第31話 その夢に彩りを

 間違いだらけだと、ルア・ユーヴェラスは心底そう思う。


 今、目の前で相対している少年は、まっすぐだ。

 どうしようもないほど夢のために駆け抜けている。


(ああ、いやだなぁ……)


 邪魔をしているのは自分だ。本来なら、この少年の前に立つ資格など何一つない。

 それでも、彼の夢を阻むのは、縋っているからだ。ウォルフ・テインの復讐ゆめを遂げることで、少しでも許された気になりたいからだ。


 だから──。


「ルア! 君は──」


「『氷刃鳥ひょうじんちょうが空を飛ぶ』」


 ナユタが、何か言葉をかけるよりも早く動いた。

 素早く画用紙を取り出し、相手へと見せつけ、題名を口にする。


 それだけで、画用紙から氷の羽を持つ鳥が実体を持って飛び出してくる。それも、複数の群をもって。それは美しく、しかし鋭く、ナユタへと向かっていく。


「…………っ」


 彼は、初めこそ回避ができたものの、後から続く群を避けきることができず、氷の翼を全身に浴びてしまう。


「ぐっ──」


 裂傷から、噴き出る血。氷刃鳥ひょうじんちょう自体は小さな鳥だが、その速度と群での突撃は十分な威力を持つ。それを、正面から受けたのだ。少年だってただでは済まない。だが、それでも彼は立っている。そして、その目は真っ直ぐにルアを見つめている。


「っ、『黒沼断ち』!」


 拒絶だ。ルアはほとんど反射で、次の画用紙を取り出した。そこに描かれているのは、漆黒の刃を持つ魔剣。『永遠幻像イコリティー』の効果により、実体を持ったそれを掴み、振り払ってみせれば、黒い斬撃が、金切声を上げながら飛んでいく。


 だが、少年は恐れない。もはや、覚悟は決めたと言わんばかりに、迫る黒に向かって走り出す。それが、ルアには何より恐ろしかった。


 すでに、行動のイメージができている。そう確信させるほどの少年の動きだ。彼は、【支配ドミナント】している氷の角を掲げ、タクトのように操り、氷の分厚い壁を作り出す。だが、ただの壁ではない。黒い斬撃との衝突の際に、威力を後方へとずらすために斜めに設置した状態で出現させたのだ。


 果たして、激突。氷でできた壁は見事に斬撃の威力を後方へと流し、その結果できた最小限のズレに身を躍らせて、ほとんど回避なしで黒の凶刃を防ぎきる。


(もうすでに、氷を思い通りにっ⁉︎)


 できている。思わず、後退りながらも斬撃を連発する。とにかく、距離がとりたかった。あの少年と。しかし、躱し切られるし、防ぎ切られる。止まることはない。ただただまっすぐ、こちらへと走り続ける。


「嫌だ……! 来ないでぇっ‼︎」


「それこそ嫌だ! 絶対に辿り着く! こんなことをしてたって──」


 その言葉の後に、何が続くのだろうか? 何もない? 虚しいだけ? だが、そんなこと──。


「わかってるよ、そんなこと! 私には、罪しかない! それ以外に何もないよ‼︎」


 視界が、何かで揺れる。感情の昂りが、涙となって溢れ出す。だからこそ、これは否定の一撃だ。次なる幻像は、巨大な角を持つ3mを超えるような空遊魚くうゆうぎょ、『イッカクラセン』。


 その名の通り、その角には螺旋状らせんじょうの彫り込みがあり、自身も角を中心に回転することにより凄まじい貫通力を発揮する。直撃すれば、人などただでは済まないだろう。


 そして、それは動き出す。迫る少年目掛け、回転をしながらの特攻。

 それは。明確な脅威をもって少年を貫こうとする。

 小細工など、通じない。氷というもろいものでは、防ぐことなど不可能だ。

 それは、ナユタにも理解できたようだ。だからこそ彼は、自らの足元に氷の柱を出現させて上空へと跳躍。空気を裂く音が耳を掠めるほどの速度の攻撃を何とか回避することに成功する。


 ──それが、ルアの狙いだと気づかずに。


「『イッカクラセンの螺旋らせん落とし』」


 現れるのは、2匹目。少年の頭上。形を作り、回り、少年を上から押しつぶすように肉薄する。


 そう、そもそも描かれているのは、2匹のイッカクラセン。彼らは、元々2匹で狩りをすると言われている魔物だ。体の大きい1匹目が下から這うように獲物に迫り、上へと逃したと同時に、上空で待機していたもう1匹が、角で上から突き刺す。これこそがイッカクラセンの螺旋落とし。


「──っ⁉︎」


 その脅威は、間違いなく少年を襲った。彼は、最後の最後に、咄嗟に周囲を覆う氷の壁を作り出したようだったが、無意味だ。


 結局、少年は2匹目と激突した。冗談のように彼の体は吹き飛び、ルアの頭上を超える。


 そして、ルアの背後の地面に衝突する、そう、最悪の想像した瞬間だった。


 ──ダンッ、と音が響いた。


 それが、ナユタが意思をもって足から着地した音と、ルアには一瞬で判断できなかった。


「え?」


 それに気づいたのは、自分の腕が背後から掴まれた時だった。


 信じることができず、ほうけた声が漏れる。反射的に振り返ってみれば、そこには息を荒げ、脇腹から血を流す少年の姿。痛々しい様子だが、それでも確かに立って、ルアの片腕を掴んでいる。


「な、んで……」


「……俺が師匠と呼んでる人のこと、ルアはもちろん知ってるよな?」


「それは……」


 テルル・エニートン。


 その顔を思い浮かべ、合点がいく。


「俺の師匠は偉大な人だ。『回る天穿樹てんせんじゅの大地』で踏破者ウォーカーの生存確率を上げるための本を出してる。俺はそれを何千回って読んでるんだ。だから、知っていたんだよ、イッカクラセンの狩りの方法も。だから、あえて俺は君の一撃を受けた」


「まさか……」


 ようやく、彼の狙いに気づいた。ナユタは、一撃をあえて喰らってみせることで、ルアの油断を誘ったのだ。


(イッカクラセンの攻撃を受ける時に出した氷の壁……)


 それは、彼の頭上から足元まで全てを覆っていた。そう、迫るのは一方向からの攻撃だ。それを防ぎたいだけなら、必要すらない。なら、それが意味することは。


(足元の氷で滑って、角との衝突を『ズラ』したんだ……!)


 だから彼は横へと吹き飛んだ。


 本来なら、真下へと落下するはずのところをズラしたことによって。


「やっと捕まえたぞ、ルア。これで、ようやく話ができる」


「……話すことなんて、ないよ」


「いいや、ある」


「私は、あなたたちの敵だよ。ずっとあなたたちのことを騙してきた」


「なら、そんな苦しそうな顔しないでくれよ。俺と戦ってる時、ずっと苦しそうだった」


「それは……」


「罪しかない、何もないなんて、そんな悲しいこと、言わないでくれよ。それしかなかったら、そもそもルアは、俺たちを一度助けようとなんてしないだろ?」


 それは、一角氷馬いっかくひょうまに襲われた時だ。その時のことを彼は言っている。


「…………」


「ルアはさ、優しいんだよ」


 彼は手を伸ばし、ルアの涙を拭う。


「ルアに罪なんてない。俺は本気でそう思ってるけど、そんなこと、まだ会ったばかりの俺が言ったて、ルアの苦しみは晴れないよな。今の俺の言葉にそんな力はない。ごめん」


 暖かな言葉だ。そうしようもなく。それでも──。


「罪がなかったら、私はもう価値なんてない。生きる資格なんて、ないよ……」


「そんなことないさ。だって、ルアには『絵』があるじゃないか」


「え?」


「好きなんだろ、描くことが。だってそうじゃなきゃ、利き腕を失ってからあんなに上手くなんて描けないさ」


 事実だった。ルアはずっと描いてきた。

利き腕を失った後も、ずっとずっと、ひたすらに。


「しかも、『未踏領域みとうりょういき』の魔物や魔剣とか自然ばっかり。ルアって結構、未踏領域のことに興味あるんだろ?」


 そう言って、彼は笑う。こんな時に、彼はなぜ笑っているのだろう。


「だって、母さんが、すごい踏破者ウォーカーだったし……。私もいつかは踏破者ウォーカーになろうって思ってたから……。いろんな生き物や自然を絵に残したいって思って」


 そしてなぜ、自分は彼にそんなことを伝えているんだろうか?


「それはとっても、素敵なことじゃないか」


「………」


「それに、ルアに罪しかなかったら。俺だって罪しかないさ。俺は絵なんてできないし、おやっさんみたいに強くないし、師匠みたいに知識もない。家族だって1人も守れなかった大馬鹿野郎だ。生きてる価値なんて何もない」


「そんなこと──」


「でも、俺には『夢』があるんだ。そのために俺は生きている。だから、ルアだって夢のために生きていいと思うんだ」


「ゆ、め……?」


「ああ」


 信じることができなかった。なぜならば自分にそんなもの持つ価値などないと思っていたからだ。だが、少年は笑って続ける。


「信じられないなら、何度でも言うさ。それで、どうせなら、一緒に夢を叶えよう」


「一緒に?」


「ああ。──俺を彩ってくれ」


「──────」


「俺の夢は、『未踏領域みとうりょういき』のありとあらゆるところを踏破して、本を作ることなんだ。俺だけの冒険譚を作りたい。その冒険譚に君の絵を添えてほしい」


 それは、ナユタの心の底から出た言葉だ。


「俺の物語を、ルアが描く絵で彩って欲しいんだ」


 彼はルアへともう一度手を伸ばした。


「どうかな?」


 今度は、涙を拭うためではなく、手を取ってもらうために。


「…………」


 ルアは、おずおずと手を伸ばす。

 近づいて、一度だけたじろいで、それでも──。


「うん……!」


 ナユタの手を握った。


 そして、彼は立ち上がってルアの手を引く。

その力に逆らわず、ルアも立ち上がる。


「やれやれ、一時はどうなることかと思ったよ」


「師匠」


 ナユタの願いを聞き入れて、今までずっと見守っていてくれた師匠が駆け寄ってきた。


 疲れ切った顔と声だ。どうやら、相当心配をさせてしまったらしい。


「感動的なところ悪いけど、これがゴールの訳じゃないよ。まだ最大の問題が残ってる」


「そうですね」


 ウォルフ・テイン。彼がまだ倒れていない。


 『地喰じぐらい』はまだ、終わってなどいないのだ。


「でも、ここで終わらせます。だから師匠、いくつか貸して欲しい物があるんです」


「……正気かい? 私には、今この場でウォルフ・テインに挑むという意味に聞こえたよ」


「ええ、その通りです」


 ナユタは一度、大きく息を吸った。そして、決意の言葉とともにはきだした。



「俺はここで、ウォルフ・テインを倒します」

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