月と太陽

 窓の外を眺めていると、土鳩が一羽呑気にも、ベースボールの授業をしている校庭に侵入していた。丁度二塁の近くで羽を休めているせいで、二塁の守備がそわそわしている。一塁で構えるランナーも困り顔でキョロキョロしている。

「ですが、当時は女性の権利はとても弱く、夫の許可がなければ勤労ができなかったりしたんです」

 鳩といえば、僕は平和主義者だ。争いごとは嫌いだし、面倒なこともできれば関わりたくない。だから友人には平等に、対等に接しているし、嫌いな人や苦手な人についても考えないようにしている。

「平塚らいてう、彼女は重要人物ですよ。いいですか、重要人物ですよ。今回範囲狭いんだから何度も言わせないでくださいね、重要人物ですよ」

 そんな僕にも、明確に、あまり好きでない人がいる。

「も~わかったって~」

「主に君に言っているんですよ」

クラスメイトの小野くん、いわゆる陽キャで一軍に所属する少年。それだけならいいのだが、うるさいしたまに下品で、お調子者すぎる面があまり好きでない、というか気に食わない。

 授業妨害も許せない。

授業を拾って上手いことを言っているつもりだろうが僕は楽しくなれていないのだ。正直上手くもないし邪魔でしかない。

「『女性の自我の解放』、そんなスローガンと共に、青鞜という雑誌が発行されます」

土鳩が一塁に戻っていき、ランナーが逃げ場を探し後ずさった。

「ではここで問題。青鞜の一番有名な部分『元始、女性は実に太陽であった』と『今、女性は月である』、なんでここで女性を太陽と月で比喩したでしょーか!話し合っていいぞー、おいそこ教科書ん中探すなー」

席の間がざわつき、声に声が重なりカオス状態。こうなると、誰よりも大きな声を出さないと自分の声すら聞こえない。

「はい、じゃぁ分かる人ー」

先生のよく通る声。急に全員が静かになり、何人かはうつむいたりそっぽを向いたりしている。小野くんは考えるような仕草と共にまだ教科書とにらめっこしていた。

おもしろくないぞ。

僕はなんだか勝ち誇ったような気分になって、柄になく堂々と手を挙げた。

「よし、月宮」

僕はできるだけしっかり目を開け、感じの良い表情で先生を見る。

「太陽は自力で輝く恒星ですが、月は太陽の光を受けないと輝けないからです。青鞜では、太陽を男性として、男性優位の社会を批判しています」

「でも先生ー!女性はお月様だと思いますー!」

僕が言い終わるや否や、小野くんが声を裏返しながら手を挙げ椅子を蹴り立ち上がる。

「ほう、どうしてですか?」

「小野ヤバすぎー」

「さすがの小野でも許せんわ~」

クラスメイトからのブーイングを手振りだけで制して口を開く。

「だってみんなさ、太陽のこと直視したことある?」

僕は小野くんを睨みつけた。また僕の回答にいちゃもんをつける気か。

今のは僕に回答権があったんだから、今の問いは僕の管轄だ。管轄内で暴れまわるなら、今度こそ容赦しない。

太陽が直視できるか?できないに決まってる。太陽なんて、真正面からバカ正直に見つめたら目が焼かれて失明一直線だ。

「太陽見たら目痛いだろ?だから太陽のこと誰も見ないじゃん。でもさ」

 今、僕のほうを見た?

 咄嗟に視線を外し壁の掲示物を眺める。睨んでるのバレたかな、後で陰口言われたりしないかな、怖い、あー、ミスったかも

「お月様は綺麗だから、夜ごとにみんなの視線を集めるじゃん。月のほうが、美しくて綺麗だと思わん?」

胸のあたりを風が通り抜けていくような、ありもしない涼しさを感じて思わず小野くんの顔に目が戻る。小野くんは僕のほうなど見ていなかった。クラスメイト全員を見渡すように演説をする。小野くんは穏やかに笑っていた。

「誰だって太陽だし、誰だって月だよ。いろんな人の光に照らされて応援されて、やっと自分でも光る勇気が出るんだろ?」

おぉ~っと歓声が沸き、誰からともなく拍手が起こる。一通り拍手が終わり小野くんがどや顔を済ませ満足げに席に座ると、先生はうんうん頷いて笑った。

「月宮くんの模範解答も、小野くんの異議申し立ても素晴らしかった。けど二人とも、詰めが甘いぞ」

穏和な先生の眼光が鋭く光りクラス全員が息を飲む。

まずい。

「月宮、男性優位の社会を批判したと言ったな?」

「は、はい」「青鞜はな、常識に疑問を呈したんだ。彼女らは批判したんじゃないし、何かを否定したかった訳でもない。ただ自分達にも認められるはずの当然の権利を主張したんだ、テストでもいつも言っているが文章には気を付けたほうがいい。多様性社会は言葉狩りが盛んだからな」

「あ...すみません」

「小野」

「はいっ」「太陽のほうが偉大だと言われたら?」

「あぁ...うーん...ど、うーん...」

迷う小野くんを少し待つ間、先生はゆっくり息継ぎをした。そしてもう痺れを切らしたのかゆっくり黒板に振り返り、ほぼ新品のチョークを持ち小野くんに不気味な笑みを見せつけた。

「それからな」

「ヒィッ」

「話の導入を魅力的にするのは結構だが、内容によっては君の脳天をぶち抜いていたろうね」

「は、はひ、すみゃせん...」

ダム決壊、教室中笑いに包まれる。スイッチが入った先生は、公務員にしては過激で、若いし、すごく面白い。

小野くんは困ったように、先生の指先の凶器に震え上がっていた。

僕は、いつの間にか進塁していた鳩にバレないように笑った。

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