第12話『死神の影』
原稿の忙しさは増していったが、ラウルはそれでも暇をつくってはアメリーの元へ通っていた。
ラウルとアメリーは何をするでもなく話して、同じ時間を共有した。最近起こった互いの些細な出来事を話したり、ラウルは恥ずかしげもなく自分の書いた本の音読をしてやったりした。
此処最近は、原稿には書いていない自作の童話を披露したりもしていた。十年前、入院していた妹アニエスにしてやったように、物語のヒロインの名前をアメリーに変えて、物語るのである。アメリーは幼い子どものように目を輝かせてラウルの話を聞いていた。アメリーに家族はなく、ラウルのように物語を語って聞かせてくれるようなひとはいなかったそうであった。
ラウルは目の前に原稿があるかのように滔々と物語を読み上げる。
「……昔々、アメリーという名前のお姫さまが、とある王国で王様である兄ラウルと共に暮らしていました。あるとき兄のラウルが謎の病気をして両方の目が見えなくなってしまいました。アメリー姫は兄の目を治す方法を探す旅に出ました。旅の途中でアメリー姫は、喉が乾いて倒れていたおばあさんに出会いました。優しいアメリー姫は持っていた水筒の水を、全部おばあさんにあげてしまいました。水を飲んだおばあさんは、自分は魔女である、と言いました。水のお礼をしたいという魔女に、アメリー姫は、謎の病で目が見えなくなってしまった兄のことを話し、兄を助ける方法を知らないかと尋ねました。魔女は水のお礼に、アメリー姫を薔薇の泉という美しい泉に連れてきてくれました。魔女が言うには、この泉の水には死者をも生き返らせる力があって、泉の水を目につければ見えない目もたちまち見えるようになる、とのことでした。アメリー姫は喜んで、空っぽの水筒に泉の水をたっぷり入れて、国に帰りました。しかしアメリー姫が国に戻ると、兄のラウル王は病気を悪くして、目が見えないまま死んでしまっていました。そこでアメリー姫は死んだ兄に、魔女が言っていたことを信じて泉の水を飲ませました。すると兄ラウル王は生き返り、ついで見えなくなった目に泉の水を垂らすと、目も元通りに見えるようになりました。ラウル王は残った水で病気の民を救いなさいとアメリー姫に言ったので、アメリー姫は言われた通りに、病気で苦しむ人々に水を分け与えました。こうしてアメリー姫のおかげで兄ラウル王の病はすっかりよくなり、民を救ったアメリー姫は聖女として末永く慕われました。アメリー姫と兄のラウル王は、兄妹仲良く、国を治めていきました――おしまい」
ラウルは短い童話のような物語を即興でつくっては、アメリーに聞かせていた。アメリーはぱちぱちと拍手をして、感心したように言った。
「すごいのね、即興でこんなお話がいくつもつくれるなんて……」
「アメリー、君と話していると、何ていうかな、空想の翼が広がるんだ」
「本当に? 嬉しいな」
「ああ、何でも話せそうな気がするよ」
アメリーはつぶらな瞳を輝かせて、ラウルに尋ねた。
「ねえラウル先生、今のお話って、何処かで発表するの?」
「しないさ。君とおれだけの話だよ」
「うふふ、ラウル先生とわたしだけ……何か素敵」
はにかむアメリーを見て口元を綻ばせるラウル、その二人を見つめて微笑むラモール、そんな様子を複雑そうに見ているバルタザール……
ラウルは作家として何もしてやれずに死んでしまった妹と再会したようで嬉しくて、話をしてやるたびに喜んでくれるアメリーに妹アニエスを重ね見ていた。
「ラウル先生、原稿は捗っているの?」
「ああ、今三巻の原稿を書いてる」
「三巻が出るの! 楽しみだわ……看護師さんに頼んで買ってきてもらわなきゃ」
「おれが献本するよ」
ラウルはそう言って時計を見た。そろそろ面会時間が終わりそうだ。長らく椅子に座っていた重い腰を上げると、ラウルはアメリーにもう帰る旨を伝えた。
「面会時間が終わるからまた来るよ」
「うん……待ってます。原稿頑張ってね、ラウル先生」
「ありがとう、アメリー」
ラウルが病室を出ると、ずっと黙っていたバルタザールもラウルについて出て行った。バルタザールは何か言いたげに大きな口をもごもごさせている。ラウルはアメリーと話が出来て上機嫌だ。
バルタザールはラウルがアメリーを見舞いに病院へ行くときはいつだって浮かない顔をしていた。ラウルはそろそろ、そんなバルタザールの変化に気付いてきて、病院を出るとバルタザールに問うた。
「……堕悪魔、お前病院に来るときいつも変だぞ? 急に大人しくなって……病院が嫌いなら無理してついて来なくていいんだぞ」
「いや、そういうことじゃなくて……」
「何だよ」
バルタザールは押し黙ってしまう。はっきりしないバルタザールに痺れをきらせたラウルは、苛々と声を荒げた。
「何なんだよ堕悪魔! 何が言いたいんだ!」
「……あの子、アメリーちゃんでしたっけ」
「そうだ、それがどうした?」
バルタザールはいつになく真剣で険しい表情になると、その面上に同時に憐れみを浮かべて、衝撃的なことを口にした。
「先生……あの子、じきに死にますぜ」
「は?」
ラウルは眉を寄せて、またこの堕悪魔風情が悪い冗談を言い出したと思ったが、よく考えてみるとバルタザールはこの手の酷い冗談なんて今まで裂け気味の口が裂けても言ったことはなかったので、ラウルは嫌なものを覚えてバルタザールを見つめた。おのずと硬い口調で、変な笑い声を立てつつ、訊き返す。
「はは、は……何でだよ、何言ってるんだ?」
確かにアメリーは病人だが、病名を訊くのは憚られたのでラウルはアメリーの病名を知らない。何の病に冒されているのかも分からない。
ラウルはバルタザールが自分のことを何もかも見通していたのを思い出して、アメリーのことも知っているのかと思い、切迫した様子でバルタザールに問うた。
「アメリーはそんなに重い病気なのか?」
「それはおれさまにも分からない……ですが」
「……?」
バルタザールはアメリーの側にいた白い女の話をラウルにした。
「アメリーちゃんが天使さまとか言って一緒にいた白い女……あいつは死神ですぜ」
「し、死神!?」
ラウルは雷にでも打たれたかのように瞠目して、立ち止まった。あの白い女が死神? そんな非現実的な話があるのであろうか。しかし現にバルタザールという悪魔がいるのだ、死神がいてもおかしくない……
ラウルは蒼白になった。あの女、ずっとアメリーの侍女くらいにしか思っていなかったが、何ということだ。
すっかり言葉をなくしてしまったラウルに、バルタザールがアメリーの側にいた白い女の詳細を呪詛のように低く呟いた。
「あいつは、あの子の側にいたのは死神のラモール、あいつが側にいる人間は助からない……」
「そんな……!」
バルタザールはラウルが立ち止まっていることに気づいて引き返してくる。ラウルははじめ呆然となったが、その次瞬、近づいてきたバルタザールの襟首を掴むと足元の石畳に叩きつけた。バルタザールは腰をしたたか打って、目に涙を浮かべる。
「なっ、何をなさるんです、先生!?」
「堕悪魔、お前が死神を連れてきたんじゃないのか!」
「えぇっ?」
目を白黒させるバルタザールに、ラウルはたたみかけるように言った。バルタザールを見下ろして、
「死神とぐるになっておれとアメリーを会わせて死んだ妹を懐かしく思わせておきながら、アメリーを死なせておれをもう一度悲しみに打ちひしごうって言うのか!」
ラウルは眉宇の辺りに強い疑念を張り巡らせてバルタザールを睨み据えた。
バルタザールは必死で弁解する。
「ち、違う! そんな滅相もない! 卑怯な神があいつを地上に送り込んだんだ!」
バルタザールは死神の件への自身の関与を否定して、立ち上がった。
「あいつは神の末娘のラモール……おれさまの商売敵みたいな存在ですぜ? 死神、時の終焉、おれさま主食の時間を凍らせて終わらせちまう。だから嫌なんだ、それにいつも神に甘やかされているから高慢ちきなところも気に入らない!」
忌々しげに一気にまくしたてたバルタザールに、流石にラモールへの敵意しか感じなかったラウルは、バルタザールが本当にラモールを心から嫌っているのだと知って、先刻の乱暴を謝った。
「ごめん、堕悪魔……あのラモールとか言う死神が嫌いなのは分かった」
「……分かってもらえればいいです、先生が謝ることはない」
ラウルとバルタザールは肩を落としてとぼとぼ歩き出した。ラウルはラモールの正体に愕然とし、バルタザールは神の放った刺客に頭を抱えたい思いであった。
「ラモール、だっけ……何であいつが近くにいる人間は死ぬんだ……?」
ラウルは重い足取りで前へ進みながら、暗い声でバルタザールに尋ねた。
バルタザールは憎々しげに灰色の空を仰いで、舌打ちする。
「奴には一定先まで人間の未来が見えるんですよ、全てじゃあないですが……未来が見えるから死ぬ人間が分かる」
ラウルはごくりと息を飲んだ。初めてアメリーを訪ねた際に、ラモールはまるでラウルが来ることを知っていたかのように、微笑んだからだ。そのときは何も思わなかったが、今思うと訪問を予測されていたということになって、ぞくりとする。
バルタザールは暗澹として言った。
「放っておけばアメリーちゃん、死んじまいますぜ……」
「で、でも!」
ラウルはバルタザールに食ってかかった。楽しそうに笑って話をしてくれたアメリーを思いだしながら、目に涙をためる。
「アメリーは元気だったじゃないか! そんな、死ぬだなんて、いくらなんでも……」
バルタザールは悲しげに首を横に振っただけであった。ある種の諦観を感じさせるような、吐息であった。
バルタザールは眉を困らせて、ラウルに言った。
「ラモールは死神だ、奴の力にかかれば、人間なんてすぐに死んじまいますぜ」
絶句するラウルに、酷であるようだがバルタザールは付け加える。
「殺そうと、否、死なせようと思えば」
「そんな……」
ラウルは妹が、アニエスが死んだときのことを思い出していた。
(おれはまた……)
吉報を携えて駆けつけた病室には、すでにたくさんの医師が集まっていた。
もう意識さえない妹の側で、新人賞受賞の報告をした。それを聞いたのか、一度だけ大きな目を開いたアニエス。その口元がわずかに微笑んだように見えたのは、果たして報告を喜んでくれたのか、それと自分の見間違いであったのか――
(またおれは、あの儚い子を失うのか?)
頭の中が真っ白くなっていく。ラウルはすがる思いでバルタザールを見て、肩を掴んで揺さぶった。
「何とかできないのか、堕悪魔!? ほら、お前の力で……!」
「奴は死神だ、おれさまはただの一悪魔……おれさまの力じゃどうにも……」
ラウルはバルタザールの肩を掴んだ両手で、バルタザールを突き飛ばした。
「何も出来ないのか! 堕悪魔!」
「面目ない……」
すっかり小さくなってしまったバルタザールであったが、ラウルの怒りの矛先は本当は自分に向いていた。
〝何も出来ないのか〟
この言葉は、自分への罵声であった。顔を上げたバルタザールは、ラウルのこわばった顔を見て眉尻を下げた。バルタザールの、此処まで哀れを催しているときの表情を、ラウルは知らなかった。
一体自分はどんな顔をしてバルタザールを見つめていたのであろうか。ぐっと手のひらを握りこんで、思う。
そんなことを思った、そんなことはどうでもよかった。
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