エルマーの失恋

ジャック(JTW)

そばかすのハンナ

 ※ハッピーエンドではありません。お手数ですが、閲覧前にタグを見て、苦手そうだと思ったら避けることをおすすめいたします。



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 緑豊かな丘の上に佇む小さな村。

 その中心には古びた教会と風車がそびえ立ち、牧歌的な村には静かで穏やかな時間が流れていた。


 エルマーは、その村に暮らす子供で、明るく元気な少年だった。


「おーい! ハンナ、こっちこっち!」

「ま、待ってよエルマー! 置いてかないで、意地悪しないで……!」

  

 彼の隣には、そばかすが可愛い料理上手な少女、ハンナがいた。ハンナは、地味な栗毛を無造作にリボンで束ねている。

 

 狭く小さい村には、歳の近い子供がエルマーとハンナしかいなかった。

 だから、二人は幼い頃からずっと一緒に遊んでいた。時にはエルマーがハンナの手を引いて、秘密の冒険に出かけることもあった。虫嫌いのハンナを驚かせるために、かわいい天道虫を見せてやることもあった。


 夕暮れになると、村の中心にある大きな樫の木の下で、二人は夢や未来のことについて語り合う。


「おれ、大人になったら、親父の跡を継いで木樵きこりになるんだ! この村の木材は質が良くて、王都でも使われてるんだ。すごいんだぞ!」


 ハンナは将来の夢を語らなかったが、「そうだね、すごいね。エルマーならきっと立派な木樵さんになれるよ」と控えめに微笑んでくれた。


 エルマーは、ハンナの笑顔に心を奪われ、いつしか彼女との将来を夢見るようになる。


 大人になったら、ハンナと結婚して、子供を生み育て、こののどかな村でいつまでも幸せに暮らすのだと、信じて疑わなかった。


 彼は、青い空と緑の丘に囲まれたこの村で、ハンナと共に幸せな日々を過ごすことを心に決めていた。


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 そんなある日、村の近くの洞窟に魔力溜まりが起こり、迷宮ダンジョンが自然発生した。迷宮とは、魔物や財宝に溢れた魔窟のことである。

 危険だが財宝に満ちた迷宮の噂は瞬く間に広まり、村人たちは不安と興奮に包まれていた。

 その迷宮は、他の場所の迷宮と比べても、かつてないほどの厳しい試練が待ち受けているようだった。


 多くの冒険者たちが訪れ、挑戦したが、誰も突破することができなかったのだ。



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 そんな中、有名な冒険者パーティ「白鷲ヴァイサー・アドラー」が村に逗留することになった。彼らは伝説のような存在であり、その冒険者たちの名声は村人たちの期待を一層高めた。エルマーも興奮し、ハンナと一緒に、「白鷲」のメンバーたちの話を聞きに行くことにした。

 

 「白鷲」の構成員は、魔術師やシーフに戦士、そして剣士もいた。彼らは親切にも、普段旅で使っている道具や、武器をエルマーとハンナに見せてくれた。

 

 使い込まれ、よく手入れのされた装備品。まるで伝説に語られるような格好いい武器、そして様々な技能を持つ彼らの姿はまるで絵物語から飛び出してきたようだった。


「冒険者ってすげえなあ……!」

 

 エルマーは、彼らの冒険譚に聞き入り、その勇気と決断力に感銘を受けた。

 

 そして、彼らが迷宮に挑む姿を見て、自分もいつか大きな冒険に出てみたいという思いが芽生えていく。

 しかし、エルマーの想定よりも、魔物は恐ろしく凶暴だった。


 村の近くに出た仔ウサギのような大きさの魔物に斧で立ち向かおうとしたが、てんで太刀打ちできずに逃げ帰ってくる羽目になった。

 

 魔物の唸り声は腹に響いて恐ろしく、鋭い牙と爪は、エルマーの柔らかい皮膚や肉くらいなら簡単に引き裂けそうだ。

 

(魔物ってこんなに怖えのかよ……!)


 単なる村人に過ぎない自分には、分不相応な夢だと思い、エルマーは諦めることにした。


 

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 そんなある日、村の外れで薬草を摘んでいたハンナが魔物に襲われるという事件が起こった。

 その危機的な状況に、冒険者パーティ「白鷲」に所属する剣士ジークムントが駆けつけ、あっという間に魔物を斬り伏せてハンナの命を救ったのだ。

 

 その勇敢な行動によって、ハンナはジークムントに深く感銘を受け、彼に一目惚れしてしまう。ハンナは、頬を赤く染めてジークムントに話しかけに行くようになった。

 ハンナの心がジークムントに奪われていく様子を見て、エルマーは複雑な思いに駆られた。


(ふざけるな、あいつのどこがいいんだ……)


 ハンナは、度々ジークムントに手作りの食事を持っていくようになった。彼女は、にこにこしながらジークムントのことを語る。

 

「ジークムント様、私が持っていったご飯を『美味い』って言って綺麗に食べてくださったの。『また作ってきてくれないか』って仰って……」

  

 そんなハンナの行動に苛立ちを感じつつも、彼女の気持ちが一時的なものであるとエルマーは自分に言い聞かせていた。


(ハンナは珍しい冒険者に浮かれてるだけだ。そのうち、現実を見るようになる。単なる村娘が、有名な冒険者と一緒になんかなれっこないんだから……)

 

 彼は、ハンナの心が冷めて、元通りになる日が必ず来ると信じていた。だから、何もせずにハンナを放っておくことを選んだ。


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 しかしハンナは、冒険者の泊まる宿に出入りするようになり、家族の為に家事をすることを放棄し始めていた。

 

 ハンナは、家庭的で、家族の為に努力を惜しまない女の子だった。だというのに、今の彼女は、男に現を抜かして義務を放棄している。 

 だからだろうか、ハンナの兄は、大きな声でハンナの名を呼んで怒鳴り散らしているようだ。

 

「ハンナを返せ!」

「ハンナは誰の所有物でもない。彼女は自分の意思でここにいる。立ち去れ」

 

 しかし、村で一番腕っぷしの強いハンナの兄でも、現役冒険者のジークムントには敵わない。あっさりと返り討ちにされ追い払われてしまい、ハンナの兄は肩を落として立ち去っていった。


 エルマーは、ジークムントのせいでハンナが変わってしまったと感じて憤りを覚えた。

 

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 ある日、エルマーは買い物中のハンナを見かけ、彼女を呼び止めた。

 

「なあ、ハンナ、冒険者の男に夢中になるのはよせよ。どうせ、あいつ、ハンナのことを遊び相手としか思っていないよ。あいつに尽くしたって、どうせ捨てられるだけだ。現実を見ろよ、ハンナ」

 

 エルマーは、ハンナを思いやった言葉をかけたつもりだった。しかし、その言葉がハンナの怒りを買い、彼女はエルマーに平手打ちを食らわせた。

 

「……ジークムント様を侮辱しないで!」


 ハンナは目に涙を浮かべて叫んだ。

 エルマーは、その場に立ち尽くす。彼は、自分の言葉がハンナを傷つけることになるとは思っていなかった。しかも、ハンナが自分を打つことになるとは想像していなかった。

 その一撃は、エルマーの心に深い傷を残した。


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 ハンナは、ジークムントと交際を始めたようだ。それから、ハンナはますます彼に心を奪われていった。


「なあ、ハンナ、悪いこと言わないから考え直せって……」


 エルマーは、ハンナに心配の声をかけたが、その声は彼女の耳に届くことはない。ハンナはツンとそっぽを向き、エルマーの助言を無視する。 

 彼女は、ますますジークムントに恋焦がれて、彼との時間を何より大切にするようになった。

 

 ジークムントは、ハンナのために様々な美容品を贈り、彼女の美貌を引き立てるように心がけているようだった。

 ハンナは、元々可愛らしい容姿を持っていたが、日々の家事や仕事で髪や肌には艶がなく、荒れがちだった。そんな彼女の手や肌を、ジークムントが美容品で優しくケアした結果、ハンナは見違えるほどの美しさを手に入れていったのだ。


 そして、その結果、ハンナは以前とはまるで別人のように美しくなった。単に化粧を覚えただけではなく、髪型も大きく変わった。

 色褪せたリボンで無造作に結んだだけだった髪も、髪飾りをつけてしっかり結い上げるようになった。この髪飾りも、ジークムントから贈られたものだという。


 エルマーは、ジークムントの手によって美しく羽化していくハンナの変貌ぶりを見て、胸の奥で何かが引き裂かれるような気持ちになる。

 彼女の姿に、自分の無力さを痛感し、ただ唾を飲み込むしかなかった。


 

 

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 エルマーは、心の中で揺れ動く感情を抑えきれず、ハンナの腕を掴んで引き止め、彼女に向かって言葉を投げかけた。

 

「ハンナ、お前、最近おかしいよ。お洒落する必要なんてない。化粧だって必要ないだろ。なあ、家庭的で優しい元のハンナに戻ってくれ!」

 

 ハンナはエルマーの言葉に冷たく微笑みながら返答した。


「……ねえ、エルマー。『元の私』って何? 手は赤切れだらけで、髪はぼさぼさで、お兄ちゃんの暴力や暴言に怯えながら生きていた私のこと?」

 

 彼女は、皮肉な口調で言葉を続けた。


「エルマーはこの村が好きなのよね? でも私、ずっと前からこの村が大嫌いだった。『家庭的』っていうの、褒め言葉のつもりかもしれないけど……あまり嬉しくないわ。家事だって、好き好んで身につけたわけじゃない。お母さんが死んで、家事をする人がいなくなったから……必死だったのよ」


 ハンナは、目を細めてエルマーに微笑みかける。


「……ねえ、エルマー。私のお兄ちゃんが、お酒を飲んで暴れるような人だってこと、知ってたよね。でも、助けようともしてくれなかったね。ずっと、ずっと、見て見ぬふりをしてるだけで……」

「それはっ! 将来、結婚したら、助け出せるから、それで……」


 ハンナは、凍りついたような眼差しで、エルマーを見る。

  

「……『』って、いつ?」

 

 ハンナは、右腕に巻かれた包帯を解き、痛々しい痣がついたままの腕を見せた。


「……お兄ちゃんは、服で隠れて見えない部分だけ殴るのよ。たまりかねて村長さんや警邏隊の人に助けを求めても、村の人達皆、知らん顔だった。『ハンナが我慢すれば丸く収まるから、頑張れ』って言ってくる人もいたのよ。誰だったかしら、ねえ、エルマー。励ましのつもりにしても、ひどいと思わない? ……だから私、薬草摘みを頑張ってお金を貯めて、この村から出ようと思っていたのよ」

 

 ハンナは、エルマーに背を向けて去りながら、最後の言葉を残した。

 

「でもね……ジークは、私を助けてくれた。私を慈しんでくれた、初めての人よ。……ジークは、私の怪我を治すために、軟膏を塗ってくれた。お兄ちゃんからも守ってくれて、『あんな乱暴者が住む家になんて戻らなくていい』って言ってくれたの」

 

 その言葉と微笑は、エルマーの心に深く突き刺さる。


「私、今が一番幸せよ」

 

 エルマーは、ハンナが去ったあとも、村の外れで静かに立ち尽くしていた。


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 風は穏やかに吹き、木々のざわめきが遠くに響いている。迷宮発生から数ヶ月越しに迷宮が攻略され、ジークムントの所属する冒険者パーティ「白鷲」が村を去る日がやってきたのだ。

 エルマーは、その日を待ち望んでいた。

 

 ジークムントは冒険者であり、いつまでもこの村にとどまることはない。そのことを理解していたエルマーは、村の中を静かに歩きながら、ハンナを探した。


(おれはハンナを見捨てない……ハンナが泣いてたら、慰めてやるんだ……)

  

 彼は、きっと今頃ハンナは、ジークムントに捨てられて泣いているだろうと考えていたのだ。

 しかし、現実は彼の予想とは異なるものだった。


 ――ハンナは、幸せそうに微笑んでいた。

 彼女はジークムントの隣で手荷物を持って、彼に寄り添っていた。


「ハンナは、どこに行くんですか……?」

「おやエルマー。聞いてないのかい。ハンナは、あの剣士様の嫁になるんだってよ」

 

 村人に事情を尋ねたところ、彼女は、ジークムントの妻になるだけではなく、彼の家がある王都に移り住むという。王都は、ここからずっと遠い。場所をいくつも乗り継がないといけない、離れた場所。

 エルマーは、その言葉を聞いて、怒りと失望に近い気持ちを抱いた。


(……この村を、おれを、捨てる気なのか……?) 

 

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 田園風景が広がる静かな夕暮れ、エルマーとハンナは古びた橋の上で対峙していた。ジークムントの元にゆこうとする彼女を、エルマーが呼び止めたのだ。

 エルマーの声は震えながらも、切実な問いかけを放つ。

 

「ハンナ。本当に王都に行くのか。そんな遠いところに。この村で、同い年の子供は二人だけだ。なあ、おれ達、許嫁みたいなものだっただろ?」

 

 ハンナは、首を振った。


「そんな約束、私はしてないわ」


 ハンナは俯きつつ、ポツリと告げる。


「……そういえば、エルマー。あなた、私の腕や髪や腰を触ってきてたでしょう。そういうこと、今後はやめたほうがいいと思うわ。好きでもない人に触られるの、すごく気持ち悪いから……」

 

 ハンナの言葉は、エルマーの心を深く傷つけた。自分の思い込みや勘違いが、ハンナに与えた苦痛を思うと、彼の心は、まるで嵐に襲われた小舟のように揺れ動き、絶望の淵に立たされたかのようだった。

 ハンナは、エルマーを見つめて、微笑んだ。


「――さよなら、エルマー」

 

 そうハンナは告げて、ジークムントへ輝くような笑顔を向けながら立ち去っていく。

 それが、彼女の姿を見た最後だった。

 彼女が立ち去ったあとには、彼女がいつもつけていた色褪せたリボンががぽとりと落ちていた。エルマーは思わずそれを拾い上げたが、ハンナは、もう側にはいなかった。


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 ハンナとジークムントが乗った馬車が遠ざかる。どんどんと離れていく。

 彼等の乗る馬車は、ゆっくりと進み、豆粒のような大きさになって、やがて見えなくなる。


 血が出そうなほど固く握りしめたエルマーの手の中で、ハンナのリボンがぐしゃぐしゃに握りつぶされていく。

 それに気づけないまま、エルマーはずっと、馬車の過ぎ去った方向を見つめ続けていた。


 エルマーは、この色褪せたリボンを、生涯捨てられなかった。 


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