泥に沈んだ靴下事件

「じけんよ~! じけんよ~!」

 いずみかわ幼稚園すみれ組のアユちゃんの声が、五月晴れの田んぼに響き渡る。

 田んぼの中には、青地にキャラクターが付いた靴下が左右揃って、泥水の中に沈んでいた。

 しかし、持ち主のヨッちゃんこと竹田ヨシノリ君の姿は、何処にも見えない。

 園児十九人、引率の先生三人、近隣の農家のおじさん達十人の目の前で、ヨッちゃんは消えてしまった。大人達は、顔面蒼白になった。

「わたしの、でばんのようね」

 探偵志望の阿形クリステイは、赤い伊達メガネをクイッっと上げた。



 連休明けのその日、年中組は、毎年恒例の田植え体験に来ていた。

 近隣の農家の協力の元、園児が田植えを体験し、秋には収穫を体験する。若者のお米離れと言われて久しいが、子供のうちにお米に親しんで貰おうという米農家の思惑もある。つまり、「お米食べろ!」ということ。


「えー、初めに泥に慣れてもらうために、泥んこ遊びをします。ソリもありますよ。泥に慣れたら、いよいよ、本日のメインイベント、田植えをします!」

 ヨシミ先生が、だみ声を張り上げて続ける。

「今日、お手伝いをして下さる農家の皆さんに、ご挨拶しましょう!」

 ノリコ先生とユカ先生が、すみれ組の皆の顔を見て「せーの」と声を掛ける。

「よろしくお願いします!」

 可愛い声が揃った。

 十人の農家のおじさん達は、照れ臭そうに笑った。

 泥遊びが始まった。皆、靴を脱ぐ。靴下のまま嬉々として、水を張った田んぼに入って行く子も居れば、畦道あぜみちでもじもじと躊躇ちゅうちょしている子もいる。クリスティは、後者だった。

「クリスちゃーん、はやくー」

「おもしろいよー」

 既に、泥はねだらけのマイちゃんとタロウくんが呼んでいる。

 アユちゃんに至っては、さっき転んで体の前側が顔まで泥まみれになっていた。

「……う、うん」

 クリスティは、片足の先をちょっと浸けてみた。見る見るうちに、赤いしましまの靴下が、泥色に染まって行く。足の裏で踏み込むと、冷たくて、ぬるぬるして滑りそうだった。


(いーやー)


「ほらほら、クリスちゃんも、ドーンと行ちゃおう」

 ノリコ先生が、手を引いてクリスティを田んぼの中に連れて行く。

 面白がって足をバチャバチャさせ、泥はね製造機と化した、マイちゃんとタロウくん。

「うひゃ」

 泥が跳ねて、赤い伊達メガネに飛んでくる。

 レンズは入っていないので、思わず目をつぶった。顔が泥の水玉模様になるのが分かった。

「ウ、ウグッ」

 泣きたいのをこらえる。

「だいじょうぶだよー」

 マイちゃんは、泥だらけの手でクリスティのTシャツを掴んでくる。


(やっ)


 ビチャーン!

 避けようとして足を滑らせ、クリスティは泥の中に尻餅をついた。


(いたたた)


 Tシャツも園のハーフパンツもぐちゃぐちゃだ。

「……ふっ」

 何かが吹っ切れて、楽しくなってきた。

 クリスティは、泥を両手で救い上げると、マイちゃんに向かって跳ね上げる。

「そーれっ」

「やったなぁー」

 後は、周りを巻き込んでのキャッキャッ、時々、ウェーンになった。

 農家のおじさん達が引いてくれるソリも始まった。ヨッちゃんは、一度も泥の中に入らずに、畦道で順番を待っていた。

 ノリコ先生が「一緒に入ろう」と誘っても、聞こえないふりをした。ソリは楽しそうだし、泥は着かない。ようやく自分の番になり、いそいそと乗り込んだ。

「じゃあ、行くぞー! 振り落とされんなよ」

 ヨッちゃんは、黙って頷いた。

「おじさん、がんばれー!」

 応援や隣のソリの子達のキャオキャオする声の中、ソリを引っ張るおじさんは、日に焼けた顔でニカッと笑った。

 ヨッちゃんに背を向け、泥に足を取られながらも、全力で引っ張って行く。途中で、ソリが軽くなった。振り向くと、ヨッちゃんが泥の中に横倒しに落ちていた。

「ごめん、ごめん、大丈夫?」

「……うん」

 ヨッちゃんは、泣かなかった。

 ソリの順番待ちが並んでいるので、おじさんは、それ以上、ヨッちゃんに構わずスタート地点に戻って行った。ソリは、三つほどあり、乗っている子は勿論、順番待ちの子も皆、夢中になって、声援を送っている。


「では、一旦、田んぼから上がって下さーい!」

 ヨシミ先生は、顔を始め全身泥だらけになった、すみれ組の皆を見回した。

「今から、田植えを始めます。農家のおじさん達が持ってくれるタコ糸に沿って、皆並んで稲の苗を植えていきます!」

 田んぼを挟んで、右と左におじさんが移動した。

「タコいとってなぁに?」

「タコって、いと、だしたっけ?」

「クモは、いと、だすよね」

 皆の関心が、タコ糸にからまっているので、農家のおじさんが、「これだよ」と掲げて見せた。

「タコはタコでも、海にいるのではなくて、お空に上げる方のタコね」

 おじさんは、空を指差す。

「おれ、しってるー。おとうさんと、あげたことある」

 得意げな男の子に皆の注目が集まった。

 タコ糸が解決したので、ノリコさん先生とユカ先生は、皆を五人ずつ、四列に横並びにさせた。が、何故か一列四人の所がある。

 ノリコ先生は、名前を呼んでいった。

「阿形クリスティちゃん」

「はい」

「上島マイちゃん」

「はぁい」

「竹田ヨシノリくん」

「……」

「竹田ヨシノリくん」

 すみれ組の子達は、キョロキョロと、ヨッちゃんを探した。

「せんせー、ヨッちゃんがいない」

「あ、ほんとだ」

「ええっ?」

 ノリコ先生は、辺りを見回した。

 この辺りは、一面田んぼで見通しが良かったが、子供の姿は見えない。

 田植えをしている田んぼを取り囲むように、農家のおじさんと引率の先生達がいる。皆の目があり、何処にも行けないはずだ。

 その時、アユちゃんが田んぼの一角を指差した。

「せんせー、あそこに、なんかある」

 指差した場所の近くにいた、農家のおじさんが田んぼの中に入って行った。

「靴下だな、これは」

 おじさんは、泥水の中から青地にキャラクターが付いた子供の靴下を拾い上げて見せた。

「あー、それ、ヨッちゃんが、すきなエイリアンマンだ」

「きょう、はいてるのみた」

「皆、靴下履いてる?」

 ノリコ先生は、すみれ組の足元を確認した。

 泥の色一色ではあるが、皆、靴下を履いていた。

「ということは、その靴下は」

 ノリコ先生はあわてて、靴下のあった辺りまで泥はねを上げながら近付くと、ヨッちゃんの名前を呼び、泥水の中に両手を突っ込んで探り始めた。

 その様子を見て、ヨシミ先生も、ユカ先生も、農家のおじさんも、すみれ組の皆も、泥水の中を探し始めた。

「浅いから、倒れていたら分かると思うよ」

 農家のおじさんは、探しながら言った。

「でも、それじゃあ、ヨッちゃんは何処に行ったんですか。皆の目が有ったのに」

 ノリコ先生は、泣きそうな顔で皆を見回した。誰も答えられない。

「一応、端から隈なく確認しましょう!」

 ヨシミ先生の指示で、皆で探したが、ヨッちゃんはいなかった。ソリを待って居た場所で、履いていた靴だけが見付かった。

 ヨッちゃんは、何処に行ってしまったのだろう。

「じけんよ~! じけんよ~!」

 アユちゃんの声が、五月晴れの田んぼに響き渡る。



 農家のおじさんと先生達は、苗を運んできた軽トラックの周りを探したり、下をのぞき込んだりした。園児の田植えの後に、機械で田植えをするのだが、その機械の陰も探した。

 すみれ組の皆は、乾いた農道に座って其々の水筒で水分補給をしながら見守って居る。

 知らない間に、お友だちが一人いなくなってしまったのだから、皆、落ち着かなかった。

 おじさんや先生達の顔も、強張こわばっていた。


 クリスティは、調査を開始した。


(これは、おそとだけど、、なのでは? みんなが、みているのに、いなくなるって)


 クリスティは、泥遊びの時、自分が泥に入るのを躊躇ちゅうちょしている横で、同じ様にヨッちゃんが躊躇ためらっていたのを思い出した。ヨッちゃんも泥が苦手なようだった。

 無口でマイペースなヨッちゃんは、あの後どうしたのだろうか。

 自分は、ノリコ先生に田んぼの中に連れ出されて、尻餅をつき、泥だらけになっていたから、ヨッちゃんがその後、どうしたのか見ていなかった。


(ききこみ、かいしよ)


「ヨッちゃんは、ソリを、まっていた」

 タロウくんは、水筒を持っていない左手の人差し指をあごに当て、斜め上を見た。

「うんうん、あたしのまえにいた」

 アユちゃんが補足し、続ける。

「そのあと、ソリから、おちるのをみたよ」

 直飲みタイプの水筒に口を着ける。

「あたまから、あしまで、どろだらけだったね」

 マイちゃんとアユちゃんは、顔を見合わせてうなずいた。

「でも、ヨッちゃんは、なかなかったんだよ」

 マイちゃんは、水筒を片付けて「えらいよね」と、クリスティに顔を向ける。

「ふむふむ」

 ヨッちゃんは、ソリ遊びの時までは、此処にいたようだ。

 大人達が田んぼを探す中、クリスティは、一人でそれを取り巻く畦道を調べ始めた。


 畦道は、皆が田んぼに入ったり出たりしたので、草が踏みつけられ、泥で汚れていた。おじさん達や先生達も歩き回ったので、足跡など判別できない。


(ヨッちゃんが、ソリから、おちたのが、あそこ。くつしたが、あったのが、ここ)


 少し風が出て来た。

 クリスティは、全身泥で濡れていたので、寒くて身震いした。


(くつと、くつしたが、あるということは、ヨッちゃんは、はだしということ? ということは)


 クリスティは、入念に畦道を調べ始めた。


(あった)


 予定していた田植えは、ヨッちゃんが行方不明になったので、それどころではなくなり、中止になった。農家のおじさん達は、ヨッちゃんの捜索と、片付けを並行してやっていた。

 園児は、綺麗な水の農業用水で手足を洗って、帰り支度をしている。ここは、園から徒歩十分ほどの所にあるので、タオルと水筒を持って歩いて来た。お着替えは、園でシャワーを浴びてからする予定だった。

「せんせー、さむい」

「さむいよー」

 五月晴れとはいえ、濡れた衣服のままで外にいるのは寒かった。皆、ガタガタ震えている。

「ひとまず、園に戻りましょうか! 私は、もう少しここで、農家の皆さんと一緒に辺りを探してみます!」

 ヨシミ先生の言葉に、ノリコ先生は頷いた。

「すみません。私がよく見ていなくて」

「これだけ目が有ったのに、いなくなったのですから、貴女だけの所為じゃありませんよ。それより、他の皆の事をお願いね!」

「はい」

 ノリコ先生が、すみれ組の皆に「先に園に帰りましょう。お靴、履けたかな」と言った時、マイちゃんが声を上げた。

「せんせー、クリスちゃんがいない」

「えっ」

 ノリコ先生は、額に手を当てて、辺りを見回した。

「なんで……」

「しっかりなさい!」

 ヨシミ先生が、涙目のノリコ先生の肩に手を置いた。

「他の皆を連れて、園で待って居て!」



 さかのぼること少し前、クリスティは、足跡を辿たどっていた。


(くつも、くつしたも、はいていないから、はだしの、あしあとを、たどれば……)


 よく見ると畦道に、裸足の足跡があった。踏み荒らされていたが、靴でも靴下の足でもない、親指と小さなエンドウ豆の様な指の跡。クリスティは、アヒル歩きの様にしゃがんだまま、地面に顔を近付けて辿って行った。ただでさえ、体の小さな幼児がしゃがんで移動するので、人目に付きにくい。全身泥を被っていたのも、知らずにカモフラージュになっていた。

 ヨッちゃんを探す方に、皆の気が行っていたので、遠ざかるクリスティに気付く者はいなかった。


 クリスティが、足跡を辿って隣の田んぼの畦道、そのまた隣の田んぼの畦道と進んで行くと、舗装された道路に突き当たった。

 左右を確認して、両手を道路につき、田んぼから上がった。

 道沿いに、住宅が並んでいる。

 少し分かりにくいが、乾いた泥の跡が、一軒の家の前まで続いていた。


「たけ、た」

 門の表札に書いてある。

 父親に漢字を少し習ったので、カタカナの『ケ』が二つ並んだような『竹』と、四角を四つに分けたような『田』を読めるようになっていた。

「ヨッちゃんのいえ、なのかな」

 クリスティは、ちょっと迷ったが、指はインターホンを押していた。

 ピンポーン!

「はい」

 女の人の声が答えた。

「あ、あの、ヨッちゃんの、おうち?」

「……はい。貴女は、だぁれ?」

「あがたクリスティ、です」

 やや、間があって玄関のドアが、ガチャリと開いた。

「あ、ヨッちゃん!」

 母親らしい女の人の後ろに、着替えてサッパリしたヨッちゃんがいた。

「クリスちゃん、なんで」

「ヨッちゃんが、いなくなったって、みんな、さがしているよ」

「えっ」

 ヨッちゃんのお母さんが、驚いたようにヨッちゃんを見た。

「田植えが、終わって帰って来たのかと思っていたのだけど」

「……」

 ヨッちゃんは、明後日あさっての方を向いた。

「ノリコせんせい、なきそうだったよ」

 クリスティは、必死にヨッちゃんを探していたノリコ先生の姿を思い出した。

「だって! どろが、きもちわるかったんだもん!」

 ヨッちゃんのお母さんは、クリスティとヨッちゃんを交互に見た。

「まぁ、大変。急いで園に連絡するわね」

 お母さんは、園に電話を掛けた。

「ええ、はい、はい。竹田です。ヨシノリは、自宅に居ります。あと、阿形、クリスティちゃんも、一緒です。……ご心配をお掛け致しまして、申し訳ありませんでした」

 その後すぐ、クリスティとヨッちゃんは、ヨッちゃんのお母さんに連れられて、一緒に徒歩で園に戻った。



「ヨッちゃん! クリスちゃん!」

 ノリコ先生は、泣き笑いの様な顔で二人を迎えた。

「お母さんから、お電話を頂いた時、ちょうど、警察に連絡しようとしていたんです」

「あら、まぁ、大事にならなくて良かったです。すみませんでした」

 ヨッちゃんのお母さんは、頭を下げた。

「クリスちゃんは、まだお着替えしていないから、先にシャワーね」

 ノリコ先生にうながされて、クリスティは、ユカ先生と一緒にシャワールームへ。

 ヨッちゃんはといえば、お母さんが謝っている横で、鼻くそをほじっている。

「本当にご迷惑お掛けしまして」

「いえいえ、こちらこそ、目が行き届きませんで。でも、無事で良かったです」

「ヨシノリは、マイペースで困ります」

 お母さんは身を縮めた。

「皆、そうですよ。ヨッちゃん、これからお家に帰る時は、先生に教えてね。じゃないと、先生、心配だから。約束……」

 ノリコ先生は、ヨッちゃんと目線を合わせ、右手の小指を差し出した。

 ヨッちゃんは、鼻くその指を、着ているTシャツでこすると、小指を差し出した。

「指切り、げんまん! 約束だよ」

 ヨッちゃんは、黙って頷いた。

 お母さんは「クリスティちゃんを、叱らないで下さいね」と、言い残して帰って行った。クリスティが家に来なければ、息子の所為で騒動になっているのを、知ることが出来なかったからと。


 そこへ、シャワーを浴びて、お着替えをしたクリスティが戻って来た。

「ノリコせんせい、ごめんなさい」

 ユカ先生は、ヨッちゃんに続きクリスティが居なくなって、大変だったのだと話してくれた。ノリコ先生、泣きそうだったんだよと。

 ヨッちゃんを探すのに夢中になって、自分が行方不明になっているとは、思わなかった。

「先生、心配だったよ。でも、クリスちゃんのおかげで、ヨッちゃんの居場所が分かった。ありがとうね」

 ノリコ先生は、かがんで目線を合わすと、ニッコリと笑った。

「じゃあ、皆、揃ったから、お給食に行きましょう」

 すみれ組の皆は、二人が帰って来るのを待って居てくれたようだ。

「クリスちゃん、しんぱいしたよ」とマイちゃん。

「きょう、ふたつめの、じけんかと、おもった」とアユちゃん。

「クリスちゃん、すごいな。たんていだね」とタロウくん。

 クリスティは、お友だちが心配してくれたり、めてくれたりしたので、嬉しかったけれど、何だかゾクゾク寒かった。

 今日の給食は、ハンバーグ。

 年長さんと、年少さんは、先に食べている。

 テーブルに着くと、ヨシミ先生が、でのしのし近付いて来た。

「クリスティちゃん、おかえりなさい! ヨシノリ君を見つけてくれて、ありがとう。でも、これからは、一人で探しに行かないでね。皆、心配するから、ね!」

「はい、ごめんなさい」

 声も大きくて、顔も怖いけれど、ヨシミ先生が、優しいのをクリスティは知っている。



 中止になった田植えは、翌日行われた。

 が、そこに、クリスティの姿は無かった。

 行方不明になったのではなく、園をお休みしている。

 全身泥まみれのまま、長時間外に居たので、風邪を引いたらしい。熱が出てしまった。

 泥にも慣れたから、田植えをしてみたかったが仕方がない。ヨッちゃんは、皆と一緒にやっているだろうか。


 昨日は、母親と帰宅したが、お風呂に入って、ご飯を食べている内に、熱が上がり、父親が帰って来た時には、もう眠っていた。


 今朝、父親は会社を休んで、クリスティを、かかりつけ医に連れて行き、お昼には、娘の為にふわふわのフレンチトーストを作った。

「パパ、おしごと、できなくて、ごめんなさい」

「そんな事、クリスティが心配しなくてもいいんだよ。お風邪を早く治すことが、君のお仕事」

 父親は、手際よく家事を片付けていく。

「ほら、ミス・マープル、ご飯だよ。クリスティは、まだ、お熱があるから、寝かせてあげてくれ」

 クリスティの愛猫のミス・マープルを、リビングに連れて行くと、戻って来た。

「そういえば、君は今回、いなくなったお友だちを見つけることが出来たんだってね。頑張ったね」

 ベッド横の椅子に座り、クリスティの顔を覗き込む。

「でも、一つ言って置かなくてはならない、大切な事がある」

 父親がこういう言い方をする時は、お小言を言う時だ。クリスティは、父親が言いたい事が分かる気がした。

「探しに行く時に、一人で行ってはいけないよ」

「……うん」

「君が誰にも言わずに一人で行ってしまったから、皆は、君も行方不明になったと思って、心配したね。ヨシノリ君も、一人でお家に帰ってしまったから、皆、心配した」

「わたし、ヨッちゃんと、おなじこと、しちゃったんだね」

「そうだね。もう少しで警察が来て、大騒動になるところだった」

「ごめんなさい」

 昨日のノリコ先生の様子を思い出して、目を伏せる。

「これから気を付けるんだよ。さて、それでは、君が解決した『泥に沈んだ靴下事件』のお話を聞かせてくれるかい?」

 父親は、片目をつぶって見せた。

 クリスティは、本当は昨日、話したいと思っていたので、熱があるのを忘れて、話し始めた。

「ヨッちゃんは、みんながみている、たんぼから、いなくなったの。これって、おそとだけど、、みたいだよね」

「密室事件か。皆が見ているのに居なくなるのは、密室で事件が起こって犯人が居ないのに、少し似ているね」

「わたし、ポアロのことばを、おもいだしたの。ほら、パパに、おそわった」

「『不可能な事が起こるはずはない、だから、不可能に見えても、それは必ず可能』っていうのかな」

 父親は,ポアロみたいな口髭くちひげを指でまむ。

「うん、それ。たくさんの、ひとのめが、あったから、みんな、できないって、おもったけど、ヨッちゃんは、おうちに、ちゃんと、かえっていた」

「出来っこないと、最初に思ってしまうと、その道は無くなってしまうからね。君が、出来るとを信じて、足跡を探したのが良かったね」

 父親の手が、クリスティの髪を撫でた。おでこに新しい冷却シートを貼る。

「さぁ、少しお休み、名探偵さん。パパは、リビングでお仕事をしているから、何か用事が有ったら、これを鳴らして」

 サイドテーブルのベルを指差した。


 父親が、クリスティの部屋のドアを開けると、食事を終えたミス・マープルが、するりと部屋に入って来た。

「こら、ミス・マープル」

「パパ、ミス・マープルは、おとなしくしているから、だいじょうぶ」

 お医者様のお薬が効いてきたのか、クリスティは眠くなってきた。

 ミス・マープルは、ベッドの上で満足そうに丸くなっている。

「ねぇ、ミス・マープル。わたし、これから、ひとりで、なにかするときは……、もっと、きをつける、ね……」

 クリスティは、知らず眠りに落ちて行った。

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