水族館迷子事件

「じけんよ~! じけんよ~!」

 アユちゃんの声が、T水族館内に響く。

 ヨシミ先生は、すかさず「シーッ、大きな声を上げてはいけません」と注意した。

 アユちゃんは、慌てて声を落とす。



 この日、いずみかわ幼稚園すみれ組は、T水族館にバス遠足でやって来ていた。館内を回るのに、二十人を三つのグループに分け、それぞれ、ヨシミ先生、ノリコ先生、ユカ先生が引率する。

 阿形クリスティは、マイちゃんとアユちゃん、タロウくん、ヨッちゃんと同じグループになった。ヨシミ先生のグループだ。


 四百円までのお菓子とお弁当を、小さなリュックサックに詰め、胸の前に斜めがけした水筒。道中は、皆で歌を歌ったり、なぞなぞをしたりして遊び、意気揚々と水族館に到着した。

「水筒だけ持って行くのよ」

 ノリコ先生が、館内のお約束を再確認する。

「一人で何処かへ行かない事。知らない人について行かない事。おトイレに行く時は、先生に言う事。歩きながら水筒の中身を飲まない事」



 ノリコ先生のお話から四十分程経った頃。

 順路に従い、水槽を巡っていたクリスティは、クラゲの部屋のベンチに、クタリと座り込むお婆さんを見つけた。そこだけ明るかったので、目立っていた。

 照明を少し落とした部屋。水槽に漂う無数のクラゲは、不思議な形でふわふわ動き、綺麗だった。

 皆が、口を半開きにして見入っているのをよそに、クリスティは、お婆さんの様子を観察している。

 白髪のショートカットのお婆さんは、地味な花柄のオーバーブラウスに、ベージュのズボン。少しお洒落な感じの靴を履いていた。


(ひとりで、きたのかな)


 どことなく寂しそうで、疲れているみたいだ。俯いて溜息を吐いたり、スマホを何度も見直したりしている。体調が悪いのだろうか。

 クリスティは、思い切って声を掛けてみた。

「こんにちは」

 幼い声に、お婆さんは顔を上げた。

 目の前に金髪クルクル巻き毛の幼児が、水筒斜め掛けで立っている。

「……こんにちは」

 お婆さんは、前方の水槽前に、お揃いの帽子とスモックを身に着けた園児が集まっているのを見て、目の前の子が何故此処にいるのかを察したようだ。

「ああ、遠足なのね」

「うん。おばあちゃん、どうかしたの?」

「え?」

「ちょうし、わるそうだから」

「……分かる?」

 クリスティは、頷いた。

「お爺さんと一緒に来たのだけれど、はぐれてしまってね。あちこち探したのだけれど。もうくたびれちゃって、動けないの」

「おじいちゃんが、まいごなの?」

「……私が、迷子なのかしら?」

 お婆さんは、頼りなげに微笑んだ。

「クリスちゃーん、つぎは、しんかいのおさかな、だって」

 マイちゃんが話し掛けたが、クリスティはいなかった。

 辺りを見回す。

「せんせー、クリスちゃんが、おばあちゃんと、おはなししてるよ」

「えっ」

 ヨシミ先生は、ヨッちゃんにクラゲの説明を読んであげていたが、顔を上げて、振り返った。

「ちょっと、ここで待って居てね」

 ヨッちゃん達は頷いた。

「クリスティちゃん!」

 ヨシミ先生は、名前を呼んで、近付きながら、ベンチに座るお婆さんに会釈した。

「えっと、お知り合いの方ですか?」

 怖い顔で、だみ声。お婆さんが身を固くするのが分かった。

「いえいえ、お嬢さんとは、今会ったばかりですよ」

「いっしょにきた、おじいちゃんが、まいご、なんだって」

「あらあら、大変。迷子センターには、行かれました? 館内放送してもらえるんじゃないかしら!」

 大きな声に、お婆さんは、ビクッとする。

「それが、お爺さんは、耳が遠くて。この喧噪けんそうだから、たぶん、放送しても気付かないかと。……軽い認知症もあるんです。もう一時間近く探しているのですが、人も多くて……」

 認知症の行方不明者は10年連続で増加し、過去最多だという。

「もう一度探して見付からなかったら、警察に相談しようかと思います」

「それは、困りましたね!」

「ねぇ、せんせい、こまっているひとには、しんせつにって、いつも、いってるよね」

 クリスティは、ヨシミ先生の顔を見上げた。

「ま、まぁ、そうね。でも、今は、遠足の途中だし、皆もいるし……」

 先生は、クリスティの探偵魂に火が付いたのを感じたようだ。

「……心配掛けちゃったわね。お婆ちゃんは大丈夫だから、皆と遠足を楽しんでね」

 先生が困っているのを見たお婆さんは、クリスティに含める様に言ったが、時すでに遅し。

 お婆さんの座るベンチの周りには、水槽の前にいたはずの皆が、いつのまにか集まっていた。

「じけんよ~! じけんよ~!」

 アユちゃんの声が、T水族館内に響く。

 ヨシミ先生に注意され、アユちゃんは、慌てて声を落とす。

「おじいちゃんが、まいごよ~……」

「こまっている、おばあちゃんの、おてつだいをしよう」

 タロウくんがマイちゃんを見る。

「さんせい!」

 マイちゃんが頷いた。

「みんなで、さがせば、すぐに、みつかるよ。ね? せんせい」

 クリスティの言葉に、ヨシミ先生は、覚悟を決めたようだ。

「放っては置けませんね。私にも高齢の母親がおりますから、他人事ではありません!」


「お魚、見たい」と言うヨッちゃんと、黙っている他の二人の男の子は、このまま遠足を続けたいようだ。

 ヨシミ先生は、スマホでノリコ先生とユカ先生に連絡し、ヨッちゃんと他の二人の男の子を、それぞれのグループに混ぜてくれるように頼んだ。八人のグループが二つ出来た。

「私は、クリスティちゃん達と一緒に、お爺さんを探しますので、よろしくね! お昼前にロビーで待ち合わせね!」

 ノリコ先生とユカ先生は、それぞれ順路に戻って行った。


「では、迷子のお爺さんの特徴を、教えて頂けますか?」

 ヨシミ先生は、お婆さんの隣に腰掛けた。

 お婆さんは「何だか申し訳ないわね。本当に良いのかしら」と呟くように前置きしてから

「髪は白髪で……背の高さは、普通ね。太っても痩せてもいない。……白いシャツに、……灰色のジャケット、それから……確か、紺のズボン。……金縁の眼鏡を掛けている」

 お爺さんの今日の服装を思い出しながら、ポツリポツリと語った。

 クリスティは、何度か聞き直しながら、可愛いキャラクターの付いた手帳にメモする。

 俯いて口を尖らせ、一生懸命書いていく。

「では、私達、探してきますね。顔色がお悪いようですから、こちらで休んでいてください。移動すると、また、行き違いになってしまいますから」

「本当に申し訳ないですね。せっかくの遠足なのに。お魚、見れませんね」

 重ね重ね恐縮するお婆さんに、ヨシミ先生はニィッと微笑んだ。

「こうした体験も、とても大切な事です! 子供達が、自分達の意思で人助けをしようとしているのですから。子供だけでは、危険な事もありますが、幸い私が一緒です。お気になさらず、待って居て下さいね!」

 クリスティは、皆の真ん中で手帳に書いた特徴を読み上げていた。いつのまにか、赤い伊達メガネを掛けている。

「おぼえた?」

「しろい、シャツ」とタロウくん。

「はいいろの、ジャケット」とマイちゃん。

「こんいろの、ズボン」とアユちゃん。

「あ、そうだ」

 クリスティは、お婆さんの方を振り返った。

「おじいちゃんの、すきな、おさかなは?」

「クラゲが好きなの。だから、ここで待って居るのだけれどね」

「ほかには?」

「……クマノミとかサンゴ礁に住むお魚。イルカや……アジやマグロも好きね」

「ぼくは、サーモンが好き」

「あたしは、イクラ」

「わたしは、卵焼きかな」


(それって、おすし)


 メモを取りながら、クリスティは、心の中で突っ込みを入れる。

「じゃあ、行きますよ!」

 順路的には、エントランスに一番近いエリアに、クマノミなどサンゴ礁の魚が展示されている。少し戻らなくてはならない。



 館内は平日だが、団体客で込み合ってざわめいている。サンゴ礁の魚の水槽は、色とりどりの魚が目を惹くので、足を止めて見入っている人が多かった。

 外国の人達なのか、知らない言葉での遣り取りが聞こえる。独特のスパイスの様な香りや、化粧品の香りが雑多に交じり合っていた。

 小さな子供を連れた親子連れや、お兄さんとお姉さんのカップルもいる。

「あのひと、しろいシャツに、はいいろのジャケット」

 タロウくんが指差す。

「人を指差してはいけませんよ!」

 ヨシミ先生が注意する。

「でも、おじさんだ。おじいちゃんじゃないや」

「あのひとは? しらがで、はいいろのジャケット、こんいろのズボン」

 マイちゃんの視線の先で、その人が振り返える。

「あー、しましまのシャツだ」

「ジャケットを脱いでいるかもしれないので、白いシャツで紺色のズボンの人も探すと良いかもしれませんね!」

 ヨシミ先生は、自らもキョロキョロと視線を走らせる。

「はぐれないように、先生について来てね」

 体の向きを変えたり、首を伸ばしたりしながら、人の間をゆっくり移動して探した。

「うーん、居ないみたいですね! 次に行きますよ」


 次の部屋は、近海の魚が展示されていた。

「アジですね!」

「おじいちゃんが、すきって、いってたね」

 アジの大群が、水槽を泳ぎ回っている。

 さっきも見たけれど、何度見ても面白い。

「いっぱい、いるね」

 クリスティは、食卓に上がるアジが、生きたまま群れで泳ぐ姿を、今日初めて見た。

「みんな、おなじほうこうに、およいでい……、いないこも、いるな」

 タロウくんの言葉に「ヨッちゃんみたい」

 とマイちゃんが言って、皆頷いた。

「ここにも、いるよ」

 アユちゃんの視線の先、クリスティに、三人の視線が集まった。


 この部屋で足を止める人は、あまりいないようだ。馴染みの魚なので、じっくり見なくても良いという事だろうか。

 人が少ないので探しやすい。白いシャツに紺色のズボン、灰色のジャケットのお爺さんがいた。

 アユちゃんが、ベンチに腰掛けているお爺さんの前に回り込んだ。あご髭が生えている。

「せんせー、おひげ、はえてたっけ?」

「そのひと、ちょっと、ふとって、むぐっ……」

 タロウくんの言葉は、マイちゃんの小さな手で塞がれた。

「くちは、わざわいのもとよ」

 マイちゃんは、首を左右に振る。

「こらこら、アユちゃん、そんなにお顔を覗き込んだら、失礼ですよ。申し訳ありません!」

 ヨシミ先生は、ベンチのお爺さんに謝った。

「なんだね? ワシの髭がどうかしたかね?」

「いえいえ、人を探しておりまして。人違いです。すみません!」

「おじいさんと、にたふくの、おじいちゃんを、さがしているの」

 クリスティは、お爺さんの顔を見た。金縁眼鏡は掛けていない。

「呼び出してもらえば、良いんじゃないのか?」

「おみみが とおいの」

「ああ、そうか。放送しても、騒めきの中じゃあ、聞き取りにくいな。それは困ったね。誰かのお祖父ちゃんなのかな」

 ベンチのお爺さんは、四人を見回した。

「あー、いえいえ。実は、あるお婆さんが、お爺さんと逸れてしまい、困っていらしたので」

「おお、子供達が探してあげてるの? えらいね」

「えらいね」と言われて、クリスティ達は、もじもじした。ちょっと恥ずかしい。

「実は、ワシも迷子なんだ。バスの団体旅行で来たんだが、はぐれてしまった」

 思わぬ言葉に、ヨシミ先生は「あらっ!」と絶句した。

「まぁ、添乗員に連絡したから、もうすぐ合流できると思うが」

「おじいちゃんの、まいご、おおすぎ」

 アユちゃんが、眉をひそめる。

「年を取るとね、赤ちゃんに近付いてしまうのかもしれないね」

 お爺さんは、笑いながら白髪頭を搔いた。

「そうなの?」

 見上げたアユちゃんに、ヨシミ先生は「どうかな」と曖昧に答えた。

「さて、ここにもいないようですから、次のお部屋に行きましょうか!」

「おじいちゃん、ごめんなさい」

 四人は、小さな頭を下げる。

「バイバイ!」

「バイバイ」

 お爺さんは、ベンチに座ったまま手を振った。


「そこの出口から出て、右に行くと大水槽ね!」

 ヨシミ先生は、水族館のパンフレットに描かれたフロア案内を確認した。大水槽は、サンゴ礁の部屋から、階段で上がっても行ける。館内は立体的に交差している。

 大水槽には、大きなマグロが群れでグングン泳いでいた。迫力がある。

「すごいよね!」

 タロウくんが歓声を上げる。

「さっきも、おもったけど、ずっとおよいでいて、つかれないのかな」

 マイちゃんは、心配そうに見上げた。

「マグロはね、泳いでいないと死んじゃうそうよ!」

「えー、そうなの? なんか、かわいそう。ね!」

 アユちゃんが、同意を求めるように見ると、クリスティは、大水槽を見ずに、顎に右手のグーを当てて考え込んでいた。

「クリスちゃん?」


 何かが頭に引っ掛かっている。

 さっきの髭のお爺さんは、赤ちゃんには見えなかったけれど、迷子になっていた。


(あかちゃんになるって、どういうことだろう。まいごに、なっちゃうのは、なぜ?)


 先日、ヨッちゃんと自分は、行方不明になった。それは、ヨッちゃんは一人でお家に戻り、自分はヨッちゃんの足跡を追い掛けるのに夢中になって、皆から離れてしまったから。


(なにかに、むちゅうになると、まいごに、なるのかな?)


 考えている内に、ふと、ノリコ先生の話した館内のお約束『知らない人について行かない事』を、思い出した。


(もしかしたら……!)


「……ティちゃん!」

「クリスちゃん!」

 ヨシミ先生と皆が、クリスティを見ていた。

 ボーッとしていたらしい。

「せんせい、だんたいの、おきゃくさんは、どこで、なにを、みるのかな?」

 クリスティは、ヨシミ先生に訊ねた。

「え? 普通に皆と同じじゃないかしら!」

 と言ってから、すみれ組がイルカショーを予約していたのを思い出した。

「イルカショーは、団体でお席を取ってもらったりするわね。じゃないと、一緒に行った人と同じ時間に見れないから!」

「イルカショー!」

 クリスティは、小さく叫んだ。

 自分の推理が間違っていなければ、迷子のお爺さんは、其処にいるはずだ。

「せんせい、イルカショーは、どこでやるの?」

「この先の、クラゲのお部屋と深海のお魚のお部屋、海の動物のお部屋を抜けて、お外のプールね!」

「そこに、おじいちゃんが、いるとおもう」

「えーっ、そうなの?」

 皆が驚く。

「わたしの、すいりに、まちがいが、なければ」

 クリスティは、人差し指で、赤い伊達メガネをクィッと押し上げた。



 ヨシミ先生は、クラゲの部屋を通る時に、ベンチで待っているお婆さんに声を掛けた。

「お爺さん、戻っていらっしゃいましたか?」

 お婆さんは、力なく首を振った。

「私達は、サンゴ礁の魚のエリアから大水槽まで見て来ましたが、いらっしゃらなかったです。これから、イルカショーの会場に行くのですが」

「イルカショーの会場?」

「ええ、其処に居るんじゃないかと、子供が言うので!」

 お婆さんは、考える様に目をしばたたいてから立ち上がった。

「私も一緒に行きます」

「そうして頂けると、ご本人確認が出来ますね!」

 深海の魚の部屋を通り、海の動物のエリアを抜ける。ペンギンや、アザラシ、トド等に、目を奪われるが、今は、その先のイルカのプールを目指す。


 イルカショーは、本日の第一回目の最中だった。すみれ組は、十一時半からの第二回目を予約している。会場入り口の係員の人にヨシミ先生が、事情を説明した。

「人を探しています! こちらのお連れの方が、もしかしたら、イルカショーの会場にいらっしゃるかもしれないので、探したいのですが!」

 係の人は、ヨシミ先生とお婆さん、それからクリスティ達を見た。合わせて六人。

「なるべく少人数で、お願いできますか? 他のお客様の御迷惑になりますから」

「はい。では、お婆さんとクリスティちゃん、お爺さんを探してください! 私は、ここで、三人と一緒に待っていますから!」

「えーっ、あたしも、いきたい」

 物見高いアユちゃんは主張する。

「大勢で行くと、ショーを見ているお客さんのご迷惑になるでしょ! すみれ組は、この後の回に予約してあるから、その時に、ゆっくり見ましょう!」

「クリスちゃんは、なんでいいの?」

「クリスティちゃんが、此処に居ると言ったからですよ! 自分の目で確認するのが良いでしょ?」

 アユちゃんは、しぶしぶ引き下がる。

「クリスティちゃんを、よろしくお願いします」

 ヨシミ先生は、お婆さんに頭を下げた。

「クリスティちゃんっていうのね。こちらこそ、よろしくお願いします」

「では、後ろから、どうぞ」

 係の人の案内で、クリスティとお婆さんは、イルカのショーが行われている会場に入って行った。


 水の臭いがする。

「はーい! よく出来ましたー! ドルちゃん、フィンちゃん、ありがとうー!」

 マイクを通した、お姉さんの明るい声、お客さんの拍手が響く。

 お姉さんが、プールサイドでイルカの口に魚を放り込む。

 イルカ達は、ご褒美をもらうと、次のパフォーマンスに向けて、プールを泳ぎ始めた。

 お姉さんの他に、ウエットスーツのお兄さんが登場し、プールに入って行く。イルカの背に乗ると立ち上がって、観客の前を勢いよく通り抜けて行った。

 ザッバーン!

 大量の水がしぶきとなって、透明な壁を乗り越えた。

 水を被った最前列のお客さん達が、歓声とも悲鳴ともつかない声を上げて笑っている。

 広い会場だった。幾つかの団体が固まって座っているようだ。


 クリスティは、お婆さんと一緒に、お爺さんを探した。


(しらがあたま、はいいろのジャケット)


 五つの階段状の通路が観客席を四つのブロックに分けている。一番奥から二つ目の通路をクリスティは右側を、お婆さんは左側を見ながら並んで降りて行く。

 横一列六人掛けの席が上から下に五段ずつ。

 一段降りては、立ち止まり、左右の観客を確認する。こうすれば、効率よく探せる。

 下まで降りたら、一度上まで戻って、次の通路を降りて行く。

 真ん中の通路を降りていた時だ。


(いた! きんぶちめがね、しろいシャツ、こんいろのズボン)


 前から二段目、真ん中の通路から右に三番目の席で、お爺さんは、イルカショーを笑顔で観ていた。

 クリスティは、左側を見ていたお婆さんに、見つけたお爺さんを確認してもらった。

「あらっ」

 クリスティの指の先を見て、お婆さんは口に手を当てた。

「あのおじいちゃん?」

「ええ、ええ。あの人よ」

 お婆さんは、観ているお客さんの邪魔にならないように身を屈め、お爺さんの元に向かった。クリスティは、迷惑にならないように、そのまま通路で待った。

「貴方!」

 お婆さんの呼び掛けに、お爺さんが顔を向けた。

「あれ、お前、何処に行ってたんだ?」

「何処に行ってたんだ、じゃありませんよ。全く、どれほど探したか」

 お婆さんは安堵の溜息を吐いた。

「さぁ、中に戻りますよ」

「まだ、ショーが終わっとらん」

「私達は午後から見る予定だったでしょ?」

「ん? そうだったか?」

「そうですよ。お昼を食べてから見ようって。だから、ここは探さなかったのだけど」

「……おお、そうじゃったな」

 お爺さんは、やっと納得して席を立った。

 お婆さんは、お爺さんを支えるようにして、階段状の通路を昇り、館内に戻る。

 クリスティは、後ろをついて行った。


「どうも、お手数お掛けしまして」

 お婆さんは、係の人にお礼を言うと、ヨシミ先生に向き直った。

「本当に何とお礼を申し上げて良いのか」

「いえいえ、無事に見つかって良かったです! お礼なら、この子達に言ってあげてください! 此処にいるかもしれないと推測できたのは、この子達が情報を集めたからです!」

「本当に。ありがとうね。皆のお蔭よ」

 お婆さんは、屈んで目線を合わせ、四人を見回した。

「でも、どうして此処に居ると分かったのかしら?」

「うん、どうしてわかったの?」

 タロウくんは、クリスティを見た。

 皆の視線が集まる。

「それはね」

 クリスティは、語り始めた。

「アジのおへやで、おなじかっこうの、おじいさんに、あったでしょ。おじいさんは、バスの、だんたいりょこうで、きたって、いってた」

「うん、そういっていたけど、なにか、かんけい、あるの?」

 タロウくんが首を傾げた。

「バスりょこうに、ママと、いっしょに、いったことがあるの。そのひに、はじめて、あうひともいて、みんな、おたがいに、おようふくで、おぼえていた」

「え、ええ? そうなの?」

 アユちゃんは、驚いたような顔をした。

「確かに、バス旅行は、知り合いで申し込む人もいるけど、その日に初めて会う人もいるわね!」

「だから、おなじかっこうのひとが、いれかわっていても、まわりのひとは、きづきにくい」

「ああ、そうかもね!」

 ヨシミ先生は、相槌を打つ。

「どうして、いれかわっちゃったの?」

 マイちゃんが、不思議そうな顔で訊ねる。

「めがねのおじいちゃんは、すこし、あかちゃんになっていたので、まちがって、ひげのおじいちゃんのだんたいに、ついていってしまった。いきさきが、じぶんのすきな、イルカショーだったから、おばあちゃんのことを、わすれて、みていたの」

「つまり、うちのお爺さんは、もう一人の迷子のお爺さんと入れ替わってしまっていたってことね」

 お婆さんは、隣りに居るお爺さんを困ったように見た。何処かに行かないように、しっかり腕を掴んでいる。

「なるほど」

 タロウくんが頷いた。

 マイちゃんが手を打ち合わせる。

「すごいね! クリスちゃん」

 アユちゃんが、背中をポン! と叩いた。


「あれ、君たちは」

 お爺さんの声に振り向くと、アジの部屋にいた髭のお爺さんが、若い男の人に連れられて立っていた。

「あー、さっきのおじいさんだ」

「添乗員さんが、迎えに来てくれて、良かったよ。イルカショーを観る時間だったらしい」

 髭のお爺さんは、自分と同じ様な服装で金縁眼鏡のお爺さんを、不思議そうな顔で見詰めた。

「あんたも迷子だったんだね。ワシら仲間だな」

 言われた金縁眼鏡のお爺さんは、何のことだか分からない、というような顔をした。

「いや、失礼。何でもない」

 それから、クリスティ達の方に身を屈めた。

「お手柄だな。ちゃんと見付けられたね」

 と小声で言うと、その場にいる人達に軽く頭を下げて、添乗員と一緒にイルカショーの会場に入って行った。

 眼鏡のお爺さんとお婆さんに別れを告げると、クリスティ達は、大急ぎでペンギンやアザラシ、トド等の海の動物のエリアに戻って観察した。深海の魚の部屋とクラゲの部屋を通り抜け、マグロの泳ぐ大水槽の横の階段を上ってサンゴ礁の魚エリアまでやって来た。

 待ち合わせのロビーはすぐそこだ。


 ノリコ先生とユカ先生のグループは、先に来て待って居た。

「ヨシミ先生」

 ノリコ先生が手を振った。

「お爺ちゃん見付かりましたか?」

「ええ、ええ! ばっちりです!」

 ヨシミ先生は、ニィッと笑った。

「じゃあ、イルカショーは、全員揃って行けますね」

 ユカ先生が点呼する。すみれ組はイルカショーで歓声を上げた。



 数日後、いずみかわ幼稚園に新聞社の人が来て、クリスティとマイちゃん、アユちゃん、タロウくん、それとヨシミ先生を取材し、写真を撮った。新聞に載るらしい。

 何でも、髭のお爺さんは、元新聞記者だったそうで、水族館でこんな事があったと、後輩の記者に話したのが切っ掛けだそうだ。


 金縁眼鏡のお爺さんとお婆さんからは、すみれ組宛にお菓子の詰め合わせが届いた。お爺さんの捜索に参加しなかった子達の分もあったので、皆喜んだ。



「でもね」

 クリスティは、自分の部屋で愛猫のミス・マープルに話し掛ける。

「みんな、ほめてくれたけど、パパには、おこごと、いわれたよ。ひとに、しんせつにするのは、いいことだけど、そういう、やさしいきもちを、わるいことに、つかうひとが、いるから、きをつけなさい、って」

 困っている振りをして、親切にしてくれた人を騙す悪い人がいるのだと、父親は言った。

「こんかいは、ヨシミせんせいが、いっしょだったから、いいけど、こどもだけでは、だめなんだって」

 ミス・マープルは、床のラグに座るクリスティの顔を、金と青のオッドアイで見上げている。

「ひとりでは、こうどうしなかったけれど、ほかにも、きをつけなくてはならないことが、あるんだね」

 クリスティは、毛足の長いミス・マープルをそっと撫でる。

 ミス・マープルは、ゆっくりとまばたきをした。
















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