第3話『打ち切り作家』

「打ち切り!?」


 そのやりとりは花の都の汚い喫茶店、その一角で行われていた。担当編集と対峙して大声を発したのは、一人の作家である。

 名を、ラウル・ドルレアク。職業作家だが、売れない、という嫌な接頭語のつく文字通り売れていない作家である。

 その容貌はというと、色素の薄い茶髪の長い襟足を適当に結んだ野暮ったくぱっとしない格好で、灰色の眼は程よく濁りはじめたくたびれた男であった。もっさりとした雰囲気のせいで実年齢よりえらく年をとって見えた。三十歳になったばかりだというのに、随分疲れた印象だ。

 ラウルはもう何度目になるか分からない著作の打ち切り宣告を受けて、今度こそ信じたくない思いですがるように担当を見たが、担当はすげなく首を横に振っただけであった。

 ラウルは現実を受け入れられず、担当を問いただした。


「何で!? どうして! おれの自信作だぞ、どうして打ち切りなんだ!?」

「そんなの売れなかったからに決まってるじゃないですか!」

「う、売れなかった!? そんな」


 頭の中が白く霞んでいくのを感じながら、ラウルは歯を食いしばった。自信作であっただけに、ラウルは何が何でも作品を打ち切らせたくはなかった。売れなかったという結果は何度味わっても衝撃であるが、ラウルはそれでも続きを書きたくて担当に頼み込む。


「そこを何とかできないか? おれに続きを書かせてくれ!」

「駄目なものは駄目です! 売れない売り物のためにつかう金なんてないんですよ!」

「売れない売り物だと……!? 言ったな!」


 担当は鼻先でラウルを笑った。その視線はとても冷ややかだ。


「だいたい今までがおかしかったんだ、あんたみたいな打ち切り作家がデビューしてから十年もやっていけたなんて。一作目がちょっと売れて、前の編集長に気に入られて大目に見てもらえたのがどうかしてたんだ。私は甘くないですよ、編集長も代わったし、あんたもそろそろ引き際ってのを考えた方がいい……」

「何だと……!」


 ラウルは眉間に青筋を立てて、手のひらを握り込んだ。爪が手の中に食い込みそうに痛い。

 悔しくて悔しくて唇を噛みこんだラウルであったが、担当が言ったことはおおむね事実であったので、何も言い返せなかった。しかし打ち切られてばかりとはいえ、作家としての矜持が言われっぱなしを許しはしなかった。

 ラウルはテーブルの上に広げた原稿用紙を乱暴にかき集めて、担当の手から封筒を奪い取ると原稿をしまった。矮小な自尊心とずたずたの誇りを拾い集めるようにして封筒を抱えると、ラウルは精一杯の反撃の意をこめて捨て台詞を吐いた。


「もうあんたのところでは頼まれたって書かないからな!」

「どうぞ。私も売れてる先生の担当をしたいですから!」


 ラウルは悔し涙が出そうになるのをぐっとこらえて、喫茶店を飛び出した。こんなにも自分の作品を貶されて、黙ってはいられなかった。


(くそが、今に見ていろよ!)


 もう何度目になるかも分からない呪詛を口の中で呟いて、ラウルは俯きながら街を駆けった。

 ラウル・ドルレアク、作家、三十歳。二十歳で現在本を出している出版社の文学賞を受賞してデビューを果たした。それから十年、ヒット作に恵まれず著作はことごとく打ち切りの連続。二巻以降が出版されたことも、一巻が重版されたことも一度だってない。自分でもこの十年間、よく作家として息をしていられたと思うのが、とても情けない

 作品を打ち切られるたびにラウルが思うのは、誰かに認められたい、売れたい、作家として成功したい、ということに尽きた。風見鶏のように他人の当てにならない評価と批評に一喜一憂してひらひらふわふわしている自分が、本当はとても嫌であったが、そんな読者の感想に飢えては、自分の作品の何処がいけないのか、闇の中を手探りする毎日であった。

 しかし、つい先刻、とうとう作品を貶された怒りと勢いに任せて、せっかく十年前に夢を掴んだ、賞をとった出版社と喧嘩別れしてしまった。これで本が出せなくなってしまったし、書きかけの原稿は行き先を失った。

 だがラウルは分かっていた。遅かれ早かれ、こうなることくらい。作家という職を逐われるときがいつかやってくることなんて、自分の限界を感じたときからとっくに知っていて、向き合わねばならないと思いつつ、ずっと目を背けていたのだ。

 今回の新作は打ち切り作家ラウルの起死回生の一打ともいえる作品であった。ラウルは今後の作家としての人生を今作に賭けていただけに、新作の打ち切りは大打撃であった。

 もう本は出せなくなってしまったし、原稿は宙に浮いたまま、そのうちにラウルは走る気力もなくなって、とぼとぼ歩いた。

 こうなってしまったのは自分の行いと結果を出せなかったことが原因であるが、もう自分の力ではどうしようもなくなってしまった。仕事をしても連載や本の出版ができなければお金にならないし、収入がなくなれば暮らしていけない。ラウルの目の前に暗雲が立ち込めていた。作品の構想どころか、詰んでいるのは人生そのもの、袋道だ。自然と肩が下がる。

 人目も憚らないで泣き叫びたい気持ちであったが、そんなことは出来なかった。負けを認めたような気になったからだ。先刻までの怒りはすっかり鎮火して、残った一陣の空しさが吹き去っていったのみであった。

 風が身に染みる晩秋、ラウルは深い溜め息をついた。別の喫茶店に入って、一番奥の席に座り、コーヒーを注文する。

 ラウルはコーヒーを飲みながら別の書きかけ原稿を封筒から出して、万年筆でかりかりと書き込んだ。集中して一時間、一話分の終わりまで別の連載を進める。集中しているものの、ラウルは浮かない顔であった。心から楽しんで書いていないことが、一目で分かるようである。

 しばらく猫背になってテーブル上の原稿に向かっていたラウルは、書き終えると顔を上げてコーヒーを飲み干した。完成原稿に一通り目を通し、欠けや抜け落ち、誤字脱字がないか確かめて、一息つく。それから原稿を封筒にしまい、しっかりと封をした。

 封筒の表書きには別の出版社の住所がすでに書かれていた。ラウルは裏面に自分の名前を書いた。ラウル・ドルレアク、括弧してアルメル・シャリエと併記する。ラウルはまた重い息をついて長い前髪を掻いた。吐息どころか頭も気も重いのだ。ラウルが書いていたのは、砂を吐くような恋愛小説であった。

 アルメル・シャリエ、というのはラウルの筆名であった。ラウル・ドルレアクが本名で主に冒険小説を書くときに使う名前であるのに対して、アルメル・シャリエという別名義は恋愛小説を書くための名であった――女の名前で、女の振りをして。

 ラウルは冒険小説一本では食べていけないので、仕方なく気の進まない恋愛小説を書いている。デビューしたばかりの頃は別の仕事を掛け持ちしていたが、売れないもののかつて大賞をとった作家であることから、よそのマイナーな出版社の編集に声を掛けられた。それで生活のためにしぶしぶはじめた別ジャンル、恋愛小説の執筆であったが、今ではそれも不本意とはいえ立派な仕事の一つになっている。

 ラウルは郵便局に行くと、封筒の重さの分の切手を買って、封筒に貼り付けた。窓口へ持っていって、郵送を済ませる。

 ラウルの生計はこの書きたくもないのに書いている恋愛ものが少しだけ売れていることによって成り立っている。ラウルが一応専業作家を続けていられるのは、本業の冒険小説を書く合間に書いた、書いていて吐き気がしそうな小説のおかげであった。

 求められれば自分の嫌いな分類の話だって書く。それはプロの作家というわけであるが、そんなプロ根性で恋愛ものを書き続けている自分の腐ってもプロだという現状が、空しい笑いを誘ってくる。

 ラウルは一旦自宅へ戻った。外套の襟をかき寄せて。



「ただいま……」


 ラウルの自宅は家賃の安い市営住宅の一室であった。あまり広くはなく、年季が入っていて壁には何箇所かひびが見受けられる。

 部屋の中はとにかく雑多で汚かった。ワンルームの狭い床は執筆用の資料本でところ狭しと埋め尽くされている。本棚にいたっては本を詰め込みすぎてはちきれそうであった。長らく読んでいない本の山には埃がふわふわと積もっているが、掃除されそうな気配はない。家具は必要最低限しかなく、ラウルは普段食卓を作業机とを兼ねてつかっている。十年前に引っ越してきて以来、ものが溜まる一方であった。

 たんすの上には少女の写真が一枚、額に入れて飾ってあった。ラウルと同じ色の髪を長く伸ばし、つぶらな瞳を持つ少女だ。浮かない顔をしたラウルを見つめて、寂しげに微笑んでいる。


「ただいま、アニエス……」


 写真の少女の名は、アニエスといった。十年前に病気で亡くなった、ラウルの妹である。ラウルは写真の中で微笑みを浮かべている妹に、語りかけるように報告した。


「アニエス……また作品が打ち切られてしまったよ、おれはもうどうしたらいいのか分からない」


 アニエスは当然応えないが、ラウルは続けた。


「担当にも勢いで、もう書かないと言ってしまったし……自分の馬鹿さ加減に反吐が出そうだ。アニエス、お前ならこんなとき、どうする?」


 そこまで言って、自嘲の息がふっと出た。何を自分は意味のないことをしているのであろうか。此処まで窮しているなんて、死んだ妹の遺影に助言を求めるなんて……

 ラウルは唇を結んで十字をきると、また家の外へ出た。今日みたいな日は家にいても気が滅入るだけだ。


(気持ちが落ち着いたら、教会に祈りに行こう……)


 ラウルは昼間からやっている酒場を探して、金もないのに酒を飲んだ。


「どうしておれは認められない……?」


 くだを巻いて、飲み歩き、ふらふらと徘徊するラウル。いつもならばもうとうに頭の芯を痺れさせてくれるはずの酒に、今日は全く酔えなくて、苛立ちが募る。

 ラウルは朦朧と街を歩いた。


(何かないか、創作の助けになるようなもの……)


 創作のヒント、何か現状打破の糸口を探して街をうろつくうちに、ふと大通りから外れた旧市街の小路に目を向け、足を止める。大通りから一本路地に入った細い道、そこにはひっそりとした市が立っていた。

 闇市である。

 この花の都の路地裏に最近急激に増えた闇市は、表の世界の市とは違った、異様な賑わいを見せていた。

 一本路地へ迷い込めば、空気が違うのだ。乾いた秋風は何処へ消えたやら、肌にじとつく湿った空気が漂っている。

 普段は近くを通りがかっても見向きもしない場所に、この日は自然と足が向いた。見えない力に引かれ、魅入られたようにラウルは路地裏へ吸い込まれていく。

 何か発想の転換になるようなものと出会えるかもしれない。そんなことを考えながら、ラウルは闇市がずっと続く裏通りを歩いた。

 商品や商人は様々であった。普通に商人をしている者が需要の多いものを低下の倍近い値段で横流しして売っていたり、怪しげな薬を売る医者や、本を売っている者もいた。真っ当な商人ではない者も多そうだ。客は少ないが、買いものをしている者も見受けられる。


「!」


 ラウルが足を止めたのは、いかにも〝私は闇商人です〟と言っているような格好の商人の出店前であった。商人は濃い紫色のフードつきマントにすっぽりと身をくるんでいて、目深にフードを下ろしているので人相は分からなかった。店構えは何とも粗末で、木箱に古めかしい本が何冊か立て置かれているだけで全く飾り気がない。とても怪しかった。

 だがラウルはその男とも女ともつかない怪しげな商人に何を扱っているのか訊いてみた。恐る恐る、声を掛ける。


「……これは何の本だ?」

「魔術書でございます、禁書がご入用ですか?」


 商人は中性的な声で応じてきた。その返答に、ラウルはぎょっとする。この商人、魔術師か?

 ラウルは胡散臭げに問うた。


「あんた魔術師か?」

「はい、各地で集めた魔術書を売って暮らしています」


 はじめこそ不気味に思ったが、ラウルは次第にこの商人に興味を持った。しばらく腕を組んで黙ると、商人に再び問う。


「本、見せてもらっても?」

「どうぞ」


 ラウルは五冊くらい並んでいた魔術書の中から、適当に、装丁が綺麗な一冊を手にとった。すると商人が声のトーンを上げて言った。


「お目が高いですね、お客さん……それはルテティア公爵家のまとめた黒魔術書ですよ」

「ルテティア公爵家だって?」


 ラウルは本のページを繰る手を止めた。ルテティア公爵家というのは、数年前までこの花の都を支配していた一族の事である。

 商人は言った。


「ルテティア公家の歴代当主の中には悪魔に魂をとられて死んだ者もいるとか……他の禁書は疑わしくとも、それは本物ですよ」

「どうやって手に入れたんだよ、これ……」

「ルテティア公家が没落した際に屋敷に忍び込んで失敬しました」

「いいのか、それ」


 ラウルは呆れながら全てのページにざっと目を通した。禁書の中には悪魔召喚術や死者蘇生の禁術をはじめとした怪しげな術がたくさん載っている。どれも興味深いと思ってしまうのは、精神が荒廃しているからであろうか。

 心神耗弱状態であったラウルは本を閉じて、商人に言った。


「これ、売ってくれないか? いくらだ?」

「他の本より少々高いですよ」


 それからラウルは商人の提示した金額から少し値切って、元の請求額から二フランまけてもらった。

 かくして闇商人から魔術書を購入したラウルは、夕食の買いものをして家へ帰った。禁書が高くついたので、今晩の夕食は質素になりそうだ。いつだって豪勢ではないのであるが。

 この袋道を脱せるかも知れないと、変化を求めて淡い期待と共に。

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