第25話 ダンクルタイラント
師匠の本の記述によれば、ダンクルタイラントに特殊な能力はない。
『
しかし師匠はダンクルタイラントを『
「ルア、次行くぞ!」
「う、うん!」
合図と共に俺は手に持っていた氷馬の角へと意識を向ける。
それをタクトを振るように下から上へ。
すると、進む先の床一面が凍りついた。
そのことを確認してから俺たちは身を屈め、スライディングの要領で氷の床を滑っていく。
ダンクルタイラントに目をつけられてから、すでに10分近く経過しているが未だに俺たちが追いつかれていないのは、この氷の床のおかげだ。速度を保ったまま、少しの間だけ足を休めることができる。
先ほどまで見ていた美しい青の彩りはどこにもなく、高い天井を支える岩の柱が乱立する洞窟らしい景色の中を俺たちは駆けていく。巨大な追跡者の視界から消えるため、柱の影に隠れるように氷の床を利用して滑っていく。──が、しかし。
ドカァッ、と派手な音が洞窟内に響き渡った。
「ちくしょうッ‼︎」
轟音が耳に届き、思わず悪態を吐く。
滑走による加速の中で、ちらりと後ろをみれば、視界には柱を粉砕しながら一直線に距離を詰めてくるダンクルタイラントの姿が。
その巨大な図体と兜のように硬く発達した頭部、そして、頭部の付近についている大きなヒレが生み出す速度によって岩の柱などものともしない突進力を発揮する。
これが、ダンクルタイラントがトップ5に入る理由。
とてもシンプルだ。
でかくて硬くて速い。
あまりにも単純な事実ゆえに隙のない強さ。
(普段はもっと高度がある上空にいる空遊魚のはずなのに…………。これも、『
なんとかしたいが俺の【
かといってこのまま鬼ごっこを続けていたとしても、体力は失われていくばかりだ。
「ナユタ、このままじゃ……」
「わかってる! だけど、絶対離さないからな!」
ルアの手の力が言葉と共に抜けた。だが、こちらから強く握り直す。
ルアは、また自分だけ犠牲になろうとする気だ。そんなこと許せるはずがない。
「君と俺は、必ずこのピンチを切り抜けて生きるんだ! そうじゃないと、大好きな絵だって描けなくなっちゃうんだぞ!」
「────っ」
だけど、このままじゃ本当にまず────。
ふと、後ろへと流れていく景色の端、洞窟の壁から光が漏れている箇所を捉えた。
外。
見晴らしのいい砂の平地が続く明るい外。
「──‼︎」
瞬間、俺は再び氷の角を振った。
作り出すのは氷の壁。しかし、ただの壁ではない。
俺たちの右の側面だけに、波のような曲面を描く壁を出現させる。
そして、その壁を徐々に左へとカーブさせていく。速度を殺さずに進路を変更するための壁だ。
果たして目論見は成功し、無事に進路を変更することに成功した。
視界の中央に、先ほど見かけた光を捉える。小さな穴だ。
しかし、屈んでいけば十分に外へ出ることが可能な出口だ。
「ルア、少しだけ走る。その後すぐにあの出口に向かって滑り込む!」
「うん!」
言って、俺たちは凍っていない地面に立ち上がり走り出す。
数歩。氷の角へと力を込めるために縮まってしまう距離を己の足で引き離すために。
「行くぞ!」
合図とともに角を振れば、出口まで一直線に凍りつく床。
再び俺たちは氷の床に飛び乗って出口を目指す。
だが、ダンクルタイラントも黙って見ている訳ではない。
そもそも、スピードを保ったままとはいえ、俺たちは左へと進路を変えたのだ。
距離は開くどころか、縮まってしまう。
確かな圧がすぐそこまで迫る。
後方を見る余裕はないが、確実に距離は詰まっているだろう。
だが、ほんの僅かに俺たちの方が速かった。先に外の景色に辿り着いたのは。
俺とルアの二人だった。
窮屈だった洞窟から、視界が一気に開けた。
つい先ほどまで光があまり届かない洞窟内にいたからか、太陽の光が異様に眩しく感じる。
しかし、直後に轟音。
見なくても、状況が理解できた。ダンクルタイラントがその強靭な頭部を以って洞窟の壁を壊したのだ。自らが通れないのであれば、通れるサイズの穴を作ってしまえばいい。馬鹿げた発想だが、それができるだけの力がダンクルタイラントにはある。
どうやら、壁ごときでは俺たちを諦めてはくれないらしい。だけど、それは想定内だ。
だから俺は次の一手を打つ。
「いっけぇええええええええええええ‼︎」
三度振るうは氷の角。
下から上へと全力で。
直後に凍り始めるのは俺たちが踏み締めている地面。
だが、それだけでは終わらない。
俺たちを中心に直径5m程の円形に凍りついた床から伸び上がるのは氷の柱。
凄まじい速度で伸び上がり、俺たちを上空へと突き上げる。
「わ、わわっ⁉︎」
「ルア、少しの間だけ耐えてくれ!」
急激な上昇にバランスを崩しかけそうになるが、2人で体を預け合い、なんとか耐える。
リソースを全て高さに注ぎ込んだ氷の柱は、地上から15m程の高さまで伸びてくれた。
十分な高さだ。イメージ通りの氷柱ができたことを確信する。
しかし、ダンクルタイラントには氷の柱など関係なかった。
ただ壊す目標が増えただけ、そう思ったのだろう。
灰色の
瞬間、加速。
その巨大なヒレから作られた速度を余すことなく、氷柱への激突に注いだのだ。
「くっ──⁉︎」
衝突によってぐらりと揺らぐ足場。
根本から折られた氷柱は無情にも落下を開始する。
「まだだっ‼︎」
このまま氷柱と共に地面に落下すれば、いくら砂の地面といえど無事では済まされないだろう。だから、ただでは落下しない。
俺は、一角氷馬の角に意識を込めて、氷を作り出す。
落下している氷の柱を起点に分厚く中央が窪んだ氷の道を伸ばしていく。
伸ばす先は俺たちの真下、自然落下をしていた俺たちは、氷の道によって掬い上げられそのまま道の上を滑っていく。
つまりは即席の滑り台。俺たちの落下地点をできるだけ遠くに伸ばすための応急処置。
が、しかし、所詮は応急処置。何の支えもなく伸ばした氷の滑り台はある程度距離は稼いでくれたものの、自重に耐えられずボキリと途中で折れてしまう。
「きゃっ⁉︎」
「くそっ!」
俺はルアを引き寄せ抱き抱える。
その直後、ふわりと空中に放り出される感覚があった。
俺は咄嗟に自分が下になるように体の位置を回転させる。
そして、砂の地面に背中から衝突。勢いもあって水を切る石のように何回か跳ね上がってなんとか着地を成功させる。砂地であることが幸いして高所からの落下であってもダメージ自体は深刻なものではなかった。
だが、すぐに立ち上がることができない。背中を中心にかなりの衝撃があったため、肺の中にあった酸素が一気に吐き出された。
「がっ、あ……!」
「ナユタ!」
ルアの焦った声が耳に届く。
霞む視界の先には、こちらへと悠然と迫るダンクルタイラントの姿。
手詰まりだ。もう俺にできることは何もない。
──そう、俺には。
ルアは片手を横に広げて俺を庇うように前に立つ。そんなのお構いなしと、ヒレで空気を押し出し加速するダンクルタイラント。
──が、しかし、巨大な
「え…………?」
呆然とするルアだったが、俺は思わず笑みを浮かべた。
どうやら俺の密かな賭けは成功したらしい。それを確信づける声が響いた。
「ダンクルタイラントは肉食の
可愛らしい女性の声だ。こんな状況にも関わらず冷静な落ち着いた調子の言葉。
俺たちの後方から近づいてくる人物は、俺がよく知っている人だった。癖のある黒髪を膝裏まで伸ばし、男物のコートを身に纏う少女。
「……師匠」
「ドラキュアスは他の魔物の血を栄養とするヤツだ。その結果、他の
言われるがままに、師匠が指差した方を見る。
ダンクルタイラントが向かう先、確かに布で包められた即興の袋が落ちていた。それは大量の赤い液体が滲み出ている。
「そして、ダンクルタイラントに限らず
師匠が作ってくれた隙があった。
だけど、体がダメージによって上手く動かない。俺では決定打を与えることができない。そう思った直後だった。
爆発的な衝撃があたりを駆け巡った。
それが、ある人物が突撃のために地を蹴ったとき起きたものだと後から知った。
たった一度の踏み込みで、その人物は瞬時にダンクルタイラントとの距離を詰めた。
灰色の
師匠の説明通り、距離を詰めた人物は横合いからダンクルタイラントの胴体に勢いよく両腕を突き立てた。右手には炎を
「おらぁっ‼︎」
右手を上へ、左手を下へ。炎と水が凄まじい勢いで上下2つの軌道を描く。
ダンクルタイラントは、悲鳴すら上げることができなかった。ヤツは、その2つの斬撃によって、胴を裂かれて命を落とす。
俺たちが為す術すらなく逃げ惑っていた相手を易々と葬り去った。
その人物は、
俺はその姿を認めて思わず叫んだ。
「おやっさん!」
「おう、ナユタ。しぶとく生きてんな」
おやっさん──ガイアン・アルクヴァースは俺たちの方へと振り返り、ニヤリと笑ってみせた。
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