E3 14歳__あの日




 灰色の世界。目の前には、黒尽くめの人がいる。

頬杖を付き、その人は険しい面持ちでこちらを見ていた。



 ただ不意に

肩にかかるものは目視では見えないけれど、

まるで雷鳴に打たれているかのようで、

私は伏せ目でちらりと流し目をする。




 視覚野の片隅に入る、

般若の仮面を被った猛獣に、私は息を飲んだ。




『証人を、いなくなさせる気か』





 あれから黒尽くめの人が現れ、

入れ替わるように黒尽くめの人が居た位置に女の人がいる。

ずっと睨まれている事は分かっていた。



 テーブルの上には、灰色の紙が何束も並べられている。

それに加えて、私が驚いたのはお医者さんに

差し出された、少年と男の人の写真。


 私は首を傾げる。

けれども眸(ひとみ)に揺らぐ混乱は見破られてしまっただろうか。



 

『これを見て貰えるかな』



 その声と共に差し出されたのは

『この子を探しています』という紙。

少年の顔写真と名前、特徴が書いてある。


 

 佐々木 景(ささきけい) 12歳



『そして、こちらも』





『この顔を見かけませんか』の大文字が目立つ。



 男の人は、

逃亡犯と大きい書かれ、佐々木 裕也(ささきゆうや)。

先程の少年と何処となく顔立ちが似ていた。



『この二人は親子だ。

景君は“1月31日”に行方不明になったままでね』



 1月31日。



 1.31………1.31………。


 その瞬間、息が止まりそうになる。

あの家は殺風景でピアノしかなかった。

けれど、あの日、最期のあの夜、見た数字は確か__1.31...。




『あなたと、あなたのお母さんが発見されたのも

景君が行方不明になった日も2年前の1月31日。

そして、この男はこの日から音信不通だ』


 3つの偶然は、必然なのか。運命の悪戯か。

 物事が同じ日に重なるのはあり得る話かも知れない。

 

 だが、

こんな偶然が、同じ日に、3つも重なるなんて滅多にない。




 不意に横切るのは、

この小さな町に逃亡犯になった人がいて、

行方不明になった子がいる………という噂話だった。



 世の中は広いようで狭い。

 人間関係は何処で繋がっているのか分からない。



『君は修道院に居たから、外部の情報は知らないみたいだね』

『………………』



 修道院は、何処か隔離された場所。

外部からの情報はない。



『1月31日、君はお母さんと共に見つかった。


ただ景君の行方不明や、

この佐々木裕也が音信不通になった日に起きた事だ。

私達はこの3つのに何らかの関係がある、と思っていた』



 初めて聞く話だ。

この親子も、母の事も。


『君は重篤化していて記憶喪失、と言われていたから

面会も事情聴取も出来なかった。けれどね、

証言者はもう………』

『…………私だけ、ですか』



『そうだ、此方はずっと機会を伺っていたんだよ。

けれど医師からは

記憶が曖昧で、混乱してしまったらと言われていた。

けど、此方は事件の真相解明をしないといけない』


 私達は

ずっと証言者の言葉を待っていた』



 その瞬間、何処かで、

パズルのピースが、硝子の破片が繋がるような気がした。



 病院に来ていたのは唯一生き残った私から話を聞きたい為。

修道院にお医者さんが来る日、修道院の前で待っていたのも、

その為に、ずっといたのだ。



 もしかして、痺れを切らして来るようにしたのか。



 もしかしたら、私から言葉を伺える機会ではないか、と。

あの日、お医者さんが見せたこの親子の写真は

この人が懇願していたとしたら頷ける。



 全てはゼンマイ仕掛けのように、仕組まれていた計画。


 この2年間、

私が母の事について、“あの日”について、話す為に。

ずっと待っていた。 




『…………私は、』

『………あの日の事を教えて貰えるかな。

君は何を見た? 何をされた?』 

 


 伏せていた顔を、私は顔を上げた。



『……何をですか?』

『佐々木裕也についてだ、あの日、君と君のお母さんは

佐々木裕也に何かされたんだろう?』



『____違います』



 私でも驚く程の大きな声。

黒尽くめの人も、女の人も、目を見開いていた。

あの日、母以外に誰かがいたという記憶はない、確かに誰もいなかった。



 苦しい蒸し暑さ。

深紅のワインのように広がる血溜まり。

あの夜、誰かがいたとは思えない。あり得ない話なのだ。


 母は自身の箱庭に、ピアノ以外に、絶対に入らせなかった。

否。入れなかった。入れないような独特の世界観があるのは

記憶も、自分自身もない私が、唯一断言出来る。



『__あの日は、母と私だけ、でした。

他に誰もいません………。この人もこの子も知りません。

無関係な人です』



 この逃亡犯と言われる人も、

行方不明になった少年も無関係だ。

けれども腕を組んだまま、黒尽くめの男の人はぎろりと睨みを据えている。



『___本当にそう言えるか。

君は記憶喪失と言っているけれど、この親子と、

君のお母さん、君は同じ敷地内に建てられた別々の平屋建てにいた。



 なら、行方不明の景君とも面識はある筈だ。

佐々木裕也とも。


距離は数メートルとしか空いていない。

それに佐々木裕也の消息と、景が行方不明、君達母娘の____』



 思考が渦を巻く。

分からない。1月31日に起こった3つの出来事が、共通点が。

疑われるのは、疑うのは、無理もないけれども、

この親子は無関係だと思う。面識もない。



 それだけは、記憶がなくとも、譲れなかった。



『____私と、母は、心中しました』



 黒尽くめの人は、目を見開いていた。


 心中。

きっと前に読んだ本のストーリーを思い出した。

ある事に悲観に暮れた母と娘が、心中という道を選ぶ話。





 それらはデジャヴのように重なっていた。

 その本には『心中』と書かれてあった。


 きっとそうなのだ。

母が起こしたあの日は、心中だろう。



_____その瞬間だった。



 頬に記憶に濃い痛みが走ったのは。

それと同時に椅子に座っていた話題の身体は投げ出されたのだ。

 腫れた頬に触れたのは、

ひんやりとした冷たい無情な床だった。



『_____この嘘つきがぁ____!!』




 雷鳴か、悲鳴か、残響か。

聞き慣れてしまった罵声が脳裏に色濃く残って、

瞬間に腕を引っ張られた。





『____やめろ』



『人として価値なんて与えないわ。許さない………。

未だに幻想を盲信するなら____』



 鳩尾に落ちた衝撃から、記憶が飛んだ。









 


 気付くと、光りの差さないコンクリートに横たわっていた。

朝か夜かも、分からない。


 ボロボロの継ぎ接ぎだらけの煤けたワンピース。

そして私はぎょっとした。



 私の腕や体には、無数の、痣ががある事を。

最初、目覚めた時に不思議に思っていたけれど、

修道院にいた頃には消えていた、なかったように思う。

不意に天井に目を遣ると灰色にいくつものヒビ割れが入っている。




『____目覚めたかしら』





 心が萎縮した。

目の前には私を修道院から拐った人がいたからだ。

彼女は杞憂な眸に、微笑みを浮かべると鼻で嘲笑う。


 彼女は距離を詰めると、私の胸倉を掴んだ。



『言いなさい。あの日、あんたと、あんたの母親は……

景に何をやったの、何をさしたの!?』



 血走り、充血する窪(くぼ)んだ双眸(そうぼう)。

その下には暗雲の隈が掘り深く根付いていていた。

何かに憑依され、取り憑かれたような面持ちは、

ぞっと背筋を凍らせて、私は言葉が紡げない。



 


 



『____誰も裁きを下そうとしないなら

私が、あんたに地獄に突き落とす。



 のうのうと生きているなんて誰かが許しても、

私が許さないんだから___人権も尊厳も、

全て壊してあげるから………。



 それが………“景の為よ”』


 景。

あの少年。

私と母が心中した日に、行方不明になった子。

その子と、この人と、私には、何か関係があるのだろうか______。

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