05 ガールミーツボーイ──②
『らぽーる』端の大型店舗にずぶ濡れの二人が滑りこんだ。
店を決めたのは
大手スポーツシューズメーカーの旗艦店というだけあって、店舗も広い。
丙一は人目を気にするジゼルを試着室に押し込んで、ずぶ濡れのまま堂々とレディース服のエリアに足を踏み入れる。
スポーツタオル、ロングTシャツ、パーカー、ブラトップ、レギンス、顔を隠せるようキャップも合わせて、大きめのサイズを選んで、無造作に掴んだカゴへ入れていく。
たったの三分。
入店から会計を済ませ、ジゼルの試着室に戻るまで、電光石火の早業だった。
「とりあえず下着以外は揃えた。悪いけどセンスは期待しないでくれ」
いうが早いか、丙一はシャッ、とカーテンを鳴らして試着室を引き開ける。
「────えっ?」
スカートに手をかけたままジゼルが固まる。
上半身はキャミソールごと脱ぎ終えて、下着だけの状態で。
素肌にはまだ水滴が残っており、薄い桜色の下着は、ほのかに肌の色を透かしている。
「タオルはこれを。ほら、何をしてる」
丙一は、服があふれんばかりに詰まったショッパーからスポーツタオルを取り出すと、ジゼルに突き出した。
その平然とした様子に、ジゼルはあわあわと口を動かした。
言葉が出ない。
ジゼルの頬に一気に朱が差した。
身体は水で冷えているはずなのに、肩までも赤くなってしまいそうな勢いだ。
「……えっ、あう、ごめんなさい…………」
消え入りそうなほど小さな声。
受け取ったタオルで胸元を隠すと、水分で重くなったスカートが床にわだかまった。
もはや肌に浮いているのが水なのか汗なのかが分からなくなりながら、ジゼルは震える片手でショッパーを受け取る。
シャ、と何事もなかったかのようにカーテンが締められた。
突然のことに反応が追いつかない。ジゼルの心臓はどくどくと鳴っていた。
異性に肌を見られるのはいつ以来だろうか。
物心ついてからは記憶になく、あるとすればまだほんの子供だった頃に父と一緒にお風呂に入ったときくらいだろうか。父を異性とするのであれば、だけれども。
「……あれ、というかなんで私が謝ったんだろ」
気を取り直すように頬にぴしゃりと両手を当てると、熱が宿ってるのがわかった。
タオルで肌に残った水分をぬぐいながら、ジゼルは外の気配をうかがった。
「……あの、そこにいますか?」
「ああ。なにか足りないか?」
「いえ、それは大丈夫です。なんというか……」
少し迷って、下着も脱いでからレギンスに脚を通した。ブラトップは少し窮屈だったが、濡れた肌着から解放されたのはそれだけでありがたかった。
「さっきは本当に、ありがとうございました。その……あなたのお名前を、まだ聞いてなくて」
「そう言えば、そうだった」
Tシャツはさすがに少しオーバーサイズだったが、レギンスはほぼぴったりだった。
あとは髪さえ乾けば、外を出歩いても不本意な注目を浴びることはなさそうだ。
「丙一だ。
何かを間違えたらしい、急なたどたどしさを感じさせる自己紹介に、ジゼルはおかしさを感じて
どちらかといえば、平坦で無機質。
淡々とした声音に、懐かしいような穏やかな印象を感じるのは、どうしてなのだろう。
「なんだ、もしかして何かおかしかったか?」
「いいえ、おかしくないです」
くすくす笑うジゼルに、むう、と丙一は唸り声を漏らした。
「私は
感謝の気持ちに偽りはなかった。
「見ず知らずの私に、こんなに優しくしてくれて、すごく嬉しいです。でも、私……」
「…………」
「あれ、丙一さん?」
「……普通か?」
「え?」
「いまの俺、普通のことやってるよな?」
脈絡のない問いに戸惑いながら、ジゼルは返答を考えた。
普通、ではないと思う。
困っている人を助けることは“正しい”ことだ。けれど、だからと言って、みんながみんなそうできるわけではない。“普通”というのが世間一般で当たり前のように取られている行いだとするならば、とっさに見ず知らずの他人を助けられる人はむしろ少数派だろう。
たとえ助かる自信があったのだとしても、他人のために屋上から飛べるような人はクレイドル中を探してもそうはいないはずだ。
正しい行いと、普通のふるまいは、根本的に違うような気すらする。
でも、とジゼルは言い淀む。
命の恩人に対してかける言葉を探そうとしたところで、ついさっき試着室を覗かれたことを思い出した。
少しだけ仕返しをすることにする。
「────普通、ではないかもです」
「…………………」
「へ、丙一さん?」
しばらく待っても反応がないのを少しだけ不安に思って、ジゼルは試着室の端から顔をのぞかせた。
丙一は腕を組んで壁にもたれかかっている。
口元に手を当てたその表情は、今まさに難題を目の前に突きつけられているかのように悩ましげだ。
血管の浮いた筋張った手に視線がいってしまいそうになるのをこらえた。
「────なるほどね。分かった」
「分かった、って……?」
「もう、よく分からないってことが」
天を仰いだ丙一の後頭部が、こつんと壁にぶつかる。
あなたも十分よく分からないですよ、という言葉をのみこんで、ジゼルは服の着替えの後始末に戻った。
「丙一様」
「ああ、悪い。呼び出したりして」
「もう! 何してるのこの方向音痴は。ずぶ濡れじゃない‼ ────って」
丙一の姿を見つけて合流した3人は、丙一の陰に隠れるようにして袖を摘まんでいるジゼルの姿に気づくと目を丸くした。
「……なに、その子」
と問いかける真琴の声は低い。
スポーツキャップを目深に被ったジゼルの表情は伺いにくく、んんー?と腰に手を当てた真琴がのぞき込もうとする。ジゼルは顔をうつむけたままだ。
「こいつはジゼル。実はさっきいろいろあって、屋上で────」
「あのっ、それは……!」
ジゼルに袖を強く引かれて、丙一はジゼルと目を合わせた。
視線が、さっきのことは内密にしてほしいと訴えかけている。
「そうだな……そう、細かいところは省くが、さっきおれが声をかけた。で、一緒にいる」
「ナンパをしたということですか、丙一様?」
「あ? ああ、ナンパだ。ナンパしたら引っかかった」
「なんっ……!」
堂々と言い切る丙一に、迅真がぴゅうと口笛を鳴らした。
ジゼルは顔を真っ赤にして、キャップのつばを掴んでさらに目元を深く隠す。
「あなたねぇ。…………こっちがセーフキーパーとなんやかんやあって大変だったのに、ナンパとはいい御身分じゃない」
「俺はいいと思うぜ、何事も経験だろ」と迅真は、たった今こしらえたばかりとも知らず、ジゼルのファッションを眺めていう。
スポーツキャップにランニングウェアにも使えそうなパーカー、ジャストサイズのレギンスは形のいい脚にぴったりとフィットして、よりスポーティ印象を際立たせている。それにしては、靴が学生用のローファーなのが不釣り合いではあったが。
「しかし意外だな、てっきりお前は晶さんみたいな年上キレイ系が好きなのかと────あぼオッ‼」
迅真の脇腹に真琴の手刀がめり込む。暗殺者のごとき早業。
「別にいまはどうでもいいの、丙一くんの好みの話は! あのね丙一くん、ナンパの手際よりも先に、きみには覚えることがいくらでも────」
あれ?と真琴は、ジゼルの後頭部で結ばれた特徴的な髪色を見て気づいた。
「あなたもしかして……さっきナンパに絡まれてた子?」
「え、俺べつに絡んだりはしてな──」
「アンタじゃねーわ! 丙一くんはいったん黙ってて!」
真琴は再びジゼルの全身を確認するように視線を動かした。
「あ、あの…………?」
改めて、真琴はジゼルの顔を覗き込む。
どこか冷たく研ぎ澄まされた印象の晶とは違い、ふわりと柔らかい印象がある。顔立ちは美しく整っており、どことなく育ちの良さを感じさせる。が、目元に刻まれたクマがただ事ではない事情を訴えかけているようだった。
目じりが赤く見えるのは泣いたからだろうか、と真琴は推測する。
丙一やジゼルからうっすらと漂う消毒用塩素のにおいから、二人が単純に雨に打たれたわけではないらしいことは、容易に想像できた。
シルバーの腕輪はサイカーである証だ。
「なにか事情があって、通りかかった丙一くんが助けた、ってところか」
その呟きのような質問には答えず、ジゼルは真琴から身を隠すように丙一の陰に隠れた。
中央学区に名指しで追われているとすれば、関わってもろくなことにはならないだろう。
────中央学区。
地下に構築された学園都市クレイドルは、総面積約80,000㎢を誇る。この学園都市は真琴たちが在籍する東学区を始めとし、迅真が在籍する南学区を含め、東西南北と中央の5つに学区が区分される。物理的にはそれぞれの学区や都市空間が入り乱れるようにしてつながっているが、内部事情は学区によって大きく異なる。
中でも中央学区は異質だった。
学区と呼ばれていながら、ほかの学区とは異なり特定の学園を擁していない。その実態は
明るく透明性の高い中枢部を謳っているが、中央学区で扱われている情報はそのほとんどが秘匿され、人の出入りや研究成果の公表についても不透明な面が多いため、黒い噂も絶えない。
本来であれば中央学区がらみのトラブルには触れないほうがいいんだけど…………。
「……まぁ、困っている人を助けるのは普通だって、言ったのは私だしね」
「うん。そうだよな……真琴はそれが普通だって言うんだ。でもジゼルは……」
ぶつぶつとうわごとのように小声でつぶやく丙一のおでこに、真琴のデコピンが弾ける。
「いてっ」
「ジゼルさん、だったよね」
上目遣いに、ジゼルが真琴を見つめる。こくり、と控えめな頷き。
「あなた、誰かに追われてるよね。それはあなたが悪いことをしたから?」
ジゼルの目が見開かれる。真琴のまっすぐな目をしかと受け止めてから、ジゼルはゆっくりと視線を落とした。
見返した目は揺るぎない信念に満ちている。
「……いいえ。父の名に懸けて、私は悪いことなんて一つもしていません」
真琴は少しだけ考えるそぶりを見せてから、納得したように頷いた。
「よし! ならよかった。私はあなたを信じる。────ね、一緒に遊ぶってことでいいよね?」
「えっ、いや、わたしは…………」
振り返った真琴に、迅真はにやりと笑ってみせた。
「いいんじゃねーの? やっぱせっかくの外出だ、華やかな方がいい」
一方の晶は無表情を崩さないながらも、こともなげに言う。
「丙一様のご意思であれば、是非もありません」
不安げなジゼルに、丙一はほかの3人から見えないように、こっそりピースサインを送った。ジゼルにはそれが無性におかしく思えて、変な笑いがこぼれてしまいそうになる。
「あの黒服に追われてるんでしょ? 逃げ回るより、このまま人込みに紛れて様子を見たほうがいいと思う」
小さくささやかれた真琴の声に、ジゼルはやんわりと頷いた。
ショッピングモールでの時間は瞬く間に過ぎていった。
幼いころに母をなくし、クレイドルに来てから父は研究にかかりきりだった。こうしてショッピングモールを気ままに回るのも、ジゼルにとっては思い出せないほど久々だった。
写真映えするカラフルなスイーツに、目新しい洋服と、流行の雑貨…………店から店へと足の赴くままに立ち寄っては新鮮な反応をする丙一は、まるで初めて遊園地に来た子供のようだった。
「よう、ちょっとだけ寄ってこうぜ」
迅真が親指で指す先には、色とりどりの電飾で輝く一角があった。
「あれは?」
「ゲーセンだよ、ゲームセンター。ここいらじゃあ一番最新の機器が揃ってるって聞くぜ。なあ夜海、ゲーセンだったらいいよな?」
「うーん、まあ」
「お、ボールゲームあんじゃん! 誰か相手してくれよ」
いつになく目を輝かせる迅真に半ば引っ張られるようにして、一行は若者でにぎわうゲームセンターに向かった。
一歩足を踏み入れた途端に、色と音の洪水が周囲を包み込む。
慣れた様子の迅真や真琴とは対照的に、丙一、ジゼル、晶の3人は少しだけ面くらいながらも、二人の後をついて回った。
「嘘だろ、ゲーセン無双男ことこの俺が……!」
「渾名がダサすぎることは置いといて、悪いけど私こういうゲーム謎に強いの。普段全然やらないんだけど」
「サ、サイキック使ってねーだろうな⁉︎」
「使うわけないでしょこんなことで……」
「いやぁコレは審議モンだね! もう一回だ!」
ホログラムで投影された輪に大小さまざまのボールを通す、立体型の対戦ゲームで白熱する迅真と真琴、それを見守る晶をよそに、少し離れたクレーンゲームゾーンで丙一とジゼルはひと休みしていた。
ジゼルが覗き込むクレーンゲームの筐体には、白くふわふわな小型の人形が積まれている。
羊をモチーフにしたキャラクターらしかった。
何を考えているのかよくわからないその表情がなんだか丙一に似ている、とジゼルは思った。
「落ち着いたか?」
「ええ。みなさんに気を使わせてしまって、申し訳ないですけど……」
今度は真琴が迅真に負けたらしく、勝ち誇った迅真の笑い声と「3本勝負だから!」と食い下がる真琴のはしゃぐ声がジゼルたちのもとまで聞こえてくる。すっかり熱中した二人は、周りのことは見えていない様子だ。
「あれはどう見ても気を使ってるようには見えないけどな」
遠い目を向ける丙一がおかしくて、ジゼルは少しだけ笑い声を漏らした。
「まあ、気にしなくていい。真琴も迅馬も、変に気を使うとかあんまりない奴らだ。うん、そのはず……まだ俺も出会って一か月たってないけど」
「え、そうなんですか? てっきり私、ずっと前からお友達なのかと……」
思えば確かに、いまは四月。四月といえば、出会いの季節だ。
学校やクラスが同じになって知り合ったのかな、とジゼルは推測する。それにしてはすっかり打ち解けた雰囲気だ。
「まぁ、晶は違うけど。思えば、あいつとの付き合いはもう十年近いか」
「そ、そうですか」
ジゼルが一番気になっていたのもそこだった。
はじめに丙一のことを「様」づけで呼んでいるのを聞いたときには驚いた。
真琴や迅真の接し方からしてそこまで歳は離れていないはずだ、というのはなんとなく察せられたが、人形のように整った顔立ちと澄ました表情とがあいまって、ぐっと大人びて見えた。
晶と丙一は、一体どういう関係なのか。
────やっぱり
二人とも指輪はしていないみたいだけど、とジゼルの脳裏に疑問符が浮かぶ。
「なぁ、これどうやって使うんだ?」
聞けば丙一はクレーンゲームを触ったことも見たこともない、という。
通常であればありえない話だが、その表情にうそや誇張はなかった。ジゼルはますます丙一の過去を不思議に思いながらも、クレーンゲームのやり方を丙一に教える。
「こうか?」
「もう少し奥、ですかね。次にこっちのボタンを押すと」
「あ、止まった」
「押している間しか動かせないんです、一回止めちゃうと、あとはもう見守るだけで」
むう、と口を尖らせつつ、丙一は数度の操作ですぐに要領をつかんだ。
ジゼルが見守る中、細いアームが人形の脇に引っ掛かり、見事に排出口まで運んでいく。
「あ、取れた」
「すごい、上手ですね」
「……うーん、コレ楽しいのか? 分からんな」
「あはは……」
丙一は微妙な顔で小さな人形をつかみ上げた。
思えば、クレーンゲームに限らず、あまり感情が大きく動いている様子が丙一にはないなと思う。
しかし、完全に無感情ではないように思えた。
おいしいものを食べたり、急に大きな音が鳴るゲームで「おお……」と感嘆とも落胆ともとれない細い声を出す丙一は、牧場にいるおおらかな獣のようだ。
「アンタはどうだ、楽しいか?」
「楽しかったです。どちらかというと、真剣に人形を取ろうとしている丙一さんを見ているのが……」
「そういうもんか?」
「あ、いえ。すいません、変なことを言ってしまって……」
ジゼルは思わず頬が熱くなるのを感じて、顔をうつむけた。
「なんかアンタに似てるし、丁度いいか。これ、アンタが持っててくれ」
「え、私に……?」
俺は別に要らないしな、と丙一から羊のキーホルダーが差し出される。
「ありがとう、ございます…………」
ジゼルはキーホルダーを受け取ると、自分の胸に抱き込んで、心拍を感じる。
心が内側から暖かくなるような感覚とともに、幼いころに父にも白い羊のぬいぐるみを買ってもらったことを思い出した。
幼いころはどこへ行くにも肌身離さず持っていたあのぬいぐるみも、もはやどこかへ行ってしまった。 ぽろぽろと涙がこぼれ出した理由は、ジゼル自身にもわからなかった。
「おい、大丈夫か?」
少しずつ呼吸が乱れ、後から後から湧いてくる涙につられて嗚咽に変わっていく。
ついに膝を追ってしゃがみこんでしまったジゼルに、丙一はかける言葉を持っていなかった。
こんなとき、どうしたらいいのかがわからない。
丙一はジゼルに伸ばそうとした手をさ迷わせたまま、ジゼルと同じ視線になるようにしゃがんで、ジゼルが泣き止むまでただ黙っていた。
超機構学園都市とその地下に広がる機密領域について @parquetcube
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