老いて死が近付く中で、自分の一部がこれからも育ち続いていくと言う、希望じゃ。女子が産まれないと、続いていかん」


「別に、生きていて幸せだと感じられれば、それでいいではありませんか?」

 モリ様が言った。

「私には妻も子もいませんが、それでも幸せですよ?」


「モリよ、お前の考えを否定はせん」

 アサさんが落ち着いた声で言った。

「ただ、モリとしての役割を考えろ。

 ヤシキどころか、このまま村自体が滅んでもよいと言うのか?

 ここ七年、一人も女子が産まれおらんのだぞ。

 これ以上女が減って夫になれない男が増えたら、人が減っていく事はもちろん、いつヒノメ様を無視した暴動が起きてもおかしくないぞ」


 ここでまた、沈黙が続いた。


 アミちゃんは目をつむり両手を組み、祈るような姿勢でいた。

 私も手を合わせ、モリ様の答えを待った。


「分かりました、アサさんのお気持ちはヒノメ様へお伝えしましょう。

 ですが、私はヒノメ様から神託を賜るだけですのでお忘れなく」


「モリよ、おぬしわしに借りがあるよな?」

 低くうなるようにアサさんが言った。

「イリカを産んだ女は誰だ? 父親は誰だ?」


 急に私の名が出て驚いた、それに私を産んだ人って何? 母様が産んだんじゃないの?


 アミちゃんも驚いた顔で私を見つめた。


「あやつの事は口止めされたが、穢れ地の女じゃろ? わしが村の男どもに、穢れ地にもまともな女がいると言ったら、どうなるじゃろうな?」


 沈黙が続いた。


 しばらくして、モリ様の平坦な声が聞こえた。


「……分かりました。ヒノメ様にはよくよく伝え、アミにはハイザワ以外の者を夫とするようお願いします」


 アミちゃんが絶望したように、両手で顔を覆った。


 アサさん、モリ様をおどした?

 でも酷い! モリ様もアサさんも酷い! それじゃあまるで、カイさんとは夫婦になれないみたいじゃない!

 ヒノメ様にお願いってずるじゃない! アミちゃんとカイさんの気持ちはどうなるの!


「サエジなんてどうじゃ?

 歳はちと離れているがわしの孫でアミとは従兄に当たるし、キタヤマのヤシキに後継ぎ娘もこさえておる。

 アミは成人したてだし、経験のある男の方がよいじゃろう。

 ……ただ、あいつは気が荒いからなぁ」

 勝手なことを言う弾んだアサさんの声がした。


「ヒノメ様の御心のままに」

 モリ様はもう話したくないのか、そっけなく言った。

「もう失礼します」


「ああ、今日はわざわざすまんな。よろしく」

 アサさんが言った。

「御心のままに」


 モリ様が客間を出てアケミさんやお爺さんに挨拶するのを聞きながら、アミちゃんと私はあわてて縁の下に身を隠した。


 薄暗い縁の下で見たアミちゃんのほおは、たくさんの涙でぬれていた。

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