4-5 劇的アディショナルタイム

 ハーフタイム中。

 体を休めながら水分補給をしていた茉莉亜まりあに、あかねが声を掛ける。


「ねぇ茉莉亜ちゃん。前半のプレー、すごく良かったよ。まるでもみじとやってるみたいで、めちゃめちゃやりやすかった!」

「ありがとうございます、先輩」


 褒められたことに対して、茉莉亜は恐縮したように頭を下げる。


「でもさ」


 あかねはここで一度言葉を区切ると、笑顔だった表情を変え、真剣な目つきで茉莉亜を見つめた。


「茉莉亜ちゃんの実力って、こんなものじゃないよね? ぶっちゃけ、前半は何割出してた?」


 その問いに、茉莉亜は少考してから答える。


「……六割ほど、でしょうか」

「六割、ね」


 もみじと同レベルのプレーが、実力の六割って。サッカー未経験の後輩とはとても思えない。

 ホント、なんで茉莉亜ちゃんは今まで世代別代表に呼ばれてこなかったんだろう。サッカー協会は何をしていたわけ?

 とんでもない逸材を見逃してきたこの国のサッカー界に呆れてしまう。


「じゃあさ。後半はもうちょっとだけ実力を解放してくれない?」

「ですが、それだと連携が……」

「大丈夫。アタシを誰だと思ってるの? リトルなでしこの天才ボランチ、浦和うらわあかね様だぞ? それに茉莉亜ちゃんほどの才能があれば、そのへんも上手くやれるでしょ?」

「まあ、そうですね。分かりました。後半はもう少しギアを上げてみます」

「うん、よろしく。さあ、逆転勝利と行こうじゃないか!」


 チームメイトを鼓舞して、再びピッチへと向かう。


 茉莉亜に実力を出してほしいとお願いしたのは、当然この試合に勝つためだ。

 でも、あかねには同時に別の感情も芽生えていた。


 茉莉亜ちゃんの本気を、見てみたい。

 茉莉亜ちゃんが全力を出したら一体何が起こるのか、気になる。


 好奇心。あるいは怖いもの見たさか。

 一人のサッカー選手として、彼女の潜在能力に興味を抱いてしまった。



 両チームがピッチに戻ってきて、各選手がポジションにつく。

 主審のホイッスルで後半開始。


 後半から左エンドに変わった男子大学生チームがまずはボールを回していく。

 右エンドのきらほしは守備を固める。


「女子高生相手なら大量得点で勝てるはずだろ? なんでこんなに苦戦してんだよ」

「お前が俺にボール出さねぇからだろ? いいからパス寄越せ!」

「ここで出しても清楚黒髪にカットされて通らねぇだろ」


 試合はここまで1対0で男子大学生チームのリード。

 しかし、年下の女子との試合でこの点差というのは納得いかないようで、相手のトップ下とセンターフォワードの選手はかなり苛立っている様子。


 そして、そこで生まれた綻びを茉莉亜は逃さなかった。

 相手のトップ下の選手がボールの出し所を探しているところへ、勢いよくプレスをかける。


「清楚黒髪って、褒めてくれてるのかしら? それとも嫌み?」

「チッ、お前ずっと立ち位置がウザいんだよ」

「あらありがとう。それは褒め言葉として受け取っておくわ」


 茉莉亜は自分よりも一回りも二回りも大きい相手からボールを奪うと、即座に前線へロングボール。


「行って、神戸かんべさん!」

「うわ、私の欲しい場所ドンピシャじゃん」


 ボールは放物線を描いて、右ウイングを駆け上がっていた藍奈あいなの元へ。

 ディフェンスラインの裏、抜け出している。オフサイドは無い。


 藍奈は右コーナー付近までボールを運ぶと、顔を上げて中を見た。

 ゴール前にはみやとあかねが走り込んできている。


「右足クロスは、私が世界で一番正確……!」


 藍奈が自信をもって蹴ったボールは、ピンポイントでみやの頭に合った。


「っ!」


 みやが頭を振ってボールを叩きつける。

 決まったか。


 だが、惜しくもゴールライン上で相手キーパーに左手一本でボールを弾かれてしまった。

 ボールが完全にゴールラインを割らなければ、得点は認められない。


「しまっ、ごめん!」


 こぼれ球はまだペナルティエリア内。


「クリアクリア!」

「詰めてきてんぞ!」


 相手は早く掻き出そうとボールを追いかける。

 ゴール前が混戦状態になった。


 ここで、運はきらほし側に味方した。

 相手ディフェンスがクリアすべく蹴ったボールが別の相手選手の背中に当たって跳ね返り、あかねの足元に転がってきたのだ。


 敵味方が入り乱れていて、コースはほとんど無い。

 けれどこの状況なら、キーパーも死角が多くて止めるのは難しいはず。


 シュートを打たなきゃ、何も起こらない……!


 あかねが利き足である右足を振り抜くと、ボールは低く鋭い弾道で密集の間を抜けてゴール左隅へと飛んでいく。

 相手ゴールキーパーの反応がわずかに遅れた。


「入れ!」


 あかねが叫んだのと同時に、ボールがネットを揺らした。


 主審の笛が鳴る。

 ゴールは無事に認められ、きらほし学園高校女子サッカー部がついに同点に追いついた。

 後半二十四分、得点者は浦和あかね。


「あかねさんナイス!」


 満面の笑みを浮かべた藍奈が真っ先にあかねの元に駆け寄る。

 続けて、みやもあかねの近くに寄ってきた。


「すみません。私さっきどフリーだったのに止められちゃいました」


 どうやらみやは先ほどの、藍奈のクロスにヘディングで飛び込んだものの決めきれなかった場面のことを反省しているらしい。


 あれは相手キーパーを褒めるべきで、決してみやのミスではない。

 あかねはみやの頭にぽんぽんと手を置くと、屈託のない笑顔を見せた。


「平気平気、気にしないで。アタシが点を取れたのは、みやちゃんがチャンスを作ってくれたおかげなんだから。もちろん、藍奈ちゃんも茉莉亜ちゃんもね」


 ありがとうと仲間の好プレーに感謝しつつ、あかねは足早に自陣へと戻る。


 自分がゴールを決められたことは嬉しいが、まだ同点だ。

 アタシはこの試合に勝ちたい。勝ってもみじの仇を討ちたい。

 だからこのまま中途半端な結果に終わるのだけは、絶対に嫌だ……!


 試合再開。

 格下とナメていた女子高生相手にまさかの失点を喫してしまった男子大学生チームは、ここで三枚替え。

 攻撃的な選手を増やし、より前がかりになる。


 体格や高さが勝る相手に攻め立てられ、きらほし側は必死に競り合う。

 体を張った守備でブロックをし、何度も何度もボールを跳ね返す。


 しかし、セカンドボールはことごとく男子大学生チームに拾われてしまい、防戦一方の展開。

 ピンチが続くもギリギリで守り続け、どうにか失点はしていないものの、この間にも時間はどんどんと経過していく。


 そうして、攻めに転じられないまま九十分が経過。

 第四審がボードを掲げる。アディショナルタイムは三分。


「はぁっ、はぁっ……」


 あかねの体力はすでに限界。息が上がり、足もまともに動かない。


 男子大学生相手に引き分けなら、大健闘じゃないか。

 そんな弱気な考えが脳裏にちらつく。


 でも、ここで足を止めるなんてことはしない。

 アタシも、チームのみんなも、誰も最後まで勝ちを諦めちゃいないから。


 試合終了の笛が鳴るまで、全身全霊、死力を尽くして戦うんだ……!


「くそっ、あと二分切ってんぞ!」

「こんな女子高生に引き分けなんざ負けと同じだ。強引にでもゴール決めろ!」


 追加タイムも一分三十秒が過ぎたところで、勝ちを急いだ相手トップ下がゴール前へと縦パスを入れた。


 コースが甘い。

 取れる!


 その瞬間、あかねは最後の力を振り絞ってスプリントし、ボールをカット。

 すぐさま首を振り、近くでボールを要求していた茉莉亜へパスを送る。


 やや無理な体勢だったため、あかねは蹴った直後にピッチに倒れ込む。


 今日の試合で痛感した。

 アタシは、スピードも、スタミナも、テクニックも、パワーも、何もかもが足りていない。

 プロになりたいなら、欧州で活躍したいなら、代表になりたいなら、ワールドカップで優勝したいなら、もっともっと努力をしないと。


 周りから天才ともてはやされ、無意識のうちに満足していた。いや、慢心していたのかもしれない。

 けど気付いた。アタシは天才なんかじゃないって。


 あかねは受け身を取りながら、想いを託して叫んだ。


「茉莉亜ちゃん! もうチームプレーとかどうでもいい! 百パーセントの個の力を見せてよ!」


 悔しいが、あかねにはこのチームを勝たせる力は無い。

 ラストプレーは、本物の天才に任せよう。


「分かりました。先輩のお望みとあらば」


 自陣のペナルティアーク付近でボールを受けた茉莉亜は、前を向くとドリブル開始。

 ピッチ中央、最短距離でゴールを目指す。


 男子大学生チームはパワープレーに出ていたため、守りが疎かになっている。

 茉莉亜はぐんぐんと加速し、ハーフウェーラインまでボールを運んだ。


「おっと、こっから先は行かせねぇよ!」


 敵陣内に入ったところで、相手ボランチがプレッシャーをかけてくる。


「茉莉亜、右サイド!」


 そこで藍奈がすかさずフォローに入るが、茉莉亜にパスの選択肢は無かった。


 緩急をつけたドリブルからの裏街道で相手ボランチを抜き去り、さらに前進。

 ゴールまであと三十五メートル。


 相手センターバックは味方の戻りを待つように、じりじりと後退しつつ時間を稼ごうとしている。

 きっとドリブルで躱されてキーパーとの一対一を作られるのを警戒しているのだろう。


 しかし、茉莉亜はそんな相手の思考を嘲笑うかのように、軸足となる右足で芝を強く踏み込んだ。

 シュートモーション。


「おいバカ何してる、早く寄せろ!」

「胸揉んででもあの小娘を止めやがれっ!」


 ゴール正面、距離は約三十メートル。

 ディフェンスの寄せは甘く、コースはガラ空き。


「……っ!」


 茉莉亜が冷静に左足を振り抜く。


「行っけ〜!」

「やべぇ、決められたら終わるぞ……!」


 両チーム、ピッチに立つ全員の視線がボールに集まる。


 鋭い回転がかかったボールは枠内を捉えている。

 相手ゴールキーパーも反応し、横っ飛びで手を伸ばした。

 だが、届かない。


 ボールはゴール右上隅に吸い込まれ、ネットに突き刺さった。


 直後、主審が笛を吹いた。

 試合終了の長いホイッスル。


 2対1。土壇場できらほし学園高校女子サッカー部が見事逆転勝利。

 最後の最後、九十三分に茉莉亜の放ったミドルシュートが劇的決勝弾となった。



 試合終了後。


「茉莉亜ちゃん最高! 本当にありがとう!」

「最後のプレー何あれ!? 茉莉亜バケモノすぎるって!」

「いくらコースが空いてても、普通あの距離で打たないでしょ。素人かよ」


「ちょっ、髪型が崩れるからやめてほしいのだけど……」


 ピッチの中では勝利の立役者の茉莉亜が、チームメイトに囲まれてもみくちゃにされていた。

 きらほし学園高校女子サッカー部は先月のリベンジを果たせた歓喜に包まれている。

 疲れも忘れて、満面の笑みを浮かべる女子高生たち。


 一方、反対サイドに目を向けると。


「背番号9番。相手選手への不適切発言により、レッドカード」

「はぁ? どこがレッドなんだよ!? ってか試合は終わってんだろうが!」


 主審に退場を命じられたストライカーが鬼の形相で猛抗議をしていた。

 またその周りでは、苛立っていたり落ち込んでいたりする様子の選手の姿が見られる。


 左右で明暗がくっきりと分かれたフィールド。

 そんな光景を由依ゆいがぼーっと眺めていたら、後ろから拍手が聞こえた。


「いやぁ、素晴らしい試合だった。ナイスゲーム。もみじさん、あかねさんにもよろしく伝えておいて」

「はい。ありがとうございます」


 日本代表の須坂すざか選手から送られた賛辞に、もみじもどこか嬉しそう。


「にしても、あの帰宅部の子。マジでエグかったな」

「そうですね。特に後半はわたしの上位互換みたいな感じがして、少し悔しかったです。まあ、ラストプレーに関してはわたしのトレースをやめてましたけどね……」

「あれはなんというか、ピッチを完全に支配してたよな。例えるなら女王ってところか?」

「もしくは魔女、ですかね?」


 二人の口から出てきたワードに、由依は思わずドキッとしてしまう。


 まさか茉莉亜の正体がジタヴァ王国の王女で、魔女の異名を持つマリア・ティリッヒであると気付いた訳ではあるまい。

 しかし、並外れた才能のある者同士、何か感じるものがあったのかもしれない。


「それじゃ、俺は最低な後輩たちを怒りに行くから。またどこかで」

「はい。お疲れ様でした」

「ど、どうも……」


 須坂選手が去っていくのを見送ると、もみじも松葉杖を手にして立ち上がった。


「よしっ、わたしももっと頑張らなくちゃ。年下の茉莉亜ちゃんに負けるわけにはいかないし、あかねに置いて行かれたくもないからね」


 そう言ってピッチに立つあかねを見つめるもみじは、前向きな清々しい表情をしていた。

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2025年2月21日 18:33

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