第4話

四、 昼食会〈イリカ〉


 今日はアケミさんとアミちゃんを招いて、うちで昼食会をする日だ。

 母様も張り切って料理をしている。

 鶏の丸焼きにじゃがいもと人参の付け合わせ、菜の花のお浸し、お鍋にお結び、サラダ、デザートに干しブドウとイチジクのケーキまで焼いている。

 しかも、これからリンタお兄ちゃんがカニやウニなどの海の幸を持ってきてくれるみたいだ。

 お刺身なんて滅多に食べられないから、今から楽しみ!


 アミちゃんと私は、私が赤ちゃんの時からの友達だ。

 母様が言うには、私が産まれたばかりの時、二才だったアミちゃんが私を見て「ともだち」と指をさして言ってくれたみたい。

 村には歳が近い女の子が少ないし、とても大切な友達だ。それにお兄ちゃんと同い年で、幼馴染でもある。

 アケミさんはアミちゃんの母様で、私の母様の友達だ。歳は私の母様が四十九才で、アケミさんはそれより少し下みたい。アケミさんのお母様、アミちゃんのお婆様と一緒に村で産婆をしている。


「イリカ、ちょっとカッテージチーズ作ってくれない? サラダに使いたいから」

 母様がタンポポの柔らかい葉を千切りながら言った。

「皮むき終わったらでいいから」


「はーい」

 私はじゃがいもの皮むきをしながら言った。


 皮むきが終わると私は山羊小屋で乳を搾り、また土間の台所に戻ってきた。

 かまどの鍋に一度ざるでこした乳を入れ、弱火で温め始めた。


「ハクにお乳全部飲まれてなかった?」

 戻ってきた私に母様が言った。


「チーズ分くらいは残ってたよ。もう草も上手に食べられるみたいで、そこまで飲まないみたい」


「そう、よかった」

 母様は小さな石窯をのぞき込みながら言った。


 次に母様は私のすぐ横のかまどに来てお鍋の煮え具合を確かめると、そこに白菜を加えた。


「ねえイリカ、アミちゃんって誰か好きな人いるのかしら?」

 白菜をつつきながら母様が言った。


「えーっ、知らないよ」

 どうして急にそんなこと訊くんだろう。

 少し焦って思わず嘘をついてしまった。

 本当は知っているけど、母様にでも勝手に言っていいか分からない。


「そうなの? 特に気になる人いないといいんだけれど」

 私の心の中の慌てっぷりに気が付かないのか気にしないのか、母様はそれ以上追及してこなかった。

「今年の夫婦決め、お兄ちゃんの誰かを選んでもらえないかしらね。今年も誰も夫婦になれなかったら可哀そう」


 異父も合わせて五人の兄の内、夫婦になれたことがあるのは一人しかいないし、まだ誰も子どもを産んでもらっていない。

 母様はしょっちゅう孫が欲しい孫が欲しい言ってる。

 まあ一番上の兄が三十五くらいだから、いてもおかしくないのかもしれない。


「リンタとアミちゃんってお似合いだと思わない?」


「どうかなぁ」

 一瞬、同い年だし二人とも良い人で器量良しだしお似合いかなとも思った。

 けど、アミちゃんには両想いのカイさんがいるから、多分今年は無理だと思う。

 お兄ちゃんとアミちゃんも仲はいいけど、小さい時から一緒に遊んでいるから、もう一人の妹位に思っているのかも知れない。


「あーでも、そしたらリンタが辛い目に合うかしらね……」

 母様はひとり言のように頭を振りながら言った。

「もっと年上でも夫婦になったことがない人がたくさんいるのに、成人したとたん夫婦になったりしたらねぇ。いじめられないといいけど」

 母様はたまに私に話を振っておきながら、一人でどんどん妄想していってひとり言が止まらなくなる時がある。


 しばらく頭を振り振り鍋をつっついていたけれど、ふいに私の方を向いた。

「ねぇイリカは今好きな人いるの?」


「えーぇーっとね」

 急に私のことになって慌てた。

 好きな人って言うかナオヤとは仲良しだけれど、幼馴染だし、好きかって言われたら好きだけど、友達だから好きなんで……。


「六歳位の時は、ナオヤ君と夫婦になるって言っていたけど」

 にやにやしながら母様が言った。


「そんな小さい時のこと真に受けないで! ナオヤはただの友達だよ」


「そうなの?」

 母様は信じてなさそうに小首をかしげながら言った。

「なんにしても、そろそろちゃんと考えておきなさいね。再来年にはイリカも誰かと夫婦になるんだから」


 それから母様は急に私を真っすぐ見て手をとめ、真剣な表情をした。

「でもナオヤ君が好きなら、早めに気持ちを伝えた方がいいわよ」


 母様急に何言ってるんだろう――


「こんにちはー!」

 大きな声に振り向くと、玄関にリンタお兄ちゃんが立っていた。


 まだ細いけれど、背が高く革の衣を身に着けた姿は、もう立派な狩人に見える。

 いつもの弓と矢を肩に、それに大きなかごを背負っていた。


「母様、言われた魚介獲ってきたよ」

 そう言うとお兄ちゃんはそのまま中に入り、かごを母様の側の板の間の上に置いた。


「よく来たねー、ありがとう」

 母様は嬉しそうにかごをのぞき込んだ。


「お帰り、お兄ちゃん」

 私は久しぶりに会うので嬉しく、少し気恥しくなりながら言った。

「元気だった?」


「あぁ元気だよ。俺も父さんも」

 お兄ちゃんはにっこり笑うと、私の頭をなでながら言った。


「イリカと母様は?」


「こっちも相変わらずだよ」

 照れ隠しに前髪をなで整えながら私は言った。


 母様はかごの中身をざるの上に移していた。トゲクリガニにムラサキウニに小さめだけどマダイ。

 ごちそうだ!


「まあまあこんなごちそう! 疲れたでしょう。ちょっと休んでなさい」

 母様はそう言うと、やかんに残っていたミントのお茶を茶こしを通して湯呑に入れた。


 お兄ちゃんは板の間に腰かけると、お茶をぐいっと飲み「ふーっ」と深い息をついた。

 お兄ちゃん家からヤシキまで割と近くて道もしっかりあるとはいえ、一時間はかかる。

 今朝魚介を取りに海まで行ったとしたら、かなり疲れていると思う。


「イリカ、母さんリンタの準備があるから、タイお刺身にさばいてもらっていい?」


「分かったー」


「準備ってなに!?」

 驚いたようにお兄ちゃんが言った。


 母様はお兄ちゃんの言葉が聞こえないのか気にしないのか「お願いね、カニとウニは母さんやるから」と言うと、土間でぞうりを脱ぎ板の間に上がり、さらに奥の部屋に行ってしまった。


「なんか聞いてる?」

 面倒くさそうにお兄ちゃんが訊いてきた。

 なんとなく予想がついたけれど、私は「さぁ」と首を傾げた。


 私はお乳を混ぜるのをやめ、マダイを軽く洗いまな板にのせ包丁の背で鱗とりを始めた。


「リンタ、これに着替えて」

 母様は両手で持ってきた服をお兄ちゃんに差し出した。

 服はよそいき用の手の込んだ刺繍が入った物で、母様の自信作だった。


「えー、なんで」

 嫌そうにお兄ちゃんが言った。

 嫌そうだけれど立ち上がり、一応服は受け取った。


「アケミさんとアミちゃんが来るのよ。いい所見せないと」


「いいのに、そういうの」

 眉をしかめながらお兄ちゃんが言った。

 もしかすると、お兄ちゃんは今日の詳細を知らされずに、ただ海の幸を獲ってきてとだけ頼まれていたのかもしれない。


「だめよ! 少しでもアミちゃんに気に入ってもらえるようにしないと!」


「俺に夫婦はまだ早いよ、兄さん達だってまだなのに」


「今年は難しいかも知れないけど、その先のことも考えないとね。今のうちに売り込んでおかないと」

 母様は腕を組んで言った。

「大丈夫、リンタならきっとすぐに誰かと夫婦になれるから! それとも他に好きなこがいるの?」


「いないよ、諦めてるし」

 母様の追及にうんざりしたようにお兄ちゃんは答えた。


 今村で子どもを産めそうな歳の女性は、アミちゃんも含め八人しかいない。

 対して夫婦になりたがっている男性は二百人以上いるそうだ。

 お兄ちゃんが諦めてしまってもしょうがないのかも知れない。


「だめよ、それじゃあ。頑張らないと! 母さんに孫を見せて頂戴!」


「イリカに頼みなよ、そっちの方が絶対早いって」

 お兄ちゃんはそう言うと「着替えてくるから」と言って奥の部屋に行ってしまった。


 母様がゆっくり私の方を向くと、喝を入れるように言った。

「頼んだからね! あなたが最後の希望よ!」


「えー……」

 私は包丁を止めて、なんと言おうか考えた。

 正直言って、まだ子どもどころか誰かと夫婦になる事だってあまり考えた事ない。  

 まあちょっとは、ナオヤと一緒に暮らしたらどんな感じかなぁとは思ったことはあるけど。

 でも『孫見たい』状態の母様を興奮させていいことなんてないので、とりあえず「はい」とだけ答えた。これ以上母様を刺激しないように。


「頼んだわよ!」

 母様は鼻息荒くうなずくと、料理に戻った。

 母様は普段優しくて大好きだけど、孫の事となると圧が強すぎてウッとなる。


 料理とお出迎えの準備が終わり、母様がお兄ちゃんの身支度をちょこちょこ整えているころに、アケミさんとアミちゃんがやって来た。


「こんにちはー」

 アケミさんとアミちゃんが玄関のすぐ外で言った。


「本日はお招きありがとうございます」

 そう言うと二人は軽くお辞儀をした。


「まあまあいらっしゃい。お上がりくださいな」

 母様は戸口に移動しながら、嬉しそうに二人を中に招いた。

 お兄ちゃんと私も戸口に集まり「いらっしゃいませ」と言った。


「あらーアミちゃん、今日も可愛らしいわね」

 母様がお兄ちゃんの方を向いて続けた。

「ねえ、リンタ」


「うん、可愛い」

 お兄ちゃんは堅い笑顔で、緊張したように言った。


 アミちゃんはつばの広い白い毛糸の帽子を被り、きれいな淡い藤色のワンピースを着て、大豆色のカーディガンを羽織っていた。

 アケミさんもほぼお揃いの格好で、カーディガンの色だけがさらに淡い藤色と違っているだけだった。


 アミちゃんは帽子をぬぐと軽く前髪を整えた。

 長い真っすぐな髪を両耳辺りの髪の毛だけ白い髪紐でくくり、白い形の良いあごとぱっちりとした目、ちっちゃな口と、整った顔立ちが確かにとても可愛い。


「ありがとう」

 アミちゃんははにかんで帽子で口元を隠し、小さな声で言った。


 アケミさんはかばんから布包みを取り出し、母様に渡した。

「これうちで作ったんだけど、良ければ召し上がって」


「あらあら、わざわざ来てもらったのに、なんだか申し訳ないわねぇ」

 母様は早速布袋から木箱を取り出し中身を確認した。

「あらー、白カビチーズなんて上等な物、どうもありがとう」


 たまらず母様の手元を見ると手のひら大のほわっほわの白カビに包まれたチーズがあった。

 とっても美味しそう、私の大好物だ!!

 簡単にできるカッテージチーズと違い、白カビチーズを作るのはとても手間暇かかるし、乳もたくさん必要だ。

 アケミさんとアミちゃんがいるニシノヤシキみたいな大きなオヤシキで、山羊をたくさん飼っていないと作るのが難しい。


「ありがとうございます!」

 そう言う私の声は、思わず大きくなってしまった。


「ありがとうございます」

 お兄ちゃんもほぼ同時に言った。お兄ちゃんもこのチーズは大好物だ。


 母様はちゃぶ台に移動し「さあさあ、こっちに座って」とちゃぶ台をぱたぱたと叩いて示した。

「アケミちゃんこちら、アミちゃんこちら、リンタはここに座りなさい。で私がここで、イリカはあっち」


 いつもは囲炉裏ばたに箱膳でご飯を食べているけれど、今日は囲炉裏に板を渡して閉じ、大きな丸いちゃぶ台を上に置いて座布団をしいている。

 奥の間に近い方から右回りに、アミちゃん、アケミさん、母様、私、リンタお兄ちゃんの順だ。お兄ちゃんとアミちゃんが隣り合っていて、私とお兄ちゃんが台所のある土間に近い。


 アケミさん、アミちゃん、お兄ちゃんが座ると母様は石窯の前に行き、鶏の丸焼きと付け合わせを火かき棒で引き出し、大皿に盛りつけた。私はかまどの鍋をちゃぶ台の鍋敷きの上に持って行った。


 ちゃぶ台の上には、滅多に見られないごちそうが並んでいた。

 じゃがいもや人参に囲まれたあめ色に輝く鶏の丸焼き、タイのお刺身に殻付きのウニが一人に一つ、カニがいっぱい入った鍋、菜の花のお浸しと山羊のチーズをかけたサラダ、わかめのお結びと味噌のお結びの山、デザートに干し果物のケーキ。

 全部大皿と鍋に盛られていて、それぞれの席に箸と取り皿とどんぶり、おしぼりが置いてあり、めいめい料理を好きによそりとる仕組みだ。


「ではどうぞ召し上がれ!」

 母様はみんなが座布団に座ると言った。


「いただきます」

 みんなで声がそろい、私は早速ウニに手を伸ばした。

 口に入れると、ウニ独特の濃厚な甘みと磯の香、つぶつぶとろりとした食感がたまらない!


 ふと母様を見ると、アケミさんのどんぶりにお鍋の中身をよそった後、使った菜箸とお玉をお兄ちゃんの方に向け、視線でアミちゃんによそるように言っていた。


 お兄ちゃんはお玉と菜箸を受け取ると、アミちゃんの方を向いて訊いた。

「何か嫌いな具ある?」


「ありがとう、特にないよ」

 アミちゃんはそう言うと、どんぶりをお兄ちゃんに渡した。


 お兄ちゃんはどんぶり半分くらいに野菜と汁をお玉で盛りつけると、最後に菜箸で食べやすく殻を切られたカニを山盛りにした。


「イリカは特に嫌いな物ないよな」

 お兄ちゃんがそう言って私の方に手を伸ばすので、「ないよ」と言いながらどんぶりを渡した。

 お兄ちゃんが同じようによそってくれたので、今度は私がお兄ちゃんのどんぶりに大盛でよそってあげた。次に母様のも。


「やっぱり美味しいわ~」

 アケミさんがどんぶりに口をつけて言った。

「カニの良い出汁がでて、お味噌も美味しい。やっぱりリカさんのとこの味噌は違うわ~」


「ありがとう。このカニとウニとタイ、リンタが獲ってきてくれたのよ」


「あらー、山の幸も海の幸も獲れるのね。助かるわね~」


「そうなのよ、それにリンタは優しいし、イリカの面倒もよく見てくれたし、体力もあるし、気が利くし、本当に自慢の息子なのよ」

 母様がアケミさんとアミちゃんを交互に見ながら、まくしたてるように言った。

 母様の勢いに、お兄ちゃんとアミちゃんと私はなんとも言えない顔を見合わせた。


「そうねーリンタ君と夫婦になれるこは幸せ者ねー」

 アケミさんがちらりとアミちゃんを見た後、母様に言った。


 お兄ちゃんは少し顔を赤くしながら、でもへの字口で、無言で鶏の丸焼きを切り分けていた。

 ぱりぱりでアメ色に光る皮に、あふれる肉汁がとても美味しそう。

 見ているだけでよだれがわいてくる。


 しばらくご飯を熱心に食べながら取り留めのない話が続いたけれど、母様が意を決したように口に出した。

「アミちゃん、夫婦になりたい人って決まっているの?」


 アミちゃんは表情を硬くして黙っていたけれど、しばらくして心を決めたように口を開いた。

「はい、夫婦になる約束をしている人がいます」


「リカさん、ちょっと今うちで揉めていてね。後で話すわ」

 アケミさんが慌てて、アミちゃんの言葉にかぶせるように早口で言った。

「アミ、そういうことは外で軽々しく話してはダメよ。春の宴も始まっていないのに」


 夫婦決めは、おおやけでは春の宴で行うことになっている。

 もちろんその前にヤシキ同士の根回しや個人のやり取りがある程度水面下で行われているみたいだ。

 この昼食会も多分母様が兄達を、特にリンタお兄ちゃんをアケミさん、アミちゃんに売り込むためにもたれたんだと思う。


 この様子だと、アミちゃんがカイさんと夫婦になるのをヤシキで認めてもらえてないのかも知れない。

 アケミさんの様子だと、アケミさんはアミちゃんとお兄ちゃんが夫婦になるのは良い事だと思っているみたいだ。


 基本夫婦決めは女性が男性を選ぶけれど、アミちゃんのヤシキみたいにヤシキによっては祖母や母から反対され自由に夫を選べない娘もいる。

 無理を押すと、ヤシキにはいられなくなってしまい、それはご飯を食べられないと言う事だ。


 アミちゃんは眉を寄せ、泣き出しそうな顔で下を向いた。

 可哀想……カイさんの事があんなに大好きなのに。

 会うといつもカイさんの素敵なところを夢中で話していたのに。


「アミが夫婦になりたい人となればいいと思うよ、俺は」

 お兄ちゃんがアミちゃんを見て、平らな声で言った。

「俺に夫婦はまだ早いし」


「そうなの……」

 母様は少しがっかりしたような声で言った。


 でもすぐに気を取り直したようでお兄ちゃんの方を向いて言った。

「リンタ、そんなこと言ってると、ずっと夫婦になんてなれないわよ。女の子の方が圧倒的に少ないんだから、いい子に順番待ちしていたって順番は回ってこないわよ」


「兄ちゃん達を出し抜く様な真似できない」

 ぼそりとお兄ちゃんが言った。


「出し抜くんじゃないの。選ばれるかどうかなんだから、順番なんて関係ないのよ」


「母様は女だからそう言えるけど、男は男で色々あるんだよ」

 うんざりしたようにお兄ちゃんが言った。

「アミ、なんか取ろうか?」

 話を打ち切るようにお兄ちゃんがアミちゃんに声をかけた。


 アミちゃんはアミちゃんでアケミさんに小声で怒られていたのか、はっとした様にお兄ちゃんの方を見た。

「ううん、もう大丈夫。お腹いっぱい」


 お兄ちゃんはちゃぶ台を見渡した。

 料理はほとんど無くなり、お結び一つとお鍋が少し残っている程度だった。


「じゃあお茶入れて、デザート持ってくるよ」

 お兄ちゃんはそう言って立ち上がると、土間に移動した。

 やかんにかめから水をくみかまどにのせると、急須に緑茶を入れお茶の準備を始めた。

 石窯から出して冷ましておいた長方形の干しイチジクと干しブドウのケーキを包丁で厚めに切り分け始めた。


「本当にリンタ君が夫婦になってくれれば安心なのにねぇ」

 目でお兄ちゃんを追いながら、ため息交じりにアケミさんが言った。


 アミちゃんは完全に怒った顔で、アケミさんから顔を背けていた。


「イリカちゃん、お湯が沸くまででちょっと外行かない? ハクちゃん見たいな」

 アミちゃんが言った。


「うん」

 私も場のとげとげした空気にうんざりして、アミちゃんの話に乗ることにした。


 山羊小屋に着くと、スズランとハクは遊ぶように干し草をちょいちょいかじっていた。

 途中で摘んできたシロツメクサをあげると、メーメー鳴きながら競うように食べ始めた。


 戸が閉まると同時に、アミちゃんはものすごい勢いでしゃべり始めた。

「イリカちゃん聞いて、母様もお婆様もひどいの! カイと夫婦になったらいけないって言うの!」


「ひどい! なんでダメなの?」


「跡取りの女の子を産むまではダメって……。リンタ君みたいに、父親が同じ姉か妹がいる人じゃないとダメって」

 戸惑うようにアミちゃんが言った。

「お婆様が、そう言う人と夫婦になる方が、跡取りが早くできるって。カイ君にはお姉さんも妹もいないし、絶えたヤシキで生まれたからからダメだって」


 理不尽な話に腹が立ったけれど、アミちゃんのヤシキのしきたりに口をはさんでいいのか分からなくて「そうなんだ……」とだけつぶやいた。


 アミちゃんのお婆様が女の子を産むことにこだわるのは、女性がヤシキを、ヤシキの名を継ぐので、ヤシキを存続させるために必要だからだと思う。

 ヤシキで生まれた子は、女の子はヤシキを継ぐために残り、男の子は十歳で父親の名字を名乗りヤシキを出ていかなければならない。

 男の子は父親と同じ家で一緒に暮らし同じ仕事をするか、ミツカイとなってヒノメ様に、モリ様に仕え村のためにおおやけの仕事を行う。


 カイさんが産まれたヤシキは、『絶えたヤシキ』と呼ばれることが多い。

 カイさんのお母様は娘を産まずに亡くなってしまった。

 ヤシキに女性がいなくなり、子を産み育てるヤシキとして機能しなくなって、誰も住む人がいなくなってしまった。

 大人が話をする時、あのヤシキみたいにはならないようにという場面で、絶えたヤシキと言われるのだ。


 村で一番大きく人も多いヤシキであるアミちゃんのヤシキから見たら、そんなヤシキ出身であるカイさんは縁起が悪いと思われているのかも知れない。


「でも、カイさんと夫婦になったら女の子が産まれないなんてこと、ないんじゃない?」


 アミちゃんはしばらく黙って目を右に左に動かしていた。


「ちゃんとした理由になってないよね!」

 私は大人の押し付けや決めつけにどんどん腹が立ってきた。


 アミちゃんはまだ黙っていた。

 

 しばらくして大きく息を吐くと「絶対、秘密にして欲しいんだけどね……」と心を決めたように話始めた。


「前にお婆様がお母様に話しているのが聞こえてしまったの。

『ハイザワ』が名字の男性と夫婦になった女性で、女の子を産んだ人はいないって」


「うそ……でも……」

 そう声に出ていたけれど、ハイザワが名字の父親のいる女性を記憶の中から見つけようとしたけれど、誰も思い当たらなかった。


「で、でも、女の子は母親の名字を受け継ぐから、分かり辛いだけじゃない?」

 私は自分の考えを打ち消すように言った。


 アミちゃんはゆっくり首を振って言った。

「私もそんなはずないって調べてみたの……でも、お婆様の言う通りだった」


「女の子が産まれないって……」

 呆然と口から出ていた。

「でも、そんなこと言ったら……」


「そう、村のほとんどの男性はハイザワなのよ」

 アミちゃんが言った。

「……カイ君も、ナオヤ君も」


 その後お兄ちゃんが迎えに来て、母屋でデザートを食べたけど、味をほとんど覚えていない。


 アミちゃんが言ってた事って、本当に本当なのかな。

 嘘言ってるとは思わないけど、気持ち的に受け入れられない。


 お兄ちゃんがアケミさんとアミちゃんをヤシキまで送ってから帰ると言ってヤシキを出たけれど、その後の後片付けしている間、さっきアミちゃんから聞いた言葉ばかり、繰り返し頭の中を巡っていた。

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