E4 16歳__懺悔
此処にきて、どれくらいの時が経過しただろうか。
春夏秋冬もなく、なんとなく肌寒い。
私はただはひとり
ただ冷たいコンクリートの灰色の世界にいる。
日付も時間間隔も分からなくなってきていた。
私が此処にいるのか。
“その意味を悟った時に、私は考えることを止めた”。
薄汚れたワンピース。
手首に着けられた輪っかの鎖と、
足首には何重にも直接巻かれた鎖が見えた。
その終着駅は見えない。
湿気の様な気怠さに私は起き上がれない。
上半身を起こすだけなのに、身体が異様に重く感じるのは
気のせいではないか。
冷たいコンクリートに横たわったまま、時折に意識を失う。
その繰り返しを此処にきて、繰り返している。
うつ伏せの私は
私はコンクリートの床をとんとんと指先で叩いた。
特に意味はない。する事がないから。
灰色の闇の世界で、変わることは何も無い。
慣れとは、恐ろしい。
私は、こうなって当然の人間なのだ。
誰から教えられたものでもないないのに
あの日の狂気から感じ取った“なにか”は
何処か常軌を逸していて獣的な人間の感情を露わにさせた。
コンクリートには
無数の深紅と闇が混ざった無数の染みがこびりついている。
最初は何もなかったけれど、この闇の深紅は、私の一部だ。
腕に広がる無数の痣や赤いミミズ腫れも慣れてしまった。
腕の痛みで起きたのは、
昨夜、傷口に己で塩を塗り重ねたからからだ。
じわじわと梅雨の湿気のように痛む腕も、
最早どうでも良かった。
私には溢れている深紅色が
悪足掻きしているようにしか見えない。
此処に来てから、あの人に『景の為』と呟き
悪魔の様な微笑みで現れては色々、試す。
赤茶色の液体。
それを毎日、口が痺れるような飲み物の味を、
私に味見させ続け私が気絶寸前に至ると容赦なく
張り手が飛ぶ。
その味は刺激的で喉が焼けて思考回路を朦朧とさせるもの。
後味が甘ったるい、どこか、未練が残る味。
そして、黒い紐で私を叩く。
人は見かけによらない。その黒い紐は威力は凄いもので
皮膚は一瞬で赤く腫れ上がり、何度も叩かれたその痣は
消えない。
時折に骨身に染みる事もある。
私を叩いているあの人は、恍惚の微笑みを浮かべながら
何処か感傷的なものだった。
そして誰もいない部屋で轟く絶叫。
『ねえ、景。見てる?
何も出来なくて辛かったよね?』
景、景の無念は私が晴らしてあげるからね。
景も辛かったでしょ?
だから景の代わりに、
この娘を私が地獄に突き落とすからね』
『ほら見てよ、私を褒めてよ……。
私が、見つけ出したの。景だって悔しいでしょう?
だから私が……復讐してあげる』
幼児退行、
その何処かは言葉は、独りよがりで子供っぽい。
けれどもう大丈夫。
私があなたの代わりに、全部、してあげるからね?』
泣き笑いながら、私を叩く。
ミミズ腫れになっていく肌を見ると恍惚な微笑みを浮かべ
とても嬉しそうだ。
そしてどこかしら感傷的なの独特の尾を引く。
けれどもあの人は『私を叩いている時は幸せそう』だった。
その言葉は盲目的に、何処か恍惚じみている。
冷たいこの世界では言葉は届かない代わりに
厳冬のような虚無感だけが、横たわる。
あの人が何故、私を叩くのかは分からないけれども
あの日、あの狂気を思い出すと何事にも比例出来ない。
あのの激情が事を物語っていて、それを突き動かす、
きっかけがなければ、事は何も起きない。
この人を突き動かす全ては、『朋花』と『私』。
___『景』。
最初は怯えていたものも、慣れてしまうと
何も感じなくなってしまったのは、暫くの事である。
それが私の日常に成り果てていた。
この人は何者なのか。誰なのか。
その問いすら遥か彼方に追いやられてしまう程、
思考回路は、無と化した。
その言葉は盲目的に、何処か恍惚じみている。
冷たいこの世界では言葉は届かない代わりに
虚無感だけが、横たわるのだ。
私を叩いたりしている常に笑顔で、景と会話していた。
この人にとっての『景』という存在はどんなものだろう。
大切な人だとわかるけれど、
それは自己満足的な恍惚的な哀傷。
通ずる言葉すら、空気に消えてしまう。
これは機嫌が良い時だ。
鞭で叩かれる時、私は“知らない己を、知る”。
『朋花が居たから……あんたが居たから………。
景は居なくなったんじゃない、
どう落とし前をつけるつもりよ!!
母娘揃って、姑息だわ、卑怯よ…』
きっと、私は、怒られている。
なのに、私の思考は別の事を考え出す。
この人が激情的になってしまうのもやむを得ないし、
申し訳が無い。
私と母は、瓜二つだ。
だから否が応でも、私を見て母を思い出してしまうだろう。
辛くなってしまうのは当たり前で、私がそうさせてしまっている。
過去に何があったのか分からないけれども、
人を突き動かす激情と出会った時に理性という留め金は
簡単に外れてしまう。
脆く砕けてしまうのだ。
景と言われる度に、あれから申し訳なく感じた。
私と母の心中が事件とされていること、
そして佐々木裕也という人が逃亡犯になったということ。
そして佐々木景という子は、
行方不明になってしまったこと。
母が全て引き起こした出来事なのに、
全ての無関係の人が巻き込まれているのは、いかがなものか。
現にこの人だって、被害者だ。
だから。
これは受けるべき罰なのだ。
与えられる筈の罰、私はその罰を受けなければならない。
それは、自身の分と、逃げた母の分も。
けれども、どうしてだろう?
この人に与えられる罰でも物足りない、と感じて
ある日、出来たばかりの痣や傷を、
剥き出しのコンクリートに肌を擦った。
肌は引き裂かれ、コンクリートは深紅色に染まる。
手を止めてはならない、痛覚すら想う事は罪だ。
誰かが罰を与えてくれないのなら、自身で与えればいい。
細腕を引き裂いた刹那に、
涙のように溢れ出した深紅色は
上半身を起こすと下ろした腕を下るように伝う。
与えられた罰と、罰を足し算する事で
今までの感傷や、更に罰を与えられた気がした。
罰を与えられない闇の中で、それに依存し、傷痕を増やしていく。
けれども、それは、
あの人に逆鱗に触れたそうだ。
私が付けた傷痕を見てあの人は目を剥いた。
「なんで………」
その哀愁染まる表情が逆鱗に触れてしまったのだと。
反感の地雷を踏んでしまったのだと悟る。
あの人は哀愁染まる表情で、泣き笑った後___頬に衝撃が走り、身体が宙に浮いた。
胸倉を掴んだ人は、ぎろりと睨み据えている。
「あんたを傷付けるのは、私だけの特権なの!!
なのに勝手な事をしているの!?
私の特権を奪うの?』
『これは景から授かったものなの!!
私だけのものなのに……
だから___横取りしないでよ!!」
今思えば、私も、この人も壊れていた。
まるで玩具を取られた様に狂乱し、泣き喚(わめ)き出した。
罰はどうすればいい。
罪はどう背負うべきだ?
「あんたも、母親と同じ仕打ちを私にする。
おぞましい………顔だけじゃなくて
その中身まで一緒だなんて、醜くて穢らわしいわ!!」
その通りだ。
母も狂っていた。娘を忘れる程に鍵盤に陶酔していた。
そして罪なき人物に濡れ衣を着せ、自身は逃げたのだ。
そして私も狂っていた。
それに気付かなかったのは、子供だからという言い訳で
通じるものでも、許される事でもない。
だから、母と私は同罪。
犯してはいけない身勝手な過ちで、
その人とその人生を狂わせただなんて、
正気を失った人間にしか出来ない
私は、責められても、
無価値な人間であり、そうなって当然なのだ。
所詮、身体は、魂の入れ物。
ならばこの身体は、与えられた罰を飲み込むもの。
私は、独りよがりで、身勝手なものに縋(すが)っている。
そして、あの人は、景を探している。
これからも
灰色の闇で過ごしていくのだと思っていた。
そう信じて疑わなかったのかも知れない。
けれど人生は、この世界は、
その人が置かれた環境に耐えられるか、
突飛的に人を試そうとする。
『飽きた』
突然の一言だった。
どこか見限ったような瞳であの人は そう言った。
私は、開いた口が塞がらない。
どういうことだろうと思っているとあの人の後ろから
サングラスをかけた、スーツ姿の人が入ってきた。
ブラウンのサングラス。
高級なスーツに重ねてつけている金属が独特の音を鳴らす。
その人は私の前でしゃがみ込むと まじまじと見ている。
無精髭と顕な額には抉れたような傷跡。
一目見ただけで危機感を与えるような存在だった。
煙たい香りが威圧的だ。
『この子は、いくらで売れるの?』
売るとは、は何だろう。
目の前の人は立ち上がると腕を組み『200万』と言った。
あの人は怒り出す。安いと。
『生きている人形の様な美人だな。
人身売買にはもったいない。
ただこの傷痕がな………それが 減点対象だ』
淡々と告げる男の人に、あの人は眉間に皺を寄せた。
明らかに不機嫌そうな顔をしていて、
反射的に私に振り向くとこう言い放った。
『私は手加減をしたのに貴女が余計な傷を増やすからよ』
どういう事か解らない。
しかし、大人の話に問いかける事も出来ず、
私は音もなく頷いた。
そうだ。
全て私が悪いのだ。
『連れて行け』
その人の一言で 誰かが訪れる。
口許にガーゼが押さえつけられ、抱えられた時に
私の意識はなくなった。
次に目が覚めた時、印象的だったのは、
独特な匂いがきっかけだった。
次は冷たいコンクリートではなく
宙に浮いたような感覚の綿飴の上に眠っているようだ。
ただ感じたのは不可思議な左腕に感じたのは痛み。
無意識的に腕を上げると、
透明な管が刺さっている。白い巻物。
見た事がないと、脳が呑もうとした時、
最初、病院での記憶が横切った。
………あの時と同じだ。
あの頃の記憶が遥か遠くの事に感じられた。
此処は冷たいコンクリートでもないから、何処か慣れない。
視線だけ動かすと白い服を来た二人組が、話し込んでいる。
『この子、明らかに栄養失調だろ。
現に血管が痩せていて、血管のルートを取るのも難しかった。
それにγGTPが危険値まで上がって危ない。
まだ少女だろ?
アルコールを呑む習慣でもあったのか?』
『痣も、傷も酷い。虐待されてたんじゃないのか。
人身売買で買ったなら、まず臓器も』
その言葉に、納得した。
売り飛ばされた。
『200万』というのはそれが私の価値。
私が傷を増やさなかったら迷惑もかけず、
あの人の満足に行く値段で買われたのかも知れないのは明確。
___余計な事をしてしまった。
いや、200万なんて大金、おこがましい。
私にそんな価値はない。罪に穢れた人間に、
そんな大金は似合わない。
___だって、私は、罪人だもの。
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