Custom-made Café

ツキミノ

第1話 包み隠さずアップルパイ

今日はデートの日。誰だって好きな人とのデートは好きなはずだから。

でも、憂鬱でしょうがなくて、準備してるときに逃げ出しちゃった。髪もまだ巻いてないのに。

ピンクのリボンのワンピースが揺れる。私は走る。このかわいらしい服装に似合わない走り方。陸上部のフォーム。

走って 走って 走って 

知らない町に来てしまった。

やば。帰り道が分からない。家にも帰れないし、まじでどうしよう…

そんなときふと後ろを振り返った。小さな建物があった。

青い三角屋根。ベージュのレンガ 暖かいオレンジの明かり。ドアにはきれいな文字で

「cafe」

と書いてあった。

「カフェか…」

今お金の持ち合わせもない、それに迷ってるというのに

気づけば私は吸い込まれるように、一歩一歩、店に入っていった。

中はとても不思議だった。

天井から星が吊り下げられていて、壁には何かの機械と歯車 カウンター席には小瓶が浮き、鳥かごには地球儀が入っていて、ふよふよと動いていた。全体的に青と白を基調としていて、全体的に動いていた。

カウンターの奥にはきれいな銀色の髪の女性が一人立っていた。

クラシックメイド というのかな ながい紺のドレスにドレスエプロンをつけて、瓶の中に入った水色の液体をかき混ぜている。

キレイ と自然と思った。

スプーンと瓶が触れるたび、かちゃ というきれいな音が響く。

「あの」

自然と声が出ていた。

「ここ、ってカフェですよね」

やば めっちゃはずかしい

カフェ って思いっきり書いてるのにこんなこと聞くなんて

「、ふふ」

笑われたし…

「そうですよお客さん。ここはカフェです。」

きれいすぎる ハスキーボイス。

青い 目 長い まつげ

「あ、すみません 私、この店に入ったけど その…お金持ってなくて…」

恥ずかしさが倍増した。お恵みをこうホームレスのようだ。

「す、すみません‼帰ります、ほんと、すいません」

私はお辞儀をしてそさくさとドアの近くに歩き、戸を開けた。

見たことのない景色が広がっていた。

「わ。」と声を上げた。


真っ白の空。雲じゃない。青空をそのまま白くしたような…ももいろの花が地面にずっと広がっている。さっきまでの住宅街とは大違いの景色。

風でワンピースが揺れた。冷たいけど、寒くない。

スカートの隙間を通るやわらかい風。夏と春の間特有の風。

なんでだろう。

ただ、心地いい。

目を閉じた。開いた。もっと動揺しなきゃ。«女の子»なら 焦らなきゃ。

でも、今はそれをしなくていい。見せなくていい…

私は一歩歩いた。ふわふわとした地面。こんなに気持ちいいと思ったことがない。

涙が落ちそうになったけど、花粉のせいだよ。こんなに花があるんだから。

なんだか、この花も風も、空も、心地よさも、すべて私だけのために生み出されたみたい。

自然と、ごく自然と、歩いていた。気にしない。何も気にしない。歩くときに内またにしなくていい。大股でいい。大きく口を開けて笑っていい。走っていい。寝っ転がってもいい。

もう、夢の中みたい。こんなとこなら、いいのに。全部 毎日


子供のように、野原を堪能した私は、店内に戻ってきた。

女性ー店員さんがこちらを見て、楽しそうに微笑んでいる。

「すみません、取り乱しちゃって。でも、めっちゃ気持ちよかったんです。」

女性は首を少しかしげ、

「いいんですよ。ほんと、春風が気持ちいいですね。」

と呟いた。

私は自然と席についていた。

そしてお金がないことに再び気づいた。

「あ、あの、そのお金…」

「ああ、いいんですよ。無料で。」

「えっタダ⁉」

無料のカフェなんて聞いたことがない。むしろこのおしゃれな内装、高いものが出てもいいはずだ。

「ええ。無料です。」

「で、でも」

「それが、この店の方針ですわ。」

方針。無料が方針の店。おかしなの。でも、さっきから不思議なことばかり。まあいっか。

私はふふっと笑った。

「やっと笑ってくれましたね。」

「え」

「ずっと、乗り物に酔ったような、暑苦しいような顔をなさっていたものですから。」

気づかなかった。

そんな顔、してたなんて

「お話、聞かせていただけませんか?」

「話…?」

「貴方の心にある、貴方を酔わせた原因。」

女性は笑顔を少し崩す。


目を閉じる。今までのことが目の裏に映る。ソウマトウ…?ってやつかな え 死ぬの?

あの子の顔、あの女の顔、ワンピース、退部届、ケーキ、先生の悲しんだ顔、ケータイ、貴方の

 笑顔


ドクン


頭から真っ逆さまに落ちたような衝撃が体の内部で起こる。

やだ 気持ち悪い 吐きそう、というよりすべて口から、喉から、言葉が出尽くして、、、

きえそう。 え、誰が?

とりあえず気持ちよくなりたい。このままじゃ…

「大丈夫ですか」

店員さんの声でめまいは治まった。というより、抑えた。

うつむいて、テーブルの木目を目で追う。

ポツリと、自然に言っていた。

「聞いてもらって、いいんですか…?」

「ええもちろん。それがお代の代わりですわ。」

女性は戸棚から瓶を出した。蛍光の黄色。

「炭酸、飲めますか?」

言わなきゃ と頭の奥の触角が反応する。決まった、決められた言葉を…


「はい、炭酸大好きです。」

張り付いた笑顔。テンプレート。

いつもより出来がいい。ほめてもらえるかな。

ああ また また言っちゃった。でも、もういいの。

脳が、全身が、支配されて満たされて、幸せなのかもしれないから。

店員さんが戸棚からりんごを出した。

手際よく皮をむいていく。

「りんご」

「はい。今は青森のほうでりんごが旬ですから。」

そうなんだ。全然知らなかった。

でもちょっと興味ある。

「津軽平野…」

知らぬ間に口から出ていた。

なんで?

「そうです。津軽のリンゴです。酸味がなくって、程よく甘い、スイーツにもってこいの食材です。」

店員さんは淡々と話をする。

楽しい。

こんなに今日初めてあった人との会話が楽しいなんて。

しばらく店員さんの手元を見ていた。

「さあ、話してください。」

りんごを切りながら言った。

「え、」

「お代ですよ。」

ああ。言ってみよう。聞いてもらおう。話すのだけは、得意だから。

口からすうっと出ていた。

私が今日、逃げ出すまでの、物語が。


高校に入学して、すぐに好きになった人がいた。今まで陸上一本の人生だったから、こんな感情初めてだった。2年の先輩。バスケ部に入っていて、部活に本気で取り組む、その真剣な表情に私はとりこになった。友達になった美代ちゃんにキャーキャー話をした。美代ちゃんは、私の恋を応援してくれた。ニコニコして聞いてくれた。いい友達を持ったと思う。美代ちゃんはバスケ部だったから、先輩と接触する機会は多かった。少し嫉妬したこともあったけど。

美代ちゃんは気を利かせて、カラオケをセッティングしてくれた。先輩と、その友達と、美代ちゃんと、私で。ミニスカートをはこうと思った。女の子っぽい から。

でも、筋肉のついた足が気になって、ジーンズにしちゃった。いつも通りだ。なんだか落ち着く。

こんなことなら、陸上部に入らなければよかった。こんなことで気にするなら。でも、陸上が好きで好きで。辞められなかったから、しょうがない。ジーンズで来た私を見た美代ちゃんは「なんで⁉」を連発した。「自信がないから。」そう答えた。間違ってない。

カラオケは盛り上がった。先輩とたくさんお話しできた。そこから、私は頻繁に先輩と遊ぶようになった。もう、脈あり以外何でもない。そう思えてきた。バレンタインの日、チョコと一緒に気持ちを渡した。先輩は照れながら、付き合ってくれた。ぎゅってしてくれた。

幸せだった。その時初めて下の名前で呼び合った。

おでこを合わせてくすくすと笑った。

彼には、こんな女の子と付き合いたいというのがあったという。

リボンとか、レースが似合って。自分も好きだから炭酸を一緒に飲みあえて。きれいな髪をした、THE女の子って感じの子。私はそれを目標とした。彼の‘一番好き‘になりたかったから。

自分に、彼の好きな要素を貼っていった。

リボンとフリルのお洋服を着た。動きにくいや。

レースの靴下をはいた。むずかゆい。

炭酸も飲めるように努力した。気持ち悪い。

ショートヘアから髪を伸ばして、高いお金を払って、美容院でツヤツヤストレートに。邪魔だなあ。

朝早くに起きて化粧やヘアセットをした。眠いなあ。

そして

足を細くするために、大好きでやまなかった、生きがいだった、陸上もやめた。

いろいろした。

彼の‘一番好き‘って私にとっては難しいの?たまにそう思うこともあった。ううん、ちがう。慣れないだけよ。彼のためなら。なんだって。‘一番好き‘になれるなら。

そう言い聞かせてきたけど、ボロはでる。スカートを折るのを忘れた。彼に怪訝な顔をされた。下着が可愛くなかった。ちょっと引かれたし、その後の行為はしてくれなかった。

愛されてないのかなって不安になった。

だんだん気づいてた。元の私が隠れてるだけじゃなくって、消えて行ってることに。


でも、でも、でも、でも、でも、でも、でも、でも、でも…


彼におぼれて行ってる毎日のことだった。美代ちゃんが青ざめた顔で私を呼んだ。

「すごく、辛いんだけど…」

美代ちゃんはスマホで写真を見せてくれた。

見てしまった。 焼き付いてしまった。

薄暗い部屋で、下着姿で抱き合う、女 と     先輩。

信じたくなかった。美代ちゃんも信じたくないという表情だ。

そこは、体育用具室だった。その子はバスケ部で、先輩と同じ二年。

めまいがした。これがよく見る、「浮気」か。

わたし、先輩の満足いく女の子じゃなかったんだ。

そうか。

彼の今の‘一番好き‘はこの子なんだ。

努力したところで、

私じゃないんだ。

ばかみたい。


私は、彼の‘一番好き‘を最優先した。尊重した。

だから、今あの子が彼の‘一番好き‘なら。私は、彼のために潔く消えるよ。彼から言ってくれるのを待った。別の好きな子がいるって。一か月たっても、彼は打ち明けなかった。

せめて言ってくれたらよかったのに。

やめてよ。

期待しちゃうじゃん。

まだ‘一番好き‘でいいんだって。

そして、デートに誘われた。

怖い。

私は絶対にぼろを出す。そして、

別れてしまう。

いやだ怖いよ。

会いたくないよ。 

あれ、わたし、どっちなの?



家から走り出したとき、陸上のフォームが自然と出ていた。気持ちいい。これは、消えてなかったんだ。私、やっぱり陸上が好きなんだ。

もう好きなものを尊重できるか分からないよ。

彼のこと、ほんとに好き?



気づけば涙が出ていた。全ての体の中の毒を抜き切ったようだ。

でも話しても、思い出しが激しくてより一層辛くなった。

嗚咽が漏れる。

大きな涙がまた一つこぼれる。

顔を覆う。せめて店員さんに見られないように。

「思いっきり泣いてくださってかまいませんよ。」

顔を上げた。

変わらない、凛とした声。でも温かみがある。全てを包み、甘くしているような。

「辛かったのですね。意中の人に好かれようと思うのはとても分かります。でも、そのせいで貴方を見失わないで。」

「え?」

「花畑で駆け回っていたのは、本当のあなたなのですよね。 神崎さゆりさん。」

どうして名前を…?

と聞きたかったけどなんだかどうでもいい気がした。

私をわかってくれてるんだ。悪い人ではない。

私がいいと思うなら 

それでいい。

「お待たせいたしました。」

店員さんがプレートから一つの皿を私の前に静かに置く。

その瞬間 ふわっと甘い匂いがした。

「いい匂い…」

「はい。津軽のリンゴですし、シナモンと砂糖を煮出したシロップでツヤツヤにしています。」

ほんとだ。 表面がつやつやしている。

光が反射して私の目にきらき映る。

その繊細なスイーツの名は、私ももう知っていた。



アップルパイ


それが目に映った瞬間、食欲をかきたてた。

きれいなチェック柄になった層の中にじゅわじゅわしてそうなリンゴ。

ぱりぱりの生地。

その複合体の三角形が目の前にある。

切り口すらもきれいだ。

スイーツというより、りんごを使った宝石みたい。

知らぬ間に口に出ていた。

「こんなきれいなアップルパイ、初めて見た…」

「光栄でございます。」

そういうと店員さんはにっこり笑ってカウンターの奥に入り、すぐに戻ってきた。

手にはティーポットを持っている。

「ところで神崎さん。」

「?はい」

手に持ったティーポットを軽く揺らし、わざとらしく首をかしげた。

ティーポットが カチャン と繊細な音を立てる。

「わたくしめの失態なのですが…」

店員さんは口元に手をあてる。

つられて私も指を口元にあてて、首を少しかしげる

「アップルパイに、炭酸ジュースって合うと思います?」

意表を突いた質問に、私はしばし固まった。

真剣な顔をしてティーポットと私を交互に見つめる店員さん。

私はフフッと笑った。

そうか。

私を試してるのかな店員さん。

そうだね。今度こそ言える。

「いいえ、きっと合いませんね。」

店員さんはふっと微笑み、

「でしたらミルクティーを淹れましょう。」

と楽しそうに言った。


「ええ、お願いしますね。」


ミルクティーを入れる店員さんを眺めながらふと考えた。

いつの間にこのアップルパイを作ったのだろう。

私はそんなに長く話し込んだだろうか。いや、一時間も話していないはずだ。

しかも騒音がなかった。オーブンの音も、りんごをつぶす音も。

聞こえていなかっただけ…?

窓からさっとひかりがさした。明るい。

その光は浮いている砂時計を照らした。

砂が花に変わった

その摩訶不思議な光景を見ても、私はきれいと思うだけだった。

そっか

こんなことが起きる店だもん。

知らない間にアップルパイが出来上がっていても、

変じゃないよね。


店員さんがティーポットとティーカップを持ってきた。 

どっちも白くて、黄色いお花がえがかれている。

「きれいなティーセットですね。」

「ありがとうございます。 特注ですの。」

「へえ、特注とかできるんだ。」

「望むなら、自分のものを好きな形にできる いい時代のようですね。」

私は先輩をふと思い出してしまった。

望むなら、彼女である私を、所有物である私を、好きな形に…

ぞっとした。

貴方はそんなことをしていたのね。

私は特注品だったのね。

きも

いやすぎる。貴方なんかに特注品になるのは。


私は私のために、私の本当に好きな人のために、私は私を特注する。

「いいですね。私も今度してみようかな」

「いいんじゃないですか?最近はインターネットでも結構こういうのできますし。」

この人ネットとかするんだ…

薄いブラウンの液体から細長い湯気が出る。

その前に ツヤツヤ宝石のアップルパイ。

「さ。召し上がれ。」

「いただきます。」

フォークを持つ。

横向きにさす。

サクッ

予想通りのいい音がした。

全身がその音に震えた気がした。

同じ音を鳴らして小さなサイズに切る。 

フォークに乗せて、口に運び、入れる。

サク シャク トロ

いろんな音が口の中でして、その音相応の噛み応え。

おいしい。犯罪的すぎる。

紅茶を流す。少し熱かったけど、このくらいが適温なのかな。

程よいまろやかさと不思議な風味が広がる。

炭酸なんて、合ったもんじゃない。

その繰り返しをしても、飽きないアップルパイ。

なんだか人生史上最高の物を食べている気がした。

…私こんな食レポうまかったっけ


アップルパイは、中のリンゴの良さなんて消していない。むしろ、包みつつ、りんごをより美しい宝石にしているようである。

さすが。パイ生地が原石を磨いているみたい。

私はリンゴ。このパイ生地はこのカフェ。 合わない炭酸は、貴方。

炭酸に罪はないけれど。


そうだよ。私 このカフェのおかげでより磨かれた美しい宝石になったよ。

私と合わないのが悪いわ。ごめんね 先輩。

もっと私を美しい宝石にしてくれる人がいたよ。

良さを隠さずにね。


アップルパイの残りの一口を口に入れ終え、紅茶をちびちび飲んでいると店員さんが来た。

ていうかいつの間にカウンターに行ったんだ?

「あの、本当においしかったです。こんないいものを、本当に無料でいいのですか?」

「無料ではないですよ。貴方のお話が、私のお代です。」

いつまでも不思議な方だ。 それでいいなんて。 

でも気になったことがある。

「そのお金は… どこで?材料とかの」

「お金を必要としません」

「え」

「想像です。人の話を聞いて、その人に合う食材を探す…頭で。ですから想像することで材料を得ているのです。ですのでお代はお話。これが一番私にはうれしいのです。」

「想像して…食材を出す。」

「はい。神崎さんのリンゴもこのように」

店員さんは手を出して、少し上に掲げる。

なにか赤い無数の線が手の上の空中にできたかと思えば、それは丸まり、のちに太くなり、一つのリンゴになる。

そしてそれが引力で店員さんの掌にふわっと落ちる。

ガチニュートンじゃん。

店員さんはにっこり笑ってテーブルの上に置いた。

ニセモノじゃない。正真正銘のリンゴだ。

呆然と見ていても、分かるわけはない。

「魔法…」

私は呟いて、もう一度、店員さんの顔を見て言った。

「店員さんは魔法使いなのですね。」

一瞬驚いたような顔をした店員さんだったが、腕を体の後ろに組みなおし、

「そのようですね。」

とほほ笑んだ。


私は店を出ることにした。

ドアの前で振り返った。

「ここって…もう一度来ることはできるんですか?」

店員さんは歩み寄ると私の手をそっと握った。

冷たい手。気持ちいい。

「来たいと 強く願うのならば、来れる…………と思いますよ?」

「他人事ですね。」

「だって私店員側ですし。知りませんよ」

二人は顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。

「いつか、また来ます。」

「ええ、是非。…でも、ここに来たいと願うには、悩みがないといけないのかしら…」

「え?」

悩み?

「いえ、今まで来たお客さんみな悩みがございましたから。」

悩めばたどり着くカフェ。

それを助けてくれるカフェ。

いいカフェだ。

「じゃあ…」

私はゆっくりと話し始めた。

「ニキビとか、些細なことでも悩むようにしますね。」

「いや、それは心が持たないので辞めてください。」

即答された。

「やっぱり?」と私はえへへと笑う。

私はドアノブに手をかけた。

「ありがとうございました。わたし、絶対自分のことを包み隠しません。」

「ええ、貴方の‘一番好き‘も大切にして。」

外に一歩踏み出た。


そこはもうお花畑ではなかった。昼の、住宅街だった。

私は深呼吸する。

私の‘一番好き‘はなに?

自分に問う。

答えは

美代ちゃん、 炭酸以外の飲み物、…陸上。

よし、完璧。

本当の神崎さゆり。

後ろを振り返るとそこは公園だった。

子連れの親二人が歩いていた。

「あの…道を教えていただけませんか?」


どうやらそんなに家からは離れていないようだ。

二人にお礼を言って、歩き始めた。

腕時計を見る。全然時間がたっていない。

あのカフェでの出来事は全部嘘?

私は口のアップルパイの感触を思い出す。

いや、嘘じゃない。

ほんとのほんと。



数分後、先輩は広場の噴水の前で待っていた。

スニーカーで駆け寄る。

「田辺先輩、遅くなってすみません。服に悩んでしまって…」

先輩は「ああ」と言い、スマホから顔を上げた。

「ほんとに遅刻だな…」

そこまで言い切るとぎょっとした顔を私に向けた。

「?どうしましたか?」

首をかしげても、ショートヘアーは揺れもしなかった。

「さ、さゆり…か、髪が‼」

「ああ、これですか。私が切りたかったので。」

私が右手で自分の髪をなでると、先輩はその手を乱暴に引っ張った。

「お前、なんで勝手に切んだよ⁉ 俺に言いもせず‼」

怒ってるの?

貴方

「どうして言わなきゃいけないんですか」

私は先輩の手を振りほどくと一歩下がった。

その時先輩は今日の私の全身を初めて見たようだ。

白の丈が短いパーカ

黒のジーパン

へそ出し

金のイヤリング

先輩はショックなのか驚きなのかわからないが、後ろにのけぞった。

「この前のピンクのワンピースはどうしたんだよ。せっかく俺が選んだのによ…」

勝手に決めて買わせただけよね。

「ちょっと気に入らなくて…駅中の服の募金に入れてきました。アフリカとかに行くんですって。そっちには私と違ってあんな服が好きな人もいるでしょう。」

「意味わかんねえよ…普通彼氏の好みに合わせんだろ。」

な、今からでも遅くねえって。取り返して着替えて来いって。

先輩はそんなことをあーだこーだ言っているけど、聞く耳持たん。

「ほ、ほら俺のこと一番好きなんだろ⁉ 俺もさゆりのこと好きだから…お願いだよ。ワンピース着てきてくれ。髪はまあ…許すから。」

横に立っているのがよっぽど理想な女じゃないと嫌なのかな。

てかまあ許すってなんだよ。上から目線で嫌だな

「ほんとに一番好きですか?」

「もちろんだよ。だから、な」

「これでも?」

先輩にスマホを押し付けた。昔は見たくもなかった、例の写真。

「あっ⁉なんで」

顔面蒼白。冷や汗だらだら。ウケる。

まじで浮気がばれた男じゃん。


だっせえ


「美代ちゃんに教えてもらいましたよ。」

「あいつ…」

「てなわけで貴方が一番好きなのは私じゃないですよね?だからあなたに従う必要はないと思いますが。」

「で、でもそいつは二番目だから‼さゆりが一番だから」

なんとでも言いなさい。

昔の私なら簡単に信じ込むだろうけど。今はあなたの洗脳なんて溶けたし。無意味な言い訳。

この女の先輩もかわいそ。こんな奴と…

「いいえ。貴方なんて信じません。

 別れましょう。」

「は⁉お前、俺のこと好きなくせに‼」

「…あんたのことなんてみじんも好きじゃないですよ。今は。」

「じゃあ…今は、今はだれか好きな奴いんのか⁉」

笑顔で宣言した。

「間違いない。陸上ですよ。」

あと美代ちゃん。

私は噴水を後にした。スニーカーを鳴らして。

「それじゃあね。先輩。貴方の言いなりになるのはもう嫌だから。」

後ろで先輩が何か叫んでるけど、ほとんど聞こえない。

「さゆり…どうして変わっちまったんだよ。昔のかわいいさゆりはどうしちまったんだよ…」

これは唯一聞こえた。

「なら、過去の私と付き合ってください。多分その時はまだあなた如きを好きなドアホですから。」

振り返って微笑みかけた。


スマホを取り出す。

「あ、美代ちゃん?今日暇って言ってたよね。一緒に遊ばない?」


後日のこと。

私は一枚の紙を持って、職員室に向かっていた。

「溝田先生。」

これからまた顧問になる人の机まで行った。

「神崎、どうした?」

「先生、私決めました。」

そういって入部届を差し出す。

「神崎…また入ってくれるのか。」

「はい。これからは、自分の考えで生きていくことに決めたので。」

後ろの窓からそよ風が吹いた。

ショートヘアーはみじんも揺れない。

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