学校の怪談六月 おつゆさん

 外は雨が降っている。北棟の6階、コツコツと足音を立てながらそこに1人の女子生徒が歩いている。


 

「あれ?なんで私ここにいるんだっけ?」


 

 あたりを見回す。いつも見ている場所だからすぐにわかった。


 

「ここは、北棟の6階?確か今日は休日で……あれ?なんで学校に?とにかく、用がないなら帰らなくちゃ、閉じ込められたりしたら大変」


 

 そう思い足早に階段を降りようとしたとき窓ガラスに大きな雨粒が当たった。それはまるで……何者かが窓を手のひらで叩いたかのような音だった。



 すると続くようにぴちゃ、ぴちゃ、と水の滴る音が聞こえた。見慣れているはずの校舎がその瞬間に一気に不気味な何かへと変化を遂げた。


 

 女子生徒は焦り叫びたくなった気持ちを必死に抑え、階段を駆け降りる。5階、4階、3階、と降りていくうちに足を止めた。


 

 見るとそこには2階へと続く階段の踊り場に水溜りができていた。雨の音は一層強くなり、より不気味に感じる。その時、水溜を目には見えない何物かが踏んだ。


 

 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ、それは姿こそ見えないものの確実に階段を踏み締め、一段一段登ってきている。


 

 完全にパニックになった女子生徒は叫びながら階段から離れ、理科室へと駆け込んだ。


 

 すぐに鍵を締め、近くの机の下へと隠れる。呼吸は浅く、心臓の音が漏れてしまいそうなほど大きくなっていた。それでもまだ水の足音は消えてはくれない。


 

 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ、一歩ずつ、その音は心臓と比例して大きくなっていく。さらに呼吸が浅くなる。通り過ぎて、通り過ぎて、と女子生徒は心の中で願った。


 

 そんな願望とは裏腹にその音がピタリと止んだのはちょうど今隠れている理科室の前だった。


 

 10数秒たった後、ぴちゃ、ぴちゃ、と音を立てながら理科室の前を通り過ぎていく。なんとか難を逃れたのだ。


 

 浅くなった呼吸をなおし、深く呼吸をした。心臓の鼓動が少しずつゆっくりになっていく。安心で胸を撫で下ろした。


 

 じゃぁぁぁあぁぁぁぁぁああぁあああぁぁあ


 

 安心したのも束の間、理科室の水道が急に漏れ始めた。それも尋常ではない勢いですぐにシンクを詰まらせ水溜まりができた。



 そしてその水溜りから何物かが這いずり出てくる。


 

 こんどは姿形がしっかりと見ることができた。上半身だけが人のような形をしており下半身はシンクの水につながっている。


 

 それは腕だけで体を引っ張り一歩一歩近づき、射程距離に入るや否や、ものすごいスピードで走り出す。



 ぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃぴちゃ


 

 それはまるで獣のように一直線に女子生徒の方へ向かい捕まえた。


 

「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 

 そんな叫び声も虚しく、水の中へ引きずり込まれてしまった。






 六月になり、外では雨が降っている。今年も梅雨の季節がやってきた。



「そういえば夜風よかぜなぜ季節の変わり目に雨が多く降るか知ってるかい?」



「なんか、あれだろ?高気圧同士がぶつかるみたいな」



「おー!よく知ってるね。その二つの気圧は暖かくしめった空気をもつ太平洋高気圧と、北にある冷たい空気をもつオホーツク海高気圧とが、日本のあたりでぶつかるから梅雨が起きるんだよ」



「その矢幡やはたの急に始まるどうでもいい豆知識、わりかし好きだぜ」



 そういうと、矢幡はへへっと自慢げに笑った。前の怪談以降今まで話せなかった事を全てではないが話すことができた。



 誰かに話せると思ってなかった俺は心が楽になるのを明確に感じた。それと同時に巻き込んでしまった以上最後まで守り抜くと誓った。



「そういえば負のオーラ?だっけ。それは最近どうなの?」



「ゆっくりとだけど着実におさまってきてるよ」



 嬉しいことに学校にあった膨大な負のオーラも収束をみせ、もう少ししたら前までの学校と同じくらいのものに落ち着きそうなくらいになった。



 しかし、気がかりなことがある。それは六月に入った矢先すぐに開かれた全校集会の事だ。



 それは3年生の生徒が雨の日に学校に行ったきり帰ってこず、そのまま行方不明になってしまったということだった。



 地元の警察も調査をしているが手がかりが一つもなく、手詰まりな様子らしい。



 しかし、先ほど言ったように学校の負のオーラは収束を見せているため今回の件は怪談とは無関係だろうと思っている。



「そっか……ならよかったね」



 何か言おうとして言葉を飲み込む。授業開始のチャイムが鳴った。






 それから数日たち、学校全体が休校となった。



 六月に入ってから行方不明者が立て続けにもう一人でたからだ。いずれも雨の日の休日、学校に行ったきり帰ってこなかったそうだ。



 今回の一件で学校側も非常事態だと判断し、休校にしたのだろう。



 休みの日は楽でいい。朝はゆっくり起きて自分のタイミングでご飯を食べ、テレビを見たりして悠々自適に過ごす。



 世の中のすべてから解放されたような感覚。悪くない気分だ。



 昼時、地方局で地域についての特集が組まれている。



『はい!というわけでやってきました。発見!地元のあれこれ!のじかんでーす!』



 愉快な音楽とともに男性の司会者が話始める。特にやることもないためぼーっと眺める。



『今回の発見はこちら!なぜ六月は水無月と呼ばれていたのか!これについてはいろいろ説がありますが、地元を調べていくと面白い発見がありました!』



 たしかに六月といえば水無月とも呼ばれているな。梅雨の時期ってこともあって水は豊富だと思うがなぜなんだろう。



『一般的には、今まで水の無かった田んぼに水を注ぎ入れる頃であることから、「水無月」や「水月すいげつ」「水張月みずはりづき」と呼ばれるようになったとする説が有力とされている一方!梅雨があけて日照りが続くタイミングでもあり、暑さで水が干上がる「水の無い月」という説もあるんです!では私たちの住む地元はどうなのでしょうか?そこで今回は歴史に詳しい専門家をお呼びしております!それではお願いします!』



 紹介されて出てきたのはいかにもって感じのおじさんだった。



『今回は来てくださりありがとうございます!それではさっそく意見をお聞かせ願います!』



『えぇ、まず私は当時の資料に目をつけて考えました。調べていくとここは雨が降らないどころか、逆に大雨が降っていたそうです。毎年毎年雨に恵まれているためここでは前者の説が有力とみて間違いないでしょう』



 絶妙に専門家のおじさんの雰囲気と番組の雰囲気が合っていなくて面白い。



『そもそも今の言葉で考えるから難しく感じるのであって、昔に置き換えて考えると、水無月の「無」は「ない」ではなく、連体助詞の「の」と考えることができ、水無月が「水のない月」ではなく、「水の月」であるとする説が有力だと私は考えています。』



 矢幡のどうでもいい豆知識はこういう番組などで仕入れているのだろうか。今度あったら話してみるのもいいかもしれない。



 その後、数回やり取りが続き、番組は終わった。



 それにしても面白い話だったな。水の月か……そういえば今回の行方不明の事件はどちらも雨の日に起きているものだったな。



 いやいや、考えすぎだ。負のオーラはゆっくりだが収まってきているし、学校でも嫌な気配を感じていない。大丈夫。何も考えるな。



 そのまま寝室へ行き眠った。





 外には森が広がっている。今は車の中だろうか?とても気分がいい。



 運転席に乗っている男の人も、助手席に乗っている女の人も同じように楽しそうだ。



 今俺はどこにいて何をしているのだろう。この人たちに話を聞いてみようか?



 手をめいっぱい伸ばしてみたが運転席にも助手席にも届かない。


 

 何か起こっているのか?……いや、でも今はそれ以上に楽しいし、疲れている。



 声も出ない。何もできない。ただ俺が座っている。



 悪い人たちじゃない気がするし、今は少し寝よう。安心して目を閉じた。



 少し経ったあと、首に激しい痛みを感じ目が覚めた。



 馬乗りになって俺の首を女の人が絞めていた。



 息ができない、苦しい、痛い、悲しい。



『おまえのせいだ!!早く出ていけ!!おまえのせいだ!!早く出ていけ!!』



 どんな顔をしているのだろう。馬乗りにされているのだから見えるはずなのに、何も見えない。



 ただ、罵声怒号が聞こえるだけだった。





 

 そこで俺は目を覚ました。呼吸が浅く、汗をびっしょりかいている。



 まだ時間は朝の5時。手で額の汗を拭い大の字になる。



 またこの夢だ。切なくはかない苦しい夢。これがいつの記憶なのか、どこでの記憶なのか一切わからない。ただいつからか同じような夢を見るようになった。



 二度寝する気分にもなれず、冷蔵庫に飲み物を取りに向かった。



 そういえば、今日から休校が終わり学校が再開するんだったな。何も起こらず平穏に過ごせたらそれでいいのだが。



 とりあえずお風呂にでも入って汗を流して、時間を潰そう。学校のことは学校で考えればいい。






 学校に到着すると矢幡がいた。



「おはよ。なんだか調子悪そうだね?大丈夫かい?」



「ちょっと夢でうなされただけだ。大丈夫」



「夜更かしでもしてたんじゃないの?まったく」



「お前は俺のお母さんか」



 2人で笑いながら教室へ向かう。



 朝のホームルームで先生から行方不明の生徒についての話があったが、相変わらず情報は何もつかめていないらしい。



 いずれも休日の出来事だったため、外に出る時は充分に気をつけるようにとのことだった。



 何を気にするでもなく、俺は一限の授業の準備をした。すると机にどんっと手が置かれた。



「どうしたんだよ矢幡」



「……本当に何もしないつもりなのかい?」



「なにもって……今回の件は、もう怪談とは関係ない」



「なんでそう言い切れるの。何か根拠はあるの?」



 ため息をつきながら視線を落とす。



「負のオーラも今じゃ何も問題はないくらいに収まった。つまりとんでもない共鳴現象でも起こさない限り、こっち側に干渉してくることはない」



「それは夜風にしかわからないことかもしれないけど、今までの話を聞く限りでは今回みたいなことが起こった時は、負のオーラが濃くなっていくんじゃないの?前にあった偽物の怪談のことだってあるし、そんな中で今回の件が全く無関係なんて考えられないよ」



「…………もういいだろ。授業が始まるぞ、座れよ」



 それ以上何も言わず、そのまま矢幡は席に着いた。俺は一度も顔を上げることができなかった。



 外はどんより曇っている。午後には雨が降りそうだ。






 予想は的中し午後には雨が降った。ただ一つ予想外なことがあるとするなら雨の量だった。



 大雨警報が出され、生徒は体育館に集まり帰る手立てができた生徒から帰宅していく形になった。



 保護者がちらほら見え始めたころ、一瞬校舎のほうから嫌な気配を感じた。



 気のせいで片付けようとしたが連続して気配がしては消え、しては消えていった。



 今校舎には職員室に先生がいるだけのはずだが……。



 「夜風。お前は帰れそうか?」



 そう話しかけてきたのは担任の松永先生だった。



「はい、大丈夫です」



「ならよかった。トイレとか大丈夫か?なんせこの体育館に全校生徒が集まっているからトイレが混んでいてな、どうしてもっていう生徒を校舎のほうに行かせてるんだ」



「……そうなんですか、ならトイレに行ってこようかな」



「わかった。足元気をつけて行けよ」



「はい」

 



 ……おい嘘だろ。じゃあさっきから感じてるこの嫌な気配は!

 


 俺は走って体育館を出て校舎に入った。一歩中に入ると午前中の空気が嘘のように負のオーラで満たされていた。



 それと同時に上の階から走る音と水のような音がした。



 すぐに階段を駆け上がり気配のする3階へといった。が、そこで見たのは上半身しかない水の怪異が生徒を手洗い場に引きずりこむ姿だった。



「させるか!『レッグ!」



 一気に足へ霊力を集め飛躍的に身体能力を上げる。そのままトップスピードで水の怪異に突っ込む。



 確実に頭部をとらえたと思ったが、水がはじける感覚だけで手ごたえは全く感じない。



 振り返るとそこには先ほどの生徒しかおらず、ただ水がぽたぽた垂れているだけだった。



「ばかなそんなは……!」



 右肩に感じた気配、即座に身を低くし距離をとる。そこには先ほどの水の怪異が上半身だけを出して手を振り切っていた。



 改めて周りを見てそこら中に水たまりができていることに気が付いた。



 まだ確信ではないが、奴は水たまりの中を自由に移動、(というより瞬間移動に近い行動が)できるタイプと見た。



 一定の水があればどこからともなく現れることができる。神出鬼没。対して俺はあと数分もしたら切れる身体強化しか対抗策がない。



 「くそ不利じゃねぇか」



 そんなことを考えていると奴はまた水に姿を消した。



 まずい、確認できるだけでも前に2つ、後ろに3つ、横に1つ水たまりがある。うち前の1つは倒れている生徒の近くだ。



 どれだけ身体強化をしてても元の動体視力が上がるわけじゃない。俺にきてもまずいし、倒れてる生徒が狙われたら、助けられない。



 確実に一歩出遅れる。……なら!



 その場に立ち、どこからでも来いと言わんばかりに両手を広げる。



 ぐんぐん負のオーラが高まっていく。くる!このタイミングだ!



「じゃんけんぽん!」



 そういいながら横の水たまりめがけて足刀をお見舞いする。



 パシャっと相変わらず手ごたえは感じないが攻撃の出始めをつぶすことができた。



 奴はすぐさま形を戻し飛び掛かってきたが対面なら俺のほうが有利だ。最小限の動きでかわしカウンターを合わせる。



「チッ顔周りはただの水か」



 攻撃をものともせずにまた掴みかかってくる。今度は2,3歩下がった後に助走をつけて胸のど真ん中を蹴りぬいた。



 しかし、伝わってくるのは水の感触のみ。



「うそだろ、心臓部もただの水かよ!?」



 このまま運ゲーのモグラたたきを続けてもいいがさすがに分が悪い。それに今は生徒の安全が一番だ。



 そのまま倒れている生徒を抱え階段まで行こうとした。



「気づかなかった、は言い訳か」



 2階へと続く階段には水たまりがあり、すでに奴はそこに両手で立っていた。

 


 完璧に意表を突かれ、ガードが間に合うわけもなく全力の突進を食らった。

 


 もっと注意してくれば何かしら手を打てたはずだ。もっと前から……くそ。



 冷静に考えればこの3階のフロアは奴の狩場。そこに何の策もなしに突っ込んだのは焦りからか。



 いくら考えても今は変わらない。そして追い打ちをかけるように身体強化が切れた。絶体絶命。



 ぴちゃ、ぴちゃ、一歩ずつ水の怪異は水の音と共に近づいてくる。


 



 

 今際の際。夜風は最後に1つだけ考えが浮かんでいた。だが、それを実現するにはとっくに霊力が底を突いている……。



 いや、突いているはずだった。しかし、風前の灯火のような微量の霊力がまだ残っていた!



 身体強化は霊力を消費して身体能力を上げる技術、当然霊力切れを起こせば身体強化は使えない。しかし、人間にはリミッターというものがある。無意識下で100パーセントの力を発揮しないように抑えるいわばストッパーのようなもの。



 身体強化によってすべての霊力がなくなることは、絶対にありえないことなのだ。つまり、夜風は100パーセントの霊力を出し切ったと思っているが実際は90パーセントほどの霊力しか使っていないということになる。


 

 さらにその10パーセントほどしかない霊力を増幅させる技術がある。夜風はそれを知らないながらも本能でやってのけた!!





 

(なんだ、まだ、少しだけ……霊力が残ってる、じゃねーか)



 ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ、っと余裕の素振りで水の怪異は近づいてくる。目の前には抵抗する力の残っていない獲物が転がっているだけだ。



 しかし、獲物の牙は抜け落ちていない。



 いてぇ。けどまだだ、まだ『後悔』の2文字を使うのは早え。後の出来事になせてたまるか。

 


 水の怪異は夜風ともう1人の生徒の足をつかみ階段の水たまりに連れていく。



 そもまま引きずり込もうとした一瞬偽物コピーとの最後の一騎打ち同様、夜風は最後の霊力を振り絞り、本を落とした時のように水たまりもろとも吹き飛ばした。



 水の怪異が体勢を立て直す前に、生徒を抱え夜風は体育館へ走った。



 体育館は負のオーラを感じなかった。つまり奴の活動範囲外ってことのはず。



 校舎を出て後ろを振り返るとそこには何もおらず、霊力すら感じなかった。どうやら俺の考えは当たったらしい。



 よか……


 

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