第13話 現状確認 

「さて、今の状況と今後の目的を確認しよう」


 黒く長い癖毛を揺らし、氷でできた草原を歩きながら、師匠が口を開いた。

 先程落ちてきた片腕の少女をおぶりながら、俺は師匠の後をついていく。

 歩くたびに、パキリ、と薄氷を踏み砕いた音が断続的に響き渡る。

 その音が、自分が『未踏領域みとうりょういき』にいるということを嫌でも実感させる。


「私たちは今、『未踏領域みとうりょういき』の玄関口、『回る天穿樹てんせんじゅの大地』にいる。もっと詳しく言うのであれば、天穿樹てんせんじゅの支配下にある4つのエリアの一つ、『属性遊地ぞくせいゆうち』が現在位置だ」


 後方を振り返れば、火を灯す木々の森。そして、炎の森を縦断するように流れる風の川。 ここは、火、水、風、氷など、様々な属性が自然となって景色を彩る『属性遊地ぞくせいゆうち』。


 俺が昨日までいた『巨神の庭ギガント・ガーデン』と同様、『回る天穿樹てんせんじゅの大地』のエリアの内の一つだ。

 『回る天穿樹てんせんじゅの大地』のエリアの中で最も幻想的とされている場所に、俺たちは落とされたらしい。


「えーっと、今が11時頃だから、俺たちは天穿樹てんせんじゅの北西側にいるってことになりますよね?」


「うん、その通り。ここから見る天穿樹てんせんじゅの形からしてもそれであってるよ」


 持てる知識を総動員して位置を推測してみたら、師匠のお墨付きをもらうことができた。


 そっか、天穿樹てんせんじゅの見え方から方角を割り出すこともできるのか…………。やっぱり師匠はさすがたなあ。と、遥か遠方にある天穿樹てんせんんじゅを見上げながら思った。


 そう、雲よりも高くに葉をつける天穿樹てんせんじゅを見上げながら。


「って、えぇっ⁉︎」


「何、どうしたの?」


「いやだって師匠! 折れたはずの天穿樹てんせんじゅが元の形に戻ってますよ⁉︎ 驚かないんですか⁉︎」


「ああ、そのことね。だって天穿樹てんせんじゅ、元々折れてなんかないんだもん」


「へ?」


 さらりととんでもないこと言い切った師匠に、俺は間抜けな声をあげてしまう。


「あれは幻さ。【支配紋章ドミナント・エンブレム】を持つ踏破者ウォーカーたちをできるだけ多く集めるための大規模な幻影だよ。だってあれだけ質量の大きな物体が倒れたのに、フットレストには長い揺れも音も届いていなかったんだよ? そんなのおかしいからね」


「な、なるほど……」


 振動と揺れ、そんなこと気にもしなかった。


「でも、なんでウォルフは俺たちを『未踏領域みとうりょういき』へ落としたんでしょうか? 【支配紋章ドミナント・エンブレム】が欲しいのに、俺たちが死んでしまったら元も子もないと思うんですけど」


「勉強不足だね、ナユタ」


「え?」


 師匠は俺の疑問をズバッと切り捨てた。


「【支配紋章ドミナント・エンブレム】は、その紋章を持つ者が死んだとしても、しばらくの間効力を持ち続けるんだ。誰かに支配を上書きされない限りね」


「そうなんですか⁉︎」


「うん。そして、その効力が続くのは10日間」


 つまり。


「今から私たちが死んだとしても、【支配紋章ドミナント・エンブレム】は回収できるというわけさ」


「…………」


 恐らくウォルフ・テインは、そこまで計算に入れた上で俺たちを落とした。

 自分が【永遠幻像イコリティー】を手に入れるためなら、他人の命なんてどうでもいい。

 暗にそう言っているかのようであった。


「まあ、こんなところかな。さっきまでが簡単な現状の振り返りと疑問の解消。そして、ここからが本題だよ、ナユタ」


 言って、師匠はくるりとこちらを振り返った。彼女の顔はいつになく真剣だ。


「君はこれからどうするんだい?」


 問いかけは、俺の胸へと深く突き刺さった。


「さっきも言ったけど、君の夢を達成するためには、あの空に浮かぶフットレストにいるウォルフを止めて、『地平を喰らう者オリゾン・イーター』を倒すしかない」


 それがどれだけ困難なことなのかはよくわかっていた。俺に剣術を叩き込んでくれたおやっさんを、あれだけ圧倒した相手に果たして勝つことができるのだろうか?


「言っとくけど、私はあの男と戦う気は微塵みじんもない。私はそこまで【支配紋章ドミナント・エンブレム】に執着はないからね。奪うつもりだったら、別に差し出しても構わない。幸い、まだ【支配ドミナント】の力を使うことができる」


 師匠は、自らの視線を手元にある一冊の本へと落とした。それは師匠の【支配ドミナント】である読んだ文章が現実の事となる本だ。


「自分の【支配紋章ドミナント・エンブレム】を見てごらん」


 促されるままに俺は右手の甲に注目した。気絶している少女をおぶっているから、左腕で支えられるように体勢を整えた後で、右手を前へと持ってくる。

 するとそこには異変があった。


 俺の手の甲にある青い逆三角形の紋章【支配紋章ドミナント・エンブレム】。その周りに新たな紋様が追加されているのだ。それはまるで、開かれた口を正面から見たような紋様だった。


「これは──」


「おそらくマーキングだろうね。確認したら私にも同じ模様がついてた」


 つまり、この口のような模様がつけられた者が、10日後に【支配紋章ドミナント・エンブレム】を奪われるという事だろう。


「わかるかい? あのウォルフっていう男のことを信じるなら、私たちは後たった10日しか【支配ドミナント】を使えないってことになるんだ。その間にやつを倒さなきゃならない。君にそれができるのかい?」


 できるわけがないと、全身が叫んでいる。


「私は、夢を諦めて『未踏領域みとうりょういき』外に出るべきだと思う。切り取られたフットレストは、あそこに浮かんでいるので全てじゃない。このまま南に下って、残ってるフットレストを目指すべきだ。そうすれば【支配ドミナント】は奪われるけど、生きて帰ることはできるよ」


「…………」


 師匠が言ってることは正しい。踏破者ウォーカーになりたての俺なんかが、あのウォルフって人に立ち向かったところで、結果なんか目に見えている。

 それだったら、さっさと逃げ帰って、他の誰かが討ち取ってくれるのを願った方が幾分かマシというものだろう。


 けど、だけど。


「いやです」


 俺は、師匠の提案をはっきりと断った。


「師匠、俺は確かに弱いです。とてもじゃないけど、今のままじゃウォルフって人に勝つことはできない。だけど、自分の弱さだけで諦めるほど、俺の夢は軽くない」


 俺は師匠の瞳から目を逸らさずに言葉を紡ぐ。思いの丈をありのままに。


「【支配ドミナント】が奪われるまで、まだ10日間はあるんです。だったらその間に強力な剣や魔物を支配して、対策を練ればいい」


 そうして、必ず──。


「──俺はウォルフ・テインを止めて、俺の野望を続けてみせます」


「…………そうかい」


 誓いにも似た宣言を受けて、師匠は諦めたような顔をしながらため息をついた。

 だけど、俺にはなぜか、師匠の声が弾んでいるように聞こえた。

 何故そんな風に聞こえたか疑問に思っていると──。


「……ん、うぅ──」


 背後から、小さなうめき声が俺の耳に届いた。


「あ──」


「うん、起きたみたいだね」


 どうやら、俺と向かい合っていた師匠には見えていたらしい。

 空から落ちてきた少女が、目を覚ましたようだった

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