彼のコイビト

圭琴子

彼のコイビト

 浅田は最近、どうにもぼうっとしがちだった。諸経費の精算の締め切りを間違える、大急ぎでまとめたその領収書をシュレッダーに通しかける、それを部長に叱責されている最中にふらふらとデスクに戻ってしまう。

 チームのみなが心配して、心療内科を勧めるほどだった。

 いつもランチを一緒に摂る渡辺も、そのひとりだ。今日も浅田は一見まともに見えて、アイスティーの氷をストローでつつくばかりでちっとも食べてはいないのだった。


「浅田。浅田!」


「えっ? すみません渡辺さん、聞いてませんでした」


「まだ何も言ってねぇよ」


 渡辺はわざと、大仰に溜め息をついてみせる。


「本当に、どうしたんだ? まるで恋わずらいだろ」


 今度は、浅田が溜め息をついた。細く長く。


「はい。そうかもしれません」


「えっ。 マジか? 会社の連中か!?」


「いえ。駅前で、一時間くらいお話して」


「逆ナンか?」


「違います。俺が一方的に一目惚れして、声かけたんです。すっごく可愛いし、沢山お喋りしたし……でももう逢えないんだろうなって思ってたら、偶然お店の写真で見つけて」


「あ~……」


 みなまで聞かず、渡辺は察して眉尻を下げる。

 浅田と渡辺は、共に三十オーバーだ。

 『年下』の『可愛い』『キャバ嬢』に引っかかってしまったんだろうなあと同情のまなざしを送る。

 キャバレークラブの外に貼り出してある写真を見比べて、誰を指名するかなんて値踏んだことはあったが、結局一度も入店はしたことがなかった。浅田は札で愛が買えると思うほど金が余っていなく、渡辺は合コン三昧で出会いに金を払おうとは毛頭思わないからだ。


「店には、入ったのか?」


「いいえ。入ったら、もう離れられないと思って、恐くて……入ってないです」


「じゃあ……行っとくか?」


 主語はなかったが、その問いかけに浅田は顔を輝かせた。


「……はい!」


 そうしてその日の終業後、ふたりは柔らかい間接照明の室内で、テーブルを挟みひとりの女性と向き合っていた。そこは、優柔不断の浅田が何かに迷う度に来る、タロット占いの店だった。


「では浅田さん、恋占いのお相手のお名前を教えてください」


「真琴です」


 占い師は神妙な面持ちで、並べられたタロットカードを開いていく。


「すみません、プライベートなことをお尋ねしますが……おふたりは、お付き合いしていないんですよね」


「あ、はい。俺が一方的に好きで……」


「真琴さんは、男性で間違いありませんか?」


「はい」


「えっ!?」


 思わず渡辺が大声を上げ、浅田にシーッと制される。LGBTの友人も居たから偏見はなかったが、渡辺が新人研修を務めて以来、一度も同性に興味があるそぶりのなかった浅田の発言に、肝をつぶす。


「二種類の恋人のカードが、逆位置で出ています。おっしゃった通り、浅田さんの中に、真琴さんに対しての強い気持ちが芽生えています」


「はい、忘れられません」


「お二人の恋愛はこの先あるのかどうか、真琴さんの、浅田さんに対する恋愛感情をみてみました」


 またカードを開いていく。


「真琴さんの中でも浅田さんは大好きで特別なひとなんですけど、恋愛感情ではないんですよね。キーワードは、塔のカード。根本的なとか、破壊とか、そんな意味のカードです。つまり、真琴さんが持つ固定概念を壊す。恋愛は異性、女性が恋愛対象という意識を根底からひっくり返し壊した時、幸せの岸辺に辿り着くのではないかと思います。恋愛運は、これから作り上げていくのだと思いますよ」


「そうですか……ありがとうございます。真琴も大好きって思ってくれているのなら、俺、勇気を出してお店に行ってみます!」


「いつもありがとうございます。上手くいくと、いいですね」


 すでに常連の浅田に、占い師はにこやかにエールを送った。


 その足で真琴に逢いに行くという浅田を、渡辺は心配で止めてしまう。


「ちょ、ちょっと待て浅田。よく考えたのか? 店って、男が行ってもいい店か?」


「安心してください、渡辺さん! 真琴も、俺を想ってくれているんです! 恐いものなんかありません!」


 占いの結果が良いことが、浅田の気を大きくしていた。すでに妄想の中では告白してオッケーを貰っているのか、小さくガッツポーズなどしている。


「じゃあ、俺も……」


「ダメです! 渡辺さんも絶対、真琴を好きになると思うから! ひとりで行きます!」


「いや、俺は……」


「ダメ! 絶対にダメです!」


 普段あまり自己主張せず渡辺に合わせるタイプの浅田が、両腕で大きくバツの字を作って声を張り上げる。

 流石の渡辺も迫力に負けて、その日は仕方なく浅田と分かれた。


 十四連勤の疲れがたまっている筈だが、渡辺は何となく眠れずにベッドの上をゴロゴロと転がっていた。明日は休暇だ。

 そして昼近くになって起き出し、メッセージをチェックして、彼は家を飛び出した。

 電車で二駅の渡辺のアパートの前で、もう一度メッセージを確認する。


『渡辺さん、聞いてください! 真琴、俺のこと覚えてました! 両想いだって分かったから、一緒に住むことにしたんです。一番に渡辺さんに紹介したいから、よかったら暇なとき遊びに来てくださいね』


 続けざまに、『幸せ』『嬉しい』といったスタンプが送られていた。

 ――浅田の選んだ道なんだから、祝福してやらなきゃな。

 渡辺は一度深呼吸してから、チャイムを鳴らした。


『あ、渡辺さん。いらっしゃい! 今開けますね』


 思わず会う前にリサーチと、どんな靴を履く男だろうかと見回すが、几帳面な浅田の玄関には、サンダルしか出ていない。では、香水は? 鼻をきかせるが、やはり綺麗好きの浅田の部屋には、いつもの芳香剤の香りがほのかにただようだけだった。


「その……真琴は?」


「今、おトイレです。座っててください。お茶いれます」


「お……おう」


 ソファに腰を下ろし生返事をするが、ハッと気付く。

 ――浅田が茶をいれている間に真琴がトイレから出てきたら、初対面でふたりきりになっちまう! それは避けたい!


「ま、待て! ここに居てくれ!!」


 浅田のサマーカーディガンのすそに、伸びるほどすがりついてしまい、彼は目を丸くする。

 ――ザッ、ザッ、ザッ……。

 数瞬、目が合って間抜けに過ぎた空白に、ふたり以外の立てる音が混じった。

 ――ん? 何の音だ?

 

「真琴、おトイレ出来たの~?」


「……へ?」


 ――にゃあん。

 福々しい顔をしたグレイの毛並みのマンチカンが、リビングのすみに置かれた個室タイプの猫トイレから、出てくるのが見えた。後ろ足についた猫砂が気になるのか、ピピッと振って、気まぐれな猫にしては珍しく沢山『お喋り』するのが確かに『可愛い』

 ――にゃあうん。


「そうなの~。偉いでちゅね~」


 浅田は猫撫で声で応え、その短い前脚の付け根から抱き上げて、頬ずりをする。


「渡辺さん、この子が真琴です!」


「おう……良かったな。両想いで……」


「そうなんです! 駅前で譲渡会をやってて、あんまり可愛かったから、一時間もお喋りしちゃいました」


「店っていうのは?」


「保護猫カフェの子なんです。お店の外で写真を見つけたときは、運命だと思いました」


 語尾にハートマークを散らして、浅田は語る。その間ずっと、真琴はうにゃうにゃと喋り続け、浅田は頬ずりをやめなかった。


「はは……は。なるほどな」


 ひとの恋路にもの申すつもりはなかったが、可愛い後輩にいきなり同性の恋人が出来た戸惑いから解放されて、渡辺はソファに深く沈む。

 それとは別に、自分の中にすでにあった感情に、気付いてしまった。


「……浅田、コーヒーが飲みたい」


「え? だって、「ここに居てくれ」って……」


「何でもねぇ。緊張したら、喉が渇いちまった」


「変な渡辺さん」


 浅田はクスリと笑って、キッチンでお茶の準備を始めた。彼が動く度に、真琴は片ときも離れずその足元にまといつく。

 今までふたりきりだったお茶の時間にプラス一匹真琴が加わって、会話の隙間を埋めるように、にゃあにゃあと賑やかに飾り立てた。

 ブラックコーヒーで目を覚まし、渡辺は喉の調子を整える。

 ――何から話そうか。昨日眠れなかったこと? いや、新人研修で初めて出会ったときからにしようか。

 長い昔語りの先に、ふたりの関係性が変わる告白が待っている。


End.

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

彼のコイビト 圭琴子 @nijiiro365

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ