第九楽章 「不協和音」

#07 違和感

【2020年10月22日】


「ところでみんな、修学旅行のお土産何がいい?」


 黒色のメトロノームのぜんまいをカチカチ回している美鈴が、他の譜面台を準備している一年生に聞いた。


「鹿児島って何があります?」

「……桜島?」

「それ食いもんちゃいます」


 顎を手に乗せ、まるで『考える人』のような体勢をとった美鈴が言うも、即座にトロンボーンのネジを調節していた祐揮がツッコむ。


 若の宮中学校の二年生は、来週の火曜日から二泊三日の修学旅行に出発する。行き先は九州方面、鹿児島県と熊本県。新幹線で終点まで行くらしい。


「でもさー、せっかく行けるならユニバとか、ディズニーとか行きたかった」

「そういえば今日授業中に先生が、なんか来年か再来年から行き先が変わるかもって…」

「え?どこに?」

「大阪と京都」


 トランペットの三番管に綿棒を通している夏琴がポツリとそう呟くと、美鈴が『ガチ?!』と食いつく。


「てことは、みんなはユニバ行けるかもってこと?えーいいなー、ずるーい」

「私、個人的にお風呂が一番重要ですかね。大浴場より、個別の部屋のお風呂に入らせてほしい」

野活野外活動、大浴場だったよね?まぁ…あれ狭かったけど」 


 窓際でチューニングをしていた舞香が振り返る。夏琴が『野活とか懐かしー』と、かなり微妙そうな顔で笑う。


 毎年四月に、若の宮中学校の一年生は野外活動やがいかつどうで、離島に一泊二日、カッター体験に行く。花音たち一年生も、半年前に行ってきたのだ。


  一年生の野外活動、二年生の修学旅行、三年生の職場体験。若の宮中学校の学年別三大行事である。


「あれ、あんま楽しくなかった。カッター体験とか、怒られた覚えしかない」

「あー、野活やかつ…」


 すると、さっきまで喋りながらもテキパキと手は動かしていた美鈴が、突然ピタリと硬直し、急に椅子に座ってうずくまり始めた。何か嫌な出来事でも思い出したのだろうか。


「ん?先輩?」


 何人かが首を傾げると、うずくまった体勢のまま顔だけ上げた美鈴が、ものすごく引き攣った笑みを浮かべる。


「野活ってさー、行動班とか部屋割りとか、全部出席番号で決めるやん?いや自分の学年はそうだったんだけど、それで一年のとき、出席番号の近くの人らがさ…若小出身の人しかおらんくて」

「えっ、まさか…」


 何かを察したのか、舞香の顔が一気に青ざめる。


 若の宮中学校は、二つの小学校から生徒が集まっている。一つは花音の母校でもある若の宮小学校。もう一つは、若中よりもっと坂道を登ったところにある、白銀山しろがねざん小学校だ。


 若小と銀小、どちらも若の宮町に存在するが、ざっくりいえば平地に住んでる子が若小、団地に住んでいる子ががね小、というイメージである。


 ただ、わざわざ山奥の団地に家を建てようと考える新婚夫婦は少ないため、銀小は一学年で生徒の数が二十名も満たないほどの、超小規模校らしい。


 そのため若中に所属する生徒の約八割が、若小から来ている。


 公立だと、どこの中学校も多少はそういう傾向があるかもしれないが、にしても若中はあまりにも顔ぶれが変わらなさすぎだろう。もはや小中一貫校みたいなものである。


 一方、銀小出身者は学年の人数が一気に増える上に、初対面のクラスメイトに囲まれることになり、新たな環境に馴染むことを余儀なくされるのだ。


 勿論、吹奏楽部でも銀小出身者は少数派で、まずここにいるメンバーだと美鈴と舞香、それとフルートで新部長の二年・坂下初音、一年・仲谷明音、パーカッションの二年・石井優歌、一年・岩河水琴が該当する。引退した三年含め、それ以外の部員は若小出身である。


「やけん、カヌー中も他の三人がずっと喋ってて、自分はひたすら漕いでるだけだったし、寝る前もみんな恋バナとかしよる中、自分だけベッド行って先に寝たんよね」 


『黒歴史すぎて記憶から消してたけど』と美鈴は重く笑う。先輩の壮絶な体験談に、うわぁ、とみんなは顔を顰める。


「えー、あの美鈴先輩が?…てか若小って、言うほどそんなアウェイ感あります?」


 夏琴が不思議そうに首をひねるも、『あるよー』と、銀小出身の舞香がため息をつく。


「若小同士で固まりすぎて、全然入れないしさ。正直、一学期くらいまでめちゃめちゃ肩身狭かった」


 舞香の疲労感いっぱいの声に、『マジそれな!』と、美鈴が興奮して机を叩き、


「なんなのあれ、『自分たちの学校です』みたいな顔してさ!銀小勢の他所者感エグかった……ん?何してんの花音」


 美鈴が視線を横に動かすと、言葉にならないうめき声を上げ、頭を抱えてうずくまっている花音の姿があった。先程の美鈴よりもよっぽど苦しそうである。


「あっ…いやっ、ちょっと昔の記憶が蘇って…ヴッ頭が…」 

 

 まるで病人のように覇気のない後輩の声に、なんかあったん?と美鈴が真顔で聞く。


 あーこれ仕方ないんすよ、と、影の方にいた響介が立ち上がる。やたらと物知りげに幼馴染を指さして、


「コイツ、若小でハブられてたんで」

「ハ、ハブ?」

「先輩の話聞いて、色々思い出したんじゃないすかね」

「虎と馬が蘇ってもうてるやん」


 きょとんとして顔を前に出した美鈴の隣で、祐揮が微妙に笑えないボケをかます。すかさず夏琴に『トラウマね』と訂正されていた。


「何、ハブって。え、いじめ?うわ、やっぱ若小怖…ってこんなこと話してる場合ちゃう!練習!」


 途端、美鈴が慌ただしく立ち上がる。花音が振り返って時計を見ると、意外と時間を喰っていた。


「前、『金管は雑談しすぎ』って怒られたばっかなのに!とりあえずお土産は火山灰でも拾って帰るとして…」

「「「えー!」」」

「アンコンの曲、やるよ!」


 流石に火山灰の件は冗談だと信じたいが、とりあえずといった様子で、各々楽器を準備し始めた。


「にしても、この曲マジでいいよね」


 花音は本人にはバレないよう、嬉々としてはしゃいでいる美鈴に羨望の念を送った。


「なんか、明るい系?カッコいいですよね」

「ホルンのメロディーがこんなにある曲なんて、滅多に無いよ!広瀬勇人さん、分かってるぅ!エイプリルリーフなんて裏打ちパラダイスだったから」

「チューバはこの曲も四分音符パラダイスですが」

「トランペットの二番なんて、一番のハモリばっかだよ。私的にはその方がいいけど。いいじゃん、チューバだってソロあるし」

「二小節な。二・小・節!」


 花音たち金管六重奏が演奏するのは、広瀬勇人ひろせはやと作曲『あの坂の向こう』だ。本番までの道のりを「坂」に例え、「坂の向こう」にある大きな喜びを仲間と共に目指す、といった意味を込めての曲名らしい。


 その名に相応しく、曲調も全面的に明るさや前向きさに振り切った作品で、華やかな音色が特徴の金管楽器には非常にマッチしている。


「えーっと、じゃあ譜読みは大体済んだと思うから、今日はまず初めから小節番号Bまで通しまーす」


 美鈴がメトロノームの針を外すと、テンポ120で針が一定の速度で動く。本来は160だが、大体最初の間はインテンポ規定速度よりもゆっくりで合わせる。


「じゃ、行きまーす。ご、ろく、ひち…」


 あ、またその謎カウント。花音は密かに眉を上げつつ、構えた楽器に息を吹き込む。


 華やかなトランペットのファンファーレで、この曲は始まる。そこを続いてホルンとトロンボーンの勇ましい主旋律が追いかけて、チューバとユーフォニアムのクレシェンドでAに突入する……


 花音がユーフォニアムをやるにあたって、一番期待していたのは、メロディーラインが吹けることだ。なんでもユーフォニアムは中低音楽器なのにも関わらず、意外と主旋律やらソロやらを担当することも多いらしく、曲によってはトロンボーンよりも活躍したりもするらしい。


 それもアンサンブルの曲となれば、それはそれは主旋律も多いはず…と花音は心躍る気持ちでいた。

 しかし、YouTube上にアップされている参考音源のコメント欄を開いて…花音は目を疑った。


『ユーフォつまんな』

『この曲はいい曲ですけど、ユーフォ全然メロディーないし目立たんです』

『ユーフォが嫌いな広瀬勇人』

『せめて1つくらいソロが欲しかった…笑 byユーフォ吹き』


 いやいやいや。花音はその場で思わず首を振った。そりゃ、あなたたちはいままでユーフォ吹きで、ソロとかバリバリやってきた立場だから、ちょっと他の曲に比べて裏の働きが多いこの曲に不満を感じただけでしょ。裏打ちパラダイスのホルンから移ったわたしからすれば、メロディーが『存在する』というだけで充分、舞い上がれるんだから!


 そう自分に言い聞かせた翌日、楽譜が配られ、花音の期待は見事に打ち砕かれた。一面に広がる八分音符と二分音符、申し訳程度のハモリ。ソロもなく、メロディーも『ぽい』のがいくつかあるものの、すべてトロンボーンやチューバに掻き消されていた。

 

 しかも、作曲者である広瀬勇人は元ホルン奏者。そのためなのか、この曲に限って、ホルンには美味しい部分が多々存在する。……うん、まあ、こういうのが、わたしのわたしたるゆえんなのだろう。花音は仕方なく自分の運命を受け入れていた。


 ……だったのだけど。花音は二分音符を吹きながら、意外と自分が楽しめていることに気がつく。


 トランペットやトロンボーンの軽やかなメロディーを、花音の静寂なユーフォニアムの音が、そっと背中に手を差し伸べるように支えている。一人で吹いていたらつまらなくても、いざ他の楽器と合わせてみると、自分にもちゃんと役割があるのだと実感して、なんだか誇らしい気持ちになれる。

 多分、その道を極めてる人って、瞬間にやりがいを感じているのだろうな。


 と、演奏を楽しんでいたのも束の間。開始直後からずっと、花音には気にかかることがあった。周囲の音を聴きながら、花音は眉を顰める。なんだろう、なんか、音が…


「え、ちょっとみんな、吹くのやめて」


 Aに入る直前、美鈴がマウスピースを口から外した。途端、みんな一斉に吹くのをやめた。


「なんか、音程変じゃない?」 


 美鈴は怪訝そうに眉を顰めながら、後輩たちを見渡す。やっぱり、と花音は内心頷く。


「……合ってなかったです?」


 夏琴が少し遠慮がちに聞くも、『いやそうじゃなくて…』と、美鈴は更に眉の皺を深くする。


「みんなが合わせられてないというか、誰かが…そう、誰か、めっちゃ音程低い人がいる」


 途端、みんなは互いに顔を見合わせる。その表情はどこか強張っていた。自分が犯人なのではないかという不安からだろう。花音も冷や汗を掻いた。


「多分、自分で音程低いとか分かんないと思うから…」


 と、美鈴は再びメトロノームのぜんまいを巻く。今度はテンポ60、ゆっくりと針が動く。基礎練やチューニングの際の速さだ。


「ちょっと今からみんな、B♭重ねていって。チューバから


 美鈴がそう言った途端、その場にいる全員の顔が青ざめた。


 皆が最も恐れるトラウマワード『一人ずつ吹いて』。他の部員の目線を一身に浴び、顧問や先輩を満足させられるまで永遠に晒し物状態が続く。


 吹奏楽部界隈では『一人ずつ』と書いて『公開処刑』と読んだりもする。


 その公開処刑が、たった今、執行されようとしていた。




 


(「謎カウント」の回はコチラ)→https://kakuyomu.jp/works/16817330663459841986/episodes/16818093074424184874


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