第14話


 ◇



 翌日の実戦投入の前に、俺とルージュはクレイ副官に自分たちが先鋒を切ると伝えた。


 その日は朝から交戦が続いていた。上官が会議を繰り返している合間を縫って、クレイは対応してくれた。


「学園からはルージュ君の魔法の威力は聞いている。どちらにせよ、この状況を打破するためにどこかのタイミングでお願いしようとは思っていたよ。けれど、シエル君は未知数だ。君たち二人で大丈夫なのかい?」


 クレイの問いに、ルージュからも心配そうな視線を向けられる。


「クレイ教官の魔法を至近距離から防いだのは、記憶に新しいと思います」

「なるほど確かに、君の防御魔法は素晴らしかった。しかし、僕クラスの魔法使いはわんさかいるよ。彼らから集中砲火を受けても、そんな涼しい顔ができるかな」

「できますよ」


 堂々と宣言すると、クレイは反対しなかった。


「それならいいよ。君は色々と特殊みたいだし、僕があれこれ考えることも野暮ってもんだね。取捨選択できる余裕もありはしないし」


 クレイは上司の集まるテントを物憂げに見遣った。

 俺たちはそれ以上精査されることなく、戦線に参加することに決まった。


 ダメだったら次を探せばいい。そんな悲しい思想が透けて見える。魔法使いは消耗品だと割り切る上官も多いと聞くし、しょうがないか。こっちの要求が通りやすいとポジティブに考えるほかない。


 重苦しい空気のテントから離れて、俺たちは自分たちのテントへと戻っていく。

 その道すがら、ルージュは不安そうに俺を覗いてきた。


「本当に大丈夫なの? 何人もの集中砲火を受ける可能性があるって言ってたわよ」

「俺はおまえと違って手汗なんかかかないから大丈夫だ」

「そういうことじゃなくて」


 気温が冷たくなってくる。ルージュの感情が負の方向に傾いているということだ。

 彼女の魔法が最高火力を出すためには、安心させないといけない。この場合は俺が戦場に立っても問題ないと思わせればいい。


 一番簡単で、一番難しい問いだ。

 俺は自己紹介なんかしたくない。してはいけない。そういう立場にいる。

 が、少しでも俺の安全の証拠を伝えておかないといけない。しょうがない、これは不可抗力だ。


 俺はルージュの耳に口を寄せた。


「俺の魔法は、”無効魔法”。俺に魔法は通じない」

「ひゃっ。……え?」


 身体を跳ねさせて、耳を赤くして、俺のことを見つめてくる。


「クレイの魔法を受け止めただろ。あれは俺の防核が優れているというわけじゃない。俺の有する魔法が、そんな力を持っていたって話だ」

「そうなの? でも、学園で魔法は登録しているんでしょう? そんな魔法、誰からも聞いたことないけど」

「登録は強大な防核を有するということにしている。

 おまえにだけは言っておく。だから、安心しろ」

「私にだけ? なんで?」


 はっきり言わないと前を向いてくれないだろう。

 感情で威力の変わる魔法というのは、恐らくルージュ自身が自分にかけた枷だ。後顧の憂いもない状態でのみ全力が出せるように、それ以外では力を抑え込めるように。


 俺の能力は不可抗力以外で他人――特に魔法使いには伝えてはいけないというのに。”役割”に影響が出てしまう。


「おまえが不安そうにしているからな」


 でも、俺が秘密を打ち明ける以上に優先されることがある。今の目的はルージュが後ろを振り返らずに、全力で魔法を放てるようお膳立てすること。そして、負の感情ではなく正の感情で魔法をコントロールできるようになること。

 だからこれは不可抗力なのだ。


「……なにそれ」


 口を尖らせるルージュ。耳がずっと赤い。


「秘密ってことは誰にも言っちゃいけないってこと?」

「当たり前だ。他のやつに絶対言うなよ」

「わかった。絶対に他の誰にも言わないわ。二人だけの秘密。それでいい?」

「頼む」

「代わりに私の秘密は言った方がいい?」


 なんでだ。

 交換条件のつもりだろうか。


「友達がいらないって言いながら、実は友達が欲しかったんだろ」

「……からかうなら教えてあげない」


 つん、とそっぽを向かれた。


「その力を使って貴方は私を守ってくれるってことね」

「ああ、だから、本気でぶっ放せ。今までの恨みつらみも一緒に解き放て」

「恨みつらみって、ストレス解消でもするつもり? そんなんで魔法が強くなるの?」

「おまえは感情によって魔法の威力も変わるだろ。自分の中にあるものを全部吐き出してみろよ」

「それもそうね」


 ルージュは満面の笑みを作った。


「任せて。私はもう犠牲者を出さないために、学園に戻るために、全力を出すことにするわ。うん、これは誰が見ても正しいことだもんね」


 色々と矛盾した発言だ。


 王国に犠牲者が出ないということは帝国に犠牲者が出ると言う事で。

 成果を挙げると言う事はそのまま卒業して魔法使いになると言う事で。

 誰が見ても正しく、どこから見ても望まれるような選択肢は存在しない。


 結局自分をどこに置くかですべてが決まる。彼女は今、王国の魔法使いという立場に自分を置いたわけだ。そこから見れば、眼前の敵を一掃することが何よりも正しい行為となる。


 でもまあ、今はそんなめんどくさいことをを指摘することはしなくていい。

 俺だって誰もが望む未来に向かって進んでいるわけじゃない。ただ、変わった未来が見ることができれば、それでいいのだ。



 ◇



 クレイが口添えしただけで、俺とルージュはとんとん拍子に戦場に出ることになった。


 雑過ぎる。早すぎる。

 でも、そんなものなのかもしれない。


 今は手を変え品を変え、色んな魔法使いをとにかく試していく状態。闇鍋の中に具材を入れて、どんな味になるかを楽しみにしている状態。


 だけどそんな玉石混交を馬鹿にもできない現状なのだ。相手は一人の魔法使いが現れたから強気に出てきて、逆にこちらは押し込まれている。たった一人の魔法使いで戦況は大きく変わる。

 同じことをこちらはルージュにやってもらおうということだ。そもそもそういう名目で呼ばれたわけで、ルージュは第一候補にも上がっていた。


 そのことを他の候補生に伝えると、多種多様な反応が返ってきた。一番槍を外されて安心する者、自分こそが前線に立ちたかった者、俺たちの身を案じてくれる者、次に来る自分の番に興奮で震える者、しかしいずれも最終的には激励の言葉をかけてくれた。


 俺とルージュが戦線に参加する間、他の候補生たちは昨日に引き続き観客となってもらった。戦場を見渡せる場所で観戦していることだろう。今もなお、俺たちの無事を祈ってくれているだろうか。明日は我が身と震えているだろうか。


 息を吐く。

 流石に緊張する。


 俺たちは他の魔法使いに混じって待機。現在戦いを繰り広げている第一陣の後を引き継ぐ第二陣。クレイ副長の号令を待っている形。

 軍から支給されたローブで全身を覆う。これを着ると身が引き締まるように感じるのだから不思議だ。


「なんか、勝てそうな気がする」


 ルージュがぽつりと呟いた。

 静寂とした部隊の中、少女の鈴を転がすような声が響く、


「勝てるという言葉の定義によって反応が難しいな。戦況を打開できるのか、斬撃使いを倒せるのか、周囲一帯を更地にできるのか。どれをゴールにするかによって勝つという言葉は意味を変える」

「うるさいわね。いちいち言葉の尻尾を掴まないで」


 怒られてしまった。

 が、もう俺のめんどくささには慣れたもの。話題を本題に戻していく。


「私至上、最高最強な魔法が打てる気がするわ」


 本人の弁の通り、ルージュの周囲にはかつてない高温の熱が帯び始めている。

 俺の魔法は先ほど言った通り、自身に及ぶ他者の魔法を遮断する無効魔法。しかし、副次的なものは無効化できない。ルージュの身体から漏れ出る焔は防ぐことができても、その熱は容認できない。


「熱いんだけど」

「それだけで済んでるんだからいいじゃない。他の人と違って燃えたりはしないんでしょう?」


 俺以外の魔法使いはルージュから距離をとり始めた。味方に燃やされたんじゃたまらないと言わんばかりの顔だ。魔法を放つ前からこんな状態で大丈夫なのか、ルージュが爆発して被害がこちらに出ないのか、不安そうにもしている。


 が、すでにルージュはそんなのおかまいなし。味方の胡乱な視線を一切気にしないハイな状態になっている。


「貴方がそんな便利な魔法を持っていてくれて、とっても嬉しいわ。私が本気を出しても、隣にいてくれるってことじゃない。私がどうあろうと関係ないんだものね」


 ぐつぐつと。

 ふつふつと。

 沸騰する直前のお湯のように、何かを貯めているように見える。


「以前に本気を出した時には、父さんから禁止されたの。おまえの魔法はダメだって。放った威力も、放つ前の予兆も、すべてが規格外だって。すべてを焼き尽くしてしまうから、誰も隣にいてくれなくなるから、やめておきなさいって。一人になってしまうからって。

 それが嫌で、訓練では力を押さえたこともあったわ。どのみち一人になるのであれば関係がなかったけれどね」


 ルージュの目が爛々と輝き始める。

 俺が今この場所で隣にいるという選択をしたのは、彼女の暴走を止めるため。王国の利になるように彼女の手綱を握るため。

 しかしそれもそれで少々迂闊だったかもしれない。一人の魔法使いの才能を開花させてしまった。俺に魔法が通じないとわかってリミッターを解除したようで、身体の節々から熱が焔の形になって溢れだしている。


「もうその心配もない! 私は、私のまま、生きていいということ!」


 自己肯定感は何にも代えがたい武器である。正義を手にしてしまえば、迷いなく進むだけでいい。正義とは自分以外に宿る。今、手に入れたということだろう。

 俺が後押しをしてしまった以上、責任を持って守り抜くことにしよう。


「楽しそうなところ悪い。熱いんだけど」

「我慢なさい。死にはしないでしょ」


 こいつ。友人にこの仕打ちかよ。


「今までの私と一緒に、この戦場を終わらせる。王国のために、みんなのために」


 王国の第一陣が後退を始めた。クレイが手を挙げ、魔法を放つ許可が出た。まずはルージュが魔法を打ち込み、味方が参戦する。俺はルージュを守りながら、ルージュの次弾を援護する。そんな予定だった。

 ルージュの魔法が相手に通じるか通じないかはわからない。しかし、この絶好のタイミングをルージュに与えられたくらいに、彼女への期待値は高いらしい。あるいは、現状の魔法使いへの評価が低いのか。


 ルージュは人差し指と中指を立てて、前方に向ける。


 魔法の予備動作。

 その指の先端に焔が集まっていく。

 彼女の真っ赤な怒りが、重なり束さり密になり畝って唸って軋んで――


 轟音と共に、解き放たれる。

 それは極光。赤を越えた純白。

 太陽の光を間近に浴びた様な錯覚を経て、視界が霞む。薄い視界の中で、前方を一直線に進んでいく光。


 敵国の魔法使いが集まっている地点には、件の斬撃魔法を使用する魔法使いとその護衛がいる。十数人の魔法使いたちがたむろし、各々自慢の防核によって攻撃を防ごうとしている。


 ルージュの火焔魔法は瞬きの間に距離を詰め、標的に着弾した。火柱を上げて周囲の人間を一瞬で燃やし尽くした。


 少し遅れて、魔法によって押しのけられた空気が、風となってこちらまで押し寄せてくる。

 轟々と燃え盛る火焔は、その場にいたあらゆるを容赦なく焼き焦がしていた。

 火柱の中では人間だったものが蠢いていた。それはすでに人としての機能を失った、ただの黒い物体だった。そんな物体も、消えることない業火の中で段々と空気の一部になって消えていく。

 相手が魔法使いで防核があるからとか、防ごうとして飛んできた魔法があったとか、そんなものは一切の関係がない。すべてを押しつぶして、炎という結果だけが残る。


 息を飲む。

 一人の魔法使いでがらっと変わる戦場。

 ルージュ・コレールは斬撃魔法の使い手によって押し込まれていた状況を、一瞬で一変させた。


 他が手を焼いた敵国の優秀な魔法使いであっても、彼女にとっては赤子も同然。彼らはルージュの前では、魔法使いですらなかった。防核を貫通し、一瞬で焼損させられる様は、戦争初期の一般兵と魔法使いの戦闘のようであった。


 誰もが唖然と立ち尽くす中、だんだんと火が勢いを弱めていく。着火地点には何も残らない。人間がそこにいた証拠――骨すら焼き尽くして、戦場はしばらく静寂に包まれる。


 遅れて、背後から歓声が鳴り響いた。

 敵陣を振り返って引き返す第一陣。思い出したように進軍を開始する第二陣。俺たちを追い越して、王国の魔法使いが駆けていく。

 帝国の魔法使いが後退していくのが見え、それを猛追していく。戦線が押し上げられていく。


「なるほど……」


 俺もようやく言葉を発するに至った。

 口が渇いていて、うまく発声できたかも怪しい。


「おまえ……」


 ルージュの顔を覗く。

 燃え盛る炎を前にした瞳は、達成感に満ち溢れていた。


 これが――才能ある魔法使いの一撃。数多の魔法使いを憮然と踏みつぶしていく、特異な存在。


 これを見れば一般人が魔法使いをどう思っているか、想像するのは難しくなかった。何の代価もなくこんな火力を生み出すことができる彼女は、常に相手の生殺与奪を握っている。

 彼女が暴走する世界――それは地獄と呼称しても間違いではないのかもしれなかった。


「予想以上だね」


 クレイが近寄ってきて、ルージュの肩を叩いた。


「魔法使いは才能――これほどまでにこの言葉が響いたことはない。一人でどうにかできてしまうのであれば、我々の今までは何だったんだという話もなる」


 同感だ。

 こんな最強たちだけで雌雄を決してほしいものだ。


 ルージュにクレイの声が聞こえている様子はない。代わりに俺が口を開いた。


「貴方がたがここまで戦線を保っていたからの勝利でしょう。王国が蹂躙されてからでは間に合わなかった」

「シエル君は他人を慰めることができたんだね」


 どう思われてるんだよ。


 彼も彼で、高揚と憔悴の入り混じった顔であった。

 クレイの気持ちはわかる。今まで積み重ねてきたものを一瞬で無に帰す化け物。それは確かに存在していて、遥か高見から嘲笑うように”これまで”を破壊する。過去、自分の命を賭けてきた事実すら、なかったかのような錯覚に陥ってしまう。


 それが才能の一言で片づけられてしまえば、救われない人間もいるというものだ。

 そんな化け物――ルージュはクレイの労いの手を払った。


「味方を退かせて。まだ何発も打てるわ」

「十分だよ。相手はすでに後退を始めている。こちらもさっさと前線を上げる必要があるし、全員で上がる必要があるから、君の魔法は過剰になる。味方を巻き込んでしまってもしょうがないしね」

「今ならやれるわ。ここでなら叩ける。今なら帝国の魔法使いを全員殺すことも――」

「やめとけ」


 俺はルージュの額を叩いた。


「いたっ」

「クレイは上官だ。上官の言う事は聞くべきだ」

「でも」

「落ち着け。普段のおまえならそんな血気盛んな判断をするか? こちらが求められている結果を出したんだ。十分なんだよ」


 ランナーズハイならぬマジックハイってやつか。

 ぎらぎらと怪しく輝く瞳は、普段のルージュではありえない。


「でも相手が背を向けている今なら、全員打ち抜ける。こちらに犠牲を出さずに殲滅できるわ。王国の勝利に近づけるのよ。これ以上、他の魔法使いに犠牲が出ることもないの。それが正しい判断じゃない?」

「それぞれの魔法使いがやれることをやる。ここらへんを焼け野原にしたってしょうがないだろう。手を焼いていた魔法使いを対処した。それだけで百点満点だ」

「……そうね。前線を押し上げればまた陣地形成をしなくちゃいけないし、深追いしてもしょうがないわね。本陣から離れた友軍が狙われるのも嫌だし」


 学園で戦術の講義をきちんと受けているルージュは、一度頷いた後も何回か頷き直した。


「そうね、そうよね。追った先に何百人の魔法使いが待ち構えているかもしれない。そうなれば、集中砲火になるわ。私や他の魔法使いは貴方と違って防核に自信があるわけじゃないし、自分たちの身を守るためにもここで止まった方がいいわね、うん」

「納得してもらえて良かったよ」


 俺も安堵し、再度、ルージュの規格外の魔法を思い返す。


 これでルージュ・コレールの魔法使いとしての力量は証明された。一瞬で戦場を覆すその力は疑いようのないものになって、王国の序列に名を刻むことも近い未来で起こりうる。

 味方の魔法使いとして満点。今すぐにでも魔法使いとしての人生を歩みだすだろう。


「上も有用性は理解しただろう。学園の方にもしっかり伝えておくよ。ルージュ・コレールの武勇伝を」


 クレイも満足げな顔で頷いている。


 それを見て、ルージュは眉をしかめた。それから、不意にその身体を揺らした。その場に崩れ落ちそうになったので、俺は慌てて倒れないように支える。


「おい、どうした」

「少し……疲れたみたい」

「あれだけの魔法を放てばね。救護室に急ごう。シエル君、運んであげて」


 俺は頷いて、ルージュを背負って歩き出した。

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大罪の魔法使い 紫藤朋己 @te3101

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