第17話 救出

 暖かな日差しを受けながら、しかし周りから感じる異常な冷気を感じつつ、隻腕の少女、ルアは駆けていく。氷でできた草原を踏み砕き、乱立する氷柱の間をうようにして目指すのは白馬の魔物、一角氷馬いっかくひょうま。氷馬の方もこちらに向けて走ってきているので、ルアと白馬が衝突するまではそれほどの時間は要さない。


 ある程度距離を詰めたところで、ルアは右腕でベルトに下げてあるナイフを掴み、それを一角氷馬いっかくひょうまめがけて投擲とうてきした。投擲とうてきされたナイフは、真っ直ぐに白馬に向かっていく。


『────』


 だが、白馬の額から伸びる氷の角が淡く光ったと同時に、飛んでくるナイフの目の前に氷の壁が出現しナイフを阻んでしまう。


 額から伸びる氷の角で、自在に氷を出現させる。それこそが一角氷馬いっかくひょうまが用いる能力だ。


 白馬の能力自体は単純だが、応用の幅が格段に広い。氷柱による攻撃や、氷壁による防御など攻防一体の力となっている。

 そのことが、先ほどの追いかけっこと投擲されたナイフの防ぎ方で確認できた。


 ルアは確信する。間違いなく自分が勝てる相手ではないことを。


 しかし、そんなことはわかりきっている。重要なのはそこではない。ナイフを投擲とうてきした目的は、氷の白馬の実力を測ることも含まれているが、一番の目的は一角氷馬いっかくひょうまの注意を自分に向けることにある。


 果たして、ルアの目論見もくろみは成功した。


 氷の壁が砕け、その奥から見える白馬の顔は明らかにルアのことを忌々しそうに睨みつけていた。


(よし……)


 確実に白馬の狙いがこちらに移った。


 ルアはそう確信して、進路を左へと切り替える。彼女の急な方向転換に気づいた一角氷馬は目の前にある氷の壁を踏み砕きながらルアを追いかけ始めた。


 彼女と氷馬が向かう先は炎の森。両者は、炎をとも炎灯樹えんとうじゅの木々の間へと姿を消していった。





「くそっ!」


 ナユタは、思わず悪態あくたいを吐いた。


 ルアが白馬の魔物の気を引こうとしてる中、彼はそれを黙って見てたわけではなかった。


 ルアの無謀な策を止めるために、ナユタもまた彼女を追いかけた。しかし、ルアはナユタの想像を越えて素早かったのだ。彼女の行動に足を一瞬止めてしまったこともあり、ルアを引き止めるどころか、その距離を一気に話されてしまい、すでに彼女は炎の森へと方向を切り替えた後だった。


 ならばと手に持っていた水泡樹すいほうじゅの枝を氷馬へと向け、水弾による攻撃によって魔物の注意をこちらに引き戻そうと考えるが……。


(──っ⁉︎ 射線が……)


 一角氷馬いっかくひょうまによって伸びる氷柱のいくつかが、水弾の射線を塞いでしまっていた。

 そうこうしている内に、ルアと一角氷馬いっかくひょうまは炎の森へと姿を消していってしまう。このままではまずいと、ナユタも加速をかけようとする。しかし。


「ナユタ、待つんだ」


 突然、脇に抱えていたテルルから待ったをかける指示が飛んできた。


「何言ってるんですか! このままじゃ──」


「うん、このままじゃ、間違いなくルアは死んじゃうね。──だからこそだ」


「え?」


「一つ策を思いついた。多少無茶もいる作戦だけど、賭けられるかい?」


「賭けます。何をすればいいですか?」


 テルルの問いに、ナユタはよどみなく答えた。何を今更とナユタは思う。元より師として敬愛し信頼を置いているのだ、賭けろと言われれば迷いなく賭けるに決まっている。


「なら始めよう」


 ナユタの答えに笑みを作りながら、テルルは高らかに宣言した。


「ナユタ、君の持っているものが、この作戦のカギになる」





「──はっ。……はあっ……」


 走った。ルアにとっては久々の全力疾走となり吐き出す息も絶え絶えだった。

 すでに体力は限界に近く、今の速度を保つのは難しくなっている。だが、それでいいとルアは思った。元よりこちらの目的はこちらに注意を向けて、あの少年たちを逃すことにあるのだ。彼らとの距離はもう充分取れただろう。


 現在は炎の森を抜けて、ひび割れた地面が顔を覗かせる更地に来ていた。その割れた地面からは地面からの熱が吹き出ているようで周囲の熱気はかなりのものだった。水分のない乾いた地面を踏みしめながら、ルアはゆっくりとその足を止めた。


 乱れた呼吸のせいで方が上下するのを自覚する。ふと自らが走ってきた方を見れば、陽炎でゆらめく先にこちらに迫る一角氷馬いっかくひょうまの姿が確認できた。白馬の魔物の目はこちらを真っ直ぐに捉えている。 逃がすつもりはないらしい。一縷いちるの望みにすがって、白馬が苦手とする炎の属性の地を通ってきたが、それも徒労に終わったようだった。


「…………」


 迫り来る一角氷馬いっかくひょうまを、ルアはただじっと見ていた。逃げることはもうできない。

 隻腕の少女は静かに目を閉じて、肩の力を抜いた。白馬の魔物は、少女の姿を見て、彼女が諦めたことを悟ったようだった。


『────』


 白馬が吐いた息と同時に額にある氷の角が光を帯びる。直後、氷馬の目の前の地面から隆起したのは、先端が鋭く尖った巨大な氷のとげだった。


 それが、ルア目掛けて地を這うように何本も地面から伸びて距離を詰めてくる。動きを封じるための氷の柱ではなく、その鋭さを以って一撃で獲物の命を立つための氷のとげ。明確な殺意が込められた氷塊が凄まじい速度で少女に迫る。


 真っ暗な視界の中で、ルアは巨大な氷が形成されていく音と、熱された大地によって急激に氷が溶けていく音を聞いていた。その音はこちらへと近づいてくる。


 ──ああ、終わる。


(……ようやく終われる……)


 死の音が、迫る。しかし恐怖はない。むしろ心地いい冷たさがルアの心に吹き抜けている。受け入れる準備はとうにできていた。後は、自らの体に巨大な氷が突き刺さるのを待つだけだった。



 ──しかし、ルアの体が氷によって貫かれることはなかった。



 鋭い先端を持つ氷塊が、ルアの胸元へと触れる直前、何者かによって彼女は抱き抱えられ、今までいた場所から大きく移動したからだ。


「え?」


 ルアは目を見開いて、驚きの声を漏らした。開かれた視界の先で、慌てて自らを抱き上げた人物を見る。


 その人物は黒い髪と紫紺しこんの瞳を持つ少年だった。


 ルアが自らを囮にすることで逃したはずの少年が、ルアを抱えて氷馬の攻撃を避けて見せたのだ。


「あ、危なぁ……。ギリギリだったぁ……」


 心底恐怖したような呟きだった。しかし、そんなことはルアにとってはどうでもよかった。あるのはただ一つ、少年に対する疑問だけだ。


「何で……?」


「ん?」


「何でここにいるんですかっ⁉︎ 私はあなたたちを逃すために──」


「でしょうね。──だけど、だからこそです」


 声を荒げたルアの問いかけに、少年は食い気味に答えた。

 その言葉にはわずかに怒りが含まれているように感じられた。


「ルアさん、あなたは自分勝手だ。自分一人が犠牲になれば、皆助かると思ってる」


 ひび割れた熱砂ねっさの大地を駆けながら少年はルアへと言葉を投げかける。


 仕留められたはずだった獲物の命を絶てなかったことに苛立ちを覚えた氷馬からの攻撃はさらに激しさをましている。


「だけど、少なくとも俺は、あなたを犠牲にしてまで助かっても喜ぶことなんてできないです」


「…………」


「だから俺も勝手をします。勝手にあなたを助けます! ルアさんがどれだけ嫌がろうとも絶対にやめません」


「で、でも、こんな状況じゃあなたも…………」


 少年の想いはルアにとっては嬉しいものだった。──それが絶望的な状況でなければ。


 このままでは、一角氷馬いっかくひょうまの攻撃に2人とも巻き込まれ、死を待つだけになってしまう。


 だが、少年は口を端を釣り上げて、言った。


「大丈夫です」


 ──と。

 ルアは再び目を見開いて、少年の顔を見た。彼の紫紺しこんの瞳は輝いていた。絶望的な状況にもかかわらず、爛々らんらんと。


 何故ならば。



「俺の物語は、天まで轟く冒険譚! こんなところで終われない!」

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