まほうのステッキ (ハロウィン部誌原稿)

 あの日の俺はふてくされていた。世界全てを、運命の神を呪い殺せるくらいに激しく恨んでいて、とにかく、強い憎悪だけでなんとか立っていた。

 大事な試合中に膝を壊した。もう運動はできないと診断されて、歩けるようには回復するが、今までのようにサッカーはできない、とも。

 だから、叔父のパン屋手伝いなんてのは行く前から逃げ出したかったし、商店街のハロウィン企画のせいで小さな子供の相手をしないといけないのも辛かった。子供は好きだったが、元気に走り回っている姿を見ていると、転べばいいのに、なんて最低なことを口の中で唱えてしまっていた。

 おじさんと母さんとのクッキー作りに疲れて、エプロンのままパン屋をこっそり抜け出した。

 丁度、ほんとうに、タイミングが良すぎた。

 目の前を黒い何かが高速ですり抜けていって、人がたくさんいる方へ一直線に向かっていった。仮装した子供も沢山いた。チーム内でも特に動体視力が良かった俺は、黒い何かがカラスだったことも、カラスがキラキラ光るステッキに向かっていったのも見えていた。パン屋から四軒ほど向こうの八百屋の前、ステッキを掲げて楽しそうにしている魔法使いの女の子が、チラッとこっちを見た。

 声も出なかった。

 派手な音がして、人の群れが一瞬乱れて、カラスが上空に飛び上がった。


「いたぁぁぁぁああああい!!!!」


 少女の大きな泣き声が商店街中に響く。大人たちが一斉に少女を取り囲み、泣き声が人に吸われて籠る。


「お嬢ちゃん大丈夫かー」

「何があったの?」

「カラスがきた!」

「ユキメー大丈夫?」

「怖かったなぁ」

「ほらほら泣きやめ、大丈夫だから」


 すぐにパン屋に戻った。エプロンを外し、イートインの椅子に放り投げた。母さんに怒られそうだが、それどころじゃない。なんだか、無性に腹が立っていた。


「幸人?どうしたんだ?」


おじさんを無視してパン屋内を歩き回る。膝が痛んだけど、リハビリをサボったツケが回ってきただけだ。

 レジ横にロリポップがたくさん入っていた。クッキーとは別の、ハロウィン用の特別なキャンディ。一本百円と書かれた筒の中から一番派手で大きいのをひったくり、黒い魔女の帽子まで走った。膝が軋んで幸人に怒った。

 痛いだろ。何してるんだ。


「うるさい、ちょっと黙ってろ」


 野次馬はさっきよりももっと強固な壁を作っていた。カラスに弾き飛ばされた帽子がその外側でひっくり返っている。迷わず拾って壁を壊していく。


「すみません、ちょっと通して」


 人の壁の中で少女が座り込んでいた。魔法使いの少女の親以外は心配の声をかけるだけで何もしていない。親子と壁の間には、手を伸ばしても埋めきれない溝が存在している。


『幸人大丈夫?!』

『幸人起きれるか?』

『幸人……』


 全国予選の最後の記憶は、無限に広がる曇天と、チームメイトの声。声をかけるだけで、言葉で心配するだけで、誰も手を差し伸べてはくれなかった。

だから俺は立ち上がらなかった。

コーチも皆も、復帰した俺に優しくしてくれた。でも、俺は部活を辞めて不登校になった。母さんは、泣いている俺を放っておいてくれた。

俺が欲しかったのはあれじゃない。

返してほしかっただけだった。


「あの、きみ」


 ヨロヨロ歩くデカい男に警戒したのか、少女もお母さんも困惑していた。野次馬の何人かが俺を睨んだ。


「怪我はないですね?」

「え、あっ、はい、うちの子は大丈夫です。けどその」

「お母さん、かえ、かえりたい……」


 ステッキが。少女のお母さんはそう言いたかったのだろう。だが少女の声に、そそくさと荷物をまとめ始めた。


「心配ありがとうございます、ユキメ立てる?」

「これ落としたよ」


 幸人はお母さんを無視し少女に話しかけた。頬にジャックオランタンのシールタトゥーをつけた少女は、俯きながら帽子を受け取った。泣き腫らした目にはまだ涙がいっぱいたまっている。


「それからこれ。ステッキの代わりにならないかな?」


 黙った膝を遠慮なく地面につき、座り込む少女にロリポップを手渡す。子供に渡すには大きすぎる、ほとんど原色の飴。幼い子供がこんなものを食べたら、虫歯になると親に怒られるだろう。少女が顔を上げると、大粒の涙がうっかりこぼれ落ちてアスファルトに吸われていった。


「怪我がなくて良かった。君のステッキの代わりにしては可愛さに欠けるけど、でも、その……」


 兄は居るが、年下の兄弟はいない。サッカーしかしてこなかったから、子供の扱いなんて分からなかった。少女は俺の言葉の続きを静かに待っていた。


「君の……空いちゃった手は、これで、その、暇にならないと思う」


喉の奥がかぁっと熱くなって、苦いなにかが口いっぱいに広がって、ホントに最悪だった。

 けれど、激しく日焼けした俺の手に向かって、小麦粉みたいに真っ白な小さい手が伸びてきた。




「上の空だな、幸人くん」

「おじ、店長。すみません」


去年のことを思い出してぼーっとしてたらしい。史雄おじさんに見つかってしまった。舌を出して、悪びれて見せる。おじさんもサボり癖が酷い人だ、これくらいなら許してもらえる。


「まだ引きずってんのかい、カラスのやつ」


 代替品。丁度一年経った今も俺はまだ、自分の膝とあの少女のステッキの代替品になりうる、もっといいものを考えている。


「そりゃ……俺の足が動けば」


 ああはならなかった。そう言おうとしたけれど、本当にそうだろうか。カラスと俺の喧嘩が始まったら、もっと酷い事故になっていたかもしれない。俺が傷付いたら、誰かが、それこそ史雄おじさんや商店街の皆に迷惑がかかるかもしれない。そこまで考えて、はっとした。

 そもそも、俺がもし膝を壊していなかったらあの日、俺はここに来てなかった。


「幸人くん。後悔はな、未来で回収に来るんだよ」

「クサいセリフ」

「あんだよ、たまにはいいこと言うだろ?」


店長はそう言って、お盆と一緒に店の奥に引っ込んだ。店長がわずかに開けたドアの隙間から、焼きたてのパンの香りが俺を覗きこんだ。

 母さんに連れられてきてようやく、小さい頃は毎日のように来て売れ残りをもらっていたことを思い出した。それまでの俺の頭の中はサッカーだけだったから、小さい頃のことなんて何一つなかったみたいだったのに突然記憶が湧いて出てきたようで不思議だった。

 母さんは泣く俺を放っておいてくれたけど、いじけて拗ねる俺を良しとしなかった。


「お兄さん、あのぅ」

「あっ、こっ、あええ?」


 こんにちは、脳内ではちゃんとそう発音していたのに、現実にはそううまく喋れなかった。間抜けな声が青空に抜けていく。ハロウィンクッキーが並ぶ机の目の前、他の子供達が後ろで壁を作っているその中心で、広いつばの黒いとんがり帽子と黒のローブを纏う魔法使いが俯いていた。大きなロリポップを大事そうに持っている。つばのせいで表情まで見えないけれど、頬には、あの日とほとんど同じカボチャのシールタトゥーが笑っている。


「私と付き合ってくれなければ、パン屋さんにい、いたずらしちゃいます!!」


 優しい配色のロリポップを突き出される。目が見えた。小さな魔法使いの目は潤んで、キラキラ綺麗に光っていた。


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小田茉紀の活動記録 花崎つつじ @Hanasaki-Tsutsuji

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