E5 17歳__自己嫌悪




 私は16歳になっていたらしい。

そして此処に来て1年を過ぎ、17になっても、



 私は人身売買に

駆り出される事は無く、バイヤーの診療室のベッドにいた。

人身売買以前に私には、商品として売り出す前に

治療が明白とされたからだ。




 医療器具、独特の化学薬品の匂い。

そして少し荒んだ部屋には埃や塵が静かに息を潜めている。




 「食べてごらん」




 白衣の人が持ってきたのは、お湯に浸された白米。

 これもいつもの風景だ。




 スプーン一口にしても量は知れている。

それを私は口にしても、飲み込むという事が出来なかった。

飲み込む事が出来ず、結果的に吐き出してしまう。



 恐怖でも警戒してる訳でもない。私にとって違和感なのだ。


____咀嚼し飲み込むという事が。






 不意に修道院に居た頃、

規則正しい規律した食事風景を思い出した。

遠い記憶だけれどあの頃は普通に飲食していたと思う。







 あの冷たいコンクリートの灰色の世界。



 

 その2年間、私はまともに食事を取っていなかった。




 連れて来られた最初の頃から

小さなチョコレートの欠片を食べていた。

けれどあの人から貰ったチョコレートは、“普通のものではない“。



 身体を衰弱させるの薬草を塗ったチョコレートの欠片。

此処に来て、私が食べていたそれを食べた、と言ったら

医師とバイヤーが驚いていた。




 


 たまに大きなバケツを持ってきて

座っている私に頭から水をかぶせていた。






 此処に来てから分かったのは、

同世代の人と比べると私の成長は著しく止まっていて

伸びしろがない、ということ。



 此処にきて

受ける優しさが痛い時がほとんどだ。


 けれどもそれが無条件ではなく、

利害ある無慈悲な優しさという意味に、救われた。



 こんな優しく温情めいた事をするのかなんて決まっている。

理由は、臓器を成長させないといけないから。

痩せ細ったものを取り戻さないといけないから。


 じゃないと、人身売買のものとしては機能しない。



 だからこの人達は急ぐ。



 200万のものを取り戻すどこか

マイナスになってしまったら、本末転倒。

其処に情はなく、裏ルートの犯罪と紙一重のビジネスなのだ。



 もとい、罪人の私には

そんな温情をかけられる価値もないのだと思う。

バイヤーに身を売られた事も、私自身が相応しいと思う程に。




「今日も無理か」


「____」




 こくりと頷く。

今の私は、経口輸液の点滴で生きている。

白衣の人は皿を取り上げると、

手許にある点滴を付け替えて、輸液を送る事を開始した。




 此処にきて分かった事だが

私の食べていた欠片には麻薬が塗られていたらしい。

だから焼けそうな程に胸持ちが悪かった。



白衣の人は皿を取り上げると、手許にある点滴を付け替えて、

輸液を送る事を開始した。





 名前も聞かれなかった。


 どうせ私は売られた身。

人身売買としての役目が終わり、バイヤーが金を握る事が

出来ればいい。


 そして、どの人の記憶からも消えるから、

その辺りで取り留めもない存在なのだ。





 此処に来てから2年。

ここは日本でもない。言葉で分かる。

今の私にとって不衛生さが滲む、荒れ果てた診療室が全てだ。



  けれど、私の身体機能は落ちている。


 それを思い知ったのは現は、誰かの手を借りないと

立ち上がれない事を知ったのは、身体測定の時だった。



 それは今も変わらない。

極度の栄養失調とそれを補う為に点滴を流す。






 けれど、

食事が出来なければ永遠と、この生活の繰り返しだろう。






『奴はどうだ?』

『来た時と変わらないな。経口輸液による栄養失調からは

回復を見せているが、食事は出来ない。



体重は変わらないままだ。背は伸びたようだが………』


『毒は?』

『早めに解毒剤を流したおかげで、数値は0に近い』

『さて、この200万をどうするのか』




 医師とバイヤーの男は、頭を抱えていた。








 闇の地下室。

割れた瓶からはアルコールの匂いが、

登っては消える虚無ような煙からは独特なタバコの匂い。

そして落とされていく無数の吸い殻。




 私は診療室にいた白衣の人に抱えられている。





 私の居場所は奥。

その途中に誰かとすれ違うのだ。



 賭け事をしている人間達だろうか、

彼らは私を一目ちらりと見て、気不味く目を逸らした。




『あれ、なんだよ……』

『惹かれたけど、あの傷痕はな………』




 今更、

 気不味い顔をされても見え、言葉も聞こえている。

 最初は荒んで不穏だった心も、もう慣れた。




 慣れる事は、私の特技と言えようか。



 綺麗事では生きていけない。






 私は不衛生なコンクリートの上に降ろされると

足枷を嵌められ、軋む扉が動き閉ざされて、

そのまま金属音がカチャリ、と鳴り終わる。




 目の荒い、隙間がある牢屋からは、黒い大人の塊が見える。

バイヤーが行き交う情景をぼんやり見詰めながら

少女のを見てはその前で言葉を交わす。


 けれど、日本語ではないだろう。

そう言い切れるのは聞き慣れない言葉ばかりだからだ。

予想だが複数の言語が混ざるのも、人種を悟られない為の

テクニックか。







 この世界は 黒い。

毎日のように 水面下で新しい人身取引の賭け事。

ダーツやルーレットで現われた結果で物事を決める事が多い。


 奴隷として人身売買として、

拐われてきた同世代の子達は皆、

不衛生な牢屋の中に閉じ込められている。




 タバコの吸殻やそんな瓶が横に倒れ、

時に硝子の破片として あちこちに飛び散っている。

無造作に勾配の天井につけられた裸の豆電球は、


 煌々と途切れ途切れに、チカチカとともしびを燈(とも)す。



 私も診察や食事の時以外はこの檻付き牢屋にいる。

牢獄に女の子が数人が商品として見れるようになっていて


 それをどこから来たか分からない人間が

品定めするかのようにまじまじと見詰めては、

またひとりと、消えていく。




 どいつもこいつも私利私欲の欲望にまみれた、

人間の瞳は、恍惚的でギラギラと光り、

まるで生き生きとしてる獣のようだ。




 人間の皮被った外道。





 煤けた白いワンピースの裾を

持て余して、私は遊んでいた。




 絶望する事も慣れてしまった。


罪人の私が

何かを望むなんておこがましく厚顔無恥な、赦されないこと。

だからこそ、この爛(ただ)れたこの空間と環境は

私にとてもお似合いなのかも知れない。





 そう考え事に浸っていると右耳から 悲鳴が聞こえた。





「_____いやああああ」




 絶命の断末魔。

私はそれを見詰めながら、やがて蹲(うずくま)った。




 バイヤーは野蛮。

飼い主になる前に少女を試す事もある。

きっとあの子は捕まってしまったのだろうな、と思う。






 


 他国からのバイヤーによって望みは決まる。



強制労働、強制結婚、性的搾取、臓器摘出………。


 戦争や紛争、貧困を理由に、

そして金に目が眩んだ人間により売り飛ばされた先に

なにが待っているかは、飼い主の望みによって決まるだろう。




 けれど。

大概の人間は 私を見て、

何事も鳴かったように素通りしていく。


___それは、無理もない。




 私の腕や胴体は、ミミズ腫れのような痣だらけ。

そしてその上に重なるように付けた自傷の無数の傷痕が

絶え間なく残っている。



 治療法は、皮膚移植だけ。

しかし売る側も、売れるかも分からない商品に投資して

いれらない。




 消えない痛々しい痣と生傷と、

まだ栄養失調の名残りがある身体は、一目見ても


 その人の喉元から呻き声が聞こえるだけで

私を見た者は誰かに追われるように逃げていく。




 他の子は売る側による加害も加えられているようだけれど

この身体に残る無数の傷痕の影響で、

酷く私は煙たがられていた。


 此処で、私は、誰からも相手にされることはない。





 今更どうでもいい。


 けれど

この大罪を抱えた身体に罰が与えられない方が辛い。

売り飛ばされたのも納得していて、




 どうせなら、

酷く、惨く、ぞんざいに扱われてしまえばいい。

寧ろ、後戻りも出来ない程に傷付けてほしい。




 私は無価値だ。


自尊心、尊厳、意志や芯…。

それらを持つのも焦がれるのも図々しい。

どんどん身も心も穢れていくべきで、

堕ちていくのが似合っている。




 臓器摘出という名目で私は、売り飛ばされたけれど

この臓器に価値はあるのだろうか。





 私はないと思う。





 ずっとそう思っていた。



 






 けれども、常に心配事がふたつ。


それは、佐々木親子の行方だった。




 あの時、

私が全てを話せなかったせいで、

佐々木裕也はずっと逃亡犯になっている。

朋花によって、彼はずっと濡れ衣を着せられたままだ。




 とても申し訳なく思う。

もしかしたら捕まってしまったのではないか。

彼は冤罪に巻き込まれては、いないだろうか、と思う。





 そして、もうひとつは、景だった。


 あの子は見つかっただろうか。

どうしてあの子は消えてしまったのだろう。





 1月31日に重なった、3つの事。

それは偶然なのか、必然なのかは断片的な

記憶しか持たない私には分からない。



 おこがましいけれど

私が今、求めているのは『1月31日の記憶』だ。


 そのパンドラの箱を開ければ分かる。

あの人が激昂に突き動かす理由、佐々木親子の事も、




 母の事も。

皆、激情に突き動かされている。

逃亡も行方不明も激情が無ければ、人の心は動かないのだから。



 








「_____この子、いくら?」






 思いふけっていた。


だから、上から降ってきた声に気付かないままだった。




「____あんた、“朋花の娘“?」




 長く居たせいで

私にとって日本語は、もう聞き慣れない言葉になっていた。

だからワンテンポ遅れてしまったけれど、私は眉をひそめる。


____朋花の娘?




____私の肩書きは『朋花の娘』。




 誰もがそう呼ぶ。

その威力は本名を忘れる程のもの。




 一瞬、あの人かと顔を上げた。

    





 しかし私を目を丸くした。






 ワンカールスタイルの巻き。

華やかなボディラインが顕な服装はこの場にそぐわない。

派手なメイクと服装、



彼女は柵越しからまじまじと見ていた。

妖艶な舞台女優。



 この人は誰だろう。分からない。




「____言葉は分かる?」


「___」




 こくりと、頷く。

私が顔を見上げたら、相手はやっぱり驚いた顔をする。


朋花___私の母親を知っているならば…………




私の容貌を見れば……。





「こいつに興味があるのか」




 つい先程、

女の子を引きずり出したバイヤーが話しかけた。

彼女は日本語から言葉を切り替えると流暢に男と

会話している。




 どういう言葉を交わしているのか私は、分からない。




 すると、

硬い南京錠が軋む音を立てながら、柵のドアが開いた。

その意味を悟った刹那、私の口許が緩む。


 嗚呼、私もそういう番が、役割を果たす時が来たのだ。



 そう飲み込んだ時、

私は引き上げられた。






 

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