写生遠足謎の絵事件


 十月の晴れ渡ったその日、いずみかわ幼稚園すみれ組は、市立動物園に写生遠足に来ていた。いつもの園外活動と違っているのは、保護者と一緒というところだ。

 大型バスをチャーターして午前十時頃到着した。

 保護者同伴なので、その場で解散し自由行動。ただし、午後二時には、絵を仕上げて動物園入口に集合とのことだった。


 クリスティは、父親と参加している。

「さて、クリスティ、どうする? 何を描くか決めないとね」

「うーん」

「色んな動物がいるから、目移りしちゃうね。まずは、園内を回ってみようか」


 動物園は平日にも関わらず、親子連れなどで賑わっていた。クリスティ達よりも年下のヨチヨチ歩きの子や、ベビーカーに乗せられた赤ちゃんを連れたパパとママ。お兄さんとお姉さんのカップル。お爺さんとお婆さんのカップルもいる。

 クリスティも、小さな頃から、両親に連れられて何度も訪れている。

 動物園は少し臭い。

 ヨチヨチ歩きの時に両親と来た時の写真の中で、クリスティは小さな鼻をつまんでいる。

「動物の臭いなのだから仕方ないよ。僕達だって、動物からしたら臭いと思う」と父親に言われ、動物の臭いにも段々慣れていった。

 その後、お迎えしたペルシャ猫のミス・マープルの臭いは気にならないどころか、大好きだ。嗅ぎなれない臭いは戸惑うけれど、慣れてしまえば大丈夫なのだと思う。

 今は、もう気にならないし、動物園を訪れている人達も、気にしない顔で歩いていた。


 エントラスを入ると直ぐに、レッサーパンダ館があって、混雑している。人込みの中に

 アユちゃんとアユちゃんのお母さんの姿が見えた。

「アユちゃん!」

「あ、クリスちゃん!」

「こんにちは、阿形です。いつも、娘が仲良くして頂いてありがとうございます」

 父親は、近付くと細くて長身の体を屈めて挨拶した。

「村田アユの母です。こちらこそ、いつもありがとうございます。今日はお父様が?」

 小柄でぽっちゃりしたアユちゃんのお母さんは、クリスティの父親を見上げて会釈する。

「ええ、はい。妻はどうしても抜けられない用事がありまして」

「そうでしたか」

 大人同士で話をしている間、クリスティとアユちゃんは、人の間を抜けて一番前まで行くと、レッサーパンダが橋の様なものを渡る様子や寝転んでくつろぐ様子などを眺めた。

「レッサーパンダは、かわいいけど、こみすぎで、おえかき、できないね」

「そうだね。はやく、かくもの、きめないと」

 レッサーパンダ館は新装オープンしたと、先日テレビのニュースで取り上げられたという。アユちゃんとお母さんは、目新しい出来事に目が無い。

「じゃあ、また、あとでね」

 アユちゃん親子と別れると、クリスティと父親は、順路に従って進んで行った。

 途中、ピクニックシートに画用紙を広げて、動物を描き始めている子も、ちらほら居た。

「サイを描いているね」

「こっちのこは、マレーバク」

「サル山におサルさんが沢山いるね」

 父親が指差す。

「たくさんいすぎて、かくのが、たいへんそう」

「じゃあ、ゴリラは?」

 柵の側に行くと、ゴリラが奥の方から睨んでいた。

「なんか、こわい」

「じゃあ、この先のダチョウはどうかな」

 ダチョウは羽を描くのが難しそうだ。

「うーん」

 描きたい動物が中々決まらない。

 そろそろ、皆描き始めている。

 クリスティは少し焦り始めた。

「じゃあ、キリンを、かく」

「よし、じゃあ、キリンを描こう」

 父親とキリンの展示場所に向かう途中、ヨッちゃんとお母さんがペンギンの所に居た。

 ヨッちゃんは、お母さんが指差す方を見ずに、一羽だけはぐれているペンギンをじっと見ていた。何か通じるものがあるのかもしれない。


 クリスティ達がキリンの所に到着すると、一つ先のゾウの展示場所にアユちゃん親子の姿が見えた。

「あれ、どこかで、おいこされたのかな」

「レッサーパンダ館から、逆回りに来たんじゃないかな」

 父親は、ピクニックシートを敷いて、クリスティが絵を描く準備をする。風が少し出てきて、シートを敷く時に少し手間取った。

「僕も、描いてみるかな」

 父親は、折り畳み椅子に腰掛けると、持参した小さなスケッチブックを取り出し、サラサラと鉛筆を走らせ始めた。

 父親は建築士という仕事柄、スケッチが得意だ。大学卒業後、イギリスのAAスクール(アーキテクチュアル・アソシエーション・スクール)に留学した。ロンドン滞在中に母親と出会ったという。

 クリスティも負けずに画用紙を縦置きにして描き始めた。クレヨンで下書きしてから水彩で着色して仕上げるのだが。

「あれれ」

 キリンの首は、どうしてあんなに長いのだろう。目測を誤って、画用紙から首がはみ出してしまった。これでは頭が描けない。頭の無いキリンの絵は、ちょっと怖い。

「どうしたんだい?」

 父親は、手が止まっているクリスティの画用紙を覗いた。

「う、うーん。描き直すかい? 画用紙は二枚配られたよね」

 新しい画用紙に今度は頭から描き始めた。

「あれれ」

 今度は、足が切れてしまった。

「頭が無いと何だか分からないけど、足が途中でもキリンだと分かる。上からキリンを見た感じにすれば足が短くても大丈夫」

 父親にアドバイスをされて、クリスティは、短足のキリンにすることにした。


 隣のゾウの所ではアユちゃんがゾウを描くのに手間取っていた。

「ゾウさんの前半分になっちゃったね」

「こんどは、うしろはんぶん」

 こちらも、画用紙に上手く収められないようだ。仕方ないので裏面に描き直す。

「こんどは、ぜんぶ、かけた!」

 画用紙の真ん中にこじんまりとした小さなゾウの姿。確かに全身入っているのだが。

「何だか小さくて、ゾウさんじゃないみたい」

 お母さんが言うと、アユちゃんはべそを掻いた。

「だって、はいらないんだもん。グスッ」



 その頃、すみれ組の川口ユウカちゃんは、両手の親指と人差し指で四角を作って、サル山を覗いていた。ユウカちゃんは、お絵描きが大好きな女の子。将来の夢は画家で、黄色い星型伊達メガネ――これは、クリスティの赤い伊達メガネを意識していると思われるのだが――がトレードマーク。

 芸術家は写生する時、手指の四角い枠で、景色を切り取り、構図を決めるという。この間テレビで見た画家が、そうしているのを見た。

「たしか、こんな、かんじだったはず。あれ? んん?」

 どちらかの手をひっくり返さないと四角形にならないのだが、それが分かるまで、何度も三角形が出来てしまって困った。ようやく四角が出来て、サル山を覗く。

「いいよ、いいよ~! そこのおサルさん。こっちを、むいて~」

 しかし、サルは、そんなことはお構いなしに好き勝手な方向を向いたり、移動したりしている。

「あ、それいいね!」

 ユウカちゃんは、その一瞬を逃さず、画用紙に写し取った。

「でも、やっぱり、おサルさんが、おおすぎる。ほかの、どうぶつに、しよう」

 さっさと広げてあった絵の道具を片付けると、ユウカちゃんは移動を始めた。芸術家は気まぐれなのだ。

「ちょ、ちょっと、ユウカ! おサルさん描かないの?」

 お母さんは慌てて荷物を持って付いて行く。

「ウサギを、かこうかな」

 そう言うと、ウサギやヒヨコが居る『ふれあい広場』に向かって、黒髪クルクル巻き毛を揺らしながら、歩き始めた。


『ふれあい広場』では、柵の中でウサギやヒヨコが放し飼いになっており、子供は柵の中に入って、抱き上げたり、触ったりすることが出来る。

 ユウカちゃんが『ふれあい広場』に着いた時、マイちゃんとタロウくんが、それぞれウサギとヒヨコを描いていた。二人のお母さんは、子供を見ながらおしゃべりに興じている。

 早生まれなので、皆より少し小柄なユウカちゃんは、ズンズン進んで行って、マイちゃんとタロウくんの間に座ろうとする。

 が、二人の間は、一人分の隙間が無かったので、タロウくんの隣にピクニックシートを広げて座った。

「あ、ユウカちゃん」とタロウくんが声を掛ける。

「ウサギを、かいているのね」

「うん」

 タロウくんのウサギ好きは揺るがない。

「わたしは、ヒヨコだよ」

 マイちゃんが、自分の絵を見せようと画用紙を持ち上げたが、ユウカちゃんの目は柵の中のウサギを見ていた。

 お母さんが「ごめんね」とマイちゃんに謝る間に、ユウカちゃんは左手に持ったクレヨンで、画用紙に最初の線を引いていた。

「すみませんねえ。夢中になると、周りが見えなくなってしまって」

 ユウカちゃんのお母さんは、今度はマイちゃんのお母さんとタロウくんのお母さんに謝った。

 マイちゃんとタロウくんは、いつもの事なので、肩をすくめて黙って顔を見合わせた。


 クリスティは、短足のキリンの下絵に水彩で着色を始めた。パレットに黄色と茶色、白、黒、赤、緑、青……色々な色を出すが、どれもキリンの色に合わない気がして、隣の色同士を混ぜては悩む。

 絵本などのキリンは、黄色に茶色の模様が描かれているが、地の色が黄色には、とても見えなかった。

「君が、見えるように描けばいいんだよ。同じ色でも光が当たっている所と、影になっている所では見え方が違うよね。キリンが黄色って見える人もいれば、そう見えない人もいる。君は、君のキリンを描けばいい」

 悩んでいるクリスティに、父親が声を掛ける。

 その言葉で何だか気持ちが楽になって、クリスティは筆に絵具を着けると、キリンを塗り始めた。

 父親は、キリンの親子のスケッチを二枚ほど完成させていた。

「うわーっ、お上手ですね」

 声に振り向くといつの間にか、アユちゃんのお母さんが父親のスケッチブックを覗き込んでいた。

「いやぁ、下手の横好きですよ」

 父親は、少し照れながらポアロみたいな髭を指先で触る。

「クリスちゃんも、お上手ですね」

「ありがとうございます。アユちゃんは、もう絵が仕上がったのですか?」

 父親が訊ねる。

「いいえ、まだです。ゾウが入りきらなくて、前半分と後ろ半分の二枚を合わせて出すそうで、今、一生懸命、絵の具を塗っています」

 お母さんは、ゾウの展示場所の方に視線を送った。

 絵の具を塗りながら、アユちゃんのお母さんの話を聞いて、その手が有ったかと、クリスティは少し後悔した。二枚にすれば、キリンは短足にならなかったかもしれない。


(いやいや、うまく、はんぶんずつに、なっていないから、やっぱり、むずかしいのかな)


 それに、二枚になると塗る所が多くなるから大変かもしれない。短足でもいいや、と思い直す。



 やがて、ランチタイムになり、クリスティは、母親が作ったサンドイッチをリュックサックから取り出した。キュウリとハム、卵、ツナ。

「サンドイッチにキュウリは欠かせないな」

 イギリス帰りの父親は、キュウリのサンドイッチが好きだ。父親は、ポットから暖かい紅茶を注いだ。

 ランチタイムが終わると絵を仕上げていく。


 午後二時になって、皆は其々の作品をもってエントランスに集合した。

「じけんよ~! じけんよ~!」

 アユちゃんの声が響く。

「アユちゃん、公共の場所ですから、静かにしましょうね!」

 引率のヨシミ先生は、唇に人差し指を当てて、すかさず注意した。

 以前、水族館でも同じ事を注意されてしまったアユちゃんは、少しいじけて下を向き、ボソボソと小声で言い直す。

「じけんって、なぁに?」

 あとから来たクリスティは、アユちゃんの肩を元気づけるようにポンッと叩いた。

「ナミちゃんの、ぼうしが、なくなったんだって」


 ナミちゃんは、少し前に幼稚園でシュシュを探して欲しいと言ってきた子だ。

 少しぼんやりとしていて、身に着けているものが無くなっても気が付くのが遅い。

 クリスティが小耳にはさんだ話では、雨の日に、差していた傘の持ち手を何処かで落として帰宅したという。持ち手のネジが緩んで落ちてしまったらしい。傘の軸を持っていたらしいが、持ち手が無くなっても気付かないほど、ナミちゃんは何を考えていたのだろうか。それはさておき。


「ぼうしが、なくなっちゃったの?」

 クリスティは、べそを掻いているナミちゃんに近付いた。

「あ、クリスちゃん。ぼうしを、さがしてくれる?」

「こんにちは、阿形です」

 父親が軽く頭を下げて挨拶をする。

「こんにちは、大井ナミの母です」

「お嬢さん、帽子を失くされたのですか?」

「そうなんです。被っていて、風に飛ばされた? ようなのですが、気が付くのが遅くて」

「遺失物預かりには、確認しましたか?」

「ええ、先程、ノリコ先生が問い合わせて下さったのですが、届いてないようです。園内の清掃係の方々にも、もし見掛けたらというご連絡はして下さったようですが」

 幼稚園指定の帽子なので、誰かが拾って持ち去るという程の物ではない。だが、いずみかわ幼稚園の園児にとっては、必須アイテムだった。

「さて、どうする?」

 父親は、クリスティに向かって片目をつぶって見せた。

 クリスティは、スモックのポケットから赤い伊達メガネと手帳を取り出した。

「わたしの、でばんね。じゃあ、もうすこし、くわしく、きかせて。どこで、えを、かいていたの? ぼうしがないのに、きづいたのは、いつ?」

 クリスティがナミちゃんに聞き込みを始めたので、他の皆はその様子に注目した。

 ユウカちゃんは、ちょっと悔しそうに見詰めている。


 ナミちゃんは、描きたい動物が中々決まらずに、園内を行ったり来たりしたようだ。

 絵に描いたのは、ゴリラの横のダチョウ。

 帽子が無くなったのに気が付いたのは、此処に集合する少し前だという。

 捜索範囲は、ほぼ動物園内全部。屋内、屋外施設と分かれているものもあるので、結構広範囲だった。

 帰りのバスの発車時刻まで一時間くらい。その間に全部回れるだろうか。

 帽子は風に飛ばされたのではないかと、ナミちゃんのお母さんは言っていた。今は、風はそんなに吹いていない。

「パパ、かぜが、ふいていたのって」

「ああ、キリンの所に着いた前後かな。ほら、ピクニックシートを敷く時、捲れ上がって手こずったろ」

 クリスティは、レッサーパンダ、サイ、マレーバク、サル山、ゴリラ、その先のダチョウ、ペンギン、キリンと辿って来た。

 ナミちゃんは、園内を行ったり来たりしたという。風が吹いていたのは、自分がキリンの所に着いた時。つまり、ナミちゃんがその時にどの辺りに居たかが分かれば、探す範囲が絞られるのではないだろうか。

「ナミちゃんは、どうまわったか、おぼえている?」

「ええっと、レッサーパンダ、サイ、マレーバク……」

 ここまでは、クリスティと同じだ。

「そこまで行って、やっぱりレッサーパンダを描くと言って戻ったわよね」

 お母さんが横から付け加える。

「うん。レッサーパンダまで、もどって、かこうと、おもったのだけど、こんでいて、あきらめたの」

「じゃあ、もういちど、サイ、マレーバクって、もどったんだね」

「その後、サル山、ゴリラ、ダチョウ、その先の猛獣スペースへ行って、ダチョウに戻って来たんです」

 ナミちゃんの辿った経路に、自分の辿った経路を思い出しながら、重ねて書き込んでみた。

 クリスティが、キリンの所に到達するまでにマレーバクの所から五か所の動物展示場を経由する。ナミちゃんが、マレーバクから、サイ、レッサーパンダ、再びサイ、マレーバクと戻るのに四か所の動物展示場を経由する。滞在時間や歩きの速さにもよるが、単純に考えると、五か所目、つまり、マレーバクの次に行った動物の辺りで、風が吹いていたのではないだろうか。

「サルやまのあたりで、かぜが、ふいていたのかな」

 クリスティは、手帳を見ながら言った。

「さがすのは、サルやま、ゴリラ、ダチョウ、もうじゅうスペース」

「クリスティ、その辺りで絵を描いていた子が、もしかしたら、目撃しているかもしれないよ。訊いてみると良いね」

 パパがアドバイスをする。

 クリスティは、ノリコ先生に相談して、すみれ組の皆が何処で描いていたのかを調べて貰った。

「皆の絵を見せてくれるかな?」

 ノリコ先生の言葉に、すみれ組の皆は其々の絵を体の前に掲げた。アユちゃんは二枚組なのでお母さんに手伝ってもらった。

 クリスティは、ノリコ先生と一緒に皆の絵を見て行く。

 タロウくんとマイちゃんは、ふれあい広場にいたから除外。アユちゃんとクリスティは、其々ゾウとキリンだから除外。サトルくんがゴリラを、ヨッちゃんは、散々見ていたペンギンではなく、猛獣スペースのライオンを書いていたのが分かった。

 サトルくんのゴリラは、画用紙にキッチリと納まっていた。

「オレ、ゴリラしか、みていない」

 ヨッちゃんは、ゴロリと横になったライオンを描いていた。

「ヨシノリは、ライオンみたいに寝転がって描いていて、私は、そのヨシノリを見ていたので……」

 ヨッちゃんのお母さんが申し訳なさそうに頭を下げた。

 つまり、二人ともナミちゃんの帽子は見ていないようだ。

 他の子は、サイ、マレーバク等を描いており、サル山やゴリラ、ダチョウ、猛獣スペース以外で描いていたのが分かった。

「うーん」

 クリスティは、行き詰った。

「待って、まだユウカちゃんの絵が残っている」

 ノリコ先生はユウカちゃんの絵を指差した。

「ユウカちゃんは、ぼくたちと、いっしょに、ふれあいひろばに、いたよ」

 タロウくんとマイちゃんが口を揃える。

「ううん、、サルやまでも、かきました」

『あたくし』と言いたいらしいが、口が回らない。

「えを、みせてくれる?」

 クリスティのリクエストに、ユウカちゃんは、二枚目の絵を見せた。一枚目には、ウサギ? とヒヨコ? が描かれているようだったが、二枚目は――。



「……これはいったい」

 何を描いたものなのであろうか。ノリコ先生を始めすみれ組の皆は、その絵の前で頭を抱えた。

 茶色と赤、黄、黒のクレヨンで、夥しい数の丸や三角等が画面を埋め尽くすように描かれている。それらは大きさもまちまちで、重なっていたり、独立していたり。圧倒されるほどの、力強い何かを感じるのだが。

「サル山の前で描いたんだよね?」

 ノリコ先生は、確認するようにユウカちゃんの顔を見た。

「せつめいは、いらない。みれば、わかる」

 ユウカちゃんは、自信ありげに、黄色の星型伊達メガネをクィッと上げた。

 下手に訊ねると、ユウカちゃんの芸術家としてのプライドを傷付けてしまいかねない。皆困ったように顔を見合わせた。その中でクリスティは、絵の隅から隅まで食い入るように見詰めている。右手のグーを顎に当てて。


(これは、うちゅうじんの、あんごうと、おなじ)


 何かの法則性があるように思える。

 ユウカちゃんの絵には、茶色と赤、黄、黒のクレヨンで三角や丸、楕円。手足と思われる線が、画面を埋め尽くすように描いてある。

 宇宙人の暗号を解いた時は、両親が一緒だったが……。クリスティは、振り返って父親を見た。気付いた父親は、サムズアップをして見せた。


(サルやまを、かいたのだから、さんかく、まる、だえんは、たぶん、おサルさん。いろの、ちがいは、ひかりの あたりかたかな? じゃあ、これは?)


 光が当たっていると思われるところは、赤や黄色。影になっている所は、茶色と黒。そう塗り分けされているように見えるが、一か所だけ、法則に合わない色が使われている箇所があった。

「ユウカちゃん、このいろって」

 クリスティが訊ねると、ユウカちゃんは得意そうに答えた。

「いっしゅん、だったの。すごいでしょ?」

「これは、むらさき。すみれいろ、だね」

「そうなの。おサルさんが、むらさきの、ぼうしを、かぶったの」

 自分で言ってから気付いたのか、ユウカちゃんは眉根を寄せた。

「もしかしたら、すみれぐみの、ぼうし? とおくて、よくみえなかったけど」

「ナミちゃんのぼうし、じゃないかな」

 場所的にその可能性は高い。クリスティは、

 風で帽子がサル山に飛んで行ったのではないかと考えた。

「動物園の方に訊いてきます」

 ノリコ先生は、ヨシミ先生に後を任せると、管理事務所の方へ走って行った。


 そろそろ、帰りのバスが到着する時間だ。

 皆が、エントランス広場で待っていると、ノリコ先生がビニール袋に入っているすみれ色の帽子を手に、小走りで戻って来た。

「クリスちゃん、大正解!」

 膝に両手を突き、息を整えながら、ノリコ先生は説明する。

 ――風で飛んだナミちゃんの帽子は、サル山に落ちたらしいの。それを、おサルさんが拾って、柵の向こうの皆を真似して頭に乗せた。その瞬間を、ユウカちゃんが絵に描いたんじゃないかな。バックヤードに居た飼育員さんが見付けて、おサルさんから帽子を取り返そうと、頑張ってくれたんだって。お客さんから見えにくい所なので、被ったのを見たのはユウカちゃんだけだったみたい――

「中々返してくれないので、おサルさんに、お芋と交換してもらったそうです」

 ノリコ先生は、帽子を袋ごとナミちゃんのお母さんに手渡した。

「ありがとうございます。お手数お掛けしました」

 ナミちゃんのお母さんは、ビニール袋越しに帽子を確認する。少し汚れているだけで、破れてはいないようだ。

「ありがとう。クリスちゃん」

 ナミちゃんとナミちゃんのお母さんにお礼を言われて、クリスティは照れて下を向く。でもその顔は、嬉しくてニマニマしてしまう。

「ウ、ウンッ!」

 ユウカちゃんが大きな咳払いをしたので、顔を上げた。

の、えが、おやくに、たったようね。つまり、これは、クリスちゃんの、おてがら、じゃなくて、の……」

「うん。そうだね。ユウカちゃんの、えが、なかったら、かいけつ、できなかった」

 クリスティは、ユウカちゃんに「ありがとう」と笑い掛ける。

「そ、そうなのよ。わかれば、いいのよ」

 ユウカちゃんは、黄色い星型伊達メガネをクイッと上げた。

「そうね。ありがとう。ユウカちゃん」

 ノリコ先生や、ナミちゃん親子にお礼を言われて、ユウカちゃんは、真っ赤になってモジモジした。

「じゃあ、皆、描いた絵を先生の所に持って来てくださぁい」

 ノリコ先生が皆の絵を回収して、すみれ組のお部屋に飾るようだ。

 ユウカちゃんが絵を先生に渡そうとすると、皆が集まって来て、よく見ようとした。

「せんせい、もういっかい、みせて」

「うーん、クリスちゃん、よくわかったね」

「むずかしくて、オレ、わかんない」

 口々に感想を述べるのを、ユウカちゃんは満足そうに眺めていた。

 ナミちゃんの帽子が無事見つかり、すみれ組の皆と保護者は帰路に就いた。



「クリスティ、写生遠足はどうだった?」

 夕食のテーブルで、母親が訊ねた。今晩のお夕飯は、クリームシチュー。

「ママ、クリスティは、また事件を解決したんだよ」

 嬉々として報告する父親に、母親は人差し指を左右に軽く振ってたしなめる。

「パパ、私はクリスティに訊いているの」

 父親がションボリすると、母親は笑って手を取った。

「今日は、クリスティに同行してくれて、ありがとう。キュウリのサンドイッチは、美味しかった?」

「そりゃあ、もう。君のサンドイッチは最高さ」

「もう、パパったら」

 両親がイチャイチャし始めたので、クリスティは、大きな声で母親に話し掛けた。仲良しな様子を見るのは好きなのだが、このままでは、お話ができない。

「ママ、きょうはね、ナミちゃんの、ぼうしを、さがしたの」

 それから、父親と二人で事件の顛末や、短足のキリンを描いた話などをした。

 父親は、自分の書いたスケッチを、母親に見せていた。


 夕食後、アフター・ディナー・ティーの時間。

 クリスティは、『あがたクリスティ・じけんぼ』への記入も忘れない

『しゃせいえんそくじけん』

『いらいしゃ ナミちゃん』

『なくなったもの ぼうし』

『かぜに、とばされたのを、おサルさんが、ひろった』

『ユウカちゃんの、えが、ヒント』

『ほうしゅう ありがとう』

「ユウカちゃんの絵がヒントだったのね」

「ユウカちゃんは、おサルさんが、ぼうしを、かぶったところを、ちょうど、かいていた。だから、わかったの」

「中々の芸術家だったよ。子供の感性って素晴らしいね。あの沢山の丸や三角は、移動したり、姿勢を変えたりしているサルを描いたのではないかな。同じサルでも丸くなったり、三角になったり。居場所も変わる。静ではなく動を描いたように思った」

「凄いわね。見てみたいわ。クリスティの短足のキリンもね」

「すみれぐみの、おへやに、みんなの、えを、かざるって、ノリコせんせいが、いってた」

「お迎えの時に見れるわね。アユちゃんの二枚組ゾウさんも楽しみ」



 自分の部屋のベッドの上で、クリスティはミス・マープルと一緒にゴロゴロしている。

「ねぇ、ミス・マープル。みんなは、ゆうかちゃんの、えが、わからないって、いった。だけど、よくみて、おもったの。さっき、パパが、いったみたいに、うごいている、おサルさんを、かいたんじゃないかって」

 ミス・マープルはフサフサの尻尾を、ふぁさりと動かした。

「あと、うちゅうじんの、あんごうを、といたときみたいに、なにか、きまりが、あるきがしたの」

 クリスティは、ミス・マープルの顎の下を撫でる。

「ポアロの『じじつは、すべて、めのまえに、ある』っていうのは、きょうも、やくに、たったよ。やっぱり、よく、みることが、たいせつだね」

 しかし、ユウカちゃんの黄色の星型伊達メガネが、ちょっと気になる。真似っこされているのかな。まぁ、自分も某探偵の真似っこなのだけれど。

「ユウカちゃんも、よく、みるこ、なんだね。わたしも、まけずに、よく、みることにする」

 父親がユウカちゃんの絵をめていたので、

 少しモヤモヤする。何だろうこの気持ち。

 ミス・マープルは、ゆっくりと《まばた》瞬きをして見せた。


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