君の背中

 日の光が反射して見えにくくなる黒板。その上をチョークが走る。軽快な音を立てて書かれる文字たち。それを皆が必死にノートに書き写す。

 カタリとチョークが置かれる音がした。そして今度は黄色のチョークに持ち替える。

 説明しつつ板書に線を引いたり、丸で囲ったり。それに合わせるように、シャーペンの音の中にボールペンのノック音が混じり始めた。


 垂れ下がった長い髪を耳にかけ、ノートの上に黒板の文字を書き写す。速くかつ丁寧に。半ば作業と言っても過言ではない。

 でも何かに没頭して、気を紛らわせられるなら何でもよかった。


 板書を終え、シャーペンをボールペンに持ち替える。少し安心していたのはあるかもしれない。

 線を引く場所を確認しようと前を見つめる。その気持ちの隙を恋心に付け入れられた。

 

 意識しないようにしていた肩幅の広い背中。短く切られた涼しげな髪。肘の辺りまで腕まくりした長袖のシャツ。

 カーテンは閉められている。それなのに、目の前に座る君の後ろ姿だけは輝いて見えた。


 特に接点があるわけではない。中学も違うし、部活も全然違う。話したいと思っても、住む世界が違うから。そんな理由で関わることを諦めていた。

 休み時間に聞こえる君の笑い声。君の楽しそうな声にひっそりと耳を傾けているだけで、私も嬉しくなる。そんな何気ない時間が幸せだった。


 明るく話す姿も、くしゃっと笑う顔も、困っている人に優しく声をかける性格も、この席からは分からない。

 私がどんな表情でその背中を見つめているのかも、君は知らないんだろう。


 恥ずかしさと優越感と悲しみが混ざった表情。たとえ隣にいられなくても、君の後ろ姿くらいは私が独り占めしたい。


 『他のクラスに彼女がいる』


 いつだったか。どこからか流れ込んだ君の噂話。普段なら噂話なんて興味はない。でも、その話だけは気になって仕方がなかった。

 教科書を忘れたフリをして、そのクラスにいる友達に借りに行く。

 緊張しながらも、さりげなく教室の中を見渡す私。彼女を見たのは一瞬だった。しかし理解するには一瞬で充分だった。


 艶のある黒くて長い髪。明るくて、元気で、可愛い。君と同じで、その子の周りだけ世界が輝いて見えた。


 緊張していた体の力が抜ける。悔しいとすら思わなかった。頑張ってもあの子にはなれない。

 その事実だけが心に深く突き刺さった。




 私だけが独り占めできる君の後ろ姿。その奥で先生がプリントを配り始める。

 気付けば説明が終わっていた。慌てて黒板と同じ場所をボールペンで印をつけていく。


 忙しなく動くたびに垂れ下がってくる髪。あの子に少しでも近づこうと努力した。けど、いくら努力しても、虚しさばかりが強くなる。


 後悔するのは分かっていた。どうしようもないことくらい知っていた。

 それでも



 「はい」



 君が振り返る。手には配られたプリントが。


 この恋は実らない。それくらい分かっている。それでも、一瞬でも君がこっちを見てくれるから。私は努力を続けられる。

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