第33話 幕開け

「……ばか、やろう……。何で来た……」


 掠れて途切れかけのガイアンの声が、ナユタの耳に届く。


「おやっさん、一応氷で無理やり止血してあります。後で師匠が来てくれると思うので、そこで応急処置を受けてください」


 正直なところ、ナユタはすぐにでもガイアンの方に視線を向けたかった。

 しかし、相対する者がそれを許さない。

 ウォルフ・テインの放つ殺気が、押しつぶすような圧が、視線すらそらすことをゆるさなかった。


 ────無理だ、勝てない。


 心はすでに悲鳴を上げていた。

 それでもその思考を無理やり抑え込んで、彼を見つめる。

 ナユタにはどうしても、聞かなければならないことがあった。


「ウォルフさん、一つだけ教えてください」


「…………何だ?」


 最悪の場合、何も応じずに斬りかかって来ることさえ考えたが、彼は質問に応じてくれた。話す余裕くらいは持ってくれているらしい。


「……どうしてあの子を、協力者であるルアを、フットレストから落としたんですか?」


「それが彼女の望みだったからだ。自分も【永遠幻像イコリティー】の糧となる、そう言ったからだ」


「────っ。……それがどういう意味かわかってるでしょう?」


「ああ、彼女は死にたがっている。だが、それが彼女の望みだ」


「何で……!」


 彼は、それが彼女の望みだからと繰り返す。

 それがどうしてもナユタには理解できなかった。


「最悪の3人が起こした『地喰じぐらい』を許せないのはわかる! 俺も失った側の人間だから、怒りも恨みもあります。だけど、ルアは関係ないはずだ! 例えあのクウェラ・ユーヴェラスの娘だからって彼女は何も関わっちゃいない!」


「…………」


「貴方たちがそんな風だから、ルアはずっと苦しんでたんだ。片腕を落とした村の一人である貴方に縋らなきゃいけない程に……!」


 それが、ナユタにはどうしても許せないことだった。


 ウォルフは、ナユタの言葉をただ黙って聞いていた。

 少しの間の後、彼は目をゆっくりと伏せ、もう一度開いた。そして。


「……君は、あの子のために怒っているんだな」


 ポツリと、そう呟いた。その後、なぜか彼は懐かしむように目を細めた。


「……丁度、あの子と同じ歳になるんだ」


「何を──」


「私の娘だ。生きていたら、ルア・ユーヴェラスと同い年になる」


「っ」


「時々、彼女に私の娘の面影を見る。似ても似つかないはずなのに、どうしても。──だが、それ以上に憎き『虹花にじばな』の顔が鮮明に浮かび上がる。フットレストで成長した姿を見た時、ますます似てきていると思った」


 空っぽな声が空に溶ける。


「君の怒りはあまりにも正しい」


 何も感情が乗ってないひどく虚しい声が。


「だが、すまない少年。俺は彼女に対して、もう何の感情も抱くことができない。せめてできることは、彼女の望みを叶えてやることだけだ。例えそれが、死を望むことであろうとも」


 今まで感じていた圧が嘘のように消え、弱々しさすらナユタは感じた。

 ナユタは、何も言うことができなくなってしまった。


「……君は、誰を失ったんだ?」


「え……?」


「さっき、失った側だと言った。具体的には?」


「…………妹と、間接的にですけど両親を」


「そう、か……」


 彼の質問の意図が、まるでわからなかった。

 それに対して素直に答えている自分にも。


「…………君は、強いな」


 ウォルフは、笑みを浮かべた。


 小さな笑みだったが、先ほど感じた虚しさはどこにもなかった。


「少年、あの酒場で、君の夢を聞いた」


「────」


「嗤った者がいただろう、貶した者もいたはずだ。だが、そんな奴らのことは捨てておけ。その者たちは、君の目を直視できない連中だ。君の言葉に宿る熱を感じることができない者たちだ」


 彼の言葉に力がこもった。


「ナユタ・フォッグフォルテ。君を、俺の復讐を阻む夢を持つ者だと認める。──全力で来てみせろ。俺も君の夢を全力で叩き潰す」


「っ⁉︎」


 同時に押し潰すような圧も戻ってくる。


 ナユタは悟った。

 もう、話し合いは終わりだと。ここから、戦いが始まるのだと。


 覚悟を決める。ここで全ての決着をつけるために。

 両手に持った、氷馬の角と師匠から貸してもらった短刀を構える。


 ウォルフも『風飾かぜかざり』を引き絞る。

 もう一つの戦いの幕が開ける。

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