連続紛失事件~初めての依頼
(ない! そんな、ばかな)
いずみかわ幼稚園すみれ組の河合トオルは、焦った。ドキドキして、頭が真っ白になる。暑くもないのに、脇の下や掌に、じっとりと汗を掻いていた。
(なんで?)
水泳バッグの中を探ったり、床に落ちていないか屈んで探す。皆に失くしたのを悟られずに、こっそり探さなくてはいけない。だが、一生懸命探しているのにも
(どうしよう)
もう、皆は、ほぼ着替え終わっている。濡れた水着が体に張り付いて気持ち悪い。
(こまった。だけど、はずかしくて、いえない)
トオルは、どうしていいか分からず、涙ぐんだ。
プールの後、着替え終わった阿形クリスティは、トオルくんの様子がおかしい事に気付いた。金髪のクルクル巻き毛を、タオルで拭きながら観察していた。
すみれ組の
しかも、水泳バッグの中を何度も探したり、床を探したりしている。
クリスティは、トオルくんに近付いた。
「トオルく……」
声を掛け終わらない内にトオルくんは顔を上げ、小声で言った。涙目だった。
「クリスちゃん! さがして。おねがい」
トオルくんの言葉に、クリスティは、目を輝かせた。
「どうしたの?」
困っているトオルくんには悪いけれど、初めての依頼に胸がときめいた。
これまでは、自主的に事件に首を突っ込んでいたけれど、ついに、探偵の依頼が来たのだ。スキップしたいほど嬉しい。
先日の水族館迷子事件で新聞に載ったクリスティは、すみれ組の中で、一目置かれる存在になっていた。お礼に届いたお菓子が、皆の分あった所為かも知れないが。
今日は、学年別のプール開きだった。
すみれ組は、プールサイドに体育座りをしてお話を聞いている。
園長先生のお話の後、ノリコ先生が、プールでのお約束を確認した。
「おトイレは、済ませましたか?」
「はーい」
「走らない。ふざけない。人を押したりしない。いいかな?」
片手を上げ、指を折りながら、皆を見回す。
皆は、うんうんと頷く。
「プールに入る時は、飛び込まないこと。足からゆっくり入ってね。では、今から準備体操をします」
皆立ち上がって、広がった。
準備体操の後、泳ぎの得意なトオルくんの模範演技があった。
小柄で細いトオルくんは、クラスでは、あまり目立たない存在だった。
「なんで、トオルくんなの?」
「トオルくんはね、あかちゃんのときから、スイミングスクールに、いっているんだって」
アユちゃんが、物知り顔でマイちゃんに答える。
「よくしってるね」
アユちゃんは、得意そうにニンマリした。
トオルくんは、慣れた様子で、水に入るとスイスイと蛙の様に泳いで見せる。
「すごーい!」
「トオルくん、かっこいい」
すみれ組の皆の歓声が上がった。
プールの端まで泳ぐと、今度は左右の腕を水の中に抜き差しし、時々横向きに顔を上げ、足でバシャバシャと水を打って戻って来た。
皆の、尊敬のまなざしを集めた。
(トオルくん、すごい)
クリスティは、お風呂は好きだが、プールは苦手だった。昨年、年少組の時は水に慣れなくて、ひゃぁひゃぁしてしまった。今年は、少しマシになっているはずだが。
模範演技が終わると、いよいよ自分達の番だ。ドキドキする。
「では、プールの縁に座って下さーい!」
ヨシミ先生のだみ声がプールに響いた。
ノリコ先生とユカ先生が、皆を座らせ、足だけを水に浸けさせる。
タロウくんと、マイちゃんは、既に足を浸けて待って居た。
アユちゃんとクリスティは、先生に言われて渋々プールの縁に座る。水着のお尻が濡れて冷たい。カルキの臭いが鼻を衝く。プールが嫌いなのは、この臭いの所為もある。
「では、手でお水を掬って、体に掛けて下さーい!」
水を両手で掬って、自分にバシャっと掛ける。隣のアユちゃんと掛け合う。
「きゃあ」
顔を背ける。
「うふふ」
「いやーっ!」
クリスティは、目を
「今度は、足をバチャバチャさせてくださーい!」
側に居る先生達は、皆の水しぶきでビショビショになった。
「では、ゆっくりと、プールに入ってね!」
腰の辺りまで水に浸かるとき、冷たさと体にかかる圧で、思わず息を止めてしまう。一度入ってしまえば、何故か大丈夫なのだけれど。
「プールに入ったら、一回肩まで沈みましょう!」
ヨシミ先生は、全員がプールに入ると、ニィと笑った。
「プールの中に、宝物が有ります! 皆で探してね! お水の中で目を開けると、探しやすいですよ!」
「わぁ、たからものだって」
「なんだろう」
皆、顔を上げたまま足先で探ったり、屈んで手を突っ込んだりして探した。意を決して、顔を水に浸ける子もいる。
「せんせー、あったよー!」
水の中で目を開けるのは、お手のもののトオルくんが、一番に手を挙げた。その手には、アクリル製の綺麗なピンクのヒトデがあった。角は丸くなっていて、踏んでも怪我しないようになっている。日の光にキラッと煌めいた。
「わぁー、きれい」
「おほしさま?」
「……ヒトデかな」
トオルくんは、手にした物をじっくり見る。
「他にも、色々な色のお魚や貝がありますよ!」
皆、俄然やる気になって盛り上がった。
クリスティは、大きく息を吸い込むと、目をギュッと瞑って、顔を水に浸けた。鼻からポコポコ泡が出る。両手で水プールの底を探るが、誰かの足ばかりで、ちっとも宝物が手先に当たらない。プハッと水から顔を上げる。
(こうなったら)
覚悟を決めて、顔を水に浸けて、恐る恐る目を開いた。ユラユラする水底。皆の足の隙間に、青い何かがあった。手を伸ばし、なんとか青い貝を拾って、顔を上げる。
「とったー!」
嬉しさを息と一緒に吐き出した。
プール開きで、皆の憧れの的だったトオルくんは、今、目の前で半べそを搔いていた。
「なにを、さがしてほしいの?」
「パ、パン……」
「ん?」
「パンツ」
トオルくんは、顔を真っ赤にしてモジモジした。
女の子に、こんな事を頼むのは、恥ずかしいけれど、これだけ探して無いのだから仕方がないという。
「えっ、パンツ?」
驚いて聞き直したクリスティの声が、想いのほか大きかった。
「シーッ!」
しかし、物見高いアユちゃんは、既に隣に来ていた。
「じけんよ~! じけんよ~! トオルくんのパン……むぐっ」
アユちゃんの口は、トオルくんの手によって塞がれた。
「や、やめて」
涙目のトオルくんを見て、アユちゃんは口を閉じて
「ごめんね」
「こっちこそ、ごめんね」
すみれ組の皆が、アユちゃんの声に反応して、こちらを向いたが、アユちゃんは「えへへ、まちがえた~」と笑ってごまかす。
皆は、お着替えの後始末に戻ったが、大井ナミちゃんだけは、何か言いたそうに、こちらを見ていた。
「それより」
クリスティはキャラクターの付いた可愛い手帳を取り出した。いつの間にか、赤い伊達メガネも掛けている。
「ないことに、きづいたのは、プールが、おわってから?」
「うん」
「じゃあ、プールまえの、おきがえのときを、おもいだして」
「ここで、ラップタオルを、くびにまいて」
スイミングスクールで、お着替えは慣れているから、チャチャッと着替えたという。
「うーん。きがえおわって、ぬいだものは、どうしたの?」
「このバッグのなかに、Tシャツとズボンをたたんでいれた」
「たたんでいれた」
クリスティは、
「そのときに、ちかくで、きがえていたこは、いるかな?」
「なんで?」
アユちゃんが訊ねる。
「じぶんのと、まちがえて、しまっちゃったかもしれないから」
トオルくんは、ちょっと考える。
「タロウくんとヨッちゃんが、いたかな」
クリスティは、タロウくんの所に行って、水泳バッグの中を確かめてもらった。
「ぼくのタオルと、すいえいぼうと、みずぎ。ほかには、ないよ」
「ありがとう」
「なに、なに? さがしもの?」
「うん、ちょっとね」
依頼者の秘密は守る。
次に、ヨッちゃんに、確かめてもらう。
「ん……、ぼくのしか、ない」
ヨッちゃんは、何でそんなこと訊くんだ、というような顔をした。
「ごめんね。ありがとう」
近くに居た子が、間違えて仕舞った訳ではなさそうだ。かといって、トオルくんの周囲には、落ちていない。
クリスティは、
(だれかが、まちがって、はいているの?)
しかし、自分の口から、男の子にパンツを確かめてとは言いづらい。仕方ない。タロウくんに協力してもらおう。
クリスティは、内緒話をしようと、タロウくんに近付いた。左手を口元に当て、タロウくんの耳に
「うひゃ、クリスちゃん、くすぐったい」
タロウくんは、笑いながら身を
耳元のコショコショ話は、くすぐったい。
「ちゃんときいて! あのね、トオルくんのパンツを、さがしているの。おとこのたちに、はいているパンツが、じぶんのか、たしかめてほしいの」
「えっ?」
タロウくんは、下半身にタオルを巻いたままのトオルくんを憐れむように見た。そして、任せて置けというように頷いた。
クリスティが、タロウくんに内緒話をしているのを見て、マイちゃんが寄って来た。
「なぁに、なにかあったの?」
今度は、アユちゃんが、マイちゃんに内緒話をする。コショコショコショ。
「きゃっ、アユちゃん、くすぐったい。えっ、パン……」
マイちゃんは、自分の口に手を当てた。
ナミちゃんが近付いて来た。やはり、何か言いたそうだ。
タロウくんは、他の男の子に、自分の穿いているパンツを確かめてと、言って回っている。
男の子たちは、言われるままに、自分のパンツを確かめた。
「サトルってかいてある」
「ぼくのなまえだよ」
「このエイリアンマンのパンツは、ぼくのだ」
タロウくんも、自分のパンツを確かめる。
「まちがいない。ぼくのだ」
結局、皆、自分のパンツを穿いていることが分かった。では、トオルくんのパンツは何処へ行ったのだろう。
(かんがえられるのは)
クリスティは、手帳を見ながら、トオルくんに確認する。
「さっき、ぬいだTシャツとズボンは、たたんでバッグに、いれたって、いったよね」
「うん」
「パンツは?」
「……」
トオルくんは、アレッというような顔をした。
「ぼく、パンツいれたかな?」
首を
「おうちから、みずぎで、こなかった?」
「えっ、そんなこと……」
考え込む。
「……あーっ、今日はプールびらきで、もはんえんぎがあるから、いえから、はいてきたんだった」
「ふつうのパンツを、もってくるのを、わすれたんだね」
「わぁあああ、どうしよう。こんな、ぬれたみずぎで、ずっといられないよ」
真相は分かったが、パンツが無い事に変わりはなかった。
「だいじょうぶ。ようちえんで、パンツかしてくれるよ」
マイちゃんが言う。
「なんで、しってるの?」
アユちゃんが突っ込む。
「去年、ひよこ組のときに、かしてもらったことがあるから」
マイちゃんは、恥ずかしそうに頬を染めた。
「あたしも、かしてもらったこと、あるよ。ひよこ組のときに」
アユちゃんもか、とクリスティは思った。自分も、貸してもらったことがあるのは内緒。
「じゃあ、ノリコせんせいがきたら、かしてもらう。クリスちゃん、みんな、ありがとう」
パンツの目途が立って、トオルくんは、ちょっと安心した顔をした。
「なーんだ、はじめから、なかったのか」
タロウくんが、言い終わるのと同時に、今度は、近くでモジモジしていたナミちゃんが、泣きそうな顔で口を開いた。
「クリスちゃん」
「なぁに、ナミちゃん」
「わたしのシュシュがないの。さがして、くれる?」
ナミちゃんは、タオルで拭いた髪をゴムで一つに結っている。
「じけんよ~! じけんよ~! ナミちゃんのシュシュが、ゆくえふめいよ~」
今度は清々と言えて、アユちゃんは、満足そうな顔をした。
(ふたつめの、いらい!)
クリスティは、ニマニマしたいのを我慢しながら、メモを取る。
「シュシュって、どんなの?」
「しろに、きいろのおはなのもようが、ついているの」
クリスティは、手帳にメモをしていく。
「いつから、ないの?」
「それが、よくわからないの。プールがおわって、つけようとしたら、なかった」
「うーん」
「きょうは、つけてきた?」
横から、アユちゃんが訊ねる。さっきのパンツのこともある。
「うん」
「わたし、ナミちゃんが、シュシュしているのを、みたよ」
マイちゃんが、朝一緒に、園庭で鬼ごっこをした時に見たという。
「じゃあ、はじめに、おへやのなかを、さがしてみよう」
クリスティは、ナミちゃんがお着替えをした場所や、水泳バッグの中、通園カバンの中をさがした。
「ないねぇ。おトイレに、いった?」
「うん」
それから、女の子達で、おトイレを探したが、落ちていなかった。教室とトイレに無いという事は、外なのか。
クリスティは、園庭を眺めた。中心には、白い花弁に、真ん中が黄色の夏椿(ヒメシャラ)が、咲いている。
「おそとを、さがそう」
クリスティとナミちゃん、マイちゃん、アユちゃん、タロウくんは、靴を履いて、園庭を探し始めた。
「どこで、おにごっこしたの?」
「んと、みっちゃんと、ふぃーちゃんのおうちのところから、こっちのすべりだい」
ナミちゃんの説明に、マイちゃんが付け加える。
「あと、ブランコのところへいって、きゅうしょくしつのところまで」
園庭を、ほぼ隈なく走った事が分かった。
ウサギ小屋の辺りを、タロウくんが探した。
「みっちゃん! ふぃーちゃん!」
ウサギが好きなので、つい、見入ってしまう。二匹は、少しずつ寄って来て、黒いつぶらな瞳でじっとこちらを見ている。
「かわいい! うちのポンちゃんも、かわいいんだよ」
しゃがみ込んでウサギに話し掛ける。ずっと話している。
「ねぇ、タロウくん、すべりだいを、さがすよ」
いつまでも動かないので、
「ちょっと、すべってみよう」
「あー、わたしも」
マイちゃんとタロウくんは、滑り台で遊び始めてしまった。クリスティは、眉根を寄せた。
(さがしている、とちゅうだよー)
ブランコの辺りは、ブランコ好きのアユちゃんが探す。ここは、毎日遊んでいるので、少しでも変わったことが有れば、気付くはずだという。しかし、特に変わったことは無かった。アユちゃんは、ブランコに乗りたそうにしたが、乗らなかった。
給食室の前。クリスティとアユちゃん、ナミちゃんの三人で、探したが、何処にも落ちていない。
(あさは、つけていた。プールのあとには、なかった。おきがえしたときに、あったのかは、わからない。おへやには、なかった。トイレにも、なかった。おそとにも、おちていない。シュシュは、どこに、いったのだろう)
クリスティは、顎に手を当て、漠然と前を向いて考えこんだ。
(『じじつは、すべて、めのまえに、ある』ってポアロが、いっていたけど)
園庭の中心に植えられた夏椿(ヒメシャラ)が目に映る。
(シュシュとおなじいろ、もしかしたら)
近付くと、子供の背の高さ位までの枝を一本ずつ丁寧に見始めた。木の周りを巡る様に目を走らせる。
「あった!」
その枝は、丁度クリスティの肩ほどの高さだった。葉っぱの間の白い花に混ざって、ナミちゃんのシュシュが引っ掛かっている。
クリスティは、枝からシュシュを取ると、ナミちゃんに手渡した。
「わたしのシュシュ! クリスちゃん、ありがとう」
「どういたしまして」
クリスティは、赤い伊達眼鏡を、人差し指でクイッと上げた。
「あー、おはなに、まざっていたんだ」と、滑り台から戻ったタロウくんが、夏椿を見上げる。
「しろときいろ、おなじいろだね」とアユちゃん。
「おいかけごっこを、しているときに、このきのそばを、とおったんだね」と、同じく滑り台から戻ったマイちゃんが、ナミちゃんを振り返る。
「うん、おはなが、きれいだったから」
ナミちゃんは、さっそく一つに束ねた髪にシュシュを着けた。良く晴れていたので、皆の髪は、知らない内に乾いていた。
教室に戻ると、着替えが終わったノリコ先生が居た。皆、教室前のすのこの所に集まってザワザワしている。何かあったのだろうか。
「どうしたの?」
園庭から戻った五人は、ノリコ先生に訊ねた。
「皆のサンダルが、何というか……」
歯切れが悪い。
五人は、靴を履いて外に居たから知らなかったが、皆のサンダルが、脱いだ所に無かったのだという。
「ぼくは、ここで、ぬいだ」
「わたしも、ここに、ぬいでおいた」
みんなは、プールから履いて来たサンダルを教室前のすのこで脱いだという。
今、すのこの所に、サンダルは一足も無い。
クリスティは、さっき園庭に出る時に、靴箱から靴を取り出し、サンダルを靴箱に仕舞った。タロウくんを始め、あとの四人も同じようにした。その時、皆のサンダルは、確かにすのこの所に、散乱していた。
「みつからないの?」
クリスティの問いに、ノリコ先生は首を振った。
「サンダルは、あるの」
「なんだ。あるならいいじゃん」
アユちゃんが、つまらなそうに言った。
「皆の靴箱に、キッチリ入っていたの」
ノリコ先生は、困った顔をした。
「だれかが、おかたづけしたってことだよね」
マイちゃんは、何が問題なのか分からないようだった。
「ああ、そうか。サンダルを、おかたづけすると、せんせいに、シールもらえるんだよね」
タロウくんが、思い出す。
「みんなが、かたづけようとしたら、もう、かたづけてあった、ってことか」
アユちゃんは「じぶんたちは、もらえるよね」とノリコ先生に確認する。
「ぼくたちだって、かたづけようと、したんだよ」
「おきがえすんでから、しようとおもっていたのにぃ」
「シールもらえなくなっちゃった」
皆、口々に不満を述べた。
「じけんよ~! じけんよ~! みんなのサンダルが、おかたづけされていたのよ~」
「それって、やっぱり、じけんなのね?」
マイちゃんは、アユちゃんに突っ込みを入れる。
「だって、しらないあいだに、かたづいているんだよ? きもちわるいじゃん」
「うーん」
クリスティは、考えていた。
皆のサンダルを片付けるのは、手間が掛かり大変な事だと思う。どうして、そんなことをしたのだろう。『何で』が分からないので、『誰が』を考えてみる。
(みんなが、おきがえしているときに、サンダルを、しまえるのは、おきがえが、はやく、おわったこ)
「おきがえが、はやかったのは、だれかな?」
集まっている皆は、首を傾げて考えるが、自分の着替えに精一杯で、着替えが早い子など、気にしていなかった。
(もくげきしょうげん、なし)
今度は、『何で』を考えてみる。
(おかたづけが、すきなのかな? すみれぐみで、おかたづけが、すきなのは……)
クリスティは、メモ帳を
その子が、いつも教室にある玩具や絵本を、キッチリと片付けているのを知っている。
大柄な体を丸めて、男子トイレのスリッパを綺麗に揃えているのを、何度も見たことがある。
メモ帳から顔を上げて、その子を探すと、今も教室の隅で玩具を片付けていた。佐野サトルくんだ。
クリスティは近付いた。見ると、玩具箱の中には、玩具がキッチリ綺麗に並べられている。
「サトルくんが、みんなのサンダル、かたづけて、くれたの?」
「えっ、ああ」
片付けに夢中になっていたサトルくんは、振り向いて、素っ気なく答えた。騒ぎに気付いていないらしい。
「えーっ!」
「サトルくんだったのぉ?」
教室入口付近で、クリスティの行動を目で追っていた皆は、口々に言った。サトルくんは、不思議そうな顔をして、立ち上がった。
「ちらかっていたから、みんなの、くつばこにいれたよ」
「おれたち、シールもらえなくなった」
「じぶんでやらないと、だめなんだよ?」
「わたしも、シールほしかった!」
「せんせー、サトルくんは、シールいっぱいもらえるの?」
皆は、サトルくんの周りに集まった。
ノリコ先生は、ちょっと困っている。
お片付けするのは良い事だ。自分のだけではなく、他人の分も片付けるというのは、間違ったことではない。だけど、皆が、それぞれ自分ですることも、教育的に大切な事だ。
「サトルくん、皆のサンダルを片付けてくれてありがとうね。でも、本当は自分の物は、自分でお片付けするのが良いの」
「おれ、なんでも、キッチリしていないと、いやだ」
「そうだね。キッチリ片付いていると、気持ち良いよね」
「うん」
サトル君は、我が意を得たりというように嬉しそうに頷く。
「おとうさんが、おかたづけがすきで、おかあさんが、いつも、おこられている。だから、おれが、おかたづけしてあげるんだ」
性格の他に、家庭の事情もあるらしい。
「そっか、偉いね。ただね、園では、自分の物は自分でお片付けするのが、お約束なの。散らかっていて、気持ち悪いかもしれないけど、少し、お片付けを待っていてくれるかな。皆が、お片付けするから」
「おもちゃや、えほん、トイレのスリッパはかたづけてもいい?」
サトルくんは、上目遣いにノリコ先生を見た。
「それも、本当は皆がすることなの。自分の物でなくても、使った物は、きちんとお片づけする練習だから」
「……わかった」
「せんせー、シールはどうなるの?」
誰かが、シールの心配をする。
ノリコ先生は、ちょっと考えてから言った。
「明日から、自分の物は、自分でお片付けするってお約束できる人、手を挙げて?」
「はーいっ!」
すみれ組の皆は、元気よく手を挙げる。
「今日は、全員にシールだね!」
ノリコ先生は、ニッコリ笑った。
皆は、シールがもらえるので喜んだが、サトルくんは、ちょっと残念そうな顔をしていた。
帰宅したクリスティは、居間で、母親と一緒に、今日の出来事をノートに書いている。
このキャラクターの付いた可愛いピンクのノートは、先日、母親にプレゼントされた。
みっちゃん失踪事件から、今日までの事件の概要と、顛末が書いてある。
父親が、記録を残すことの大切さを教えてくれたからだ。
「これから、色々な事件が起きるかもしれないけれど、これまでに解決した事件の顛末は、きっと役に立つと思うよ。未来の名探偵さん」
父親は、片目を瞑って笑った。
「てんまつって、なぁに?」
「始めから、終わりまでのことだよ。どう始まって、どう解決したのかということだね」
それから、母親が『あがたクリスティ・じけんぼ』と表紙に書いたノートをくれたのだ。
今日は、記念すべき日だった。
生まれて初めて、探偵として依頼されたのだから。
「ママ、つづけて、ものが、なくなることを、なんていうの?」
「うーん、続けては『連続』かな」
クリスティは、『れんぞく』と書く。
「じゃあ、ものが、なくなるのは?」
「そうね。『紛失』かしら」
『ふんしつ』と書いて、『じけん』と続ける。『れんぞくふんしつじけん』のページに、母親がインデックスを貼ってくれる。
『いらいしゃ トオルくん』
『なくなったもの パンツ』
「パンツが無くなって、困ったでしょうね」
母親が、ノートを覗き込む。
『おうちに パンツを おいてきた』
「あらまぁ」
『ほうしゅう ピンクのヒトデ』
トオルくんは、プールで拾ったピンクのヒトデをくれた。
「ピンクのヒトデをもらったの? 良かったわね」
クリスティは、もらったヒトデと、自分で拾った青い貝をカバンから取り出して、母親に見せた。
「綺麗ね」
母親の言葉に、深く頷く。
これは、特別な宝物。初めての依頼の報酬だから。
一行空ける。
『いらいしゃ ナミちゃん』
『なくなったもの シュシュ』
『おにわのきに ひっかかっていた』
『じじつは、すべて、めのまえに、あった』
「よく、気が付いたね。ポアロの言葉から
母親は、手を叩いてから、クリスティの肩を抱き締める。
嬉しくて、ちょっと恥ずかしい。
一行空ける。
『いらいしゃ みんな』
『なくなったもの(?) サンダル』
『サトルくんが、おかたづけした』
クリスティは、鉛筆を止めて、ノートから顔を上げた。
「ねぇ、ママ。じけんの、かいけつに、せいかくって、たいせつ?」
「性格は大切ね。行動パターンを決めるから。行動パターンというのは、その人が、こうしようと思っていなくても、何となく繰り返してしまう行動のことかな。誰かが、どんな性格で、いつもどんな風に行動して、その時どんな気持ちだったかを考えれば、解決に近付くのではないかしら」
母親は、犯罪捜査では『プロファイリング』
というのだと、教えてくれた。
母親は、大学で犯罪心理学を教えている。
「ぷろふぁいりんぐ?」
「それをする為には、沢山のデータをあつめなければならないのよ。データを集めるに、クリスティが出来るのは、観察と聞き込みかな」
「いつも、かんさつしているよ」
「そうね。貴女は、観察が上手ね」
母親の手が、クリスティの髪を撫ぜた。
「サトルくんはね、おかたづけが、すきなんだよ」
クリスティは、玩具箱やトイレのスリッパの話をする。
「お家が、きちんと、しているのでしょうね」
「サトルくんのパパが、おかたづけ、すきなんだって」
「そうなのね。几帳面な人っているわね」
「きちょうめんって、なぁに?」
「すみずみまで、きちんとすることかな」
クリスティは、自分の部屋のベッドの上で、愛猫のミス・マープルに話し掛ける。
「きいて、きいて。きょうね、はじめて、いらいされたの。すごくうれしかった」
名探偵へ一歩、踏み出した気持ちがする。
嬉しくて、クッションを抱き締めて、ゴロンゴロンする。ミス・マープルは、驚いたように、少し距離を取った。
「プロファイリングって、おもしろそう。わたしも、みんなのかんさつノートを、つくってみようかな。ね?」
ミス・マープルは、寝転がるクリスティに、静かにすり寄ってきた。
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