第1話 笑われた少年

 ──ある日、とある少年の夢が笑われていた。


 理由は明白。

 その夢は、身なりすら貧相な少年が口にするのはあまりにも不釣り合いで、そして、意味すら図りかねるものだったからだ。


 ましてやここは未踏領域から一番近い街の、踏破者ウォーカーたちが集まる酒場のど真ん中。長年未踏領域みとうりょういきに挑んできた彼らからしてみれば、少年が吠えた夢など単なる無謀に過ぎなかった。


 それでも少年は、決して逃げ出さなかった。酒場を満たす嘲笑ちょうしょうをただ黙って受け止める。


 しかし、彼への笑いは一瞬にして静まり返ることとなる。


 そのきっかけを作ったのは、背の低い少女だ。

 くせの強い黒髪を膝裏ひざうらまで伸ばし、ぶかぶかの男物のコートを羽織はおっている少女。

 そんな彼女が、コートのすそを盛大に引きずって少年に歩みより、そのほおに小さなてのひらを叩きつけたのだ。


「〜〜〜〜〜〜〜〜っ⁉︎」


「…………え?」


 少年は思わず呆然としてしまった。いきなり叩かれたことに──ではない。

 叩いたはずの少女が、手を痛そうにさすりながらうずくまり、悶絶もんぜつしていることに対してだ。


「……なんで、あなたの方が痛そうにしてるんですか?」


「うっさい!」


 少年にとっては当然の疑問だったが、噛み付くような勢いで暴言を吐かれてしまう。


「店長! 確かあの部屋には入居者の予定がないはずだよね!」


 少女は勢いよく立ち上がると、カウンターの奥にいるちょび髭の男性に呼びかける。

 店長が無言で頷いたことを確認した少女は、少年の有無を言わさず服を掴んで階段の方へと連れ出そうとする。──が、力がないのか上手く引っ張ることが出来ず、足をもつれさせ、盛大に背中を床に打ち付けてしまう。


「待ってください! さっきから俺への怒りに対して全く身体能力がついていってないんですけど、一体何なんですか⁉︎」


「しょうがないだろ! 私は貧弱なんだ! そんなことより君は一体何歳なんだよ‼︎」


「じゅ、10歳ですけど……」


「10歳が一丁前にいきなりビンタしてきた奴に対して敬語使ってるんじゃないよ! もっと10歳らしく生意気でいろ‼︎」


「いや、だって……、初対面と目上の人には丁寧に接しろというのが母の教えなので……」


「孝行者か! いいから黙ってついてくる!」


「えぇ……」


 少年の困惑をよそに、少女は諦めずに彼を引っ張っていく。どちらかといえば少年の方が折れて、彼女についていく形になってしまっているが、結果として少年は店の2階へと連れ去られてしまう。


「──ふん!」


 と、目の前の扉を蹴破らんばかりの勢いで気合を込めた少女だったが、実際にはドアノブに手を掛け普通に開けている。

 そして、少年の腕を掴みながらズカズカと部屋へ入る。


「君、名前は?」


「ナ、ナユタです。ナユタ・フォッグフォルテ」


「そう、ナユタ。君はなんで踏破者になりたいんだ?」


「それは……」


「君はまだ10歳で、身体も出来上がってない。同伴者もいないし、身なりもボロボロなところを見ると、どう考えても快く送り出された訳でもないだろう。なのに何で、踏破者になろうと思うんだい?」


 それは、怒りすら含んだ問いかけだった。ナユタのような何も持っていないただの少年がなっていいものではないと言外に伝えているような。

 しかし、それでも、笑われるよりはずっと自分のことを思ってくれていると、ナユタは感じたのだ。だから、想いを伝えるために口を開く。


「妹たちに届けたいからです」


「は?」


「俺がここで踏破者になって、『未踏領域』の全てを踏破します。ありとあらゆる未知を明かして、その領域で得ることができる名誉を全て得て。そしてその全部を本にしていろんなところにばら撒いて、世界中にナユタ・フォッグフォルテの冒険譚を轟かす。そうすればきっと妹たちに届くんです。そうすれば、きっと────『きっと悲劇じゃなくなるんです』」


 正直、目の前の少女に上手く伝えられているかわからなかった。まだ完全に立ち直った訳ではないし、妹たちのことを思うと今でも悲しみが襲ってくる。

 それでも、ナユタはあらん限りの想いを伝えた。

 それを聞いた少女は。


「──えい」


「痛ったぁ⁉︎」


 ナユタの脳天に分厚い本を叩き落としたのだった。


「な、何をするんですか⁉︎」


「それ、あげるよ」


「へ?」


「本だよ、本。それが一番『未踏領域』についてわかりやすく書いてあるからね」

 叩きつけられた本を開いてみれば、そこには図解付きで説明された用語が並んでいる。目にした時間は一瞬だが、それでもなんの抵抗もなく頭に知識が入ってくる。

「まずはその本を読んで基本的な知識を身につけること。それが最初の課題だ」


「え……」


「この部屋は自由に使いなよ。元々私が空き部屋を書庫にしてたんだ。課題を受け続ける覚悟があるなら、しばらくの間は家賃は私が代わりにはらってあげるよ」


「何で、そこまで……?」


「ムカついたから」


「え?」


「君の語った夢は、あまりにも無謀で意味が不明だ。だけど、『覚悟』があった。だからこそムカついた。君のような子供がそんな覚悟を持たなきゃいけないこと自体に、だ」


 まるで少年の全てを見透かすかのように、少女は少年を見つめる。


「だから、君の覚悟に私が一方的に応えてやる。言っとくけど、これは私が勝手にやるだけだ。君に拒否権はないよ」


「…………」


「妹に届けるために、悲劇にさせないために、踏破者になるんだろ? なら、君がそんな悲しそうな顔をするべきじゃない」


 言葉が、上手く出てこなかった。

 正直、誰にも理解されない夢だと思っていた。何もかもを失った、何も持っていない少年が語る無謀な夢だと自覚していた。だからこそ人に笑われることも耐えることが出来た。

 だけど、目の前にいる少女は、おそらく初めてナユタの夢に真剣に向き合ってくれたのだ。

 だからこそ少年は、震える口を何とか開いて一言。


「……師匠……!」


 と、彼女を師として呼ぶことを決めたのだった。


「は⁉︎」


「ありがとうございます師匠! この本、絶対読み切ってみせます!」


「おい! 話を聞いてたのか⁉︎ 私が一方的に教えるんだ、君を弟子にした覚えはない‼︎ あと私は、テルル・エニートンという名前が──」


「見ててください師匠!」


「だからその師匠っていうのをやめろぉ‼︎」


 テルルの絶叫が、ほこりまみれの部屋に響いた。

 

 少年、ナユタ・フォッグフォルテは、この時初めて夢の協力者を得た。

 そうして彼は、『未踏領域』から一番近い街『フットレスト』にて知識や技術を身につけていくこととなる。

 

 そして、ナユタとテルルの出会いから4年の月日が流れた──。

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