第38話 視線が離せない(ギデオン視点)
会場の観客は王女殿下の出場で賑わっていた。ヒューバート殿下に話を聞くと、この界隈では王女殿下はかなりの有名人だという。
「馬術もそうだが、馬の競争に関しても発祥はネスロダン国なんだ。その中でもルクレツィア王女は馬に関する競技を好んでいるんだ」
「なるほど。実力者というわけですね」
「あぁ。……レリオーズ嬢には悪いことをしてしまったな」
「悪いこと、ですか?」
殿下が申し訳なさそうに俺の方を見たが、その真意が俺にはわからなかった。
「穴を埋めてくれたのは非常にありがたいことだが、何分相手がな……レリオーズ嬢は競争の経験は少ないだろう?」
「初めてだと思います」
「尚更申し訳ないな……」
どうやら初回にもかかわらず、王女殿下という強敵が相手になってしまったことに罪悪感を抱いているようだった。俺は不思議とその懸念は浮かばなかった。
「……きっと大丈夫ですよ」
それは自然と出た言葉だった。殿下は驚いたような声で反応する。
「え?」
「アンジェリカ嬢はきっとどんな相手というよりかは、走れること嬉しいはずなので。むしろ出場できる機会にめぐり合えて喜んでいましたので」
「そう、なのか」
俺はアンジェリカ嬢を見送った時のことを思い出した。あの眩しい笑顔の根底には、きっと〝走りたい〟という強い思いがあったからこそのものだと思う。それを考えれば、対戦相手など後からついてくる情報に過ぎない。
自分の中で整理をすると、会場の方へ視線を向けた。
(……頑張れ、アンジェリカ嬢。ティアラさん)
少し経つと、続々と馬に乗った走者が現れた。最初に姿を現したのは王女殿下で、会場は一気に盛り上がった。人気は確かなようで、応援する声が多かった。アンジェリカ嬢が登場したのは最後だった。
(よかった、ここならよく見える)
表情までくっきり見えるわけではないが、程よい距離だったので満足していた。緊張しているような様子は見られず、むしろ楽しんでいる様子に安堵した。
運営委員の人から走者の説明が簡潔に行われると、すぐさま最終レースが始まった。旗を持った男性が定位置に着くと、会場中が静まり返ると旗の一点に視線が集中された。
バッと旗が上がった瞬間、三頭の馬が勢いよく走り出した。
アンジェリカ嬢とティアラさんだけが出遅れる形になったものの、俺は彼女から視線を逸らさなかった。遅れて出走したものの、ティアラさんの速さは目を見張るものだった。
「……え?」
あまりの速さに、会場中が騒然となっていく。隣に座る殿下からも、間の抜けた声が聞こえた。
(楽しそうだ、アンジェリカ嬢。凄く生き生きしている)
物凄い速さで駆け抜けていくティアラさんが十分に凄いことはわかっていたが、それよりもアンジェリカ嬢から俺は目が離せなかった。
(……きっとあの表情は、社交界では見ることができない気がするな)
社交界ではなく、外に出て青空の下を愛馬と共に駆け抜けるアンジェリカ嬢。きっと彼女にとって、この時間が至高の瞬間なのだろうと思えるほど惹きつけられる笑みだった。
(こんなことを思っていいのかわからないが……俺はアンジェリカ嬢の今の笑顔が好きだな)
それくらい俺の目には魅力的に映っていた。
そして、アンジェリカ嬢は見事最初にゴールテープを切った。俺は反射的に一人で拍手をしていた。王女殿下を応援していた観客の多くは、驚きの声で溢れかえっており、俺の拍手はかき消される形になった。
(祝福は直接本人に伝えよう)
手を下げると、殿下は俺の肩に軽く触れた。
「ギ、ギデオン……レリオーズ嬢は一体何者なんだ……?」
恐らく殿下は観客と同じ感覚で、王女殿下が勝つと信じて疑わなかったのだろう。俺は驚かずに、彼女の勝利にただ喜んでいた。
「何者……レリオーズ侯爵家のご令嬢ですよ」
「……いや、それは知っている! 何者とはそういう意味じゃなくてだな。例えば走り慣れているのかとか」
「走り慣れているかはわかりませんが、走ることが好きだとは聞いておりますよ」
「そうか…………素晴らしい走りだな」
「俺もそう思います」
最終レースで、誰よりも輝いていたアンジェリカ嬢。間違いなく俺の中で鮮明に記憶が残る姿だった。
「直接感想を言えないのが残念だが、俺はこれで失礼する。ギデオン、また後で話を聞かせてくれ」
「もちろんです。是非話をさせていただければ」
「あぁ。水を差してすまなかった」
「そんなことはありませんよ。お疲れ様です殿下」
こうしてヒューバート殿下は公務へと戻っていった。俺はアンジェリカ嬢が戻って来るのを待つことにした。彼女を迎えると、祝福と感想を伝えた。
レースを最後に、俺達は帰路に着くことにした。心が満たされる一日だと思っていれば、レリオーズ侯爵邸に着いた瞬間アンジェリカ嬢はすぐさま口を開いた。
「ギデオン様。次はいつお会いできますか?」
まさか彼女からその言葉が出てくるとは思いもしなかったので、驚きのあまり言葉を失ってしまった。状況を理解できると口元が緩めながら答えた。
「予定がわかり次第、すぐにご連絡します」
「はい、よろしくお願いします……!」
アンジェリカ嬢の嬉しそうな声を聞くと、可能な限り早く誘いの手紙を送ろうと思った。彼女に見送られながら、俺は屋敷を後にするのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます