ノリコ先生救急搬送事件

 ピーポー、ピーポー、ピーポー

 昼下がりの静けさを破って近付く救急車のサイレン。

 言いようのない不安が増し、耳をふさぎたくなるような音量になると、音はフッと消えた。

 アユちゃんは走った。

 いずみかわ幼稚園裏門に横付けされた救急車。

 物陰から見ていると、ノリコ先生がストレッチャーに乗せられ、運ばれて行った。



「じけんよ~! じけんよ~! ノリコせんせいが、たいへんよ~!」

 園指定のスモックとおさげを揺らしながら、アユちゃんが、すみれ組の教室に走り込んで来た。アユちゃんこと村田アユは、まだ、お着替えをしない。

 預かり保育でない子達は、給食を終えた後、教室でお着替えをし、帰り支度をしていた。救急車のサイレンが間近でしたので、皆、不安そうな顔をしている。

「アユちゃん、ノリコせんせいが、どうしたの?」

「いま、きゅう、きゅうしゃで、はこばれていった!」

 アユちゃんは、肩で息をした。

 皆は、息を呑んだ。

「うそっ!」

「ほんと?」

 どちらも、疑う言葉なので、アユちゃんは、少しムッとする。

「うそじゃない、ほんとう。あたし、このめで、みたんだから」

 アユちゃんは、物見高い。サイレンが鳴れば、直ぐに何事かと確認に行くタイプだ。自宅に居れば、母親と一緒に見に行く。血筋なのかもしれない。

 ピーポー、ピーポーの音が止まったので、何事かと裏門の方へ見に行ったのだという。

「せんせい、おめめ、ぎゅって、つぶっていた」

 物陰から、こっそり見ていたアユちゃんに、他の先生は、気付いていないようだったが、アユちゃんは、ノリコ先生の表情まで確認していた。

「えーっ」

「なんで」

「なんでなのかは、しらない」

 アユちゃんは、それ以上の情報を持っていなかった。

「そういえば、ノリコせんせい、おへやに、こないね」

「いつも、おしたくすんだら、かみしばい、よんでくれるのに」

「きゅうきゅうしゃって、しにそうなときに、よぶんだよね?」

 誰かがおびえたように言った。

「えっ、そうなの?」

「ノリコせんせい、しんじゃうの?」

「しんじゃうの、いやだ、グスッ」

 早くもべそを掻きだす子がいる。

 どの子も、どうして良いのか分からず、オロオロし、ソワソワと落ち着きが無くなった。爪を噛んだり、カバンからお気にいりのタオルを取り出して、ギュッと握り締めたりした。すみれ組は、ざわついていた。

 皆の不安が、頂点に達しようとしていた時、更に、追い打ちをかけたのが、鬼瓦の様な顔のヨシミ先生が、ノリコ先生のピンチヒッターとして登場したことだった。ヨシミ先生は、巨体の副園長で声が大きい。

「静かに!」

 ヨシミ先生は、だみ声を張り上げ、グルリとすみれ組を見回した。

「ひいっ」

 皆は震えあがり、泣いている子も黙った。

「ノリコ先生は、御用があって、早目に帰りました。私が、代わりにすみれ組の皆さんのお世話をします」

 先生は、ニッコリとしたつもりなのだろうが、地顔が怖いので、それは逆効果だった。

 ウ、ウエーン

 ワーン

 こわいよ~、エーン

「何が怖いの? ヨシミせんせいに、お・し・え・て?」

 皆の顔は、恐怖に引きつった。

 その後、すみれ組は阿鼻叫喚あびきょうかんの状態になり、お迎えに来た保護者達は、口角を上げてニイッと笑顔を作るヨシミ先生が、子供を追い掛けまわしている姿を目撃した。

「あらあら、ヨシミ先生、お部屋で追い掛けごっこですか?」

「ノリコ先生は、どうされたのかしら」

 保護者達の疑問に、ヨシミ先生は、ノリコ先生が用事で早退したのだと告げた。

「子供達は、どうして泣いているの?」

「さあ?」

 さっぱり分からないと首をひねるヨシミ先生。

「かおが、こわ……ムグッ」

 田中タロウの口は、マイちゃんの小さな手で塞がれた。

「タロウくん、くちは、わざわいのもとよ」

 マイちゃんこと上島マイは、首を左右に振ってうなずいた。


 探偵志望の阿形クリスティは、頭の隅に何かが引っ掛かっていた。


(マイちゃんは、ノリコせんせいは、きゅうきゅうしゃで、はこばれた、といっていた。だけど、ヨシミせんせいは、ごようがあって、はやくかえった、といった。どういうこと?

 なにか、へんじゃない?)


 四歳のクリスティには、大人の事情など分からない。こんな感じで言っておけば良いだろうというのは通じない。真実は、一つだけだ。



 預かり保育のお昼寝の時間に、アユちゃんとマイちゃん、タロウくんに、こっそり相談してみた。担当のユカ先生が様子を見に来た時は、寝たふりをするのを忘れない。

「ねぇねぇ、へんだとおもわない?」

 クリスティは、隣に寝るアユちゃんにヒソヒソささやいた。

「あたしも、おかしいとおもう。だって、ノリコせんせいが、きゅうきゅうしゃに、のせられるのを、みたもん」

 その隣のマイちゃんも「へんだよね」と頷く。

 クリスティ達と頭合わせに、寝ているタロウくんの声が、頭の方から聞こえた。

「なにか、ぼくたちに、かくしているのかな」

「それって、じけんよ~!」

「シーッ」

 アユちゃんは、マイちゃんにたしなめらて、あわてて口を手で塞ぐ。

「おひるねが、おわったら、ききこみ、かいしよ」



 お昼寝の後は、おやつタイム。

 クリスティ達は、食堂に集まったすみれ組や、年長のまつ組の園児に聞き込みを開始した。自分達より年下のひよこ組は、ちょっと頼りないので除くことにする。寝ぼけて、むにゃむにゃしているから。

 今日のおやつは、ホットケーキと飲むヨーグルト。どちらも好きだから、ゆっくり味わいたいが我慢する。後で、食べよう。皆が集まっている間に、聞き込みをしなくてはならない。

「きょうの、ノリコせんせい、なにか、きになることあったかな」

 クリスティは、赤い伊達メガネと手帳、鉛筆をスモックのポケットから取り出した。

 赤いメガネを掛けると、気が引き締まる。

 パパに買ってもらったキャラクターの付いた可愛い手帳を広げ、鉛筆を構える。

「かわいかった」

「それは、いつもだよ」

「みずたまのおリボン、つけてた」

「いいにおいがした」

「ほかには?」

「ピンクのエプロンしてた」

「きゅうしょくのときかな」

「うん、ノリコせんせいは、きゅうしょくのときは、いたよ」

「だよね」

 タロウは、先生と違うテーブルだったが、普通に食事していた気がする。

「わたし、となりで、いっしょにたべた」

「なにか、かわったことあった?」

「おうどん、たべるのが、はやかった。ちゅる、ちゅるって」

 今日の給食は、キツネ月見うどん。いつもと特に変わりが無かったように思う。

「うーん」

 給食時に変わった点は無かったようだが、先生が救急車で運ばれたのは、給食の直ぐ後だった。


(きゅうしょくが、かんけいあるのかな。まさか、どくが、はいっていたとか?)


 そこまで、考えてクリスティは、頭を振る。


(ダメ、ダメ。いま、わかっていることいじょうの、そうぞうをしては。このあいだ、パパにしかられたのを、わすれちゃダメ)


「せんせい、おかわりしていたよ」

「おうどん、すきーっていってた」

「たべすぎで、おなかが、いたくなったのかな?」

 マイちゃんとアユちゃんは、顔を見合わせた。

 クリスティも、食べ過ぎて苦しくなることがあるが、救急車を呼んだことはない。


 次に、年長のまつ組のテーブルで聞き込みを始める。

「そういえば」

 まつ組のお姉さんが、あごに人差し指を当てて上を向いた。お口にホットケーキの欠片かけらが着いていた。気になる。

「きゅうしょくのとき、ノリコせんせい、ヨシミせんせいに、なんか、いわれてた」

「あ、そうそう。おこられているみたいだった。モグモグ」

 隣に座る同じくまつ組のお兄さんが、ホットケーキを頬張りながら言った。

「ヨシミせんせいに、おこられている?」

 クリスティは、手帳に鉛筆を走らせる。

 ただでさえ強面のヨシミ先生が、怒ったらと考えて、タロウくんは身がすくんだ。

「そのときのこと、く・わ・し・く」

 クリスティは、赤い伊達メガネをクィッとする。

 まつ組のお姉さんと、お兄さんによると、給食の時、ヨシミ先生が、おうどんのお代わりをするために席を立ったノリコ先生を、大きな声で呼び止めた。


「ノリコ先生、ちょっと!」

 ノリコ先生は、困ったようにモジモジした。

「おうどんのお代わりをするの?」

「は、はい」

 ヨシミ先生にギロリとにらまれて、体の前に両手で持っていた空のどんぶりと、ヨシミ先生の顔を交互に見た。

「お代わり禁止でしたか?」

 きまり悪そうに、曖昧あいまいな笑顔を作る。

「いいえ!」

 ヨシミ先生は、ニィッと笑った。恐ろしい笑顔だった。


 まつ組のお兄さんは、思い出すのも怖いというように首を振った。

「それから、どうなったの?」

 クリスティ達は、ヨシミ先生の笑顔を思い出して身震いした。


「お代わりするなら、こっちに来て!」

 怒るような口調で言うと、ヨシミ先生は、ノリコ先生を給食室の奥の方に連れて行った。


「ぼくが、みえたのはそこまで」

 給食を食べながら、振り返って見ていたが、給食室の奥は、棚にさえぎられて見えなかったのだという。

「うーん」

 クリスティは、額に手を当てた。

「みんなから、みえないところで、なにがあったの?」

 アユちゃんが、好奇心丸出しで、目をキラキラさせる。

「なんだろう」

 マイちゃんは、全く分からないというように首を捻った。

「ノリコせんせいが、きゅうきゅうしゃで、はこばれたのに、ごようで、かえったって、いったのも、ヨシミせんせいだよね」

 タロウくんは、腕組みをして考えた。

「ヨシミせんせいが、なんだか、あ……」

 怪しいと言いかけて、クリスティは言葉を飲み込んだ。確かな証拠もないのに、自分の考えを言ってはいけない。

「もうすこし、ききこみを、しようか」

「あたし、ホットケーキたべたい」

「わたしも」

「ぼくも、おなかがすいた」

 クリスティも、皆が美味しそうに食べているので、もう我慢が出来なかった。

 それで、四人は、おやつを食べることにした。



 おやつの後、タロウくんは、体操教室に行き、マイちゃんとアユちゃんは、お母さんがお迎えに来たので、クリスティは、一人で聞き込みを続けた。

 体操教室に行ったり、帰宅したりした子がいて、預かり保育のお部屋に残っているのは十人ほどになっていた。

 すみれ組とまつ組の園児には、もう訊いたので、あまり、期待できないが、年少のひよこ組の子達に訊くことにした。

「こんにちは、ちょっと、おしえて、くれるかな?」

「おねえちゃん、だえ(だれ)?」

「わたしは、すみれぐみの、クリスティ」

「くりってい?」

「うん、そう」

「ノリコせんせいを、しっているかな?」

「のいこせんせー?」

「しやない(しらない)」

 首を左右に振る。

「わたし、しってる」

 隣りで積み木を積んでいたひよこさんが声を上げた。

「しってる? みずたまのおリボン、つけているせんせい」

 うん、うんと頷く。

「きゅうしょくのときに、ノリコせんせいを、みた?」

「みたー」

「なにを、していたか、おぼえているかな」

「んとね、んとね。おどんぶり、もってた」

 お代わりに行く時だろうか。

「もうひとり、せんせい、いたよね?」

「いたー」

「こわいかおのせんせー」

 さっき、ノリコ先生を知らないと言った子が横から口を挟む。ヨシミ先生が印象的だったのだろう。

「なんか、おこられてた」

「こわかった」

「そのあと、ふたりは、きゅうしょくしつに、いったんだよね?」

「ふたり?」

「ノリコせんせいと、こわいかおのせんせい」

「うん。ぼく、ついていった」

「えっ! きゅうしょくしつのなかに、ついていったの?」

 クリスティが大きな声を出したので、ひよこさんは、叱られるとでも思ったのか、怯えた顔をした。

「ごめん、ごめん。おおきなこえ、だしちゃって」

「きゅうしょくしつに、はいっては、だめなの?」

 上目遣いに見る。

「ほんとうは、だめなの。きゅうしょくを、つくっているときは、ひを、つかっていて、あぶないからね。でも、おねえちゃん、ないしょに、しとくから、もうしちゃだめだよ」

 うん、うんと頷く。

「これは、わたしたちの、ひみつ。ないしょだよ」

 クリスティが、閉じた唇の前に人差し指を立てて「シーッ」とすると、ひよこさん達は、真似して「シーッ」とした。人差し指は、口の前でなく、鼻の穴に入っていた。

「ちがーう」と言いたいのを我慢して、クリスティは、聞き込みを続ける。

「それで、なにか、みたかな?」

 給食室の奥の方へ入って行ったのまでは、分かっている。

「なにか、おうどんに、ふりかけていた」

「えっ、そうなの?」

 新事実だ。手帳にメモする。

「こわいかおの、せんせーが、わたしてた」

「ふむふむ」

「もうひとりの、せんせーは、ちょっと、いやそうだった」


(やはり、ヨシミせんせいが、うどんに、なにかを、いれさせたのか)


「それから、どうしたの?」

「こわいかおのせんせーが、こっちにきたから、しょくどうに、もどった」


(なにを、ふりかけたのだろう)


「こわかった」

 そう言って、両手を顔の所に持っていこうとして、手が当たり、隣の子が積んだ積み木を崩してしまった。

 ガラガラガラガシャーン!

 一瞬、時間が止まる。

 グッ、グスン、グスン、ウエエーン!

 ウワーン!

 壊された子が泣くと、壊した子も一緒に泣き出して、ユカ先生がやって来た。

「どうしたのかな?」

「つみき、せっかく、つんだのに」

 ウエーン、ウエーン!

 崩れた積み木を指差す。

「わざとじゃ、ないもん」

 ウワーン!

 もはや、聞き込みができる状態ではなかったので、クリスティは、諦めた。



(ふりかけたものは、なんだったのだろう。きゅうしょくしつに、いけば、わかるかな)


 クリスティは、おトイレに行くふりをして、食堂にやって来た。ガラス張りの向こうの給食室は、今は、誰もいないようだった。

 境の引き戸に手を掛けると、まだ施錠されておらず、スルスルと開いた。


(ねんしょうさんには、さっき、はいっちゃだめと、いったけど、これは、ちょうさ。だから、しかたない)


 しかし、入ってはいけない場所に入って行くのには勇気が要る。辺りをキョロキョロと見回し、誰も居ないのを確かめると、クリスティは、意を決して、恐る恐る一歩を踏み出した。胸がドキドキする。両手を胸の前で握り締めた。

 クリスティの身長では、流し台やガス台から、ちょうど、頭一つ分出るくらいだった。

 左右を観察しながら、ゆっくりと歩く。


(おおきなおなべ、カレーを、にる、おなべかな。おたまや、フライがえしが、たくさんある)


 教室や食堂と違って、部屋の大部分が銀色の金属だった。

 クリスティは、ノリコ先生とヨシミ先生が行ったという、奥に向かって進んで行った。

 給食室は、窓からの採光で明るい。

 ステンレスの調理台が、ピカピカに磨かれていて、その上部に棚が吊る下がっていた。

『サトウ』『シオ』『コショウ』と、書かれた容器が並んでいる。奥の方には、小さな瓶に入ったスパイス類が並んでいた。


(あのビンは、おうちにもある。ママが、スパイスって、いってた)


 ふと、調理台の上を見ると、何かが少しこぼれていた。何だろう。粉の様に見える。

 腕を伸ばして、ギリギリ届く辺りだった。

 クリスティが、腕を伸ばすと、指先にわずかに付着した。


(これかな? ふりかけたものって)


 指先に着いた物を観察してみる。

 赤い粉だった。何かを砕いたような荒い粉。

 これもスパイスだろうか。確かめるために、指先をめてみた。

「うっ、か、からーい! ゲホッ、ゲホッ」

 咳き込んで、涙が出て来たので、思わず、その手で目をこすってしまった。

「いたーい!」

 益々、涙が出て来た。

 ウッ、エーン、エーン!

 口の中と目の周りがヒリヒリして、どうして良いのか分からず、その場にしゃがみ込んだ。その時、給食室に、だみ声が響いた。

「そこにいるのは誰! 何をしているの!」



 ずしずしと、重い足音が近付いてくる。逃げようにも、先は行き止まりだった。

「あなたは……」

 ヨシミ先生は、かがんで顔をのぞき込んだ。

「すみれ組の阿形クリスティちゃんね!」

「ばい、ごべんだざい、グスッ」 

「どうして、泣いているの?」

「あそこの、あかいこな、なめちゃった」

 ヨシミ先生は、調理台の上を確認した。

「あらまぁ、これは。……一味唐辛子を舐めてしまったの?」

 ヨシミ先生は、クリスティの真っ赤になった目を見て、目も触ってしまった事に気付いた。

「さぁ、此処で、まず石鹸で手を洗いましょう。それから、お目目の辺りを洗って!」

 流しに届かないクリスティを、ヨシミ先生は、抱き上げて、手と目を洗わせた。

 それから、タオルで優しく拭いた。

「どうかしら?」

「……さっきより、いたくない」

「そう、それは良かった。じゃあ、こっちに来て!」

 ヨシミ先生は、クリスティを食堂に連れて行き、椅子に座らせると、テーブルを挟んで向かい側に座った。

「さて、では、どうして、給食室にいたのか教えてね!」

 クリスティは、うつむいて黙ってしまった。


(ヨシミせんせいが、あやしいと、おもったなんて、いえない。でも、うそをつくのも、いけない)


 クリスティは、スモックの裾をギュッと掴む。

「ノリコせんせいが、きゅうしょくのあと、きゅうきゅうしゃで、はこばれたってきいて」

「あら、よく知ってるわね!」

 ヨシミ先生は、驚いたような顔をした。

「みたこが、いたの」

「そうなの!」

 いちいち、声が大きくて、ビクッとなる。

「でも、ヨシミせんせいは、ごようで、かえったって、いった。だから、へんだなって」

「あー、なるほど!」

「だから、しらべていたの。おうどん、おかわりしたあとだったから、なにかあるのかなって」

「私が、ノリコ先生は、御用で帰ったと言ったのは、すみれ組の皆を心配させない為だったのだけれど、ちゃんと、本当の事を言えば良かったわね!」

「ほんとうのことって?」

「ノリコ先生は、お腹がすごく痛くなって、救急車で運ばれたの!」

「ノリコせんせいは、だいじょうぶ?」

「ええ、大丈夫です。明日は、登園すると思います。余計な心配をさせてしまったわね!」

「ヨシミせんせいが、ノリコせんせいの、おうどんに、なにか、ふりかけさせたのは?」

「あらま、そんな事まで知ってるの?」

 ヨシミ先生は、鬼瓦の様な顔を破顔させた。

 近くで見ると、一層迫力がある。

「ノリコ先生がおうどんのお代わりをするというので、『七味唐辛子を、少しかけると、美味しいわよ』って、言ったの。だけど、七味が無くて、一味しかなかったの。一味って、さっきクリスティちゃんが、舐めちゃったやつね!」

「すごく、からかった」

「そうね。七味は、あまり辛くないのだけれど、一味は辛いわね!」

 それでと、少し言い淀む。

「ノリコ先生のおうどんに、一味が沢山かかってしまったの。瓶の中蓋が外れて、ドバっと。出来るだけ取り除いたのだけれど、辛過ぎたのね。食べた後でお腹が痛くなってしまった」

「からすぎると、おなかが、いたくなるの?」

「なるのよ。お腹といっても、ノリコ先生は胃痙攣いけいれんだったのだけど」

「いけいれんって、なぁに?」

「お腹のこの辺りが痛くなる」と、おへその上辺りに手を当てた。しばらく、様子を見ていたが、痛がり方が普通でないので、救急車を呼んだのだという。

「もしかして、違う病気だと困るでしょ」

「ノリコせんせいが、だいじょうぶで、よかった」

 クリスティは、ホッとした。

「私が、『七味をかけたら?』なんて余計な事言わなければ良かったわね」

 クリスティは、ヨシミ先生が、しょんぼりするのを初めて見た。いつも、大きな声で、怖い顔で、のしのし歩いているのに。

「さぁ、謎は解けたかしら? そろそろ、預かり保育のお部屋に戻りましょう。ユカ先生が心配してるわよ。あと、給食室は、子供は入ってはいけないの。これからは、気を付けてね」



 クリスティは、迎えに来た母親と帰宅した。

「ねぇ、ママ。きょう、ノリコせんせいが、きゅうきゅうしゃで、はこばれたんだよ」

「えっ?」

 カバンから、連絡帳を取り出し読んでいた母親は顔を上げた。

「いけいれん、なんだって」

「あら、まぁ」

「からいものを、たべちゃったって」

「あー、それで、あなたは、給食室に入ったのかな」

「なんで、しっているの?」

「ここに書いてある」

 ママは、連絡帳を見せた。

「一味唐辛子を舐め、触った手で目を擦っちゃったのね。今は、大丈夫?」

「うん」

 一味唐辛子が、あんなに危険な物とは知らなかった。これからは気を付けよう。

 でも、自分で確かめられたのは、良かったのかもしれない。

「探偵さん、今日の事件は解決できたわね」

 ママは、サムズアップして微笑んだ。

「まぁね」

 嬉しいような、嬉しくないような。



「パパにいわれたことは、まもった。しょうこが、ないから、ひとを、うたがわなかった。ヨシミせんせいのことも、あやしいって、いわなかったよ」

 ベッドの上で、愛猫のミス・マープルに話しかける。

 ミス・マープルは、クリスティの持つ、猫じゃらしに夢中だ。

「きょうね、わかったことが、あるの。ひとは、みかけによらないってこと」

 ヨシミ先生は、怖い顔をしているけれど、唐辛子で泣いていたクリスティに、優しくしてくれた。給食室に入ったことを、いきなり、怒るのかと思ったのに、ちゃんと、訳を聞いてくれた。

「それと、おとなは、ほんとうのことを、いわないことがあると、いうこと」

 ヨシミ先生は、「すみれ組の皆が心配しないように言わなかった」って言ったけど、そのことで、余計に心配してしまった。

「しんじつは、ひとつっていうけど、おとなは、ちがうのかな。ねぇ、きいてる? ミス・マープル」

 白いペルシャ猫のミス・マープルは、猫じゃらしを、両方の前足で挟んでゴロンと転がった。







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