第五話
ぐるりと周囲を見渡すと、僕は草原の中にいた。二センチ程度の高さで均された芝が地平線を形成している。
左手首を見ると、いつも使っている腕時計を付けられており、時計の短針も長針も秒針も〇時〇分〇秒から全く動いていない。右足を前に一歩踏み出した時、右の大殿筋のあたりに違和感があった。
そのあたりを触ると、小さな板状のものがある。令和の時代を生きる僕はそれが何なのか見なくてもわかる。
スマホだ。
僕はスマホを取り出し、ホームボタンを押すと、画面上に一月一日、〇時〇分と表示された。しかし、今が一月ではないことはわかっている。スマホ画面の左端を見ると、圏外と表示されており、スマホがバグを起こしていることがわかる。
腕時計もスマホも機能しておらず、現在の時刻もここの場所もわからない。
だが、不思議と不安はない。
芝の上に体を預けると、両手を頭の後ろで重ねて、僕は青天井を眺めた。ふわりと風が肌を撫でた後、僕は瞼を閉じた。
遠くで鳥の囀りが聞こえてくる。
短い芝が風に揺らされ、さらさらと音を立てる。
ああ、最高だ。
この瞬間がずっと続けばいいのに。
*****
「兄貴、兄貴」
という涼花の声と背中を突かれ、僕は瞼を開いた。そこに青天井はなく、涼花の顔と白い天井しかない。
僕はアルコールが循環した重たい体を起こすと、地面に触れていた後頭部を掻くと、「何だ、帰っていたのか?」と呟いた。
「帰っていたのかって、当然でしょ。もう十〇時だよ。帰りにもライブの物販に並んだから、かなり遅くなっちゃったけど」
涼花の言葉を耳で捉えると、不意に左手首を見た。
だが、左手には腕時計は付けられておらず、アルコールに反応した左手首が見えただけだった。
何やっているのさ、と涼花は呟いたが、それを無視して、僕は近くに置いてあった僕のスマホを手に取った。夢で触った大きさと全く同じだ。僕はそんなスマホのホームボタンを押した。
だが、画面には今日の日付と、午後一〇時一三分の文字が表示されただけであり、夢と全く違った。
「そういえば兄貴、悪夢でも見ていた?なんか寝ている時、何か呟いていたけど」
「なんてだ?」
「はっきりとは聞こえなかったけど、『……続けばいいのに』とか呟いていたよ」
悪夢見ている人に話しかけると、呪われるって聞いたことあるから話しかけなかったけど、と口角を上げながら涼花は言った。
僕はそんなことを言っていたのか。見ていた夢は悪夢なんかではなく、正夢になってほしいほどのものだった。だけど、夢の外でもそんなことを僕は呟いていたのか。
空腹感が全くないはずなのに、僕は次の朝には何を食べようかと考えていた。
腹が空いては良い夢も見れぬ。 鈴木 正秋 @_masaaki_
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