4-4 宿敵マッチデー
火曜日に初めて女子サッカー部の練習に参加した
パスの出しどころやタイミング、位置取りやカバーなど、茉莉亜のプレーはとても今回限定の助っ人だとは思えないほどに仕上がっている。
そして迎えた土曜日。
男子大学生との練習試合当日。
「隣いい?」
見上げると、そこに立っていたのは松葉杖をついたもみじだ。
右足にはまだ包帯がぐるぐると巻かれていて、怪我は治っていない様子。
「はい。どうぞ」
「ありがとう」
もみじは痛みに顔を歪めながら、ゆっくりとした動きで「よいしょっ」と腰掛ける。
松葉杖を立てかけると、ふーっと一息。
「
心配になって問いかけた由依に、もみじは柔らかく笑って答える。
「うん、平気平気。むしろ動かさないと、足が
「リハビリってことですか?」
「まあ、そんなところ。試合勘が戻ってない上に走れもしないんじゃ、使い物にならないし」
なるほど。もみじは既に部活に戻った時のことを考えているようだ。
その先を見据えて行動する姿勢はいかにもアスリートらしい。
ピッチ上ではウォーミングアップが始まった。
茉莉亜、あかね、みや、
対して男子大学生チームは、最低限の準備運動をしただけで後は適当にボールを蹴って遊んでいる。
女子高生相手なら、真面目にやらなくても余裕で勝てるということか。
「相手の大学生、なんか感じ悪いな。気に入らない……」
思わず口を衝いて出た由依の独り言に、もみじが苦笑を浮かべる。
「あはは、確かにちょっとスポーツマンシップに欠けるかもね。でも、わたしたちより実力があるのは事実だよ」
彼らに怪我をさせられたのだから、もっと怒ってもいい場面だと思うのだが。
もみじは由依の意見に同意しつつも、相手へのリスペクトは忘れなかった。
と、そんな話をしていたら、後ろの席に座っていたサングラスをかけた若い男性が突然割り込んできた。
「ごめんな。俺の後輩が色々とやらかしてるみたいで」
いきなり見知らぬ男性が会話に入ってきたことに、びくっとして振り返る由依ともみじ。
「浦和もみじさんとお友達、かな? 今日はあかねさんの応援に?」
「ええ、はい……」
しかも名前を呼ばれて、明らかに困惑した様子のもみじ。
しかし、その隣で由依は静かに口元を押さえて目を見開いていた。
一度見た人の名前と顔を絶対に忘れない才能で、この男性が何者なのか気付いてしまったから。
「あっ、あの。
由依が口にした名前に、もみじが「えぇっ!?」と声を上げる。
日本代表の選手が、まさかこんなところにいるはずがない。
それは由依だって同意見だ。
けれど事実として、この男性は須坂選手本人。由依は決して人を誤認しない。
「あれ、気付いちゃった? この格好しててバレたのは初めてだよ」
男性は驚いたといったリアクションをしつつサングラスを外すと、にっこり笑った。
須坂
「ほ、本当に、須坂選手だ……」
日本が誇るスター選手を前にして、もみじが感激のあまり目を潤ませる。
「ったく。こんな良い子の足を刈るとか、あいつら後でお説教だな」
試合開始が迫りピッチに広がる男子大学生チームを見やって、須坂選手が言う。
先程も『俺の後輩が』と口にしていたし、もしかして。
「あの、須坂選手ってこの大学の出身ですか?」
恐る恐る問いかけた由依に、須坂選手は「そうそう」と頷いた。
「俺も昔はこのチームでやってた。あの頃はもっと規律を守る組織だったんだけど、最近はな……」
「皆さんエゴイストなんですかね?」
「いや、ただやんちゃなだけだろ。ほら、そろそろキックオフだよ」
須坂選手の言葉と同時に、主審のホイッスルが鳴り響いた。
前半開始。まずは左にエンドを取ったきらほし側がボールを回していく。
「あかねさん、私フリー!」
「はいよっ」
「そっちプレッシャー来てる! 一旦キーパーまで下げよう」
「分かった!」
まずは左サイドに展開したきらほしは、相手のプレスを受けて一度ゴールキーパーまでボールを下げる。
右足でボールを収めたキーパーは、顔を上げるとすぐさまズバッと縦パス。右ボランチのあかねにボールが渡った。
「茉莉亜ちゃん!」
あかねは首を振って周囲を確認し、左ボランチを務める茉莉亜へ短い横パス。
「
「藍奈!」
その後もお互いに声を掛け合いながら、リズム良くパスを回してチャンスを窺うきらほし。
ここまではミスも少なく、しっかりとポゼッションも出来ている。
「今のところ、割といい感じ?」
試合を見守っていた由依が序盤の感想を呟く。
すると、そばに座っている現役日本代表とリトルなでしこの二人が共に首を捻った。
「いや〜、どうだろ?」
「う〜ん、どうかなぁ?」
どうやらトッププレーヤーの見立ては異なるらしい。
素人の由依には良い入り方をしているとしか見えないのだが、どこに問題があるのだろうか?
「あれ? こっちチーム、あんまり良くないんですか?」
由依の率直な疑問に、もみじが答える。
「何て説明したらいいのかな。わたしたちがボールを持てているんじゃなくて、持たされているというか」
続けて、須坂選手が口を開く。
「俺の大学側は中を固めて外で回させつつ、隙を突いてカウンターって展開を狙ってるんだよ。先月のゲームもこの戦い方してたしな」
「なるほど……」
二人の分かりやすい解説に納得する由依。
サッカーの戦術には色々あるようだ。奥が深い。
それにしても、この豪華解説陣による説明を独り占めなんて、なかなかに贅沢な体験をしている気がする。
しかも画面越しで無く、二人に挟まれた状態だし。
全国のサッカーファンの皆さん、なんかすみません……。
由依が勝手に申し訳ない気持ちになっているうちに、試合は前半の二十五分を過ぎた。
ここで攻めあぐねていたきらほしにピンチが訪れる。
「っ! ごめん取られた!」
「大丈夫よ!」
「アタシがカバー行く!」
「みや、そいつのパスコース限定して!」
きらほしがボールロストした瞬間、男子大学生チームの高速カウンターが発動。
快足ウイングが向こう側のサイドを駆け上がるのに合わせて、一斉に複数人の選手が猛然と前へ走り出す。
「遅らせて! クロス上げさせないで!」
「分かってる、分かってるけど!」
きらほし側の左サイドバックがブロックに向かうより早く、相手がアーリークロスを入れる。
ゴール前には三人が突っ込んできた。
大外がフリーになっている。
高く上がったボールはキーパーの頭上を越え、大外に待ち構えていた相手選手の元へ。
「おらよっ!」
「ヤバっ……!」
豪快なヘディングシュートがネットに突き刺さった。
この試合、先制したのは男子大学生チーム。
ここまで長くボールを保持していたのはきらほし学園高校女子サッカー部だったが、鮮やかなカウンターから一撃で仕留められてしまった。
痛恨の失点に、ゴールキーパーやディフェンス陣が肩を落とす。
「ごめん、落下点見誤った」
「いや、これは完全に私がクロス上げさせたのが悪いよ」
落胆のムードが広がる中、きらほしのキャプテンであるあかねがパンパンと手を叩いた。
「まだまだ。一点取られただけだし、こっからでしょ? 二点取ったらアタシらの勝ち。ほら行くよ!」
落ち込む選手たちに前を向かせ、チームの士気を高める。
この辺は常に明るくハイテンションなあかねの得意とするところだ。
主審の笛で試合再開。
きらほしは再びボールを繋いで相手ゴールへ迫ろうと試みるが、またしても中を固められてしまって思うように攻撃が出来ない。
右サイド深くまで上がれても後ろに戻さざるを得ず、ゆっくりと左に回していっても対応されてしまう。
もどかしい膠着状態が続く中、真剣に戦況を見つめていた須坂選手が一言。
「きらほし側はパスが各駅停車になってるのがダメだな」
その苦言にもみじが大きく頷いた。
「ですね。これだと相手ディフェンスを動かせないから、ブロックも崩れない」
各駅停車パス、別名ステーションパス。
トラップしてパス、トラップしてパスの繰り返しで、単調で変化のないボール回しを指すサッカー用語。
(もちろん由依はそんな用語は知らなかったので、この後のハーフタイム中にもみじからこっそり教わった)
「でも今下がって受けた子はちゃんとスペースにボール出したね。ああいう工夫をもっとしないと。……っていうか、さっきから思ってたけどあの左ボランチの子のプレー、もみじさんと似てない?」
「ああ、茉莉亜ちゃんですか? あかねがわたしの代わりをやってほしいとお願いしたみたいなので、わたしのプレーをあえて真似しているんだと思います」
「へぇ、トレース? 器用なことするね。それだけ実力あるのに前回控えだったの?」
「控えというか、そもそも茉莉亜ちゃんは部員ですらないです」
どういうことかと首を傾げた須坂選手に、あかねは茉莉亜が体育でサッカーが上手かっただけの帰宅部であることを告げる。
「えぇっ!? それであのレベルはエグすぎっしょ……」
衝撃の事実を知って、須坂選手は少し引いていた。
まあ、それはそうだろう。リトルなでしこ招集経験のあるもみじと同じプレーが出来る素人など、本来なら存在するはずがないし存在してはいけない。
結局、1対0のまま前半終了。
勝負は後半に持ち越された。
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