第8話『第二の作家人生』

「よし、こんなもんかな」


 それから一週間後の日曜日、公国ホテルにラウルとバルタザールの姿はあった。ラウルは化粧室で自分の装いを改めると、バルタザールを顧みた。

 ラウルは新しい礼服にぴかぴかの革靴、襟足を伸ばしたまま揃えた色素の薄い茶髪を整髪料で綺麗にまとめていた。バルタザールは慣れないネクタイが苦しいのか、いつも首に手を当てている。バルタザールはスーツと同じ色のソフト帽をかぶって角を隠し、馬の脚は長いブーツで誤魔化している。バルタザールはラウルの友人として式に紛れ込むことに成功した。

 鏡の前で支度を整えると、ラウルとバルタザールは化粧室を出た。ラウルは辺りを見回して、そわそわと落ち着かない。バルタザールはというと、いつもの、楽しいことがなくても笑っているように見える顔をして会場ロビーをラウルと一緒に練り歩いている。


「先生、先刻から何をそわそわしてるんです?」


 バルタザールの不敵というか能天気というか、気楽に状況を楽しんでいる様子に痺れを切らせたラウルは、声を抑えて言った。


「よく考えろよ堕悪魔、此処が何処だか分かっているのか?」

「何処って、ホテルでしょう?」

「馬鹿、公国ホテルだ……花の都で一番高くて歴史のあるホテルだぞ、お前もへらへらしてないで気を引き締めろよ」

「はいはい」


 ラウルとバルタザールのいるロビーには他の出版社の重役や編集者、それからラウルとは違う賞の受賞者が集まっていた。作家は作家同士、編集は編集同士で喋ったり情報交換をしている。

 バルタザールがその様子を見て言った。


「先生は他の作家と話したりしないんで?」

「同業者と話すのは好きじゃないんだ……おれの同期は皆もう作家やめてるし」

「そうですか」

「おれは今新人作家だけど、一応十年やってるからな」

「じゃあ知ってる顔はないと?」

「そうだな……あ、あいつ!」


 ラウルは曖昧に頷きかけて、灰色の目をかっと開いた。

 ラウルの視線の先にいた者――それは以前ラウルが籍を置いていた出版社の、ラウルの作品を貶した元担当編集者であった。

 バルタザールがきょとんとしてラウルを見る。


「……誰です?」


 ラウルは忌々しげに舌を打った。眉を跳ね上げて、低い呪詛を呟く。


「前の出版社でのおれの担当だった奴だ……おれの作品に打ち切りを言い渡した上におれと作品をぼろぼろに貶してくれた……!」

「ふーん……」


 がり、と親指の爪を噛んだラウルに、バルタザールはそそのかすように言った。


「何か言いに行きますか? ざまあみろって」


 バルタザールもラウルがどうするのか面白がって、にやにやしていた。

 しかしラウルは悔しそうにしていたが、バルタザールの悪だくみには乗ってこなかった。小さく舌打ちして、元担当にそびらを向ける。


「いや、いい」

「! どうしてですか? せっかく元担当を見返す機会なのに」


 ラウルは努めて涼しい表情で、元担当に何も言わないでおくことにした理由を話した。


「大賞を獲れる作家だったおれを切ったのは、もう充分あいつの失態になってるさ。授賞式がはじまっておれが登壇したらさぞ驚くことだろうな……いいんだよ、おれの報復はもう終わってる。目にものを見せてやるのはこれからだ」

「……先生、格好いいですな。何だかこれじゃあおれさまが悪い奴みたいじゃないですか」

「いいだろ、堕悪魔なんだから」


 本当はラウルは元担当の顔にかあっと唾を吐きかけてやりたい衝動に駆られたが、そこはぐっとこらえた。


「あとで驚いてもらえればおれはもう充分だよ」

「……よく出来たお人だなあ、先生は」

「おれはこれから作家として成功する、あいつはこれから指をくわえてそれを見ているだけだ……あいつがおれを切り捨てたせいであいつの出版社は今に売り上げが落ちる、それだけでおれは満足だ」


 ラウルはようやく胸につかえていたものが取れたのか、最後にはすがすがしい顔をして授賞式会場のホールへと身を翻した。バルタザールも裂け気味の口を裂いて、ラウルの元担当をにやっと笑って見てから、ラウルの後を追った。

 

 それから授賞式がはじまった。いくつかの出版社のいくつもの文学賞の合同での授賞式であった。

 次々と新人作家たちに生々が渡されていき、ついにラウルの番が来た。ラウルは大賞受賞者ということもあり、最後に名前を呼ばれた。

 壇上に上り、出版社の社長から賞状を受け取ると、ラウルはルテティウム書房の受賞者代表として挨拶をすることとなった。


「受賞者を代表して、ラウル・ドルレアクさんに挨拶をお願いします」

「はい」


 ラウルはマイクを受け取った。一礼してから、ゆっくり、はきはきと爽やかに話し出す。


「このたびは栄誉ある賞を賜り、大変光栄に思います。これからはルテティウム書房に骨を埋めるつもりで書き続けたいと思いますので、編集の皆さん、先輩方、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます」


 割れんばかりの拍手の中、ラウルは誇らしげにホールの人々の視線を浴びていた。席に戻って、気のない拍手をしていたバルタザールの隣に座る。

 かくして授賞式は終わり、パーティーになった。豪華なコース料理が振る舞われた。


「ドルレアク先生!」

(この声は!)


 他の受賞者たちが挨拶回りをしたり食事を楽しんだりする中、ラウルの元に一人の若い男が現れた。ラウルは食事をやめて、立ち上がる。


「えっと、あなたは?」

「受賞の電話をしました、ルテティウム書房編集のシャロレイといいます。このたびドルレアク先生の担当になることが決まりまして、ご挨拶に伺いました」


 どうりで知った声だと思っていたら受賞の連絡をくれた若者がラウルの新担当に決まったらしい。この腰の低そうな担当となら、仲良くやっていけそうだ。ラウルは内心そう思いながら、新担当シャロレイに握手を求めた。


「よろしく、シャロレイ君」

「へへへ、ドルレアク先生のところで勉強もさせてもらいます」

「ははは、おれで参考になるといいけど」


「それにしても先生、あの元担当の驚いた顔ときたら見物でしたね!」

「そうだな」


 式とパーティーが滞りなく済み、ラウルとバルタザールは家路についていた。

 ラウルは賞状が入った筒と、賞金の小切手が入った鞄を大事そうに下げて、バルタザールは寒そうにスーツのポケットに手を突っ込んで、ちらちら雪が降る鈍色の空の下を並んで歩いている。

 ラウルは元担当への忌々しさを思い出したのか、牛が食べものを胃の中で反芻させるように怒りを思い返して吐き捨てる。


「おれとおれの作品を貶した罰だ」

「あの元担当野郎、先生を化物だって言ってましたが誰にも取り合ってもらえてませんでしたぜ、笑っちまいますね」


 ラウルは帰り道の途中にある行きつけの菓子店に寄ってプリンを二つ買った。

 自宅に着くと、ラウルとバルタザールは堅苦しいスーツを着替えて、コーヒーを淹れた。ラウルはさっそく、もらった賞状を部屋に飾り、賞金の小切手を妹アニエスの写真の前に置いた。


「アニエス、見てくれ! 賞状と賞金をもらったんだ。またお前に何か買ってやることは出来ないけど……喜んでくれ」


 写真の中のアニエスが、少しだけ、微笑んだように見えた。笑ったように見えただけには違いないが、ラウルもつられて口元を綻ばせる。


「さあ、おれはまた今日から新人作家だ!」


 ラウルはくるりと妹の写真に背を向けて、力強く言った。テーブルの隅には出しっぱなしの設定集と白い原稿が山となって置かれている。ラウルはまたテーブルに向き合うと、受賞先の二巻の構想の続きをはじめた。


「書いて書いて書きまくって、絶対成功してやる! 今日はまだまだ新しい一歩にすぎないからな!」


 意気込むラウルに、バルタザールが話の腰を折るようにして問うた。


「ところで先生、賞金の使い道は?」

「全額貯金だ」

「堅実ですな……」


 野望成就のために燃えているやら保守的なのかよく分からないラウルであった。


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