#06 編成決定

  若の宮中学校音楽室の備品であるユーフォニアムを初見して、まず浮かんだのは『綺麗』という単語だった。


 花音が使っているホルンは、金メッキがほぼ剝がれており、ところどころ凹みが目立つ、ボロボ…お世辞にも綺麗とは言えない年季物だ。


 美鈴のも同様で、他パートの楽器も多かれ少なかれ似たようなものだった。


 だから、凹みどころが錆汚れひとつない、一面まっさらな白銀色に光るユーフォニアムを見て、花音は思わず目を見張った。


 これ、本当にうちの貧乏中学の…同じ楽器棚に仕舞われていたのか?と疑ってしまう。


「ピカピカですね…」


「ああ、あんまり使われんかったけんかも」


「そうなんですか?」


 楽器に腕を回すとちょうど一周して、手と手が合わさった。なんだか抱き枕のように思えてくる。ユーフォの場合、楽器を『構える』より『抱きかかえる』という表現の方が合っている気がした。


「少なくとも『ユーフォ担当』みたいな人はおらんかった。一年の時のコンクールで、トロンボーンの先輩が掛け持ちしとったくらい?」


『人数少なかったけえ』と美鈴は苦く笑う。そういえば、去年は部員何人くらい居たんだろう、と花音は気になった。


 花音は入部したときは、二・三年合わせてたった六人しかいなかったが、引退した元三年(現高一)も合わせると、流石にもっと人数はいただろう。


 本音を言えば、自分が所属している部なのだから、花音は去年までのことも色々と知りたいと思っていた。だが、少し異様に思えるほど、二年生が昔の話をしたがらないため、迂闊には聞けないでいた。


 マウスピースを取り出し、手に乗せる。思っていた以上に大きくて、ホルンの豆粒みたいなそれと比べると、かなり違和感があった。


 マウスピースの大きさが違えば、当然だが接触する口の位置も違う。ホルンはちょうど唇に当たっていたが、ユーフォは口周り。それはすなわち、吹く際に使う筋肉も違ってくるということになる。


 金管なら全部同じだと思っていたのに、どうやらホルンとは色々と違うようだ。これ、吹けるかな?花音は不安に思いながらも、マウスピースだけ鳴らしてみる。


「おっ!音出たやん!」

 

 前称の通り、使う口の筋肉が全く違うため、少しやりずらさを覚えながらも、なんとかマウスピース特有の振動音を出せた。


「じゃ、楽器つけてみるか」


 これまた違った感覚だった。単純に楽器そのものが大きいため、ホルンよりもたくさん息がいる。


 開放(ピストンを押していない状態)で吹いてみると、たまたまFの音が出た。ホルンでもそうだが、Fは何かと出やすい音だ。四拍伸ばしただけで軽く息切れがする。


「え、それユーフォニアム?」


 ガバッ、と後ろから誰かに抱き付かれる。柔らかな腕に心地良さを感じながら振り返ると、トランペットを手に持っている夏琴が目を輝かせていた。


 続いて、同じ楽器を手にした美人同級生・高元たかもと舞香まいかと、トロンボーンを持ったボサボサ頭・大瀬おおせ祐揮ゆうきがやってくる。


 花音の腕の中にある物珍しい楽器に、みんな興味津々といった様子だった。


 いつもの金管パートが勢ぞろいで、花音はほっとするというか、妙な安心感を覚えた。なんだろうこの、実家に帰ってきたみたいな。


 あれ?と、美鈴が不思議そうに音楽室をキョロキョロ見渡す。


「響くんは?」


「あぁ、北上くんなら廊下で、タッキー先輩と基礎練してます」


 舞香が廊下の方を指さす。チューバとバリトンサックス。共に低音域の二人は、よく一緒に合わせている。


「花音さ、やっぱりアンコンはユーフォで出るの?っていっても私、アンコンってどんななのかよく分かってないんだけどさ」


 花音の肩に手を回しながら、夏琴がそう聞く。椅子に座っている花音は、夏琴と目を合わすために上を向きながら、『うーん』とまた曖昧に笑う。


「ユーフォでもいいんんだけど、楽器替えることになるし、ちゃんと吹けるかなって…」


 「まぁ、いけるんじゃね?音出てたし」


 えらく他人事そうに、美鈴が腕を組んで何度か頷く。途端、夏琴がぱあっと嬉しそうに笑い、


「だって!吹けるよ、絶対」


「そうかな…?」


「花音が木管行くとか寂しいし、一緒に出ようよ~」


 夏琴は幼子のように『出ようよ~』と繰り返しながら、花音の体を揺さぶる。少し酔いそうになったが、花音はユーフォニアムを持つ手を握り直し、


「じゃあ、こっちに入ろうかな…」


 気恥ずかしそうにそう言った花音に、『ほんと!?』と夏琴が目を輝かせる。舞香と祐揮も満足そうに顔を見合わせて笑う。


 ……これは、逃げじゃないよね?心の中の自分に花音は問う。


 木管の方に入りずらいと思ったから、こっちに『逃げた』わけじゃない。パートのみんなと一緒に、まだ見ぬアンサンブルコンテストとやらに出場したいと思ったから、わたしは『選んだ』んだ。


 これは決して、後ろ向きな決断などではない。自分自身にそう言い聞かせながら、花音はみんなの顔を見て微笑んだ。


「じゃあ決まりね。いつものメンバーで代り映えせん気がするけど、結束力はどこよりも強いチームになるはず」


 美鈴は自信満々に、誇らしげに笑うと、早速吹雪に報告しに行った。



【10月18日】


「ということで、全チームばっちり編成が決まったので、今から大会について詳しく説明していきます」


 花音が金管六重奏に入ると決まった翌日の部活時間、吹雪は音楽室に部員全員を集め、臨時ミーティングを開いた。議題はもちろん、12月の大会について。


「まず『アンコンって何?』っていう人も多いと思うので、その説明から。アンサンブルコンテスト、略して『アンコン』は、毎年12月か2月に行われる大会で、『冬のコンクール』とも呼ばれています。夏のコンクールと同じく金賞、銀賞、銅賞ってつくんだけど、大きな違いがいくつかあって、『部員全員で出るわけではない』んです。例えば…」


 吹雪は白のチョークを手にとると、黒板に大きな丸を一つ書き、その上に『二十人』と小さく書いた。すると今度はその大きな丸の中に小さな丸を三つ書き、それぞれに『五人』『七人』などと書く。


「全員で二十人の学校があったとして、その二十人を四人とか、五人とか、六人とかに分けて、少人数のチームとして演奏する感じです。まあ、クラスの班活動みたいなものですね。ここまでで何か質問ある人はいますか?」


 吹雪はチョークを置き、ゆっくりと室内全体を見渡す。


「はい」


 スッ、と手が一つ上がる。吹雪が『どうぞ』と促すと、天然パーマのショートカットヘアが特徴の女子が立ち上がった。


「あの、これってちゃんと出られるんですか?」


 彼女はアルトサックス担当の二年生・嶋田有愛しまだアリアだ。有愛は二学期からの転校生で、この吹奏楽部に入ったのもつい最近のこと。


有愛アリア』という自分のキラキラネームがこの世で一番嫌いらしく、一年生には『しま先輩』と呼ばせている。諸説によると、名前で呼ぶとめちゃくちゃ怒るらしい…


「みんなって、部員全員でってこと?」


「そうです。オーディションとかはしないんですか?」


「そうね、もちろんそういう学校もあるけど、うちの部は人数も少ないからね。出れる人と出れない人がいるとか、オーディションで落ちたチームは出られないとか、そういうのは全く無いから」


「……なら、いいんですけど」


 有愛は安堵したように息をつくと、元通り席につく。


 有愛は中高一貫のお嬢様学校・私立清華女子しりつせいかじょし学園がくえんからの転校生だ。清華学園は学力だけでなく部活動も盛んな学校で、特に吹奏楽部は毎年のように支部大会に出場している強豪校らしい。


 部の人数も練習の厳しさも若中とは比べ物にならないだろうし、コンクール等の大会の出場権をかけた部内争いも激しそうだ。有愛の凛とした目つきや歯切れのよい話し方からは、どことなくそれらを匂わせる。


 アンコンについて詳しく分かっていないであろう一年生は、今の有愛の話にきょとんとしている。それを見かねた吹雪が『今のはね、』と優しく微笑む。


「今のは、大会における人数制限の話。アンコンは一チームにつき三人以上八人以下って決まっている上に、ひとつの学校から出れる団体数も限られていて、広島県だと最大三チームまで。だから単純計算で、最大二十四人は出れる」


 吹雪の丁寧な説明を聞いた一年生は皆、どことなく顔が晴れやかだ。現在の若中吹部は、三年生が引退して全十六人。全く問題なく、全員が大会に出れる。


「県大会、および中大中国大会予選が、十二月の…そうね、ちょうどクリスマス辺りにあります。この後各チームの代表に楽譜を配るので、今日から本格的に練習を始めます。本番までの約二か月、みんなで切磋琢磨して頑張りましょう!」


 吹雪が声高らかに呼びかけると、音楽室には歯切れのよい返事が響いた。花音も同じように声を張り上げる。


「アンコン、頑張ろうね!」


 隣に座っている里津に、花音は小声ながらも笑顔でそう言った。


「あ、うん…」


 里津はそれだけ返すと、すぐに花音から視線を逸らす。


 別に、里津からまともな返事を貰えないなんていつものことだが、誰とも目を合わせようとせずに俯く姿からはどことなく陰鬱な雰囲気が漂っていて、花音は妙な胸騒ぎがした。

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