第32話 売られた喧嘩は買う主義だ
走者が揃うと、改めて運営委員の人がルールを教えてくれた。走者は私と王女様と男性二名だった。
内容は至って単純で、一直線のコースを速く走り抜いた馬乗り勝ちということだった。旗が上がるのが始まりの合図で、反射神経が試されるということだった。
説明が終わると、早速コース場に移動する。
「ティアラ、楽しもうな」
ニカッと笑いかけると、心なしか頷き返してくれている気がした。
移動中は王女様とは話すことなく、私は一方的に先を歩く彼女を観察していた。
(王女様の馬、よく見たら馬術の時に乗ってた子と一緒か。……反射神経は良さそうだな)
馬術経験の豊富な王女様とその馬に比べて、ティアラとは自由に駆け回ることしかしてこなかったので、少しだけ不安が生まれる。
「へぇ。飛び入り参加で来た代打って、女の子だったんだ」
「……よろしくお願いします」
静かに移動していれば、後ろから声をかけられた。声をかけたのは他の走者で、若い男だった。
「どれくらいレースは経験あるの?」
「初めてです」
「初めて……。あははっ! なんだよ素人か」
(……なんだコイツ)
どこか見下すような視線は不快なもので、笑い声は品がまるでなかった。
「てっきり王女様相手だったいうのに飛び入り参加して来たのを聞いて、どんな猛者かと思ったけど……何も知らない素人なら納得だわ」
「やめないかフレッド。彼女が参加してくれなかったら、欠員のままだったんだぞ」
「なんだロイド。事実だろう?」
馬鹿にしてきた男を制したのは、もう一人の走者だった。どうやら名前はロイドというらしい。
(なるほど、フレッドか。覚えたぞ)
失礼な男の名前を覚える必要はないが、私は売られた喧嘩は買う主義だ。
(クリスタ姉様。すみません、今日だけは許してください。社交界じゃないんで)
心の中で屋敷にいる姉に謝罪をすると、私はフレッドの方を見た。
「素人ですが、参加させていただいた以上頑張ります」
「ふうん。せいぜい、断トツで最下位みたいにならないといいな」
「フレッド、お前な」
「ロイド。お前もだぞ?」
何とも嫌な感じの男は、勝ち誇ったように笑っていた。
「まぁ、ロイドと素人さんは精々最下位にならないよう頑張るんだな。二位は俺のもの、ということで」
「……一位じゃないんですか」
そんなに自信満々なのだから、てっきり優勝は俺のものだくらい言うのかと思った。
「これだから素人は困るな。あのルクレツィア王女殿下に勝てるわけないだろう? 何せネスロダン国最速と言われる方だ。その方を差し置いて勝てるなんて思ってないさ」
フレッドはへらへらと笑いながら、こちらを見た。
「俺は、自分の実力がわかってるんでね」
(……嫌な奴じゃなくて、嫌味な奴だったか)
煽られているとわかったが、顔にも態度にも出さずに呑み込んだ。
「まぁそういうことだ。精々頑張れよ」
「フレッド……!」
ヒラヒラと手を振ると、フレッドは私を抜かして進んだ。それを見送っていれば、もう一人の男性ロイドが私に謝罪をした。
「申し訳ないお嬢さん。フレッドが失礼なことを」
「気にしないでください。素人なのは本当のことなので」
「あ……レースが初めてだと聞いたけど、本当なのかい?」
「はい」
(何なら存在自体今日初めて知ったからな)
コクりと頷けば、ロイドは小さく微笑んだ。
「そうなんだね。飛び入り参加してくれたことは本当にありがたいことだから、感謝してるんだ。……フレッドの言う通り王女殿下はとても速いけど、自分のペースで走ればいいから。楽しんでね」
「……ありがとうございます」
親切に助言をくれたので、頭をペコリと下げた。ロイドも先にレース場へ向かったので、私は最後の到着となった。
位置は私と王女様が真ん中で、私の反対側はフレッドだった。
「頑張れー!!」
「王女殿下~!! 応援しています!」
既に多くの声援が聞こえており、そのほとんどが王女様を支持するものだった。
(凄い。人気者だな、王女様)
王女様は声援に対して笑顔で手を振っていた。
(あ! ギデオン様だ)
こちらを向いて手を振ってくれたのがわかった。
「可哀想にな。素人だからか睨まれて」
私がギデオン様に手を振り返せば、フレッドが同情するように呟いた。
(いや、あれは笑ってるんだが……うん。確かに睨んでるとも取れるな)
声に出すことはなかったが、ギデオン様の鋭い目付きは遠くから見ても健在だった。
「本日最終レースとなりました!! 最終レースは、スペシャルゲストのルクレツィア王女殿下をお迎えして行いますよ!」
運営委員の人が意気揚々と話しており、観客席は非常に盛り上がっていた。
「走者の皆さん、準備はよろしいですか? では、レースを開始します!」
いよいよレースが開始となり、右端で運営委員が旗を握り締めて立っている。
「出遅れるなよ?」
フレッドがまだ挑発をしてくるが、開始直前なので聞き流すことにした。集中して旗を見つめる。
(よく見るんだ……頑張れ、私の反射神経)
じっと力みながら旗を見る。
(……上がった! 行くぞティアラーー)
走り出そうとしたその瞬間、もう隣に三人と三頭の馬はおらずに駆け出していたのだった。
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