第24話 ルアとの会話
「…………」
「…………」
様々な濃淡の青が作り出す美しい景色を俺たちは黙って見つめていた。
「……………………………」
「……………………………」
そう、ただただ静かに、静謐な時間が流れていく。
「…………………………………………………………」
「…………………………………………………………」
…………か、会話を……会話を全く始められない……! 何度か声をかけてみようとしているが、何というかルアさんが纏う独特の雰囲気が話かけづらさを醸し出している。
しかし、そんなことを気にしていつまでも話しかけることができないでは、とてもじゃないが情けない。ここは意を決して話しかけるべきだ! 頑張れ俺!
「ルアさ──」
「敬語、無理して使わなくてもいいですよ」
「……へ?」
「私たち、見たところ年も近いみたいですし、意識してわざわざ敬語を使わなくても大丈夫ですよ」
こちらから声をかけようと思った矢先にルアさんの方から声をかけられてしまった。彼女の方から積極的に話しかけてくれると思っていなかった俺は思わず間抜けな声をあげてしまう。
「い、いいんですか?」
「ふふ……ほら、また敬語になってる」
ルアさんは、穏やかに笑った。彼女の笑顔は初めて見たかもしれない。
「……わかったよ」
何とか搾り出すように敬語を外して喋るが、全く慣れない。恐らく見た目からして彼女の方がひとつふたつ年が上だ。目上の人に対してぶっきらぼうに話しかけるなど失礼にあたるだろう。
「じゃ、じゃあさ!」
しかし、ルアさんがいいと言ったのだ。
断る理由もない俺は、せめてもの抵抗として。
「ルアも俺には敬語なんか使わずに話して欲しい。その方がお互い変な気を使わなくて済むからさ」
と、ルアにも普段通りに話してもらうことを提案した。
「そう?」
「うん、そっちの方がいいと思う」
「……ならそうするね。ありがとう、ナユタ」
彼女はなぜか俺にお礼を言った。何故だろうか?
言葉遣い一つでそこまで言われることなんてないはずなのに。
不思議に思ってルアの方を見たとき、俺はあることに気がついた。彼女の右手が宙を泳いでいる。何か、細い棒のようなものを持つ手の形を作りながら、小刻みに手を動かしている。そして、しばらくすると手の位置を少しずらして同じ動作を繰り返していた。一体何事かと思ったが、ルアが何をしているのかすぐに理解することができた。
絵だ。彼女は、目の前の美しい風景を宙に描いていたのだ。
「……絵、描けば?」
「うひゃあっ⁉︎」
どうやら、ルアはほとんど無意識で描いていたようで、俺の問いに思いっきり驚いていた。
「ど、どどどどどうしたんですか急にっ⁉︎」
驚きのあまり敬語に戻るルア。
「いや、空中に絵を描くくらいなら、時間はあるんだし紙に描いちゃえばいいと思って。道具は持ってるんだろうし」
そう、彼女はフード付きの上着に黒のショートパンツとシンプルな格好をしているが、左肩から紐で大きな木の板をぶら下げているのだ。最初は何に使うのかと思ったが、絵を描くと分かったのなら合点がいく。あの木の板は、絵を描く際に画用紙の下に当てるためにあるものなのだ。
「で、でも……私たちは救助を待つ身だし……」
「そうだけど、ただじっと待ってるのも辛いだけだし、どうせならやりたいことをやった方がいいと思う」
「やりたいこと…………」
「装備として携帯するぐらいなんだから、好きなんでしょ、絵を描くことが」
「………………うん」
ルアは、少しだけ考え込んで、けれど確かに頷いた。
「今は誰も邪魔なんてしないから思う存分かけるさ。それに、俺もルアがどんな絵を描くのか興味あるし」
俺の言葉を聞いて、ルアは少しだけ恥ずかしそうにした。だけどすぐに口を結ぶと。
「……じゃあ、描くね」
言って、ルアはベルトに掛けてある四角いポーチから鉛筆を取り出すと、膝を折り曲げ、足で山を作り、内側の斜面に木の板を立てかけた。そして、その上に画用紙を乗せて描き始める。その表情は真剣そのものだった。すでに彼女は視界の先にある世界を描き出すために全神経を注いでいる。
「…………」
俺は、彼女に聞きたいことがあった。
どうして
嬉しそうだったのだ、彼女は。
別にわかりやすく口角を上げているわけではないし、声を発したわけじゃない。だけど、俺は確かに彼女がウキウキしていることが伝わってきた。今のルアには、先ほどまで感じていた話しかけにくいオーラなど
だから、無粋な真似なんてしたくないと思った。
俺は、彼女の横顔から目を離すと、前方にある景色を静かに見つめた。
どんな絵が出来上がるのか、今から楽しみだ。
「…………出来た!」
「えっ、もう⁉︎」
まだ30分くらいしか経ってないんだけど⁉︎
「う、うん。流石に色とかを塗る時間がないから、黒一色だけなんだけど……」
恥ずかしそうな顔を見せながらも、おずおずと描いていた用紙を俺へ渡してくれるルア。
「どれどれ…………──っ⁉︎」
彼女の絵を見た瞬間、俺はとてつもない衝撃に襲われた。
上手い。
デフォルメが効いて、線の太い可愛らしい絵を考えていた俺にとって、ルアの絵は想像以上のものだった。
写実的というのだろうか。線の一本一本が丁寧に引かれており、
「えっ、上手っ! うまっ⁉︎ うまー‼︎」
あまりの技術の高さに驚き叫んでしまった。ルアは、右腕一本だけでとんでもないものを描き上げているのに、肝心の語彙力がないせいで、絵が上手なことしか伝えられない。
「すごいな、ルア……」
「そ、そんなことないよ! 私なんてまだまだで、今回は時間もかけれなかったし、色々雑に描いちゃったところがあるから……」
この絵にまだ先があるの⁉︎ もう俺には絶対描けないくらい上手いのに、彼女にとっては雑に描いたものらしい。信じられない。
「はーそっかぁ、ルアは絵が得意なんだなぁ」
俺は後ろへ倒れ込んだ。柔らかい砂の感触を背中で感じながら、ルアが描いてくれた絵を上へと掲げる。
「うん。絵だけは、毎日描いてきたから」
それは嘘ではないのだろう。それだけの説得力は俺が見ている紙に描かれている。
「……俺さ、本を書くのが夢なんだ」
「本?」
「ああ、『
「……そうなんだ。すごい夢だね」
チラリとルアの顔を見た。この夢を他人に伝えるとほとんどの人が無理だと笑う。笑わなかったのは、師匠とおやっさんぐらいだった。ルアも俺の夢を笑わなかった。だけどそれは、笑う余裕がなかったから、そんな風に見えたのだ。彼女は何か、別のことを考え込むような表情をしていたから。
そう思っていると、ルアはこちらの方を向いて。
「だから、ナユタは諦めないの?」
と、聞いてきた。
「あの人を──ウォルフ・テインを倒して、『
暗く、沈むような声だった。
まただ。またルアは、あの独特な雰囲気を
「ああ、止めたいと思ってるよ」
彼女には、きっと思うことがあるのだろう。だけど、俺の答えは変わらない。
「俺の夢のためでもあるけれど、『
それを俺は知っている。
「妹や、母さんや父さんもその被害者になったんだ。そういう人を俺は増やしたくない」
「…………」
「……って、暗い話をしちゃったな! そんなことより、ルアの絵って他にもある? あるならもっと見てみたいんだけど!」
「えっ、ええ⁉︎」
暗い話題を切り上げたいがためにルアに唐突に話を振ってしまった。まさか自分の絵に興味を持たれるとは思ってなかったらしく、思いっきり驚くルア。
「いや、でも私の絵なんてホントに────」
「そんなことない。凄いと思ったからもっと見てみたくなったんだ。だめかな?」
「う、うう……」
ルアは口を真横に引き結び、顔を紅潮させる。その後、何度も右手を背中の鞄に向けようとしては止めて、向けようとしては止めてを繰り返した。しかし、しばらくすると意を決したように右手一本で器用に鞄の蓋を開けると。
「ど、どうぞ……」
目をあらん限りこちらから逸らしつつも、紙の束を渡してくれた。
「ありがとう!」
お礼を言って、渡された紙束を丁寧に受け取る。きっとかなり恥ずかしい思いをして見せてくれたものだ。こっちもしっかりみないといけない。そう思って渡された画用紙に目を通していく。
「おお……!」
分かっていたけどやっぱり上手い。今度のはじっくり描いていたものが多いようで、色が塗られているものがたくさんあった。
水彩特有の淡い色使いで『
「…………ん?」
だが、画用紙の束をめくっていく中で、気になった絵を2枚見つけた。
1枚は描きかけの絵だった。
『
地中から浮上して『
その描かれているないように問題はない。気になったのは日付だ、右下に控えめに書かれた数字。それは昨日の日付だった。
(……昨日のあの場所に、ルアさんもいたのか?)
しかし、そんな疑問よりもさらに気になることがあった。
2枚目の絵の方だ。それは、『
──だが、折れていた。雲を貫き、高々と
同じだ。切り取られたフットレストが『
それに、この紙から感じる異様なザラつきは何だ?
「ルア、これって────」
絵に感じた不気味な異様さ。それを尋ねようとして────。
俺はルアさんに勢いよく飛びかかった。
「きゃっ⁉︎」
2人共々今いた位置から大きく移動する。
ほとんど勘のようなものだった。理由は単純、景色の中の青が散ったから。俺たちの周りを優雅に泳いでいたサファイアフィッシュが、俺たちから逃れるように四方八方へ散らばったのだ。サファイアフィッシュは俺たちを警戒していなかった。ただの風景として気にしている素振りすらなかった。
それが突然、速度を上げての逃走。
つまり何かが現れた。サファイアフィッシュが恐るほどの何かが、俺たちの後ろに。
「────っ⁉︎」
柔らかい砂地へと転がり込みながら、俺は自分達が先ほどまで座っていた場所を見た。
そこで視界に捉えたのは巨大な
まず目を引いたのはその頭部。滑らかに動く胴体とは打って変わって頭部の皮膚だけが異様に分厚く硬質に発達していた。まるで鉄で出来た兜を着込んだかのような顔は、水晶の光によって青く照り返っている。
俺はこの空遊魚を知っている。師匠の本で読んだことがあるからだ。
「『ダンクルタイラント』!」
こちらへと迫ってくる魔物の名を吐き捨てて、俺はルアの手を掴んで引っ張り上げる。
剥き出しの牙が近づいてくる。なりふりなど構っていられない。俺たちは背を向けて全力で走り出す。ダンクルタイラントから逃げるために。
『
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