E2 14歳_地獄の鳥籠へ









____2年後。



 私は、14歳になっていた。

季節は切迫感のある蒸し暑い夏を越えて、涼しい風が舞い込み

庭に咲く紅葉が、色鮮やかに優雅に踊っている。





 修道院での暮らしは

とても穏やかに過ぎて、優しい箱庭のようだった。




『____貴女はとてもは優しい子ですね』




 枯れた落ち葉を箒(ほうき)で掃いていると、

ひとりのシスターに微笑まれそう告げられた。

私は少しだけ頭を落とす。





 1年が過ぎて

災害や残留によって孤児になった子ども達がいること、



 その子達とも打ち解け始めていたが、

私は何処となく心の片隅では距離を置いていた。

それは同世代の子ども達と過ごしていくうちに

私が抱いた“違和感”からである。



 私には、“自分”というものがない。




 皆は知っている。

年齢によるが孤児の中でも名前を覚えている子。

そして心理的な性格の芯、自信、自我を持っていて眩しい。



 そんな違和感だった。

対して私はどうだろうだろうか。




 名前も、誕生日も、年齢も、わからない。



 そして何より、“性格”だった。




 やがて、疑心暗鬼になり、

自分自身というものが、何処か地に足が付いていない。


 私には自分自身というものがない。



 記憶はおろか、

特別に性格に特性がある事も、秀でているところもない。

皆は以前の人格形成をそのままに、時を経過で抱く感情を

選び、それを我とする。



 自己実現、自己表現、それは

性格とその芯が確立されてこそ、自尊心として現れる。


………私にはそれがない。

感情をどう持つものか、信念とはどう描き、

私が抱くものなのか分からない。





 私に残されたのは、この身体に残った傷痕。

けれどもそれすらも、何を意味するものか説明出来ないのだ。













 私は修道院に預けられたものの、

時折にして、お医者さんが様子観察に訪れる。











 此処は小さな町だ。

宙に浮いた噂は噂でなくなる事も、皆、知っていた。

____“ある噂”を耳にしたのは、それから数日後だった。







 この町に逃亡犯がいる、という噂。

そしてもうひとつ、逃亡犯の息子は忽然と姿を消し、

行方不明になっている、というもの。








 私は修道院に預けられたものの、

時折にして、マザーという院長に連れられる日は

お医者さんが様子観察に訪れる日である。


 マザーの凛として気品溢れる面持ちや姿勢は変わらない。

その別け隔て慈悲を持つ優しい性格や抱いた芯は

揺らがない。



 そしてお医者さんが来る日は、

あの日に見た黒尽くめの男の人が来ている事も知っていた。

あの人達は修道院前に立ち竦んでいる。



 

 

 




 お医者様と交わす言葉、内容は決まっている。



 私の記憶喪失についてだ。


 お医者さんはこの2年、記憶についての質問を重ねる。

何度も何度も、本を読み聞かせるかの如く、根気強く。


 けれども

私はあの時と同じ__首を横に振るだけ。




 この場所は修道院が主体だから、

修道女の親戚の人しか施設には入られない。

だが、お医者さんはマザー………院長と親類だそうだ。


 元は此処の修道院にいたそうだが、途中で止めたという。



 ならば、

私がこの場所に預けられた理由も分かる気がした。




 記憶とも向き合う必要性を、私は重要視しなかった。

私が記憶を取り戻したところで何も変わらない。

意味するものは何処にもない。



 今日も同じ質問が始まると、思っていた私。

そんな中、お医者さんは、違う質問に身を乗り出したのだ。




「___この人は覚えていますか」




 小さな写真。

 

 其処には、

私より同い年くらいの少年が控えめに微笑んでいる。

ショートカットの穏やかな雰囲気の子だった。


 私は、少し凝視してから首をまた横に振る。



「____では、この人は」




 2枚目は、30代後半くらいの男の人だった。

先程の少年の顔立ちと何処となく似ているところがある。



 また私を首を横に振る。

当然ながら私にとって、知らない人だった。

けれども何故だろうか。ふたりの事を尋ねられた瞬間に

不思議と懐かしさを感じたのは。










『____この写真を両方ともに見せましたが、

彼女はどちらも覚えていないようです』



 医師の言葉に、黒尽くめのひとりが首を捻った。



『困るな。これでは、事件解決には結ばない。

託す望みは、この子だけなのに____』






 けれども、この時、私はまだ知らなかった。

無慈悲と滑稽で創られた世界は、



ひとつずつ螺旋階段の階段を、

1段ずつその段を外している事を__…………。











「あの女の、娘を出しさないよ!!」





 早朝。

皆、教会に祈りを捧げる為に、行動を始めた頃。



 静寂な修道院には

似付かわしい、金切り声の甲高い罵声。





 その罵声は

一瞬でその場を恐怖に、その場を瞬く間に染めていた。





 シスターの人達は

会場に居た、子ども達を避難させる為に動き始めていた。

修道長の指示で子ども達を部屋に戻そうと、小さな手を引いて

子ども達が歩き出した時だった。





「あんた、“朋花の娘”でしょ!!」




 指差しで、ホールに響き渡る絶叫。





 トモカ。




 トモカの娘。




 そもそもトモカという人は誰だろう?






 私は思考を巡らせて見るけれども、答えに辿り着かない。

人違いだろうか、と思いながらシスターに手を引かれ

歩き始めたその瞬間。



 突如、乱入してきた女性は、迷う事なく私の手首を掴んだ。



 骨が軋む程の強い力は、温かな優しいシスターとは違い、

とても痛く、何処となく威圧感を感じる。



 恐る恐る私は、振り向くと、呼吸が止まるかと思った。

目尻の釣り上がった瞳には喜色と狂気が孕んでいる。

その片隅に哀傷の虚無を残して。



 私を見て、女性は鼻で嘲笑うと、言葉を続けた。



 


『あんた、母親に生き写しじゃないの。


 間違いなく朋花の娘だわ』



『あの、止めて下さ……』


『あんたは邪魔しないでよ!!』



 繋いで手は解(ほど)かれ

突き飛ばされたシスターは壁に打ち付けられた。


 思わず痛みに顔を歪めるシスター、

唐突な現実に何も言えない私。




 ダークブラウンのミディアムヘア。細身のパンツスーツ。

その顔立ちは端正なのに、何処となく威圧感に溢れている。

この人も私の記憶にはいない人だった。




 けれど彼女は、私を知っている。


 其処で私は脳裏に母の姿が横切った。




___桜のような優しい微笑みを浮かべ、


いつでもピアノを奏でていたあの人を。




 腕は離されていない。まるで枷のようだ。


その目力には様々な感情が入り混じっていた。


狂気、威圧、哀傷___

そして“私がまだ分からない魔物が住んでいる”。




『やっと見つけた………。

自分だけ逃げて幸せなろうなんて、

絶対に許さないんだから……!!』




 あなたは、何を言っている? 何を意味している?




 思考は分からないまま、呆然としていると

そのまま強引に腕を引かれて、脚がもつれながら

連れていかれたのは、修道院から、外に止まっていた車。


 その後部座席に放り出されるように私は投げ込まれて、

うつ伏せに、倒れて伏せた姿勢になる。




 後ろから待ちなさい、と聞き慣れた声がする。




 言葉を無視して、そのまま発進した車。

狂喜に狂う程の猛スピードで走り出して、揺れる度に

私は座席から落ちて、足許の隙間に身体が投げ出される。



 でもそんな事はどうでも良かった。





 私は震えていた。女の人の言葉に。




『もう逃がしはしない………。ずっと束縛してやる……。

それが、景の為なんだから。復讐なんだから………。

やっと見つけたのよ。



景が出来なかったものを、私がやり遂げるの……。

人権があって、幸せになんてになんてさせない………。




___誰も罪を与えないなら、朋花もいないなら

私が、地獄に突き落として、不幸にさせるの!!』




 それは、独り言のような、

私に対して言っている言葉なのか。

狂喜に圧巻されて思考がままならない。




 ひとつ確かなのは、

“この人は、私の母を知っている”


そして『景の為に復讐をする』___それは何故?









『着いたわ、出て来なさい』




『……………』






 目眩がする、気持ちが悪い。動けない。






『_____っ、どこまでも生意気ね!!』






 頬に痛みを感じた。そして胸倉を捕まれ、

その充血した剥き出しの双眸(そうぼう)に私は息が出来ない。

向こうには何かの館があり、名前が書いてある。




 けれども飲み込む暇もなく、車から降ろされ、

朧気な足取りを相手の歩調に合わせるので精一杯だった。


 引き摺られる様に館に入ると、

其処は一面、灰色に染められた世界。





 


 女の人は扉をこじ開けると、私の身体をまた放り投げた。




 目眩が治まらない中

私は顔を上げると変わらない灰色の世界。

 __そして硝子窓の向こうには、“見慣れた人”に気付く。




………あれは、

修道院にお医者さんがくる時に、

現れる黒尽くめの男の人だった。



 夏の蒸し暑さを連想させる空気。

呼吸を忘れる程、緊迫した湿気のような威圧を感じて、

身体が動かなくなる。



 そんな時、垂らした前髪を掴まれた。

目の前には私を此処まで連れて書きた女の人だ。

般若の如く鬼の形相は、先程より色濃くなっていた。




 この人は誰なのだろう。


黒尽くめのあの人は、何故、いつもいるのだろう。


 



『答えなさい、朋花のこと、景のこと!!』




 血走る瞳が、喜色を映しているのは変わらない。






 答えないと、言葉にしないとと思う度に




 脳裏は急いでいる。

そして言葉はもつれ、声が出ない。

身体は急激に動悸がして、呼吸がしづらい。




 理由もなく涙が溢れてくる。




 どうして私は、こんなに……。





「被害者面してんじゃ、ないわよ!!」




 また頬を打たれた。

重ねて打たれた頬は赤く腫れ上がり始める。


 


 けれどもそんな事はどうでも良い。




「傷害罪が成立している、それ以上はやめろ」



 冷静沈着な低い声が、落ちてきた。

その声をまた鼻で嘲笑うようにあしらう。



「傷害罪? そんなの生温いわ、

というか、この娘にはお似合いなのよ!!」




 何処からか、声が聞こえる。

冷静沈着に重なる罵声は、ひとつも変わらない。




「記憶喪失なんて嘘付いてるのよ。まったく………」

「…………あの、トモカ、って誰ですか」





 実を言えば、

この時点で私は、母親の名前すら知らなかった。

朋花に、それに景、その人は誰だろう。




 すると女性は、呆れた様に大きなため息をつくと

机にあった写真を私に向かって放り投げつけた。

私は瞬間的に見開く。



____どうして、私がそこにいるの?




 差し出された写真は、私だった。

何故だろう、何故だろうと思考が緊迫し始め

金槌のような衝撃の中で

この女の人が言っていた言葉を思い出した。




『あんた、“朋花の娘”でしょ!!』



『あんた、母親に生き写しじゃないの。


間違いなく朋花の娘だわ』





 嗚呼、そうか。


 私は私を鏡で見た事はなかった。

だから知らなかったのだ。瓜二つという 言葉があるように

そして朋花という人と母娘だから似ているというのなら、

辻褄が合う事だ。



 続いて差し出されたのは 灰色の紙に黒の大文字。



『母娘、倒れた状態で見つかる』と書いてある。



 “女性と女の子は、母娘とみられる”


 “女性は搬送先にて死亡、女の子は重体”




…………これは、私と母のこと?






『やっと、本当のことを話す気になった?』


『………………』



 外道師のピエロ。

怪しい微笑み浮かべているけれど、それは嬉しそうだった。







 

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