E4 16歳__懺悔




  


 此処にきて、どれくらいの時が経過しただろうか。




 春夏秋冬もなく、

ただ冷たいコンクリートの灰色の世界にいる。

日付も時間間隔も分からなくなってきていた。



 私が此処にいるのか。

“その意味を悟った時に 私は考えることを止めた”。







 湿気の様な気怠さに私は起き上がれない。

上半身を起こすだけなのに、身体が異様に重く感じるのは

気のせいではないか。



 冷たいコンクリートに横たわったまま

私はコンクリートの床をとんとんと指先で叩いた。

特に意味はない。する事がないから。




 灰色の闇の世界で、変わることは何も無い。






 慣れとは、恐ろしい。



 否、私はそうなって当然の人間なのだ。




 コンクリートには

深紅と闇が混ざった無数の染みがこびりついている。  

 最初は不穏に思っていた、

腕に広がる無数の痣や赤いミミズ腫れも慣れてしまった。





 腕の痛みで起きたのは、

昨夜、傷口に己で塩を塗り重ねたからからだ。

じわじわと梅雨の湿気のように痛む腕も、 

最早どうでも良かった。



 私には溢れている深紅色が

悪足掻きしているようにしか見えない。



 


 あれから、あの人は『景の為』と呟いては、

この部屋に訪れ、私に暴力を振るうようになった。



 この人は何者なのか。誰なのか。

修道院から、あの灰色の世界から、

私を拐い、此処に連れてきた。




 此処は、灰色の闇。


 



 そして何もない。





 最初は怯えていたものも、慣れてしまうと

何も感じなくなってしまったのは、暫くの事である。



 素手は激情に溢れていて、

鞭はどこかしら感傷的なの独特の尾を引く。

けれどもあの人は『私を叩いている時は幸せそう』だった。




『景、景の無念は私が晴らしてあげるからね。

景も辛かったでしょ? 



 だから景の代わりに、

この娘を私が地獄に突き落とすからね』




『ほら見てよ、私を褒めてよ……。

私が、見つけ出したの。景だって悔しいでしょう?


だから私が……復讐してあげる』




 幼児退行、その何処かは言葉は、子供っぽい。




 その言葉は盲目的に、何処か恍惚じみている。

冷たいこの世界では言葉は届かない代わりに

虚無感だけが、横たわる。



 私を叩いたりしている常に笑顔で、景と会話していた。



 この人にとっての『景』という存在はどんなもの。

大切な人だとわかるけれど、それは恍惚的な哀傷。

通ずる言葉すら、空気に消えてしまう。


 



 


 これは機嫌が良い時だ。

鞭で叩かれる時、私は“知らない己を、知る”。




 


『朋花が居たから……あんたが居たから………。

景は居なくなったんじゃない、



 どう落とし前をつけるつもりよ!!

母娘揃って、姑息だわ、卑怯よ…』



 怒られている。


なのに、私の思考は別の事を考え出す。

この人が激情的になってしまうのもやむを得ないし、

申し訳が無い。





 私と母は、瓜二つだ。

だから否が応でも、母を思い出してしまうだろう。

辛くなってしまうのは当たり前で、私がそうさせてしまった。





 過去に何があったのか分からないけれども、

憎い敵の娘となれば憎悪の留め金なんて

脆く砕けてしまうのだ。




 あれから申し訳なく感じた。

私の母の心中と事件とされていること、




 そして佐々木裕也という人が逃亡犯になったということ。

そして佐々木景という子は、

行方不明になってしまったこと。




 母が全て引き起こした出来事なのに、

無関係の人が巻き込まれているのは、いかがなものか。

現にこの人だって、被害者だ。





 だから。

これは罰なのだ。

与えられる筈の罰、私はその罰を受けなければならない。



 それは、自身の分と、逃げた母の分も。





 けれども、どうしてだろう?





 この人に与えられる罰でも物足りない、と感じて

ある日、出来たばかりの痣や傷を、自ら引き裂いた。

痛覚すら想う事は罪だ。




 細腕を引き裂いた刹那に、

涙のように溢れ出した深紅色は

下ろした腕を下るように伝う。




 



 与えられた罰と、罰を足し算する事で

今までの感傷や、罰を与えられた気がした。

罰を与えられない闇の中で、それに依存し、傷痕を増やしていく。




 けれども、それは、あの人に逆鱗に触れたそうだ。

私が付けた傷痕を見てあの人は目を剥いた。




「なんで………」




 泣き笑い。反感の地雷を踏んでしまったのだと悟る。

頬に衝撃が走り、身体が宙に浮いた。




 胸倉を掴んだ人は、ぎろりと睨み据えている。




「あんたを傷付けるのは、私だけの特権なの!!

景から授かったものなの!! 私だけのものなのに…… 

だから___横取りしないでよ!!」







 今思えば、私も、この人も壊れていた。

まるで玩具を取られた様に狂乱し、泣き喚(わめ)き出した。





 罰はどうすればいい。

 罪はどう背負うべきだ?




「あんたも、母親と同じ仕打ちを私にするのね。

おぞましい………顔だけじゃなくて


その中身まで一緒だなんて穢らわしいわ!!」




 その通りだ。

母も狂っている。私も狂っていた。

それに気付かなかったのは、子供だからという言い訳で

通じるものでも、許される事でもない。




 だから、母と私は同罪なのだ。

犯してはいけない身勝手な過ちで、

その人とその人生を狂わせただなんて。





 私は、責められても、

無価値な人間であり、そうなって当然なのだ。




 身体は、魂の入れ物。

ならばこの身体は、与えられた罰を飲み込むもの。

私は、独りよがりで、身勝手なものに縋(すが)っている。



 そして、あの人は、景を探している。






 これからも  

灰色の闇で過ごしていくのだと思っていた。

そう信じて疑わなかったのかも知れない。




 けれど人生は、この世界は、

突飛的に人を試そうとする。




『飽きた』




 突然の一言だった。



どこか見限ったような瞳であの人は そう言った。




 私は、開いた口が塞がらない。

どういうことだろうと思っているとあの人の後ろから

サングラスをかけた、スーツ姿の人が入ってきた。



 ブラウンのサングラス。

高級のスーツに重ねて

つけている金属が独特の音を鳴らした。


その人は私の前でしゃがみ込むと まじまじと見ている。





 無精髭と顕な額には抉れたような傷跡。

一目見ただけで危機感を与えるような存在だった。




『この子は、いくらで売れるの?』




 売るとは、は何だろう。

目の前の人は立ち上がると腕を組み『200万』と言った。

あの人は怒り出す。安いと。




『美人だ。人身売買にはもったいない。

ただこの傷痕がな………それが 減点対象だ』




 あの人は眉間に皺を寄せた。

明らかに不機嫌そうな顔をしていて、

反射的に私に振り向くとこう言い放った。




『私は手加減をしたのに貴女が余計な傷を増やすからよ』





 どういう事か解らない。

しかし、大人の話に問いかける事も出来ず、

私は音もなく頷いた。





 そうだ。

全て私が悪いのだ。




『連れて行け』




 その人の一言で 誰かが訪れる。

口許にガーゼが押さえつけられた時、

私の意識はなくなった。






次に目が覚めた時、印象的だったのは、

独特な匂いだった。




 冷たいコンクリートではなく

宙に浮いたような感覚の綿飴のように思う。

ただ感じたのは不可思議な左腕に感じたのは痛み。






 無意識的に腕を上げると、


 透明な管が刺さっている。白い巻物。

見た事がないと、脳が呑もうとした時、

最初、病院での記憶が横切った。



………あの時と同じだ。



 あの頃の事が遥か遠くの事に感じられた。

此処は冷たいコンクリートでもないから、何処か慣れない。

視線だけ動かすと白い服を来た二人組が、話し込んでいる。






『この子、明らかに栄養失調だろ。

現に血管が痩せていて、ルートを取るのも難しかった。

それに筋力低下、まずは___』


『痣も、傷も酷い。虐待されてたんじゃないのか。

人身売買で買ったなら、まず臓器も』





 その言葉に、納得した。


 売り飛ばされた。

『200万』というのはそれが私の価値。

私が傷を増やさなかったら迷惑もかけず、

あの人の満足に行く値段で買われたのかも。




___余計な事をしてしまった。





 いや、200万なんて大金、おこがましい。

私にそんな価値はない。罪に穢れた人間に、

そんな大金は似合わない。




___だって、私は、罪人だもの。




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