第4話

 俺たちは無言でエレベーターを降り、このきらびやかなホテルのエントランスを抜けた。外に出ると空は曇っていた。彼女はさっき俺が握らせたリングを取りだし、俺の左手をとって中指に嵌めた。

「あの、さ」

 俺は遠慮がちに言う。

「そこは結婚指輪」

 くすりとやよいは笑った。

「いいじゃない。弥栄の娘と、うかいホテルグループの御曹司の結婚なんて、誰も止めやしないわ」

 そして彼女はまた俺の唇に自分のそれを合わせた。

「聞いてみたかったんだけど」

「何」

「昨日車道に飛び出したのは、ビル風のせい? それとも」

「わかんない。自分でも。でも、風に背中を押されたような気もした。今日の、さっきの結末は何だか予感していたの」

「そう」

「連絡先教えてね」

 俺はスマホを取りだした。

「君は地下鉄がいいね。俺はJRだから」

「じゃあ、ひとまずここでお別れ」

 彼女は微笑み、そのまま踵を返した。白いコートが揺れる。

 俺たちは無言でエレベーターを降り、このきらびやかなホテルのエントランスを抜けた。外に出ると空は曇っていた。彼女はさっき俺が握らせたリングを取りだし、俺の左手をとって中指に嵌めた。

「あの、さ」

 俺は遠慮がちに言う。

「そこは結婚指輪」

 くすりとやよいは笑った。

「いいじゃない。弥栄の娘と、うかいホテルグループの御曹司の結婚なんて、誰も止めやしないわ」

 そして彼女はまた俺の唇に自分のそれを合わせた。

「聞いてみたかったんだけど」

「何」

「昨日車道に飛び出したのは、ビル風のせい? それとも」

「わかんない。自分でも。でも、風に背中を押されたような気もした。今日の、さっきの結末は何だか予感していたの」

「そう」

「連絡先教えてね」

 俺はスマホを取りだした。

「君は地下鉄がいいね。俺はJRだから」

「じゃあ、ひとまずここでお別れ」

 彼女は微笑み、そのまま踵を返した。白いコートが揺れる。

 地下鉄に向かう細い道に入ったところだった。

 気づいたときには遅かった。俺の背には刃物が突き立てられていた。一瞬ののち、激痛がきた。俺はその場に崩れ落ちた。

 見たこともない男が俺を見下ろしていた。

 にやついた表情を浮かべている。

「お前はやよいにふさわしくない」

 その男は言った。

「誰?」

「彼女の兄だ」

 やよいが怖いと言っていた兄。

「母はやよいを疎んじていた。贅沢三昧をさせながら、少しも愛してはいなかった。だが、俺は違う」

「妹を?」

「俺は親父の連れ子だ。初めて幼いやよいを見たときにはもう、俺の心は決まっていたんだ。彼女を俺の伴侶にすると。あの美しい金髪にすっかり魅せられたのさ。母ももう歳だ。跡は俺が継ぐことになっている。そして彼女を妻に迎える」

「そのことを彼女は」

「もちろん。すでに母には隠して関係を持っている」

 刺された場所がうねるように痛む。俺はしばし口がきけなかった。

「やよいは俺が幸せにする。母などさっさと隠居させてな。お前のような虫けらが現れては困るんだ」

 やよいの本当の苦しみを俺は理解しつくしてはいなかった。そのことが情けなく、悔やまれてならない。

 男─やよいの義理の兄─は、俺の背に突き立てた包丁をぐい、とねじ込んだ。自分が惨めであることよりも、俺はやよいの悲しみを思った。やはり、あの交差点のビル風が原因ではなかったのだ。そう思いながら、俺は息絶えた。


(了)

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黄金の記憶 仁矢田美弥 @niyadamiya

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